Good day !

葉月 まい

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ウイングロー

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「あ、お二人ともお疲れ様でした」

オフィスに行くと、顔馴染みの社員に声をかけられた。

が、オフィス内はデスクの上も物が倒れたりと、確かに地震があったことがうかがえる。

残っていた数少ない社員が、電話の応対や情報収集などに追われていた。

「お二人とも、帰り道気をつけてくださいね。電車も所々止まってますし、地震の影響で停電しているエリアもありますから」

えっ、と二人は驚く。

「藤崎、着替えたら廊下の先で待ってろ。車で送っていく」
「いえ、そんな。タクシーで帰れますから。明日のショーアップも遅い時間ですし、のんびり帰ります」 

あっさり断る恵真に、大和は切り札を出す。

「車の中でダメ出しする」

うっ、と恵真は一瞬ひるみ、じーっと大和を見つめ返してくる。

「お、疑ってるな?自惚れるなよ。ほんとにあるからな、ダメ出し」

もちろんダメ出しなどない。
だが恵真は、ハッと表情を変えて慌てて頭を下げた。

「はい!失礼しました。ではよろしくお願いします」



着替えてから更衣室を出て、廊下の端で恵真を待つ間、大和はスマートフォンで地震の情報をチェックする。 

(ん?停電してるエリアってこんなにあるのか。確かこの辺り、あいつのマンションだったな)

思い出しながら考えていると、パタパタと足音がして恵真が現れた。

「すみません、お待たせしました」
「いや。そんなに急がなくても良かったのに」
「いえ、大丈夫です」

ふう、と肩で息を整える恵真に、大和が言う。

「お前のマンション、停電してるみたいだぞ」
「えっ!そうなんですか?」
「ああ、あの辺り一帯停電中だ。いつ復旧するかも分からない。それに明日の朝の電車の状況もなんとも言えないしな。俺は明日に備えて今日はホテルに泊まろうと思う。お前もそうしたらどうだ?」

恵真は視線を外して少し考える。

「そうですね。停電中のマンションに帰ったら色々不自由ですし、明日のショーアップに遅れることがあってはいけませんし。私も今日はホテルに泊まります」
「よし。じゃあ空港ターミナルに隣接したホテルに行こう」
「はい」

二人で並んで国内線ターミナルを横切る。
今日の最終便はとっくに到着しており、いつもなら閑散とする時間だったが、今はまだ多くの人がベンチに座ったり、グランドスタッフに何か話したりしている。

「うわ、まだまだ大変そうですね」
「ああ。明日の始発便にも影響出そうだな」

ターミナルの端まで来ると、隣接するホテルのロビーに入った。

ここでもいつも以上に人が多くごった返していて、二人は驚く。

「考える事は皆同じか。二部屋取れるかな…。ちょっと待ってろ。バッグ頼む」
「はい」

恵真はソファの横で、自分と大和のフライトバッグを手にしばらく待つ。

大和はフロントでやり取りし、途中で少し何かを考えるように動きを止めてから頷いている。

やがて恵真のところに戻ってきた。

「お待たせ」
「いえ。部屋、空いてましたか?」
「ああ。二部屋取れたことは取れたんだけど…」

けど?と恵真が首をかしげる。

「部屋の鍵は一つなんだ」
「…はい?」
「んー、まあ、行けば分かる。とにかく行こう」
「は、はい」

恵真は大和に続いて歩き出した。

やたらと上の方の階でエレベーターを降り、大和が廊下を少し進んで足を止めた。

「お、ここだ」

カードキーを差し込んでドアを開ける。

「とにかく一旦入って」
「はい」

恵真は、ゆっくり部屋に足を踏み入れた。
と、すぐに驚いて声を上げる。

「え、ええ?!ここ、いったいどうなってるんですか?」

正面に広がるリビングと大きな窓。
ソファやテーブル、ベッドがあるのに空間はゆったりとしている。

自分のマンションの部屋の何倍あるのだろうか?
家具もインテリアもゴージャスな雰囲気だ。

「お前の部屋はこっち」

そう言って大和はリビングの奥のドアを開けた。

さらに部屋が続いている。
そこまで広くはないが、同じようにベッドにバスルーム、ソファもあった。

「あの、佐倉さん。これってもしかして…」

スイートルームというやつでは?と、恵真は恐る恐る聞いてみる。

「んー、まあね。なにせ地震の影響で他は満室でさ。唯一ここが空いてた」
「ひー!そんな。あの、おいくら万円でしょうか?私、今そんなに持ち合わせがなくて…」
「いいよ。俺一人でもこの部屋になったんだから。お前はおまけ」

