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二人の生活
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「ただい…」
マンションの玄関を開けて奥の部屋に声をかけようとした大和は、話し声に気づいて言葉を止めた。
「出来た!これでどうかな?」
恵真の明るい声がする。
誰か来ているのか?と思ったが、玄関には見慣れた恵真のパンプスしかない。
大和は静かに靴を脱ぎ、音を立てないようにリビングへと続くドアをそっと開けた。
ソファに座った恵真が、ローテーブルに置いたスマートフォンに向かって話をしている。
「うーん、変じゃないかな?」
『大丈夫!バッチリよ』
恵真が画面を覗き込みながら聞くと、スピーカーから相手の声がした。
どうやら、テレビ電話をしているらしい。
「じゃあ明日、これでやってみるね。ありがとう!こずえちゃん」
『いいえー。頑張ってね!』
「うん!また報告する」
『はいよー。あ、伊沢にもよろしくね』
「分かった。またねー」
通話を終えた恵真が、バッグを置く大和の気配に気づいて振り返った。
「大和さん!お帰りなさい」
「ただいま、恵真」
そう言って微笑んだが、次の瞬間、ん?と真顔になる。
「恵真、その格好…」
「あ、これ?ふふ、家で制服着てるなんて変ですよね」
「いや、それより…」
ソファから立ち上がり近づいて来た恵真は、パイロットの制服姿だった。
確かに家で着ているのも珍しいが、大和が目を留めたのは、胸元の鮮やかなブルーのスカーフだ。
「それ、どうしたの?」
「ん?あ、大和さんはご存知ないですか?うちの会社の女性パイロットの制服って、ネクタイとは別にスカーフも支給されているんです」
「えっ!そうなのか?」
「はい。ジャケットの襟をめくると、ほら、ここにスカーフを通す所があって、その日の気分でネクタイかスカーフかを選べるんです。ネクタイは男性と同じで1種類ですけど、スカーフは色とか柄、大きさが違うものが4種類もあって。それにジャケットやブラウスも、女性用のは少し、こう…ウエストに沿って絞ったデザインなんです」
制服に手をやりながら説明する恵真に、へえーと大和は感心する。
「女性パイロットのスカーフなんて知らなかった。だって恵真は、いつもネクタイだったし」
「そうなんです。私もスカーフには興味なかったから。他の女性パイロットは、たまに着けている人いますけど、私は今まで一度も。でも明日はスカーフを着けてきてくれって言われて…」
「え、誰に?」
すると恵真は、首をかしげてうつむいた。
唇をほんの少しとがらせて頬を膨らませているその様子は、拗ねている証拠だった。
大和は恵真の頭に右手を置き、顔を覗き込む。
「恵真?どうかした?」
「だって…。せっかく4日ぶりに会えたのに、大和さんたらしゃべってばっかりなんだもん」
「しゃべっちゃダメなのか?」
「ダメじゃないけど…」
「けど?」
「その前に…」
恵真は上目遣いに大和を見つめる。
「ん?」
大和が、何の事やら分からないといった素振りで聞き返すと、恵真は更に頬を膨らませてうつむいた。
「もう、いいです…」
子どものようにいじける恵真に、ふっと大和は笑みを浮かべる。
「嘘だよ。意地悪してごめん。恵真、会いたかった」
ぎゅっと抱きしめると、恵真は照れたように大和の胸に顔をうずめて呟く。
「私も。会いたかったです、大和さん」
大和は恵真を抱きしめながら、優しく髪をなでる。
恵真…とささやくと潤んだ瞳で見上げられ、大和は込み上げてくる愛しさに胸を切なくさせながら、恵真にそっとキスをした。
◇
大和と恵真が同じ会社、日本ウイング航空(JWA)のエアラインパイロットとして職場で出会った日から1年が経った。
いつも真面目で一生懸命、日々パイロットとしての勉強と努力を怠らない副操縦士の恵真は、自分が数々の不運に見舞われることを気にして自信を失くしていた。
そんな恵真を諭し、力強い言葉で救ったのが機長である大和だった。
まるで導いてくれるかのように、多くの事を教え、励まし、気にかけてくれる大和。
そしてひたむきに仕事に向き合い、大和に純粋な眼差しを向ける恵真。
二人はいつしか、お互いを想い合っていた。
