極上の彼女と最愛の彼 Vol.3

葉月 まい

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お前がいてくれるなら

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「うわー、もうこんなに売れたの?」

久しぶりに内海不動産のモデルルームを訪れた吾郎は、壁に貼られた部屋番号の上のバラの数に驚く。

建築工事も目に見えて進んでおり、1つの街がもうじき出来上がろうとしていた。

「はい!販売もついに最終期に入りました」

安藤が嬉しそうに声を弾ませる。

「私が担当させていただいた方も、何組かご成約をいただきまして」

「そうなんだ!がんばってるね」

「都筑さんのお力添えのおかげです。本当にありがとうございます」

「いやいや、俺なんか何も。それより、かなりマンションの工事も進んだようだから、映像やデジタルコンテンツもブラッシュアップしようと思って」

「ええ?!よろしいのですか?」

「もちろん。原口さんと木谷さんにも相談したいんだけど」

「かしこまりました。すぐに呼んで参りますね」

吾郎は、タタッとバックヤードに向かう安藤の後ろ姿を見送る。

(少し会わなかった間に、なんかちょっと雰囲気変わったな)

久しぶりに見る安藤は生き生きとしていて、自信に満ちた明るい表情だった。

(仕事が上手くいってるんだろうな。良かった)

以前は真面目な学級委員のように、常に真顔でカリカリとメモを取っていた安藤が、今は顔を上げてにこやかに話をしてくれる。

眼鏡をやめ、ひとつ結びだった髪型も、後ろでゆるくシニヨンにまとめていた。

(そうするともう前みたいに、酔っ払った一人新喜劇は見せてくれないのかな?)

そう思うと、なんだか少し残念な気もする。

またいつか見てみたい、と口元を緩めていると、バックヤードから原口と木谷を連れて安藤が戻って来た。

「都筑さん、お久しぶりです」

「木谷さん、原口さん、ご無沙汰しております」

3人で握手を交わしてから、部屋の隅のテーブルに着いた。

「映像とコンテンツをブラッシュアップですか?こちらとしては嬉しい限りですが、本当によろしいのでしょうか」

「はい、もちろんです。『既存のものに満足せず、常に良いものを目指す』というのが弊社のポリシーでもあります。マンションの建築が進み、全体の風景も随分変わってきました。そこを反映させないままでは、私も納得出来ませんので」

「そうでしたか。アートプラネッツさんの素晴らしさの理由が分かった気がします。それでは、ぜひともよろしくお願いいたします」

「ありがとうございます。詳しい納期はまた後日お伝えいたします」



話し合いを終えてモデルルームを出ると、吾郎は敷地内をゆっくり歩きながら写真を撮る。

(公園やドッグランもほぼ完成してるな)

オシャレな噴水やガーデンなど、改めてここが異国情緒溢れる街のようだと思わせられた。

(透や亜由美ちゃんも、ここに住めば毎日が楽しいだろうな)

二人が笑顔で手を繋いで散歩している様子が目に浮かび、吾郎は微笑ましくなる。

その時だった。

ふいに足元に何かがすり寄って来て、吾郎は驚いて視線を下げた。

「えっ!」

ふわふわでコロコロした茶色の子犬が、吾郎の足に身体をすりつけている。

「お前、どこから来たんだ?」

しゃがみこんで頭をなでると、ぺろぺろと吾郎の手のひらを舐め始めた。

(首輪もないし、近くに飼い主も見当たらないな)

吾郎が辺りをキョロキョロしていると、工事のおじさんが、おっ!と目を留めて近づいて来た。

「まだいたのか、チビ」

「この子犬のこと、ご存知なんですか?」

「いやー、それがな。裏山の工事を始めたら、母犬と子犬が2匹いたんだよ。どうやら山に住みついてたらしくてな。かわいそうに、追いやられて出て行ったんだけど、どうもこのチビだけはぐれてしまったみたいで。見かけたら、時々わしがドッグフードあげてたんだ」

「そうだったんですか…」

吾郎は、頭をすり寄せてくる子犬を抱き上げた。

毛並みはカチコチで艶もなく、身体はやせ細っている。

「あれ、怪我してるじゃないか」

思わす声を上げると、工事のおじさんも、どこ?と顔を寄せる。

「前足のここから血が出てます」

「ほんとだ。木の枝にでもひっかけたかな?」

「おじさん、そこの公園の水道、もう水出ますか?」

「いや、水道工事はまだだ」

「そうですか…」

吾郎は、クゥーン…と、か細く鳴いてこちらを見上げてくる子犬と目が合った。

(まずい。こんなおめめで見つめられたら、もう…)

「連れて帰るしかないか」

そう呟くと、おじさんは「おっ?」と顔を上げる。

「兄ちゃん、飼ってやってくれるか?助かるよ。わしのボロアパートはペット禁止でな。仕事仲間に声かけてもなかなか飼い手が見つからなくて。兄ちゃんが面倒見てくれるなら安心だ。良かったなー、チビ」

