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こずえの言葉
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「おー、伊沢。こっちこっち!」
「悪い、待たせたな」
「ううん。私も今来たところ」
12時に待ち合わせしたカフェのテラス席で、こずえが伊沢を手招きした。
「久しぶりだねー。なんか伊沢、日焼けした?」
「そうかも。コックピットに射し込む太陽、ハンパないもんな。あー、いや、こんな明るい時間にこずえと会うのが珍しいからじゃないか?」
「あはは!確かに。いっつも薄暗い夜の居酒屋ばっかりだもんね」
相変わらずのこずえに、伊沢は既に気分が明るくなる。
「ね、何食べる?」
テーブルに広げたメニューに、二人で顔を寄せる。
「へえー、なんかオシャレだな。こずえ、焼き鳥も、ほっけの塩焼きもないけど、いいのか?」
「あのね!私、オヤジじゃないの。ちゃんとパンケーキとかも食べられるんだからね!」
ははは!と笑ってから、伊沢はエッグベネディクトのランチセットを頼むことにした。
「じゃあ私は、チーズオムレツのセットにしようっと」
「え?パンケーキじゃないのか?」
「だって私がパンケーキ食べてるところ見たら、物珍しくて絶対伊沢突っ込むでしょ?」
「うん。その気満々だった」
「ふふーんだ。そうはさせませんよー」
「あはは!じゃあさ、デザートにマカロンとか食べてみてよ。絶対似合わないから」
「あんたね!失礼極まりないわよ!」
またもや伊沢は笑い出す。
テラスには心地良い風が吹き、居酒屋の暗がりではなく明るい日差しの中で見るこずえは、いつにも増して楽しそうだった。
「ねえ、最近どうなの?彼女出来た?」
運ばれてきた前菜を食べながら、早速こずえがズバッと聞く。
「出来てたら、せっかくのオフにお前と昼間からランチしてると思うか?」
「なーんだ。まだなの?」
「そう言うこずえはどうなんだよ?」
「出来てたら、せっかくのオフにあんたと昼間からランチしてると思う?」
「おい、丸々パクるな」
真顔になる伊沢を、こずえはおかしそうに笑う。
「あっはは!相変わらず真面目な純朴ボーイやってんだ。ちゃんと女の子探しなよ」
「余計なお世話。こずえこそ、まだフリーなのかよ?」
「私はその気になればいつでも彼氏作れるもーん。敢えて今はフリーを楽しんでるの。それで?彼女も探さないで毎日何やってるの?」
「何って、仕事に決まってるだろ?」
そう言うとこずえは、つまんなーい!と椅子に背を預けて腕を組んだ。
「毎日その真面目づらで仕事してるだけ?日々の生活に潤いってもんはないの?」
「真面目づらって…おい。仕事は真面目にするもんだろ?」
「ひゃー、つまんない男ね。こりゃ彼女も出来ない訳だわ」
「なんだよ。仕事中に彼女探せって言うのか?そんな不謹慎な…」
ふと言葉を止めた伊沢の顔を、こずえが覗き込む。
「ん?何、どうかした?」
「いや。そう言えばつい先日、キャプテンが乗客の女の人に、ほわわーんってなってたなーと思って」
「何それー?聞きたい!教えて!いつの話?」
こずえは身を乗り出してくる。
「ほら、あれだよ。俺がグランドスタッフ探し回ってるのを、お前が迷子だと勘違いした時」
伊沢がいきさつを話すと、こずえは興味津々で耳を傾ける。
「そうなんだー!そのキャプテン、運命の人に巡り会っちゃったのねー。それで?そのあとキャプテン、名刺の連絡先に何か連絡したの?」
「それがさ、俺に相談してきたんだよね。どうすればいい?って」
「ええー?あんたに?恋愛偏差値30のあんたに?」
おい、と伊沢は再び真顔になる。
「いいから、続けて?」
