Blue Moon 〜小さな夜の奇跡〜

葉月 まい

文字の大きさ
8 / 29

住む世界

しおりを挟む
「でさ、ジャズで大事なのはやっぱりリズムとグルーヴよ。メロディは間違えてもいいけど、リズムがダサいのは絶対だめ」
「えっ、メロディは間違えてもいいの?」
「上手くごまかせばいいんだ。こういうもんだぜ? って、シラーっと。けどリズムがズレたりノリが悪いと話にならない」
「なるほど」

営業時間を終えた店内のピアノで、小夜は光にジャズの奏法を教わっていた。

「基本的に音の余韻は残さない。お尻はスパッと切って、休符を立てる。アクセントも裏拍で感じて、シンコペーションの食いつきはハッキリ」
「こんな感じ?」
「だめ、もっと早く強く。食いつかなきゃ逆に食われる、みたいな危機感持って」
「えー、そんな物騒な」

音大で習ったこととはまったく違う。
光の言葉のすべてが、小夜にとっては目からウロコだった。

「この音は捨てていいんだよ。あと、この音も」
「捨てるー? え、音って捨てていいものなの?」
「そう。燃えるゴミ」
「いやいや、違うでしょ」
「一音も粗末にしちゃいけないクラシックとは違うんだ。ジャズは捨てる音あれば拾う音あり」
「それ、神でしょ?」
「うん。ジャズの神様」

真面目なのかジョークなのか、光の会話にはとにかく振り回される。
けれどジャズの弾き方は、これまで知らなかったことばかりで勉強になった。

「あ、ちょっと掴めたかも。こういうこと?」

アクセントを裏拍で意識して弾いてみる。

「おおー、近いな。それがもうちょっとこなれた感じになると良き」
「わかった。お風呂上がりにビール飲んで、ヘベレケになって弾いたらいいかも」
「小夜、お前独特だな」
「光くんほどじゃないから」

毎日そんな調子の二人に、店長がニヤニヤしながら尋ねた。

「ね、小夜と光くんってつき合ってるの?」
「そうっすよ」

バカ!と小夜は慌てて否定する。

「まさかそんな。違いますよ」
「別にいいじゃん。つき合ってるように見えたらつき合ってるで」
「よくない! 私はもっと真面目な性格なの」
「小夜、誰か好きなやつでもいるのか?」
「いないけど……。でもだからって、つき合ってもない人と噂になるのは嫌」
「ふーん、変なの」
「どこがよ!?」

すると光は、グイッと顔を寄せてきた。

「じゃあさ、たとえばよ? 『小夜ってA子ちゃんと仲いいよね。友だちなの?』って聞かれたとするよ」
「誰? エイコちゃんって」
「いや、たとえばだから。でさ、そう聞かれたら小夜は今みたいに必死で否定するわけ? まさかそんな、違います! って」
「本人の前なら、それはさすがに失礼でしょ」
「ちょっと! 今まさに俺に同じセリフを言っといて、なにを言う」
「彼氏と友だちは、重みが違うもん」
「それがわかんない」

そう言うと光は両腕を組む。

「友だちと比べて、恋人になる時のハードルが一気に高くなるのはなんで? 別にいいじゃん、軽くつき合い始めれば。上手くいくかどうかなんて、実際につき合ってみないとわかんないでしょ?」
「それはまあ、そうだけど」
「他に好きな人がいるんなら断るのもわかるよ。けどそうじゃないなら、なんで断るのか意味不明」
「うーん、一人になりたいから、とか?」
「修行僧かよ!? それにさ、友だちは『俺とお友だちになってください、お願いします』とかって言わなくても自然となってるもんだろ? それなら恋人もそれでいいじゃん」
「えー、お友だちから始めましょうってパターンもあるよ?」
「小夜、婚活パーティーに行き過ぎ」
「行ってないわよ!」

まあまあと、二人の間に店長が割り込んだ。

「仲がいいのか悪いのか……。どっちでもいいけどさ、仕事ではちゃんと協力し合ってよね」

はーい、と二人で返事をする。
小夜は早速、光に指示した。

「じゃあ光くん、そのおっきなダンボールあっちに運んで」
「おい、協力し合うんじゃないのかよ」
「あら、あなたアメリカ帰りでしょ? 向こうでは女子に力仕事させて平気なの? 男がすたるって白い目で見られるわよ?」
「ここ日本だし」
「ヘリクツ!」

こーら!と、またしても店長が遮った。

「まったくもう。中学生みたい」

両手を腰に当ててため息をつく店長の視線の先で、小夜と光は小突き合いながらダンボールを運んでいた。



「小夜。俺もさ、ここの給料だけだと生活苦しいから、演奏させてくれるところ探したいんだ」

いつものように閉店後の店内で、光が真剣に切り出した。

「そっか、そうだよね。うーん、でもジャズの世界は私もあんまりツテがなくて。やっぱりライブハウスとかじゃない?」
「そうだよな。それにしても俺、今の日本の音楽事情がよくわかんなくて。一応、流行りの曲なんかは検索してみたけど、実際のところどんな曲をどこで弾けば喜ばれるのか、いまいちわかんない」
「なるほどね。でもそれは私も同じだったよ。私が演奏してるあのバーは、五十代とか六十代の男性客が多くて、こういう曲が喜ばれるなってわかるまで時間かかったし。この路線でいいよってマスターに認めてもらえて、今も続けさせてもらってる。だけど客層が代わればいつクビになるかわからない。残念ながら、今の日本はまだまだ音楽で生活するのは大変だよ」
「確かに。俺もさ、変なこだわりとかポリシーは捨てて、ある程度柔軟にやっていかなきゃと思ってる。ジャズしか弾かねえ、なんて大口叩いて通用するほど上手くないし」