それまで飛行機のことしか頭になかった二人だが、愛する人と一緒にいられる幸せを知る。
恋愛なんて、仕事の妨げになるだけでは?と興味すらなかったが、今となってはどうしてそんなふうに思っていたのかさえ不思議だ。
二人で過ごす時間が、どんなに自分を満たしてくれるか。
たくさんの喜び、温もり、安らぎ…
数え切れないほどの幸せに包まれながら、毎日を愛おしく感じ、仕事にも生き生きと向き合っていける。
もはやお互いがいない生活など考えられなかった。
パイロットという不規則な仕事柄、毎日一緒に過ごせる訳ではない。
今も、ウィーン往復のフライトを終えた大和は4日ぶりに帰宅したばかりだし、明日からは入れ違いのように恵真が国内1泊ステイのフライトへと出発する。
それでも大和のマンションに恵真が引っ越してきた事によって、二人はすれ違いの生活の合間に、同じ時間を過ごせる喜びをひしひしと感じていた。
「それで広報課の方から頼まれたんです。明日、会社のSNSで女性パイロットを紹介する写真を撮るから、スカーフを着けてきて欲しいって」
ようやく話の続きを聞けたのは、あれから二人でしばらく抱きしめ合い、何度もキスをしたあとだった。
照れて顔を赤くした恵真が、大和のステイバッグを受け取って洗濯機を回し、ダイニングテーブルに夕食を並べる。
大和は久しぶりの恵真の手料理にホッとしつつ、幸せを噛みしめていた。
「SNSで紹介する写真?って、どういうの?」
「コックピットで機長と並んで座っている写真だそうです。短い文章を添えただけの、簡単なものらしいですよ。出発前のコックピットブリーフィングの時に撮らせて欲しいと」
「そうなんだ。ちなみに機長って誰かもう分かってるの?」
「はい。予定では倉科キャプテンだそうです」
え!と大和は思わず顔を上げる。
「大和さん、ご存知ですか?私はまだご一緒した事なくて」
「あ、うん。倉科さんは一つ上の先輩なんだ」
「そうなんですか?!だって倉科キャプテンは、つい先月機長になられたばかりだって…」
そこまで言って恵真は言葉を止めた。
大和が機長に昇格したのは確か1年半前のはず。
(ということは、大和さんは先輩よりも先に機長に…)
37歳で機長に昇格した倉科キャプテンも充分若くて優秀だが、それよりも遥かに大和は優れている事になる。
(そうよね。大和さんは社内きってのエリートパイロットって言われているんだもの。実際、操縦の腕前はピカイチだし。いいのかしら?そんな凄い方と私なんかがおつき合いしていて…)
両手で頬を押さえてうつむく恵真に、大和が、どうかした?と声をかける。
「あ、いえ、あの。なんだか申し訳なくなってきて…」
「は?何が?」
「だって大和さんは、とても素晴らしくて優秀な方なのに、私なんかと…。雲の上の方と私とでは、とても釣り合いませんし畏れ多くて」
「雲の上って、あはは!恵真だって雲の上の人でしょ?パイロットなんだから」
「そ、そういう意味ではなくて。あの…」
ますますうつむく恵真に、大和は箸を置いて真剣に話し出す。
「恵真、こっち見て」
恵真はおずおずと視線を上げた。
「俺がどんなに恵真を好きか、まだ分かってないな」
色気を漂わせた大和の瞳に捉えられ、恵真は言葉を失う。
「あとでしっかり分からせてあげる。楽しみにしてて」
そう言ってニヤッと笑う大和に、恵真は思わず息を呑んでおののいた。
◇
腕の中で眠る恵真を、大和は優しい眼差しで見つめる。
そっと額にキスをすると、ん…と恵真は頬を緩め、大和のTシャツの胸元をきゅっと握って身を寄せてきた。
その姿が可愛らしくて、大和は恵真の髪を何度もなでる。
(恵真も明日オフだったらな)
それなら、時間を気にせずもっと恵真を抱いていられたのに。
そう思うが、こればかりは仕方がない。
パイロットは何よりも体調管理が大切だ。
明日の乗務に備えて、恵真はしっかり休ませなければ。
せめて寝顔は心ゆくまで眺めようと、大和は温かく柔らかい恵真の身体を更に抱き寄せた。
(なんて幸せなんだろう。こんなにも純粋で健気な恵真が、今自分の腕の中にいるなんて。初めて結ばれた相手が俺だなんて)
こんなにも可愛くて、優しくて、無邪気で、愛おしくて…
数え上げたらキリがなく、そんな自分に思わず苦笑いする。
恵真はまるで自分が大和に相応しくないと思っている口ぶりだったが、大和にとっては逆だった。
