桜のティアラ〜はじまりの六日間〜

葉月 まい

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一月十二日

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 (なんだろう、妙な夢を見たのかな)

 ぼんやりとそう考えながら、アレンは徐々に目が覚めていくのを感じた。

 鳥のさえずり、ひんやりとした朝の空気、しっかりと体を休めた感覚。
 それらを感じながら目が覚めるのなんて、いつ以来だろう。
 そう思いながら、ゆっくりと目を開けた。

 (あれ?ここはどこだ?)
 
 見慣れない真っ白な天井を見て、不思議に思う。

 (そう言えば、昨日どうやってベッドに入ったんだっけ?)
 
 両肘をついて少し体を起こしながら、辺りの様子をうかがった次の瞬間、アレンは驚きのあまりガバッと上半身を一気に起こした。

 (な、何?誰?なんで?)
 
 ベッドの横の椅子に座りながら自分の左側に突っ伏して誰かが眠っているのに気付き、アレンは必死に記憶を辿る。

 (どうやってここに?いつ?)
 
 考えても分からない。
 もう一度視線を戻したアレンは、眠っているのが誰なのかにようやく気付いた。

 「み、美桜!」

 思わず声に出してから、しまったと顔をしかめる。

 案の定、美桜は、うーんと顔をこちらに向けながら目を覚ました。

 ぱちぱちと二回瞬きをした後、パッと起き上がる。

 「アレン!具合どう?熱は?」
 そう言いながら、額に手を当ててくる。

 「え?何のこと?熱なんてないよ」
 
 思わず美桜の手をよけると、何言ってるの!とまるで咎めるような口調の美桜にびっくりする。

 「うん、大丈夫ね。もうすっかり良くなったみたい」
 
 アレンの額から手を離して、美桜はほっとしたように微笑んだ。

 (いったい何がどうなってるんだ?)
 
 アレンの頭の中は、まだハテナでいっぱいだった。

 「はっ、み、美桜様!」
 
 急に声がしたかと思ったら、ソファの方からクレアがベッドに駆け寄ってきた。

 「申し訳ありません。私ったら、すっかり眠ってしまって」
 「ううん、大丈夫よ。ほら、アレンもすっかり良くなったみたい」
 「坊ちゃま!本当ですわね。はあ、良かった」
 
 アレンはわざと咳払いをすると、おそるおそる口を開いた。

 「あー、えっと、俺、どうしたんだっけ?なんでこの部屋で寝てるんだ?」
 「まあ、坊ちゃま!」
 
 驚いたようにクレアが目を見開く。

 「もしや、記憶喪失では…」
 「いや、単にあの時の状況を覚えてないだけなんじゃない?」
 苦笑いしながら美桜が言う。

 「あのね、アレン昨日倒れたの。隣の広間に入ってきて、私が声をかけたらふっと意識を失くして」
 「あー、なんとなく思い出した。そうだ、確か夕食前に一言、美桜に挨拶しに行ったんだ」
 「そう。そこで倒れて、メイソンがここに運んでくれたの。お医者様にも診てもらって、過労だろうって。熱も高かったんだけど、明け方くらいに平熱に下がったのよ」
 「まあ、美桜様、そんな。ずっと付きっきりで看病してくださったのですね。なのに私ときたら…」
 「いやそれが、私もそのあと寝ちゃっててね。あはは」
 「ちょ、ちょっと待って」
 
 クレアと美桜の会話に、アレンは手を差し出して割って入る。

 「美桜が看病してくれたの?一晩中?」
 「ええ、そうですわ。タオルで冷やしてくださったり。ずっと坊ちゃまのそばについていてくださったのです」
 「そ、それじゃあ、その、このガウンは?」
 
 胸元に手を置いて、アレンがうつむき加減で聞く。

 「美桜様が着替えさせてくださったのですわ」
 「クレアも手伝ってくれてね。汗びっしょりだったから」
 
 とたんにアレンは、自分の顔が赤くなるのが分かった。

 (なんだって、美桜が?一晩中俺に付きっきりで、しかも着替えを?)
 