「いいからじゃねーよ。ったく…。それで、俺が『ご搭乗ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております』ってだけ書いてメール送ったらどうですか?って提案したんだよ。そこで返事が来るか、もし来たらなんて書いてあるか、そこからまた考えましょうよって」
「なるほど。それで?返事は来たの?」
「いや、分かんない。だってその話したの、昨日だし」
「ひゃー!現在進行形なのね!気になるわー」
両手で頬を押さえてうっとりしたあと、ふとこずえは真剣な顔になる。
「伊沢、あんたさ。なんでそうやっていつも人のことばかり考えてるの?自分のことは全然考えてないでしょ?」
「は?なんだよ急に」
「呆れてるの!まったくもう…。もっと自分のことを考えなさいよ。このままだとずーっとフリーのままよ?ほら、どんな子が好みなの?こうなったら私も紹介してあげるからさ」
好みー?と伊沢は眉間にシワを寄せる。
「そんなの考えた事もないわ」
「はいー?そんなんだから、いつまで経っても見つからないのよ。んー、分かった。私が考えてあげる」
そう言ってこずえはじっと伊沢を見つめる。
「やっぱり年下の大人しい子がいいかな?いや、案外年上のきれいなお姉さんに可愛がられるタイプかも?」
「なんだそれ?だいたい俺、好みのタイプとかないし。そんなの関係なく好きになって…」
思わずハッとして言葉を止める。
しばらく沈黙が広がったあと、こずえが小さく尋ねた。
「伊沢、まだ気になる?恵真のこと」
「そ、そんな訳ないだろ?あれから半年も経ってるんだし」
焦って答えると、こずえは首を振った。
「時間なんて関係ないでしょ?時間に反比例して想いが消えていくものでもないんだから」
伊沢は小さくため息をついた。
こずえには隠し通せない。
ポツリと自分の本音を語り始める。
「もうすっかり気持ちの整理がついた…とは言えないかもな」
こずえは黙って聞いている。
「やっぱりまだ見かけると目で追ってしまう。元気かどうか、様子が気になる。他愛もない話を明るくするけど、別れたあとに少し寂しくなる。まあ、それだけ」
そう言って自嘲気味に笑うと、こずえは真剣な顔で口を開く。
「無理することないよ。そんなふうにまだ気になる自分を責めちゃダメ。伊沢は底抜けにお人好しだから、人より傷つくことが多いと思う。だからちゃんと、自分のことを労ってあげてね」
そして何を思ったのか、いきなり「すみませーん」と店員を呼ぶ。
「デザートにマカロンお願いします!」
「は?こずえ、マカロン食べるのか?」
「そうよ。どんだけ似合わないか、試してみようと思って」
「へ?」
程なくして運ばれてきたカラフルなマカロンを手に、こずえはにっこり笑ってみせる。
「ほら、早く写真撮って!映えるようにね!」
「あはは!似合わねー」
妙にカワイ子ぶったポーズを取るこずえに、伊沢はケラケラ笑いながら写真を撮る。
「じゃあさ、今度はムービーにするから、食レポしてよ」
「えー?仕方ないな。いくよ?」
こずえはわざと、アーンと大きく口を開けてパクッとマカロンを頬張る。
「んー、サックサクで甘ーい!すんごくおいしーい!」
ブハッ!と伊沢が盛大に吹き出す。
「ちょっと失礼ね!って言うか、何この甘ったるさ!砂糖のかたまりか?あー、ほっけの塩焼き食べたい」
「ははは!やっぱりこずえにはそっちだな」
伊沢は目元に涙まで浮かべながら笑い続ける。
こんなに笑ったのは、いつ以来だろう。
いつの間にか、伊沢の気持ちはすっかり軽くなっていた。
◇
久しぶりに良いオフを過ごし、気持ちも新たに仕事に向かった伊沢は、Show Upの前に休憩室でコーヒーを飲んでいた。
するとどこからともなく現れた野中が、そそくさと隣に座ってくる。
「おはよう!伊沢ちゃん」
「お、おはよう、ございます」