身も心も汚れのない純真さを、恵真は自分にだけ捧げてくれたのだ。
(必ず幸せにしなければ)
抱きしめる腕に力を込める。
もちろん結婚を考えているし、二人の仕事のタイミングを見てプロポーズするつもりだった。
(俺としては、すぐにでも籍を入れたいのに)
だが恵真は、大和の職場での立場を考えると、自分とつき合っている事はまだ誰にも話せないと言うのだった。
エリート機長が、まだまだ新米の副操縦士とつき合うなんて、と。
納得いかなかったが、恵真が誰かに心ない言葉をかけられる可能性があるのは否定出来ない。
仕方なく大和もそれに従って、二人の関係は秘密にしていた。
(でもなあ、そのうち恵真を誰かに取られないかとヒヤヒヤする)
本人は全く気づいていないが、恵真を狙っているパイロットは結構いる。
恵真と一緒に飛んた機長は、大和が恋人だとは知らずに、今日のコーパイ可愛かったぞと、ご丁寧に教えてくれたりするのだ。
そのうち誰かが恵真に言い寄るのでは…と心配していたところに、今夜の恵真の話を聞き、大和の心は乱れていた。
(明日の機長、まさか倉科さんだなんて…)
倉科は、とにかく女性にモテる。
まるで芸能人のような甘いマスクに抜群のスタイル、そして何より常に女性に笑顔を振りまく愛想の良さで、CAやグランドスタッフからの告白も絶えない。
(今って誰か特定の彼女がいるのかな?いや、いてもあの人なら関係ないか)
なにせ言い寄ってくる女性とは、彼女と明言せずに気軽につき合うスタンスなのだ。
その方がたくさんの女性を幸せに出来るだろ?と悪びれもなく笑っていたが、そんな訳あるかい!と、大和は心の中でツッコミを入れていた。
実際は、不特定多数でもいいからつき合って!と承諾する女性もいるらしく、ほらね!と倉科は気軽にデートに応じているが、いずれにせよ純粋な恵真には全く無縁の世界だ。
(あー、心配だ。心配しかない。まさかあの人が恵真と一緒に飛ぶなんて。そうか、機長になったのならあり得るか)
しかも明日の恵真のスケジュールは、伊丹往復のあと長崎に飛んでそのまま現地ステイ。
翌日長崎から羽田に戻ってくる。
(伊丹往復は、時間が詰まってるから復路はそのままコックピットでブリーフィングだろ?それで夜は長崎にステイだし。どんだけ密着してんだよ!)
自分とだったら大喜びするのに、今はそのスケジュールにさえ悪態をつく。
(その上、二人の写真まで撮るなんて。はあ、気が気じゃない)
海外フライトで疲れているはずなのに、大和はため息をつきながら眠れない夜を過ごした。
◇
朝日が射し込む中、ん…と恵真が身じろぎして、ゆっくりと目を開ける。
ぼんやりとした視線で見つめられ、大和はにっこり微笑んだ。
「おはよう、恵真」
途端に恵真は目をぱちくりさせる。
「や、大和さん?!いつから起きて…」
「ん?少し前かな」
しれっと嘘をつくと、恵真は慌てふためいた。
「やだ!起こしてくれれば良かったのに」
「どうして?まだアラーム鳴る前だよ」
「だって、寝顔見られるなんて。たとえ少しでも恥ずかしくて」
そう言うと恵真は布団の中に潜り込んだ。
「こら、恵真。どこに逃げるの?おはようのキスもまだなのに」
「キ…?!」
恵真はますます布団の奥深くに逃げる。
「恵真!もう、子どもみたいだな」
大和は笑って自分も布団に潜り込んだ。
手探りで恵真の頭を抱き寄せる。
「これなら恥ずかしくないだろ?」
暗がりの中、大和は恵真に優しく口づけた。
◇
「大和さん、もうここで大丈夫です」
空港ターミナルビルの駐車場の一角、人気のない場所で恵真が声をかける。
「入り口の近くまで行くよ」
「いえ!本当にもうここで」
誰かに見られないかを気にする恵真が必死で訴え、仕方なく大和は車を停めた。
「じゃあ、行ってきます。お休みなのに送って頂いてありがとうございました。今日はゆっくりしてくださいね」
「ああ。恵真も気をつけて行ってらっしゃい」
「はい」
すると恵真は、キョロキョロと辺りを気にしたあと、大和に顔を近づけてチュッと唇にキスをした。
大和が怯んだ隙にドアを開けて出て行くと、タタッと小走りで進んだ先で振り返り、小さくこちらに手を振ってから、また急ぎ足で自動ドアの中に入っていった。
(な、何なんだあれは。可愛すぎるだろ!)