 想像しただけでその場にいたたまれなくなり、ベッドから降りるとアレンはそのまま急いでドアへ向かう。

 「アレン!そんな急に動いたら」
 「そうですよ、まだ病み上がりなんですから」
 「大丈夫だ」
 
 バタンとドアが閉まり、残された二人は顔を見合わせる。

 「どうしたのかしら、あんなに急いで」
 「本当に。美桜様にお礼も仰らずに」
 「あれじゃない?トイレに行きたかったとか?ずっと寝てて行ってなかったから」
 「まあ、そうでしょうかね?」
 
 もう一度首を傾げてから、クレアは気を取り直したように美桜に向き直った。

 「美桜様、本当にありがとうございました。私から心よりお礼申し上げますわ」
 「ううん。すっかり元気になってほっとしたわ。クレアもお疲れ様でした。今日は早めに休んでね」



 (ふう、ほっとするなあ)
 
 美桜は湯船に顔の下ぎりぎりまで浸かり、腕を伸ばした。
 
 まだ朝の五時。何をするにも早すぎるので、ひとまず部屋でゆっくりすることにした。

 (やっぱりお風呂はいいなあ。疲れが飛んでいく気がする)
 
 体をしっかり温めてから上がると、バスローブを着て髪を乾かす。

 「美桜様、着替えのドレスをこちらに掛けておきますね」
 「ありがとう、クレア。わあ、綺麗なドレスね」
 
 深紅のベルベットのそのドレスは、デコルテのラインも美しく、形はシンプルながら洗練された雰囲気だ。

 クレアはドレスに合うようにと、美桜の髪をアップに巻いて整えてくれた。

 「とってもお似合いですわ」
 「ふふ、ありがとう」
 
 鏡に映るドレス姿の美桜は、昨日とはまた違う雰囲気で大人びていた。

 「さあ美桜様、そろそろ朝食の準備をしますわね。お隣の広間でお待ちください」
 
 そう言って出て行こうとするクレアを、美桜が呼び止める。

 「アレンは?朝食どうするの?」
 「そうですわねえ。いつものように、少しでも食べられそうなものがないか聞いてみますわ」

 美桜は少し考えてから、もう一度クレアを呼び止めた。



 「すごーい!こんなに色々和食の材料があるのね」

 感心したように眺めて、美桜はフレディを振り返る。

 「ええ。いつも日本から取り寄せています。梅干しや海苔の佃煮、ちりめんじゃこ…。旦那様はご飯がお好きなので、こういったものは必ず用意してあります」
 「そうなのね。食器もすごい!私の家よりもたくさんあるわ。あ、この小ぶりの土鍋、可愛い。これを使いましょ」
 
 フレディは頷いて土鍋を火にかけた。
 
 アレンにおかゆを作りたいと言って美桜はクレアに頼み込み、先程厨房に入れてもらったのだった。

 最初は驚いていたフレディも、事情を話すと、自分も手伝うと言ってくれた。

 果たして食材があるか気になっていた美桜は、フレディが次々と並べてくれた日本の食べ物に驚いて感激した。

 そして何より驚いたのは、フレディがきちんと、昆布やかつおでだしを取っていた事だった。

 少し味見をさせてもらうと、とてもおいしい。

 「フレディ、どこで和食を習ったの?」
 「ロンドンにある、日本人が経営している料亭で教わりました。あとはひたすら練習です」
 「そうなのね。パレスの人達はみんな、とても熱心ね」
 