不気味すぎて、まともに目を合わせられない。
「あのさ、ちょっと聞いてくれる?」
「は、はあ。どうかしましたか?」
「実は、あれからメール送ってみたんだ。その…彩乃さんに」
えっ!と伊沢は思わず大きな声で聞き返してしまい、野中がシー!と人差し指を立てる。
「す、すみません。それで、なんて送ったんですか?」
「知りたい?いいけど、内緒だぞ」
「はい。もちろん」
野中はスマートフォンを操作して、メールの画面を見せてくれた。
(えーっと?拝啓 森下 彩乃様。先日は日本ウイング航空をご利用頂き、誠にありがとうございました。いつもお仕事でご搭乗頂いているとの事、重ねてお礼申し上げます。お硬いなー。いやいや、それはいいか)
どうでもいい事が気になってしまうが、とにかく先を読み進める。
(お母様の形見の大切な指輪を無事にお返しでき、心より安堵しております。そして日頃より、拙い私のアナウンスを覚えていてくださり、良いお声とまで嬉しいお言葉を頂いた事にも、大変ありがたく思っております。近いうちにまた機内でご一緒できますよう、心よりお待ちしております。季節の変わり目、どうぞご自愛くださいませ。敬具 日本ウイング航空 野中 真一)
「って、長い!野中さん、こんな長文送ったんですか?」
「えー?伊沢ちゃんのアドバイス通りに書いたのに」
「いや、俺が言ったのは確か2行くらいでしたよ?」
「まあまあ、いいじゃない。結果オーライだよ」
え?と伊沢は首をひねる。
「それって、もしやお返事が?」
「そうなんだよー!見たい?見たいよね?仕方ないなあ」
何も言っていないのに、野中は嬉しそうにまた画面を見せてくる。
『野中 真一様
先日は大変お世話になり、本当にありがとうございました。
こちらからお礼を申し上げるべきところ、野中様からメールを頂き恐縮しております。
日本ウイング航空さんは、いつもクルーの皆様が親切で、気持ち良く利用させて頂いております。
仕事で疲れた時や落ち込んだ時も、皆様の心温まるおもてなしに救われる思いでした。
時折ユーモアの溢れる機内アナウンスを耳にして、クスッと笑わせて頂くこともありました。
そしてある時、この素敵なお声のアナウンスが、機長の野中さんであることに気づきました。
それからは毎回搭乗する度に、今日の機長さんはどなただろう?と考えるようになったのです。
素敵なお声が聞こえてくると、野中さんだ!と嬉しくなりました。
どんな方なのだろう?きっとこのお声のように、温かくて素敵な方なのだろうなと、勝手ながら想像しておりました。
母の形見の指輪を失くした時はとても焦りましたが、野中さんと副操縦士の方のおかげで無事に手元に返して頂き、本当に感謝しております。
また、野中さんにお会いできた事、やはり野中さんが想像通りの優しい方だった事もとても嬉しかったです。
これからも、日本ウイングさんを利用させて頂きます。
野中さんのアナウンスが聞こえてくる事を楽しみにしながら…
この度は本当にありがとうございました。
森下 彩乃』
読み終えた伊沢まで、ほわわーんとしてしまう。
「うわー、嬉しいもんですね。お客様からのメールって。しかも副操縦士の方って、何もしてない俺のことまで書いてくださってるし」
「そうだよな。俺達って、普段はお客様と対面する訳じゃないから、こんなふうにお礼を言われることなんて滅多にないもんな」
そうですよねえと、伊沢は感慨深く頷く。
「それでさ、これ、どうすればいいと思う?」
「は?どうすればって?」
急に現実に引き戻され、伊沢は首をかしげる。
「だから、このメールの返事。書いた方がいいかな?」
「うーん、会話としてはこれで完結してますよね。だから書かなくても大丈夫だと思いますけど…」
そう言ってから、伊沢はチラリと野中の様子をうかがう。