不意打ちを食らって不覚にも顔を真っ赤にした大和が、思わず口元を手で覆ってうつむく。
(あー、早く会いたい!連れ戻そうかな)
真顔でそんな事まで考える大和だった。
マンションの玄関を開けて奥の部屋に声をかけようとした大和は、話し声に気づいて言葉を止めた。
「出来た!これでどうかな?」
恵真の明るい声がする。
誰か来ているのか?と思ったが、玄関には見慣れた恵真のパンプスしかない。
大和は静かに靴を脱ぎ、音を立てないようにリビングへと続くドアをそっと開けた。
ソファに座った恵真が、ローテーブルに置いたスマートフォンに向かって話をしている。
「うーん、変じゃないかな?」
『大丈夫!バッチリよ』
恵真が画面を覗き込みながら聞くと、スピーカーから相手の声がした。
どうやら、テレビ電話をしているらしい。
「じゃあ明日、これでやってみるね。ありがとう!こずえちゃん」
『いいえー。頑張ってね!』
「うん!また報告する」
『はいよー。あ、伊沢にもよろしくね』
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通話を終えた恵真が、バッグを置く大和の気配に気づいて振り返った。
「大和さん!お帰りなさい」
「ただいま、恵真」
そう言って微笑んだが、次の瞬間、ん?と真顔になる。
「恵真、その格好…」
「あ、これ?ふふ、家で制服着てるなんて変ですよね」
「いや、それより…」
ソファから立ち上がり近づいて来た恵真は、パイロットの制服姿だった。
確かに家で着ているのも珍しいが、大和が目を留めたのは、胸元の鮮やかなブルーのスカーフだ。
「それ、どうしたの?」
「ん?あ、大和さんはご存知ないですか?うちの会社の女性パイロットの制服って、ネクタイとは別にスカーフも支給されているんです」
「えっ!そうなのか?」
「はい。ジャケットの襟をめくると、ほら、ここにスカーフを通す所があって、その日の気分でネクタイかスカーフかを選べるんです。ネクタイは男性と同じで1種類ですけど、スカーフは色とか柄、大きさが違うものが4種類もあって。それにジャケットやブラウスも、女性用のは少し、こう…ウエストに沿って絞ったデザインなんです」
制服に手をやりながら説明する恵真に、へえーと大和は感心する。
「女性パイロットのスカーフなんて知らなかった。だって恵真は、いつもネクタイだったし」
「そうなんです。私もスカーフには興味なかったから。他の女性パイロットは、たまに着けている人いますけど、私は今まで一度も。でも明日はスカーフを着けてきてくれって言われて…」
「え、誰に?」
すると恵真は、首をかしげてうつむいた。
唇をほんの少しとがらせて頬を膨らませているその様子は、拗ねている証拠だった。
大和は恵真の頭に右手を置き、顔を覗き込む。
「恵真?どうかした?」
「だって…。せっかく4日ぶりに会えたのに、大和さんたらしゃべってばっかりなんだもん」
「しゃべっちゃダメなのか?」
「ダメじゃないけど…」
「けど?」
「その前に…」
恵真は上目遣いに大和を見つめる。
「ん?」
大和が、何の事やら分からないといった素振りで聞き返すと、恵真は更に頬を膨らませてうつむいた。
「もう、いいです…」
子どものようにいじける恵真に、ふっと大和は笑みを浮かべる。
「嘘だよ。意地悪してごめん。恵真、会いたかった」
ぎゅっと抱きしめると、恵真は照れたように大和の胸に顔をうずめて呟く。
「私も。会いたかったです、大和さん」
大和は恵真を抱きしめながら、優しく髪をなでる。
恵真…とささやくと潤んだ瞳で見上げられ、大和は込み上げてくる愛しさに胸を切なくさせながら、恵真にそっとキスをした。
◇
大和と恵真が同じ会社、日本ウイング航空(JWA)のエアラインパイロットとして職場で出会った日から1年が経った。
いつも真面目で一生懸命、日々パイロットとしての勉強と努力を怠らない副操縦士の恵真は、自分が数々の不運に見舞われることを気にして自信を失くしていた。
そんな恵真を諭し、力強い言葉で救ったのが機長である大和だった。
まるで導いてくれるかのように、多くの事を教え、励まし、気にかけてくれる大和。
そしてひたむきに仕事に向き合い、大和に純粋な眼差しを向ける恵真。
二人はいつしか、お互いを想い合っていた。
それまで飛行機のことしか頭になかった二人だが、愛する人と一緒にいられる幸せを知る。