 話しながらおかゆが炊けるのを待つ。

 やがて頃合いになると、美桜はもうひとつの小さな土鍋に、半量おかゆをよそった。

 「こっちはこのまま少し塩を入れるだけで、もう一つは卵がゆにするわね」
 
 手早くといた卵をゆっくりとおかゆに回し入れ、ふたをした。

 「余熱で少しだけ卵を固めるわね」
 
 次は、具材を準備する。
 横長で仕切りがあるモダンなお皿を見つけ、おかゆに合う具材を盛り付けていく。

 「出来た!」

 美桜とフレディは顔を見合わせ、満足そうに頷いた。



 広間に行くと、クレアがクロスをセッティングしているテーブルで、アレンが書類に目を通していた。

 シャワーを浴びて着替えたらしく、すっかりいつもの様子だった。

 「お待たせしましたー。朝食でーす」
 
 美桜がワゴンを押しながら入っていくと、アレンはぎょっとしたように振り返る。

 「美桜、一体何を?」
 「アレン様のために、美桜様が自ら作ってくださったのです」
 
 隣でそう言うフレディを見上げて、美桜が笑う。

 「ほとんどフレディが作ってくれたようなものだけどね」
 
 さあ、どうぞ!と美桜は次々とアレンの前に並べていく。

 「こっちの土鍋は、塩味のシンプルなおかゆね。お好みで梅干しや海苔の佃煮を載せて。それからこっちは卵がゆ。刻みねぎでどうぞ。最後にこっち」
 「ま、まだあるの?」
 「ありますとも。最後はお茶漬け!刻みのりや粒あられ、少しわさびを入れてもいいかも」
 
 説明しながら茶碗によそい、さあ召し上がれ!と促すと、アレンは仕方ないといった様子で少しずつ食べ始めた。

 「うん、うまい!」
 「でしょ?」

 美桜は得意気に胸を張る。

 「アレン、昨日の昼から何も食べてないもの。それにたくさん汗をかいたから、塩分と水分が足りなくなって、体が欲してるのよ」
 「だからこんなにうまいのか」
 「そう…って、ちがーう!私が作ったからよ」
 「ははは、そうか」
 
 腕を組んでポーズを決める美桜に、アレンは思わず笑い出す。

 そんな二人の様子に、クレアとフレディは目を細めていた。



 「あ、そうそう、美桜様」
 
 アレンと一緒におかゆを食べたあと、日本茶でくつろいでいた美桜に、何かを思い出した様子でクレアが声をかけた。

 「こちらを」
 差し出したのは、昨日のフルートケースだ。

 「ああ、そうだった。美桜、吹いてみてくれない?ちゃんと調整出来てるか」
 
 ケースに目をやってから、アレンは美桜に頼むように言う。

 「うん、でも…。いいの?」
 
 戸惑い気味の美桜を見るとアレンは立ち上がり、クレアからケースを受け取って美桜に手渡した。

 「頼むよ」
 
 にっこり笑うアレンからケースを受け取ると、美桜はそっとふたを開けた。

 美しく輝くフルートは、まるで早く音を出したがっているように見える。

 美桜は慎重に手に取り、丁寧に組み立てていく。
 本来の形になったフルートは、キラキラと光を反射してとても綺麗だ。

 美桜は吸い寄せられるように口元に構えると、すうっと深く息を吸ってから、指をどこも押さえない開放の音を出してみた。

 柔らかくどこか甘い響きが部屋中に広がる。

 「わあ…」
 
 クレアが言葉にならない声を上げた。

 (なんて良く響くのかしら)

 美桜は、今まで吹いたことがない程の綺麗な音を出すこのフルートを、もっと吹いてみたくなった。

 今度はゆっくりと、ドの音から音階を吹いてみる。

 低い音は厚みを持ってしっかり響き、高い音は華やかで澄んだ音色だ。

 「美桜様、何か曲を吹いていただけません?」
 
 クレアがそう言うと、隣のアレンも頷く。

 (曲、何がいいだろう)
 
 少し考えてから顔を上げると、美桜はすっと背筋を伸ばして息をたっぷり吸いこみ、歌うように奏で始めた。

 (アメイジング・グレイス)
 