「でも書きたいんですよね?野中さんは」
「え!いや、別にそういう訳では…」
あからさまに動揺している。
「いいんじゃないですか?書いても」
「そ、そうかな?」
「ええ。きっとこの方もお返事来たら喜んでくださると思いますよ」
「じゃあさ、なんて書けばいいかな?」
「それはご自分で考えてくださいよ」
「えー、頼むよ伊沢ちゃん。一緒に考えてくれよー」
拝むように野中は両手を合わせる。
「俺なんかより野中さんがご自分で考えた方がいいですって。野中さん、俺の2倍の人生、生きてらっしゃるんですから」
「アホー!そんなに長く生きとらんわい」
あはは!と伊沢は、いつもの調子に戻った野中に笑う。
「とにかく!野中さんの素直な気持ちをストレートに書いたらいいと思いますよ?」
「そうかな…。迷惑じゃないかな?」
「大丈夫ですって。それにパイロットと男は決断力が大事なんでしょ?」
「おうよ!」
胸を逸らしてみせる野中に、伊沢はもう一度笑いかけた。
「男を見せてくださいよ、キャプテン!」
「よっしゃ!ありがとな、伊沢」
キリッとした顔つきで立ち去る野中を見送り、はあと伊沢は小さくため息をつく。
(人に葉っぱかけてばかりいないで、俺も気持ち入れ替えなきゃな)
職場で恵真を見かけると、まだ少し心が痛む。
その度に自分を責めては、更に落ち込む事を繰り返していた。
(でも、いいのかもしれない。このままの自分でも)
おととい、こずえに言われた言葉を思い出す。
『無理することないよ。そんなふうにまだ気になる自分を責めちゃダメ。伊沢は底抜けにお人好しだから、人より傷つくことが多いと思う。だからちゃんと、自分のことを労ってあげてね』
あの言葉を聞いた時、驚きと共にふっと肩の力が抜けるのを感じた。
そうか、このままでいいのかと、目の前が開けていく気がした。
(信じてみよう。こずえの言葉を)
小さく頷いてから立ち上がり、伊沢は気を引きしめて休憩室をあとにした。
「悪い、待たせたな」
「ううん。私も今来たところ」
12時に待ち合わせしたカフェのテラス席で、こずえが伊沢を手招きした。
「久しぶりだねー。なんか伊沢、日焼けした?」
「そうかも。コックピットに射し込む太陽、ハンパないもんな。あー、いや、こんな明るい時間にこずえと会うのが珍しいからじゃないか?」
「あはは!確かに。いっつも薄暗い夜の居酒屋ばっかりだもんね」
相変わらずのこずえに、伊沢は既に気分が明るくなる。
「ね、何食べる?」
テーブルに広げたメニューに、二人で顔を寄せる。
「へえー、なんかオシャレだな。こずえ、焼き鳥も、ほっけの塩焼きもないけど、いいのか?」
「あのね!私、オヤジじゃないの。ちゃんとパンケーキとかも食べられるんだからね!」
ははは!と笑ってから、伊沢はエッグベネディクトのランチセットを頼むことにした。
「じゃあ私は、チーズオムレツのセットにしようっと」
「え?パンケーキじゃないのか?」
「だって私がパンケーキ食べてるところ見たら、物珍しくて絶対伊沢突っ込むでしょ?」
「うん。その気満々だった」
「ふふーんだ。そうはさせませんよー」
「あはは!じゃあさ、デザートにマカロンとか食べてみてよ。絶対似合わないから」
「あんたね!失礼極まりないわよ!」
またもや伊沢は笑い出す。
テラスには心地良い風が吹き、居酒屋の暗がりではなく明るい日差しの中で見るこずえは、いつにも増して楽しそうだった。
「ねえ、最近どうなの?彼女出来た?」
運ばれてきた前菜を食べながら、早速こずえがズバッと聞く。
「出来てたら、せっかくのオフにお前と昼間からランチしてると思うか?」
「なーんだ。まだなの?」
「そう言うこずえはどうなんだよ?」
「出来てたら、せっかくのオフにあんたと昼間からランチしてると思う?」