恋愛なんて、仕事の妨げになるだけでは?と興味すらなかったが、今となってはどうしてそんなふうに思っていたのかさえ不思議だ。
二人で過ごす時間が、どんなに自分を満たしてくれるか。
たくさんの喜び、温もり、安らぎ…
数え切れないほどの幸せに包まれながら、毎日を愛おしく感じ、仕事にも生き生きと向き合っていける。
もはやお互いがいない生活など考えられなかった。
パイロットという不規則な仕事柄、毎日一緒に過ごせる訳ではない。
今も、ウィーン往復のフライトを終えた大和は4日ぶりに帰宅したばかりだし、明日からは入れ違いのように恵真が国内1泊ステイのフライトへと出発する。
それでも大和のマンションに恵真が引っ越してきた事によって、二人はすれ違いの生活の合間に、同じ時間を過ごせる喜びをひしひしと感じていた。
「それで広報課の方から頼まれたんです。明日、会社のSNSで女性パイロットを紹介する写真を撮るから、スカーフを着けてきて欲しいって」
ようやく話の続きを聞けたのは、あれから二人でしばらく抱きしめ合い、何度もキスをしたあとだった。
照れて顔を赤くした恵真が、大和のステイバッグを受け取って洗濯機を回し、ダイニングテーブルに夕食を並べる。
大和は久しぶりの恵真の手料理にホッとしつつ、幸せを噛みしめていた。
「SNSで紹介する写真?って、どういうの?」
「コックピットで機長と並んで座っている写真だそうです。短い文章を添えただけの、簡単なものらしいですよ。出発前のコックピットブリーフィングの時に撮らせて欲しいと」
「そうなんだ。ちなみに機長って誰かもう分かってるの?」
「はい。予定では倉科キャプテンだそうです」
え!と大和は思わず顔を上げる。
「大和さん、ご存知ですか?私はまだご一緒した事なくて」
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そこまで言って恵真は言葉を止めた。
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(ということは、大和さんは先輩よりも先に機長に…)
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両手で頬を押さえてうつむく恵真に、大和が、どうかした?と声をかける。
「あ、いえ、あの。なんだか申し訳なくなってきて…」
「は?何が?」
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「雲の上って、あはは!恵真だって雲の上の人でしょ?パイロットなんだから」
「そ、そういう意味ではなくて。あの…」
ますますうつむく恵真に、大和は箸を置いて真剣に話し出す。
「恵真、こっち見て」
恵真はおずおずと視線を上げた。
「俺がどんなに恵真を好きか、まだ分かってないな」
色気を漂わせた大和の瞳に捉えられ、恵真は言葉を失う。
「あとでしっかり分からせてあげる。楽しみにしてて」
そう言ってニヤッと笑う大和に、恵真は思わず息を呑んでおののいた。
◇
腕の中で眠る恵真を、大和は優しい眼差しで見つめる。
そっと額にキスをすると、ん…と恵真は頬を緩め、大和のTシャツの胸元をきゅっと握って身を寄せてきた。
その姿が可愛らしくて、大和は恵真の髪を何度もなでる。
(恵真も明日オフだったらな)
それなら、時間を気にせずもっと恵真を抱いていられたのに。
そう思うが、こればかりは仕方がない。
パイロットは何よりも体調管理が大切だ。
明日の乗務に備えて、恵真はしっかり休ませなければ。
せめて寝顔は心ゆくまで眺めようと、大和は温かく柔らかい恵真の身体を更に抱き寄せた。
(なんて幸せなんだろう。こんなにも純粋で健気な恵真が、今自分の腕の中にいるなんて。初めて結ばれた相手が俺だなんて)
こんなにも可愛くて、優しくて、無邪気で、愛おしくて…
数え上げたらキリがなく、そんな自分に思わず苦笑いする。
恵真はまるで自分が大和に相応しくないと思っている口ぶりだったが、大和にとっては逆だった。
身も心も汚れのない純真さを、恵真は自分にだけ捧げてくれたのだ。
(必ず幸せにしなければ)
抱きしめる腕に力を込める。
もちろん結婚を考えているし、二人の仕事のタイミングを見てプロポーズするつもりだった。