 曲名はクレアもアレンもすぐに分かった。

 美桜の音色は優しく温かく、全てを包み込んでくれるようだ。
 それでいて、どこか力強い。

 悲しみ、痛み、それらをそのまま全部受け止め、そしてそこから希望を見出すような…
 
 クレアは自然と胸が熱くなり、涙がこみ上げてきた。

 やがて曲の最後の音が響く。

 終わりかと思ったその時、後ろからピアノの音色が流れてきた。

 振り向くと、いつの間にかアレンがピアノに向かっている。

 何年ぶりなのだろうと、クレアは驚いてその姿に見入った。

 アレンは即興でアメイジング・グレイスを弾き、終わりまでくると美桜に目で合図を送った。

 美桜は再びメロディを奏で、アレンが伴奏する。
 お互いの音を聴き合い、テンポや響きを揃え、世界観を広げていく。

 クレアはもう、あふれ出る涙を拭うのも忘れて、ただただ二人の紡ぎ出す美しい音楽に浸っていた。
 
 いつしか終盤に差し掛かると、お互いに何かを語りかけるように見つめ合い、名残惜しむようにゆっくりとテンポを落としていく。

 最後の音をたっぷり響かせると、二人は息を揃えてそっと大事そうにその音を手放した。
 
 余韻を残して音が消え、もとの静寂が戻ってくると、クレアはほうっと息を吐いた。

 (なんて、なんて美しい)
 
 言葉には出来ず、ひたすら二人に拍手を送る。

 アレンと美桜は照れたように笑ってから、クレアに向かってお辞儀をした。



 「旦那様、入らなくてよろしいのですか?」

 広間の廊下、ドアの前でくるりと向きを変え立ち去ろうとするジョージに、グレッグが声をかけた。

 「坊ちゃまの様子をご覧にならなくても?」
 「構わん。アレンがすっかり元気なのはよく分かった」
 
 そう言って足早に、二階の書斎へと戻っていく。

 (なんということだ。あの音楽。あの二人)
 