おじさんは満面の笑みで子犬の頭をなでていた。



自宅マンションに向かう途中で、吾郎は近所の動物病院に立ち寄った。

事情を話し、怪我の手当てと健康状態を診てもらう。

「あらー、可愛いワンちゃんね。男の子か」

優しそうな女性の獣医はそう言いながら子犬をなでると、顔を上げて吾郎に尋ねた。

「お名前は?」

微笑みながら首を傾げられ、吾郎は、へ?と面食らう。

「あ、はい。都筑 吾郎と申します」

「ゴロウちゃんね。こんにちは、ゴロウちゃん」

そう言って再び子犬の頭をなでる獣医に、吾郎は慌てふためく。

「あ!すみません。吾郎は私の名前でして…」

「まあ、そうだったのね。じゃあこの子のお名前は?」

「えっと…、この子は…、トオルちゃん、です」

「トオルちゃんね。初めまして、トオルちゃん」

すると子犬は、アン!と鳴き声を上げた。

「あら、お返事上手ねー。トオルちゃん」

子犬は嬉しそうにパタパタと尻尾を振る。

「ふふ、元気そうね。では傷の消毒と、体調チェックをしましょうか」

その後、何度も
「いい子ねー、トオルちゃん」
「上手よー、トオルちゃん」
と声をかけられ、子犬は終始ご機嫌で尻尾を振っていた。



「ふう、やれやれ…」

マンションに戻ると、吾郎は子犬を床に下ろす。

病院では、傷は浅い擦り傷で特に心配はいらないと言われ、消毒してから薬を塗ってもらった。

受付の横でドッグフードやリードなども販売しており、吾郎は当面の分だけ購入して帰って来た。

やはり少し栄養が足りていないようだと言われた為、教えられた通りのドッグフードを食べさせる。

「えっと、とりあえずこの食器でいいか」

柔らかいドックフードを皿に載せて子犬の前に差し出すと、少しクンクンと匂いを嗅いでから、パクパクと勢いよく食べ始めた。

「ははっ!いい食べっぷりだな。喉詰まらせるなよ」

あっという間に完食した子犬を抱き上げ、ソファに座ってなでていると、すっかり気を許したように身体を丸めてうとうとし始めた。

病院で洗ってもらった毛並みはふわふわとしている。

「あーあ、まだ見ぬ彼女より先に、お前と同棲することになるなんてな」

独りごちながら、この後の手続きや購入するものを考える。

(えーっと、飼い犬の届け出を出して予防注射を受けて。サークルとキャリーバッグも買わなきゃな)

そこまで考えてふと手を止める。

(名前、どうするかな)

病院で咄嗟にトオルちゃんと答えてしまったが、まさかそのままという訳にはいかない。

(んー、柴犬っぽいから、シバちゃん?それとも、コロコロしてるからコロすけとか?)

なでる手を止めたからか、子犬が目を開けて吾郎を見上げてきた。

「おっ、どうした?シバちゃん」

するとプイッと子犬はそっぽを向く。

「シバちゃんは嫌か?それなら、コロすけは?」

子犬は微動だにしない。

(もしかして、もう染みついてしまったのだろうか、あの名前が)