「おい、丸々パクるな」
真顔になる伊沢を、こずえはおかしそうに笑う。
「あっはは!相変わらず真面目な純朴ボーイやってんだ。ちゃんと女の子探しなよ」
「余計なお世話。こずえこそ、まだフリーなのかよ?」
「私はその気になればいつでも彼氏作れるもーん。敢えて今はフリーを楽しんでるの。それで?彼女も探さないで毎日何やってるの?」
「何って、仕事に決まってるだろ?」
そう言うとこずえは、つまんなーい!と椅子に背を預けて腕を組んだ。
「毎日その真面目づらで仕事してるだけ?日々の生活に潤いってもんはないの?」
「真面目づらって…おい。仕事は真面目にするもんだろ?」
「ひゃー、つまんない男ね。こりゃ彼女も出来ない訳だわ」
「なんだよ。仕事中に彼女探せって言うのか?そんな不謹慎な…」
ふと言葉を止めた伊沢の顔を、こずえが覗き込む。
「ん?何、どうかした?」
「いや。そう言えばつい先日、キャプテンが乗客の女の人に、ほわわーんってなってたなーと思って」
「何それー?聞きたい!教えて!いつの話?」
こずえは身を乗り出してくる。
「ほら、あれだよ。俺がグランドスタッフ探し回ってるのを、お前が迷子だと勘違いした時」
伊沢がいきさつを話すと、こずえは興味津々で耳を傾ける。
「そうなんだー!そのキャプテン、運命の人に巡り会っちゃったのねー。それで?そのあとキャプテン、名刺の連絡先に何か連絡したの?」
「それがさ、俺に相談してきたんだよね。どうすればいい?って」
「ええー?あんたに?恋愛偏差値30のあんたに?」
おい、と伊沢は再び真顔になる。
「いいから、続けて?」
「いいからじゃねーよ。ったく…。それで、俺が『ご搭乗ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております』ってだけ書いてメール送ったらどうですか?って提案したんだよ。そこで返事が来るか、もし来たらなんて書いてあるか、そこからまた考えましょうよって」
「なるほど。それで?返事は来たの?」
「いや、分かんない。だってその話したの、昨日だし」
「ひゃー!現在進行形なのね!気になるわー」
両手で頬を押さえてうっとりしたあと、ふとこずえは真剣な顔になる。
「伊沢、あんたさ。なんでそうやっていつも人のことばかり考えてるの?自分のことは全然考えてないでしょ?」
「は?なんだよ急に」
「呆れてるの!まったくもう…。もっと自分のことを考えなさいよ。このままだとずーっとフリーのままよ?ほら、どんな子が好みなの?こうなったら私も紹介してあげるからさ」
好みー?と伊沢は眉間にシワを寄せる。
「そんなの考えた事もないわ」
「はいー?そんなんだから、いつまで経っても見つからないのよ。んー、分かった。私が考えてあげる」
そう言ってこずえはじっと伊沢を見つめる。
「やっぱり年下の大人しい子がいいかな?いや、案外年上のきれいなお姉さんに可愛がられるタイプかも?」
「なんだそれ?だいたい俺、好みのタイプとかないし。そんなの関係なく好きになって…」
思わずハッとして言葉を止める。
しばらく沈黙が広がったあと、こずえが小さく尋ねた。
「伊沢、まだ気になる?恵真のこと」
「そ、そんな訳ないだろ?あれから半年も経ってるんだし」
焦って答えると、こずえは首を振った。
「時間なんて関係ないでしょ?時間に反比例して想いが消えていくものでもないんだから」
伊沢は小さくため息をついた。
こずえには隠し通せない。
ポツリと自分の本音を語り始める。
「もうすっかり気持ちの整理がついた…とは言えないかもな」
こずえは黙って聞いている。
「やっぱりまだ見かけると目で追ってしまう。元気かどうか、様子が気になる。他愛もない話を明るくするけど、別れたあとに少し寂しくなる。まあ、それだけ」