 どうにも説明しがたい感情が、ジョージの胸に湧き上がっていた。

 嬉しいのか悲しいのか、幸せなのか切ないのか、どうにも分からない。

 ただ一つ確かなのは、ゆりえに会いたい、という切なる想いだった。



 「あ、帰ってきたみたい」
 
 フォレストガーデンに戻った美桜が、廊下側のドアを開けると、中から絵梨の声がした。

 「おかえり!美桜。聞いたよ、アレンのこと」
 「おかえりなさいませ、美桜様。大変でしたわね。大丈夫でしたか?」
 
 絵梨とメアリーが心配そうに出迎える。

 「ただいま!うん、アレンもうすっかり元気になったよ」
 「良かったー」
 「ええ、本当に」
 
 二人は同時に、ほっとしたように胸をなで下ろす。

 「美桜様、お食事は?何か召し上がりますか?」
 「ううん。パレスでもう済ませたの」
 「では、少しお休みになっては?」
 
 うーん、と美桜は少し考える。

 「そんなに疲れてないんだよね」
 「あ、じゃあさ」

 隣で絵梨が手のひらを合わせて言う。

 「これから一緒に出掛けない?仁が車であちこち案内してくれることになってるの」
 「えー、行きたい!」
 「まあ、美桜様。本当に大丈夫ですの?」
 
 メアリーが心配そうに聞く。

 「うん、大丈夫よ。それに明日の夜には帰国だもん。最後の一日になるから」
 「そうだね、早いよね」
 
 名残惜しそうに絵梨が呟き、美桜も頷く。 

 すると、誰かが部屋のドアをノックした。

 メアリーがドアを開けると、現われたのは仁だった。

 「美桜ちゃん!聞いたぜー、アレンのやつ、珍しく寝込んだって?」
 「うん、でももう大丈夫よ」
 「それでね、仁。美桜も一緒にドライブ行けそうって」
 
 絵梨の言葉に、仁はちょっと心配そうに美桜を見る。

 「ほんとに?疲れてない?」
 「うん、平気」
 「よし、じゃあ三人で行きますか!」
 
 わーい!と絵梨と美桜は手を挙げて喜んだ。

 仁がフォレストガーデンにあるレンタカーのカウンターで借りたのは、真っ赤なスポーツカーだった。

 「うわー、もう仁丸出しって感じ」
 
 絵梨の言葉に美桜は思わず吹き出す。

 「ヨーヨーお嬢さん方、早く乗りなって」
 
 サングラスを少しずらして、車の屋根に肘を載せながら仁が陽気に言う。

 「いやー、日本だったら絶対無理だわ」
 呟きながら絵梨が乗り込む。

 「まあまあ、絵梨ちゃん。運転してくれるんだからさ。ありがたく乗せてもらいましょ」
 美桜も続いて後部座席に座った。

 「それでは、出発しまーす!」
 
 仁は張り切ってアクセルを踏む。
 
 行ってらっしゃいませーと手を振ってくれるメアリーも、どこか苦笑いを浮かべていた。
 
 どこに行くのかは、全て仁にお任せだった。

 「この辺りは田舎だしさ、これと言って観光名所もないんだけど。まあ、地元の人が行くような教会や市場とか、街並みなんかを見て回ろうか」
 「うんうん、楽しみ」
 
 しばらく走ると、先日の牧場が見えてきた。

 「トムじいさーん!」
 
 ちょうど丸太小屋の近くで薪を割っているトムの姿が見え、スピードを落とした車の窓からみんなで手を振る。

 気付いたトムも、笑って手を振り返してくれた。

 「それにしても、本当にのどかね」
 
 スピードを出していても、風景があまり変わらないせいか、とてもゆっくり走っているように感じる。

 「あ、でも見て。だんだんおうちとかお店が見えてきたよ」
 
 美桜が指差す方に、可愛らしい街並みが見えてきた。

 「この辺りが一応町の中心部って感じかな」
 
 仁が車を広いスペースに停め、三人はそこから歩いて回ることにした。

 「いいところね。なんだか絵本に出てきそう」
 「確かに。三角屋根のおうちとか、小さなお花屋さんとか、ほのぼのしてるね」
 
 ぽつんぽつんと店もあり、美桜と絵梨は、可愛い雑貨屋に入った。

 「見てこれ!ケーキやマカロンの形のキャンドル」
 「うわー、ほんとだ。良く出来てる。色もカラフルだし、いい香りもするよ」
 「私、これ買おう」
 「私も。全部欲しくなっちゃうね。あ、このポーチも可愛い!」
 