そう言うと、あたふたしている恵真を尻目に、恵真のフライトバッグを奥の部屋に運ぶ。

「こっちの部屋で不自由ないか?バスルームもあるしな。あ、外の景色がイマイチだな」
「いいい、いえいえ、とんでもない。充分でございます」
「でもあっちの部屋の方が飛行機がよく見える。ソファでコーヒーでも飲むか」

そう言って踵を返す大和を、恵真が慌てて追いかける。

「あ、私が!私がやりますので、キャプテンはどうぞお座りになってお待ちください」
「なんだ?仕事モードだな」

言われた通りソファで待つ大和に、恵真がコーヒーを運んでくる。

「お待たせ致しました。コーヒーでございます」
「あはは!お前、パイロットやめてCAになったのか?」
「い、いえ、そんな。あんな花形なお仕事、私には務まりません」
「そうか?似合うと思うけど。でもま、お前はパイロットでいてくれ。その方が俺もありがたい」

え…?と、大和の隣に座った恵真は戸惑う。

「私、ちゃんとパイロット出来てますか?」
「当たり前だろ?お前は俺にとって一番やりやすいコーパイだ」

嬉しさが込み上げ思わず口元が緩むのを、恵真は慌ててコーヒーカップを口にしてごまかした。

「それにしても、いい眺めだな」

大和が窓の外に目を向ける。

「本当ですね、飛行機もよく見えるし。あ!機体のお掃除してる!わー、初めて見ました」

恵真は、身を乗り出して飛行機を見つめる。

ちょうど自社の機体を多くの人が取り囲み、ホースで水をかけながらゴシゴシとブラシで擦っているのが見えた。

「うわー、大変な作業ですね。全身ビショビショになっちゃう…」
「ああ、そうだな。こうやってたくさんの人が飛行機に関わってくれて、最後に俺達パイロットにシップを託してくれるんだ。身が引き締まるな」
「はい、本当に」

しばらく外を眺めていた恵真が、ふと思い出して大和に聞く。

「佐倉さんはなぜパイロットになろうと思ったんですか?」
「…お前、さも初めて聞くような素振りだけど、まだ覚えてたのか」
「あら?そうおっしゃる佐倉さんも、覚えていらっしゃるんですね?あの時答えずに逃げたこと」
 
うぐっと大和が言葉に詰まる。

「お前、意外としつこいな」
「ええ。根に持つタイプです」
「こわっ!なんか、お前が言うと迫力あるわ」
「ふふふ、嘘ですよ。でも教えてくれるまで何度でも聞きます」
「やっぱりしつこいじゃないか。あー、もう…」

大和は観念したように投げやりに答える。

「単に乗り物が好きだったんだよ、子どもの頃から。18で車の免許を取って、運転するのが楽しくてさ。そしたら飛行機も動かしてみたくなったんだ。それだけ」

悪いな、大した理由じゃなくて、と付け加える大和に、恵真は首を振る。

「いいえ、純粋な憧れだったんですよね。それにきっかけはどうあれ、今はこんなにも立派なキャプテンなんですもの。すてきです」

そう言って大和に微笑むと、ふと真顔に戻って考え込む。

「どうかしたか?」

大和が声をかけると、恵真は顔を上げて正面から向き合った。

「佐倉さん。さっき私のこと、ちゃんとパイロットだって認めてくださいましたよね?」
「ん?ああ、もちろん」
「それなら、もう聞かせて頂けるでしょうか?あのお話を」

ギクリと大和は顔をこわばらせる。

「えーっと、あのお話、とは?」

視線を泳がせつつとぼけてみる。

「ウイングローのコツです」

…だよな、と心の中で独りごつ。

「私、あれからも勉強しました。佐倉さんのお話を理解出来るようにって。今ならちゃんと分かると思うんです。教えて頂けないでしょうか?もし途中で私がお話についていけなかったら、その時は改めて勉強し直してきますので」
「ちょ、ちょ、ちょっと待て!」

大和は慌てて手で遮る。

「あのな、そんなに大真面目に捉えないでくれ。俺が教わった時も、どちらかと言えば軽いノリだったんだ」
「ですが、それで佐倉さんはウイングローのコツを掴んだのですよね?」
「あ、うん、まあ、そうだな」
「でしたらやはり、それはとても貴重なお話です。私もぜひ」
「わ、分かった。話すよ、話すから」
「ほんとですか?!」

恵真は目を輝かせる。

「ああ。但し…」
「但し?」

大和は恵真と真剣に向き合う。

「いいか、この話は決してお前が想像しているような話ではない。恐らくドン引きする」
「え、まさかそんな…」
「いや、きっとする。だから、もしお前が少しでも引いてるなって思ったら俺はすぐに話をやめる。その条件でなら話す。いいか?」