そう言って自嘲気味に笑うと、こずえは真剣な顔で口を開く。
「無理することないよ。そんなふうにまだ気になる自分を責めちゃダメ。伊沢は底抜けにお人好しだから、人より傷つくことが多いと思う。だからちゃんと、自分のことを労ってあげてね」
そして何を思ったのか、いきなり「すみませーん」と店員を呼ぶ。
「デザートにマカロンお願いします!」
「は?こずえ、マカロン食べるのか?」
「そうよ。どんだけ似合わないか、試してみようと思って」
「へ?」
程なくして運ばれてきたカラフルなマカロンを手に、こずえはにっこり笑ってみせる。
「ほら、早く写真撮って!映えるようにね!」
「あはは!似合わねー」
妙にカワイ子ぶったポーズを取るこずえに、伊沢はケラケラ笑いながら写真を撮る。
「じゃあさ、今度はムービーにするから、食レポしてよ」
「えー?仕方ないな。いくよ?」
こずえはわざと、アーンと大きく口を開けてパクッとマカロンを頬張る。
「んー、サックサクで甘ーい!すんごくおいしーい!」
ブハッ!と伊沢が盛大に吹き出す。
「ちょっと失礼ね!って言うか、何この甘ったるさ!砂糖のかたまりか?あー、ほっけの塩焼き食べたい」
「ははは!やっぱりこずえにはそっちだな」
伊沢は目元に涙まで浮かべながら笑い続ける。
こんなに笑ったのは、いつ以来だろう。
いつの間にか、伊沢の気持ちはすっかり軽くなっていた。
◇
久しぶりに良いオフを過ごし、気持ちも新たに仕事に向かった伊沢は、Show Upの前に休憩室でコーヒーを飲んでいた。
するとどこからともなく現れた野中が、そそくさと隣に座ってくる。
「おはよう!伊沢ちゃん」
「お、おはよう、ございます」
不気味すぎて、まともに目を合わせられない。
「あのさ、ちょっと聞いてくれる?」
「は、はあ。どうかしましたか?」
「実は、あれからメール送ってみたんだ。その…彩乃さんに」
えっ!と伊沢は思わず大きな声で聞き返してしまい、野中がシー!と人差し指を立てる。
「す、すみません。それで、なんて送ったんですか?」
「知りたい?いいけど、内緒だぞ」
「はい。もちろん」
野中はスマートフォンを操作して、メールの画面を見せてくれた。
(えーっと?拝啓 森下 彩乃様。先日は日本ウイング航空をご利用頂き、誠にありがとうございました。いつもお仕事でご搭乗頂いているとの事、重ねてお礼申し上げます。お硬いなー。いやいや、それはいいか)
どうでもいい事が気になってしまうが、とにかく先を読み進める。
(お母様の形見の大切な指輪を無事にお返しでき、心より安堵しております。そして日頃より、拙い私のアナウンスを覚えていてくださり、良いお声とまで嬉しいお言葉を頂いた事にも、大変ありがたく思っております。近いうちにまた機内でご一緒できますよう、心よりお待ちしております。季節の変わり目、どうぞご自愛くださいませ。敬具 日本ウイング航空 野中 真一)
「って、長い!野中さん、こんな長文送ったんですか?」
「えー?伊沢ちゃんのアドバイス通りに書いたのに」
「いや、俺が言ったのは確か2行くらいでしたよ?」
「まあまあ、いいじゃない。結果オーライだよ」
え?と伊沢は首をひねる。
「それって、もしやお返事が?」
「そうなんだよー!見たい?見たいよね?仕方ないなあ」
何も言っていないのに、野中は嬉しそうにまた画面を見せてくる。
『野中 真一様
先日は大変お世話になり、本当にありがとうございました。
こちらからお礼を申し上げるべきところ、野中様からメールを頂き恐縮しております。
日本ウイング航空さんは、いつもクルーの皆様が親切で、気持ち良く利用させて頂いております。
仕事で疲れた時や落ち込んだ時も、皆様の心温まるおもてなしに救われる思いでした。