 女の子の買い物はとにかく時間がかかる。

 仁はそんなことは承知の上とばかりに、気長に待っていた。

 楽しそうな二人の笑顔を見ていると、待ち時間も苦にはならなかった。

 そのあとは小さな教会に立ち寄り、近くのカフェで休憩する。

 地元の人にとっては何気ない日常だろうが、行き交う人達を見ているだけでも新鮮だった。

 「じゃじゃーん。アウトドアグッズ!」
 
 車で広い公園に移動してから、仁がおもむろにトランクから何かを取り出した。

 「何それ?何が入ってるの?」
 
 仁が手にしている大きなバスケットを見て絵梨が聞く。

 「フォレストガーデンのクラタスポーツで借りられるぜ。ピクニックのお供」
 
 そう言うと仁は、少し歩いてから芝生の上にバスケットを置いた。
 中からまず大きなレジャーシートを取り出して広げる。

 「おお!いいね」
 早速絵梨が座る。

 「あ、このシートふかふかする」
 「ほんと。それに暖かい素材だね」
 美桜も隣に座って、シートを撫でる。

 「冬だからね、冷えないように。ほら、ブランケットもあるよ」
 すごーい!と二人で喜んで、膝に掛ける。

 「あとは、バドミントンセットとか、フリスビーなんかもあるよ」
 「へえ、クラタスポーツやるね」

 絵梨が親指を立てると、へへんと仁は胸を反らせた。

 芝生が広がる公園のあちこちに、キャッチボールをしたり、絵を描いたり、寝転んだりと、思い思いに過ごす人達がいる。

 仁は、一番近くにあったキッチンカーで、フィッシュ&チップスやスープを買ってきた。

 「ありがとう。あったかーい」
 「うん。おいしいね」
 
 緑がいっぱいの自然の中で食べるランチは格別だった。

 すーっと頭の中もすっきりして、日頃の悩みもどこかへ消えていくようだ。

 食後は三人でバドミントンを楽しんだ。
 思った以上に楽しくて、体も温まる。

 「はあ、もうだめ。ちょっと休憩」
 散々はしゃいだあと、絵梨がシートに倒れ込む。

 「楽しかったー。汗かいちゃったよ」
 美桜も同じくシートに寝転んだ。

 「空が綺麗だね」
 「うん。空気も澄んでる」

 三人はしばらくぼんやりと空を眺める。

 言葉はないけれど、同じ気持ちを共有していた。

 (きっと忘れられない風景になる)



 「仁くん、今日は一日どうもありがとう」
 「うん、おかげで楽しかった」
 
 夕方、小さなレストランで食事をしたあと、帰りの車の中で二人は改めて仁にお礼を言う。

 「どういたしまして。楽しんでいただけて何より。俺も車を走らせたかったしさ」
 「日本じゃドン引きの、真っ赤な派手派手スポーツカーをね」
 「なにー?もう乗せてやんないぞ」
 「やだやだ、ごめーん」
 
 絵梨が手を合わせて謝る。
 仁は笑ってスピードを上げた。
 
 やがてフォレストガーデンに着くと、三人はダイニングルームで軽くコーヒーを飲むことにした。

 「はあ、明日帰国か。信じられない」
 
 ソファでクッションを抱えながら絵梨が言うと、美桜も頷いた。

 「うん。あっという間だったね」
 「二人とも、またいつでも来たらいいよ」
 「そうね…って、それ仁のセリフじゃないでしょ」
 「ははは、アレンに代わって言ってんだよ」
 
 そう言うと仁は、額にしわを寄せながら声色を変えた。
 「二人ともまた来るがいいさ。いつでも歓迎するよ」
 
 絵梨と美桜は顔を見合わせてから吹き出した。

 「は?何それ。まさかアレンの真似?」
 「やだ、仁くん。全然似てないし」
 「しかも何その口調。来るがいいさって」
 「ほんと。アレンそんなこと言わないって」
 
 お腹を抱えてしばらく笑い続けた。

 「ふう、やれやれ。あーあ、荷物まとめないとな」
 
 ようやく落ち着いて絵梨が言う。

 「うわー、忘れてた。アレンが手配してくれたお土産、たくさんあるんだったね」
 
 ショッピングモールで、アレンが店員に頼んでくれたショートブレッドと紅茶は、部屋に予想以上の数が届けられていた。

 恐縮したけれど、アレンの優しさをありがたく受け取らせてもらうことにした。

 「パッキングは明日でいいや。ここを出るのは夕方だしね。それより私、せっかくだから最後にネイルしてもらってくる」
 
 そう言って立ち上がった絵梨が、美桜は?と振り返る。

 「うーん、私はいいや。日本に着いたらすぐ落とさないといけないし」
 「あー、次の日から仕事なんだっけ?」
 「え、美桜ちゃん、ハードだな」

 仁も驚いたような顔を向ける。

 「まあね。でも大丈夫。絵梨ちゃん、行ってらっしゃい。リサによろしくね」
 
 絵梨を見送ってからソファにもう一度もたれると、美桜は急に眠くなってきた。

 「はい、美桜ちゃん。コーヒーのおかわり」
 そう言って仁がカップを置いてくれるのを、なんだかぼんやりとしか感じられない。

 「ありがと…」
 かろうじて答えたあと、美桜の意識はすうっと遠くなった。



 「明日、空港までアレンも見送りに来てくれるらしいけど、大丈夫なのかな、あいつ。夕べかなり熱が出たんだって?」
 
 そう言ってからコーヒーを一口飲んだ仁は、返事が返ってこないことを不思議に思って隣の美桜を見た。

 「美桜ちゃん?」
 顔を覗き込むと、どうやらすやすや眠っているようだった。

 (やれやれ、疲れたのかな。そりゃそうだろ)
 
 ソファの端にあったブランケットを取って広げると、そっと美桜の肩に掛ける。

 (起こしちゃったかな?)
 もう一度美桜の顔を覗き込んだが、変わらずよく眠っているようだった。

 (子どもみたいだなあ。安心しきって寝てる)
 
 ふっと笑ってしばらく美桜の寝顔を見ていた仁だったが、次第に妙な切なさがこみ上げてくるのを感じた。

 (なんだ?なんでこんな気持ちになるんだ?)
 