はい、と恵真は神妙に頷く。
大和は覚悟を決めて話し始めた。

「俺がその先輩キャプテンに、どうやったらそんなに上手くウイングロー出来るんですか?って聞いたら、先輩はこう答えたんだ。簡単だよ、相手を風だと思わずウブな女の子だと思えばいいんだって。横風の中をランディングすると思わず、ウブな女の子にキスをすると思えばいいって」

…は?と思わず恵真は素っ頓狂な声を出してしまう。

「あ、引いたな?お前、やっぱり引いてるだろ?」
「ひ、引いてません!全然、まったく、これっぽっちも!」
「本当か?」
「はい!ですから、どうぞその先を」

仕方なく大和は言葉を続ける。

「まず、風上に翼を傾けるのと同じように、顔を傾けておく。女の子の頭の後ろに手を置いて抱き寄せようとすると、女の子は身をよじる。風の抵抗と同じようにな。女の子の頭の後ろに置いた手を自分に引き寄せようとする力と、女の子が反発する力でしばらくはせめぎ合う。でもそのうちにお互い力をかけるタイミングがズレて、必ずふっと力が緩む瞬間がくるんだ。その瞬間がきたら、一気に唇を押し当てる。離れないようにしっかりとな。さらに女の子の頭を自分の方にグッと抱き寄せて近づける。機首を滑走路に正対させるんだ。安定したら、あとは身体の力が抜けるのを待って、そっと唇を離す。ノーズギアをすっと下ろす感覚でな」

話し終えると、大和はぼーっとしている恵真の顔を心配そうに覗き込む。

「おい、大丈夫か?あの、やっぱり気を悪くしたか?神聖な飛行機の操縦にこんな野蛮な…」
「佐倉キャプテン」
「は、はい」

真剣な恵真の声に大和は姿勢を正す。

「理論は良く分かりました。頭の中にイメージも出来ます。あとは感覚を確かめたいです。実践して頂けますか?」
「じ、実践?!」
「はい。特に、風とのせめぎ合いの中の一瞬のタイミング、これを体感したいです。女の子の抵抗の中に生まれるわずかなランディングのチャンス。これを掴めるかどうかが大きなポイントですよね」
「う、うん。そうだな」
「では、お願いします」

は?!と大和は思わず身を引く。

「えっと、お願いしますって何を?」
「実践です。私がPMを務めますので、そうですね、アプローチング ミニマムの辺りからお願いします」

そう言って恵真は、ソファに座ったまま大和の正面に身体を向けて、真剣なパイロットの表情になる。

「では参ります。Approching minimum」
「チェ、Checked」
「Minimum」
「Landing」

大和はじっと恵真を見つめて少しずつ顔を近づける。

恵真の頭の後ろに右手を添え、自分の顔を右に傾けながら唇を寄せると、ギリギリの所で止まった。

右手に力を入れて引き寄せようとすると、恵真が力を入れて抵抗する。

大和の力と恵真の力が反発し合い、上手く定まらない。

すると、大和の力が少し緩んだのに合わせて恵真の力もふっと緩んだ。

(今だ!)

お互いがそう思った時、大和は強く恵真に口づけた。

そのまま恵真の頭を抱え込み、身体を密着させる。

やがてゆっくりと力を抜き、恵真の身体をそっと離した。

二人の頭の中に、しっかりと滑走路に着陸して減速する飛行機がイメージされる。

「ナイスランディング」

恵真がポツリと呟いた。

「ああ、そうだな…って、あ!」

大和は我に返って慌てふためく。

「す、すまん!つい、その、ごめん!本当に悪かった」

ランディングのシミュレーションだったが、普通に考えれば紛れもなくキスだ。

(ギリギリの所で止めるべきだった)

大和が下を向いてオロオロしていると、恵真の落ち着いた声が聞こえてきた。

「佐倉キャプテン。私、ちゃんと感覚が分かりました。本当ですね、一瞬ふっと緩む感覚、確かにありましたね。なるほど…」

納得したように小さく頷いている。

「今度は私がPFをやらせて頂いてもよろしいでしょうか?」
「は?!あの、えっと…」
「すみませんが、キャプテンはPMをお願い致します」
「わ、分かった。じゃあ、Approching minimum」
「Checked」
「Minimum」
「Landing」

そして恵真は大和にすっと近づく。
大和の頭の後ろに手を置くと、自分の顔を右に傾け、唇が触れるギリギリの所まで大和に顔を寄せた。

グッと頭が引き寄せられる力を感じて、大和はそれに抵抗した。
しばらくはお互いが力を入れ続けて身体がブレる。

だが、一瞬恵真の力が緩んだ時、自然と大和の抵抗も緩んだ。

(今だ!)