(俺としては、すぐにでも籍を入れたいのに)
だが恵真は、大和の職場での立場を考えると、自分とつき合っている事はまだ誰にも話せないと言うのだった。
エリート機長が、まだまだ新米の副操縦士とつき合うなんて、と。
納得いかなかったが、恵真が誰かに心ない言葉をかけられる可能性があるのは否定出来ない。
仕方なく大和もそれに従って、二人の関係は秘密にしていた。
(でもなあ、そのうち恵真を誰かに取られないかとヒヤヒヤする)
本人は全く気づいていないが、恵真を狙っているパイロットは結構いる。
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そのうち誰かが恵真に言い寄るのでは…と心配していたところに、今夜の恵真の話を聞き、大和の心は乱れていた。
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倉科は、とにかく女性にモテる。
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(今って誰か特定の彼女がいるのかな?いや、いてもあの人なら関係ないか)
なにせ言い寄ってくる女性とは、彼女と明言せずに気軽につき合うスタンスなのだ。
その方がたくさんの女性を幸せに出来るだろ?と悪びれもなく笑っていたが、そんな訳あるかい!と、大和は心の中でツッコミを入れていた。
実際は、不特定多数でもいいからつき合って!と承諾する女性もいるらしく、ほらね!と倉科は気軽にデートに応じているが、いずれにせよ純粋な恵真には全く無縁の世界だ。
(あー、心配だ。心配しかない。まさかあの人が恵真と一緒に飛ぶなんて。そうか、機長になったのならあり得るか)
しかも明日の恵真のスケジュールは、伊丹往復のあと長崎に飛んでそのまま現地ステイ。
翌日長崎から羽田に戻ってくる。
(伊丹往復は、時間が詰まってるから復路はそのままコックピットでブリーフィングだろ?それで夜は長崎にステイだし。どんだけ密着してんだよ!)
自分とだったら大喜びするのに、今はそのスケジュールにさえ悪態をつく。
(その上、二人の写真まで撮るなんて。はあ、気が気じゃない)
海外フライトで疲れているはずなのに、大和はため息をつきながら眠れない夜を過ごした。
◇
朝日が射し込む中、ん…と恵真が身じろぎして、ゆっくりと目を開ける。
ぼんやりとした視線で見つめられ、大和はにっこり微笑んだ。
「おはよう、恵真」
途端に恵真は目をぱちくりさせる。
「や、大和さん?!いつから起きて…」
「ん?少し前かな」
しれっと嘘をつくと、恵真は慌てふためいた。
「やだ!起こしてくれれば良かったのに」
「どうして?まだアラーム鳴る前だよ」
「だって、寝顔見られるなんて。たとえ少しでも恥ずかしくて」
そう言うと恵真は布団の中に潜り込んだ。
「こら、恵真。どこに逃げるの?おはようのキスもまだなのに」
「キ…?!」
恵真はますます布団の奥深くに逃げる。
「恵真!もう、子どもみたいだな」
大和は笑って自分も布団に潜り込んだ。
手探りで恵真の頭を抱き寄せる。
「これなら恥ずかしくないだろ?」
暗がりの中、大和は恵真に優しく口づけた。
◇
「大和さん、もうここで大丈夫です」
空港ターミナルビルの駐車場の一角、人気のない場所で恵真が声をかける。
「入り口の近くまで行くよ」
「いえ!本当にもうここで」
誰かに見られないかを気にする恵真が必死で訴え、仕方なく大和は車を停めた。
「じゃあ、行ってきます。お休みなのに送って頂いてありがとうございました。今日はゆっくりしてくださいね」
「ああ。恵真も気をつけて行ってらっしゃい」
「はい」
すると恵真は、キョロキョロと辺りを気にしたあと、大和に顔を近づけてチュッと唇にキスをした。
大和が怯んだ隙にドアを開けて出て行くと、タタッと小走りで進んだ先で振り返り、小さくこちらに手を振ってから、また急ぎ足で自動ドアの中に入っていった。
(な、何なんだあれは。可愛すぎるだろ!)
不意打ちを食らって不覚にも顔を真っ赤にした大和が、思わず口元を手で覆ってうつむく。
(あー、早く会いたい!連れ戻そうかな)
真顔でそんな事まで考える大和だった。
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