時折ユーモアの溢れる機内アナウンスを耳にして、クスッと笑わせて頂くこともありました。
そしてある時、この素敵なお声のアナウンスが、機長の野中さんであることに気づきました。
それからは毎回搭乗する度に、今日の機長さんはどなただろう?と考えるようになったのです。
素敵なお声が聞こえてくると、野中さんだ!と嬉しくなりました。
どんな方なのだろう?きっとこのお声のように、温かくて素敵な方なのだろうなと、勝手ながら想像しておりました。
母の形見の指輪を失くした時はとても焦りましたが、野中さんと副操縦士の方のおかげで無事に手元に返して頂き、本当に感謝しております。
また、野中さんにお会いできた事、やはり野中さんが想像通りの優しい方だった事もとても嬉しかったです。
これからも、日本ウイングさんを利用させて頂きます。
野中さんのアナウンスが聞こえてくる事を楽しみにしながら…
この度は本当にありがとうございました。
森下 彩乃』
読み終えた伊沢まで、ほわわーんとしてしまう。
「うわー、嬉しいもんですね。お客様からのメールって。しかも副操縦士の方って、何もしてない俺のことまで書いてくださってるし」
「そうだよな。俺達って、普段はお客様と対面する訳じゃないから、こんなふうにお礼を言われることなんて滅多にないもんな」
そうですよねえと、伊沢は感慨深く頷く。
「それでさ、これ、どうすればいいと思う?」
「は?どうすればって?」
急に現実に引き戻され、伊沢は首をかしげる。
「だから、このメールの返事。書いた方がいいかな?」
「うーん、会話としてはこれで完結してますよね。だから書かなくても大丈夫だと思いますけど…」
そう言ってから、伊沢はチラリと野中の様子をうかがう。
「でも書きたいんですよね?野中さんは」
「え!いや、別にそういう訳では…」
あからさまに動揺している。
「いいんじゃないですか?書いても」
「そ、そうかな?」
「ええ。きっとこの方もお返事来たら喜んでくださると思いますよ」
「じゃあさ、なんて書けばいいかな?」
「それはご自分で考えてくださいよ」
「えー、頼むよ伊沢ちゃん。一緒に考えてくれよー」
拝むように野中は両手を合わせる。
「俺なんかより野中さんがご自分で考えた方がいいですって。野中さん、俺の2倍の人生、生きてらっしゃるんですから」
「アホー!そんなに長く生きとらんわい」
あはは!と伊沢は、いつもの調子に戻った野中に笑う。
「とにかく!野中さんの素直な気持ちをストレートに書いたらいいと思いますよ?」
「そうかな…。迷惑じゃないかな?」
「大丈夫ですって。それにパイロットと男は決断力が大事なんでしょ?」
「おうよ!」
胸を逸らしてみせる野中に、伊沢はもう一度笑いかけた。
「男を見せてくださいよ、キャプテン!」
「よっしゃ!ありがとな、伊沢」
キリッとした顔つきで立ち去る野中を見送り、はあと伊沢は小さくため息をつく。
(人に葉っぱかけてばかりいないで、俺も気持ち入れ替えなきゃな)
職場で恵真を見かけると、まだ少し心が痛む。
その度に自分を責めては、更に落ち込む事を繰り返していた。
(でも、いいのかもしれない。このままの自分でも)
おととい、こずえに言われた言葉を思い出す。
『無理することないよ。そんなふうにまだ気になる自分を責めちゃダメ。伊沢は底抜けにお人好しだから、人より傷つくことが多いと思う。だからちゃんと、自分のことを労ってあげてね』
あの言葉を聞いた時、驚きと共にふっと肩の力が抜けるのを感じた。
そうか、このままでいいのかと、目の前が開けていく気がした。
(信じてみよう。こずえの言葉を)
小さく頷いてから立ち上がり、伊沢は気を引きしめて休憩室をあとにした。
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