恵真は一気に大和に唇を押し当てる。
そして大和を自分の胸に抱き寄せた。
二人の身体は正面で密着する。

恵真は少しずつ身体から力を抜き、大和から離れると、最後にふうと小さく息をついた。

「…ランディング、出来ましたよね?」
「ああ。でも…」
「でも?」
「んー、接地の力が弱かったかな?タイミングは良かったけど、もう少し強めにギアを接地させないと跳ねるぞ」
「あ!なるほど、確かに。横風強いのにギアが跳ねたら大変ですよね」

うんうんと、大きく頷いている。

大和は、さすがにこれ以上は…と思い、口調を変えた。

「藤崎、この話はもう終わりだ」
「え?」
「もうコツは掴んだだろ?」
「はい、そうですね。ありがとうございました」

それと…と、大和はためらいながら続ける。

「いいか?このシミュレーションは絶対他のやつとはやるなよ?」
「え?どうしてですか?」
「どうしてって、お前…」

まさか全く自覚ないのか?

「それはその…。ウイングローのシミュレーションだったとしても、これは外から見れば、まあ、単なるキスだ」

キ…?!と、恵真は目を見開く。
ようやく気づいたらしい。
と同時に、みるみる顔が赤くなっていく。

「す、すみません!そうですよね、そういうお話でしたよね。私ったら、キャプテンになんてことを…。やったことないから気づかなくて、本当に申し訳ありませんでした」
「え?!お前、やったことないって…」

もしや、さっきのがファーストキスだったのか?

今度は大和が焦り出す。

「いや、俺が悪いんだ。本当にすまない。最初にやったのは俺なんだから。それに君は女の子なのに。本当に申し訳ない」
「いえ!そんな、謝らないでください。私がウイングローを教わりたくて、何度もしつこくキャプテンにお願いしたんですから。それと、あの、キャプテンは大丈夫でしょうか?」
「ん?何が?」
「その、心に想っていらっしゃる方がいらしたら、その方とされるはずだったのに…」

大和は、小さく呟いてうつむく恵真に、ふっと笑いかける。

「そんな方はいないってば。それより、お前こそ大丈夫か?今まで大事にしてたんだろう?いつか好きな人と…って」

すると恵真は、上目遣いに大和を見る。

「いえ、あの。私、そういうことには興味がなくて。飛行機のことしか考えられないので」

やれやれと大和はため息をつく。

「藤崎、お前は年頃の女の子だ。お前がその気になればいくらでも恋愛出来る。それに野中さんにも言われただろ?大いに恋愛して、人生を生き生きさせろって」
「はい。でも私にとっては、恋愛の方が操縦より難しいです」
「おいおい、何を言ってるんだ?そんなに深く考える必要ないぞ」
「だけど、どうしても想像つかないんです。自分がどんな恋愛をするのかなんて。自分に女性としての魅力があるとも思えません」

大和は恵真に向き直る。

「藤崎、お前は充分魅力的な女性だ。自分の夢に向かって、ひたむきに努力している。何に対しても真っ直ぐで一生懸命だ。そんなお前が恋をしたら、きっと大事にその恋を育てていくんだと思う」

大和は心の中で考える。
恵真には、ファーストキスの相手と結ばれて欲しい。
恵真ならきっと、生涯ただ一人の人を想い続けるだろう。
悲しい失恋など味わって欲しくない。
愛する人と一緒に、いつも笑顔で幸せでいて欲しい。
そして…
自分が恵真を幸せにしたい、と。

「藤崎」
「はい」
「飛行機に向けるお前の純粋な眼差しを、少し俺にも向けてくれないか?飛行機のことでいっぱいの頭の中に、少しは俺のことも考えてくれないか?そしてその時、もし俺と一緒に過ごす時間が想像出来たら…。その時は俺とつき合って欲しい」

恵真は大きく目を見開いて大和を見つめる。

「私が、キャプテンに目を向けて?」
「ああ」
「佐倉さんのことを考えて?」
「うん」
「佐倉さんが、私のそばにいてくれるの?」
「そうだ。いつだってそばにいる」

恵真の大きな瞳から涙がこぼれ落ちる。

「なんて幸せなの…」

たまらず大和は恵真を抱きしめた。

「お前こそ。なんて純粋で、なんて可愛いんだ。大切にする、一生。必ず幸せにしてみせる」

そして恵真のきれいな瞳を覗き込む。

「お前が好きだ。恵真」

切なげに目を潤ませた恵真が頷く。

「私も。佐倉さんのことが大好きです」

大和は恵真に優しく笑いかけると、そっと顔を寄せてキスをした。

心の中がじんわりと温かくなり、切なさにキュッと胸が小さく締めつけられる。

それは紛れもなく、幸せなキスだった。
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