吾郎は恐る恐る呼んでみた。

「…トオル?」
すると子犬はパッと吾郎を振り返り、アン!と可愛く返事をする。

しまった…、とうなだれる吾郎の顔を、トオルはぺろぺろと舐めまわしていた。



それからしばらくはアートプラネッツのオフィスで、吾郎はモデルルームのコンテンツをブラッシュアップする作業に追われていた。

プリントアウトした大量の資料の上に、大河からもらったフランス土産のペーパーウエイトを載せると、「ああっ!」と大河が大きな声を出す。

「びっくりしたー。なんだよ?大河」

「それ!その凱旋門!ペーパーウエイトだったのか」

「はあ?何言ってんだよ。大河が買ってきてくれたんだろうが」

「そうだけど。俺も瞳子も、なんだかよく分からんものって買ってきた」

おい!と吾郎は真顔で突っ込む。

「何だよ?よく分からんものを土産にするって」

「だってさ、なんだかよく分からんが、『凱旋門吾郎』って感じで似合ってるって瞳子が」

すると洋平と透が、ブッ!と吹き出して笑い始めた。

「ははは!凱旋門吾郎!めちゃくちゃ似合ってる」

「ほんとほんと!アリシア、上手いねー!」

「だろ?みんなのお土産、それぞれネーミングしてたぞ。クロワッサン透とエッフェル洋平って」

ヒーッ!と二人はお腹を抱えて笑い転げる。

「確かに!透、そのクロワッサンのクッションに顔面突っ込んで、よくデスクで昼寝してるもんな」

「洋平だって、そのすかした感じにエッフェル塔が似合ってるよ」

「でも一番似合ってるのは…」

三人は一斉に吾郎を見て声を揃えた。

「凱旋門吾郎!」

「やめんかーい!」

大声で遮るが、三人はゲラゲラ笑う一方だった。



「ただいまー」

マンションの玄関を開けて声をかけると、リビングから「アン!」と返事が聞こえてきた。

「ただいま、トオル。いい子にしてたか?」

サークルから抱き上げて、頭をワシャワシャとなでる。

トオルは嬉しそうに尻尾を振りながら、吾郎の顔をぺろぺろと舐めた。

「ははは!熱烈歓迎だな。お腹空いただろ。ご飯にするぞ」

ドッグフードを食べるトオルを隣で見守りながら、吾郎はソファの前のローテーブルで牛丼を食べる。

いつもならダイニングテーブルで食事をしていたが、トオルが来てからは、トオルのそばで食べるのが当たり前になっていた。

外食も全くしなくなり、仕事も出来るだけ早く切り上げてマンションに帰る。

「あー、なんか癒やされるな。お前がいてくれるなら彼女はいらないや。な?トオル」

食事のあとに膝の上でトオルをなでていると、トオルもアン!と返事をする。

「俺達、相思相愛だな。やべー、男同士なのにな。あいつの前では絶対に言えないけど、大好きだぞー、トオル!」

「アン!」

「ははは!ほんとに可愛いな、トオル」

「アン!」

寝る時もベッドで一緒に眠る。

もはやトオルのいない生活は考えられない。

ますます恋が遠のいていく気がするが、トオルがいてくれるならそれで構わないと、吾郎は本気で思い始めていた。



それから数日後。

吾郎はトオルを連れて内海不動産のモデルルームに来ていた。

映像をブラッシュアップする中で、完成した実際のドッグランで犬を走らせる映像を撮ることにし、トオルにモデルになってもらうことにしたのだった。

「おー、兄ちゃん!この子、こんなに可愛くなったんか」

駐車場に停めた車からトオルを抱いて降ろしていると、先日の工事のおじさんが嬉しそうに近づいて来た。

「そうなんです。すっかり元気になりましたよ」

「そうかそうか。良かったなあ」

トオルも尻尾を振っておじさんの手を舐めている。

「また顔が見られて嬉しいわ。今日は何か用事?」

「はい。ドッグランで遊ばせて、動画の撮影をしようかと。マンションの紹介映像に使うんです」

「へえ、モデルさんか。がんばれよ」

「アン!」

元気に返事をするトオルに目を細めて、おじさんは、またな!と去って行く。

ドッグランに着くと、「都筑さん!」と声がして、安藤が駆け寄って来た。

「今日はわざわざありがとうございます」

「こちらこそ。撮影に立ち会ってくれてありがとう」

「いいえ。わあー、この子がトオルちゃんですね。初めまして!安藤 莉沙です」

トオルは、アン!と返事をして安藤の方に身を乗り出す。

吾郎が近づけると、トオルはぴょんと安藤の腕に飛び移った。

「ひゃー、可愛い!ふふっ、とってもいい子ですね」

にっこり微笑む安藤の顔を、トオルはぺろぺろと勢いよく舐める。

「あはは!元気ねー。つぶらなおめめにふわふわの身体!とっても可愛い」

トオルは吾郎の存在を忘れたように、安藤にべったりになる。

そんなトオルになんだか寂しさを覚えた吾郎は、いかんいかん!と頭を振る。

(どんだけトオルにぞっこんなんだよ、俺)

気を取り直して、早速撮影に入った。

「ほーら!トオルちゃん。こっちよー!」

「アンアン!」

「あはは!速い速い!すごいわね、トオルちゃん」

安藤とトオルは、まるでラブラブなカップルのように抱き合って微笑む。

(なんだろう、なんなんだ?この感覚は)

もう充分撮影出来たというのに、吾郎はもやもやしたままカメラを回し続けていた。

安藤に駆け寄るトオルの生き生きした表情と、トオルに飛びつかれて笑顔を弾けさせる安藤。

そのどちらからも、吾郎は目を逸らせずにいた。



「うーん…」

マンションで動画の編集作業をしながらも、吾郎はどこかスッキリしない。

何がそんなに気になるのか。

自分よりも安藤になつくトオル?

トオルを笑顔で見つめる安藤?

「いやいや、とにかく今は紹介映像を作らねば」

吾郎は淡々と作業を進めた。

全速力でドッグランを駆け回るトオルだけを切り抜いてみたが、どうしても最後に安藤に飛びつくトオルと、満面の笑みでトオルを抱きしめる安藤のワンシーンを入れたくなる。

自分では判断出来ず、結局2つのパターンを用意して、先方に選んでもらうことにした。

モデルルームに行き、木谷や原口、安藤に見せると、最後のワンシーンがあった方がいいと言われ、安藤もそれを承諾する。

そして映像やコンテンツ、全てのブラッシュアップを終えて、納品も無事に済ませた。

めでたく全戸完売となった、と連絡が来たのは、それから3週間後のことだった。
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