 自分で自分の気持ちを持て余し、胸元をギュッと掴んだ。

 (いつだって、少し離れて美桜を見てきた。近付きすぎないように。そう、近くにいってしまったら、抑えられないって)
 
 頭の中に、誰のものとも分からないような台詞が浮かび、仁は吸い寄せられるように美桜に顔を近付けていく。

 ギリギリのところで一瞬ためらった後、仁は美桜に口づけようとした。
 その時だった。

 ダン!と大きな音がして、仁はびくっと体をこわ張らせた。

 顔を上げると、入口のドアに拳を打ち付けた状態でアレンが立っていた。

 「アレン!大丈夫なのか?昨日倒れたって」
 
 そこまで言って言葉を止める。

 こちらを見るアレンの表情は、今まで見たことがないほど怒りに満ちていた。

 「…見損なったぞ、仁」
 
 絞り出すように言うアレンの声は、本当にアレンなのかと疑うほど低かった。

 「な、何を」

 返す言葉が出てこない仁に、アレンは固い口調のまま続ける。

 「美桜は、お前が相手をする女の子達とは違う。お前だってそれくらい分かっていたんじゃないのか?それなのに」
 「…お前に、お前に何が分かる」
 
 今度はアレンが言葉を止めた。

 うつむいた仁が呟くように吐き出した言葉は、感情を必死に抑えようとしていた。

 「お前に何が分かるって言うんだ。俺が一体どんな気持ちで!」
 
 気付くと仁は、あっという間にアレンに飛びかかり、胸元を掴み上げてドンと壁に押し付けていた。

 「俺が一体どんな気持ちでいたと思うんだ!今までずっと、俺はずっと…」
 
 そう言うと仁はうつむいて肩を震わせる。
 まるで何かを堪えるように。

 やがて仁は乱暴にアレンから手を離すと、そのまま部屋を出て行った。

 残されたアレンは、掴まれた胸元のシャツを握りながら呆然と立ち尽くす。

 (まさか、あいつ…)

 ゆっくりとソファに目を向ける。

 (知らなかった。あいつ、美桜を…)



 コンコンとノックの音がして、メアリーはベッドメイキングの手を止めた。

 「はい」
 
 ドアを開けたメアリーは、思わず驚きの声を上げる。

 「アレン様!もうよろしいのですか?まあ!美桜様!」
 
 ノックしたのがアレンだというだけでも驚きなのに、アレンは美桜を抱きかかえて立っていたのだ。

 「どうされたのですか?美桜様」
 「大丈夫だ。疲れて眠ってしまっただけだ。ベッドへ」
 「は、はい!こちらです」
 
 メアリーは急いでベッドへ駆け寄ってスペースを整えた。

 アレンがゆっくりと美桜を横たえる。

 すぐさまメアリーは、美桜にブランケットを掛けた。

 が、アレンはじっとその場から動かず、美桜を見つめたままだ。

 「あの、アレン様?」
 
 何かを思いつめたようなアレンの様子に、メアリーが戸惑いながら声をかけると、アレンはふっと顔を上げてメアリーを見た。

 「ゆっくり寝かせてやってくれ。頼んだぞ、メアリー」
 「はい。承知いたしました」
 
 メアリーが頭を下げると、アレンは頷いて足早に立ち去った。

 (アレン様があんな表情をされるなんて)
 
 ドアを閉めながら、メアリーは考える。

 (何があったのかしら。あんなにお辛そうなアレン様は初めて)
 
 眠っている美桜を振り返ったものの、答えが出るはずもなかった。
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