ええ?と小夜は驚く。

「光くんがそんな弱気なこというの、初めて聞いた」
「弱気じゃなくて、事実だろ。音楽だけで食べていけて、ましてやCD出したりコンサート開いたりできる人間なんて限られてる。自分にもできる、なんて勘違いするほどバカじゃないよ、さすがの俺も」

光の言葉に、小夜は口を閉ざしてうつむいた。

(音楽だけで食べていけて、CDを出してコンサートも満席にできる。そういう人なんだ、来栖さんは)

改めてそのことを思い出した。

「雲の上の存在だよね、そういう人って」
「ああ、そうだな。音楽の神様に愛された、ごくごくわずかな選ばれし者って感じ。住む世界が違うよ」
「そうだよね。接点なんてなにもない」
「そっ。俺たち凡人は凡人同士、肩寄せ合って生きていこうぜ」
「そうだね。ホテルのスイートルームなんて、絶対に泊まれない」
「なに、小夜。スイートルームに泊まりたいのか?」
「ううん、普通にスイートルームに泊まる人とは感覚も違うだろうなって」

そうだ、きっとあの人とはなにもかもが違い過ぎる。
今でもバーでピアノを弾いていると、ふと彼の演奏を思い出すことがあった。
だがもう完全に忘れなければ。
やはりあの夜のできごとは、ブルームーンが作った幻のひとときだったのだ。
大丈夫、こうやって日常生活を送っていれば、時間と共に思い出さなくなる。

うつむいてじっと考えていると、光がそっと顔を覗き込んできた。

「小夜?」
「ん?なに」
「いや、なんかどっかに行きそうな気がしたから」
「え? どこかって、どこへ?」
「俺の手の届かないところ」
「えー、なんで? 私、凡人だよ? 牛丼チェーン店界隈にいるって」

光は一瞬ポカンとしてから笑い出す。

「はははっ! なにそれ」
「まあ、つまり凡人エリアってこと」
「なるほどね。俺と小夜はご近所さんって訳だ」
「そう。平々凡々町内会」
「ぶはっ! 今でもあるのか? 町内会って」
「あるよ。はい、回覧板」
「懐かしっ!」

互いに顔を見合わせて笑う。
この空気感がちょうどいい。
私のいるべき場所はここなんだ。
小夜は自分にそう言い聞かせていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

Lucia(ルシア)変容者たち

おまつり
恋愛
 人は、ときに自分の中に「もう一人の自分」を抱えて生きている。  それがもし、感情の揺らぎや、誰かとの触れ合いによって、男女の姿を入れ替える存在だったとしたら――。  カフェ『リベラ』を営むリアと、雑誌編集者の蓮。  二人は、特定の感情を抱くと性別が変わる「性別変容者」だった。  誰にも明かせない秘密を抱えながら生きてきた彼らは、互いの存在に出会い、初めて“同類”として心を通わせていく。  愛が深まるほど、境界は曖昧になる。  身体と心の輪郭は揺らぎ、「自分とは何者なのか」という問いが、静かに迫ってくる。  一方、過去に囚われ、自分自身を強く否定し続けてきたウェディングプランナー・景子と、まっすぐすぎるほど不器用な看護学生・ユウ。  彼らもまた、変容者として「変わること」と「失うこと」の狭間で、避けられない選択を迫られていく。  これは、誰の記憶にも残らないかもしれない“もう一人の自分”と共に生きながら、 それでも確かに残る愛を探し続けた人々の、静かなヒューマンドラマ。 ※毎日20時に1章ずつ更新していく予定です。

ホストと女医は診察室で

星野しずく
恋愛
町田慶子は開業したばかりのクリニックで忙しい毎日を送っていた。ある日クリニックに招かれざる客、歌舞伎町のホスト、聖夜が後輩の真也に連れられてやってきた。聖夜の強引な誘いを断れず、慶子は初めてホストクラブを訪れる。しかし、その日の夜、慶子が目覚めたのは…、なぜか聖夜と二人きりのホテルの一室だった…。

雨の日にやさぐれお姉さんを拾ったと思ったら胃袋も心も掴んでくるスーパーお姉さんだった

九戸政景
恋愛
新人小説家の由利美音は、ある日の夜に一人の女性を拾う。太刀川凛莉と名乗る女性との共同生活が始まる中、様々な出会いを果たしながら美音は自身の過去とも向き合っていく。

久我くん、聞いてないんですけど?!

桜井 恵里菜
恋愛
愛のないお見合い結婚 相手はキモいがお金のため 私の人生こんなもの そう思っていたのに… 久我くん! あなたはどうして こんなにも私を惑わせるの? ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ʚ♡ɞ━━ 父の会社の為に、お見合い結婚を決めた私。 同じ頃、職場で 新入社員の担当指導者を命じられる。 4歳も年下の男の子。 恋愛対象になんて、なる訳ない。 なのに…?

生贄巫女はあやかし旦那様を溺愛します

桜桃-サクランボ-
恋愛
人身御供(ひとみごくう)は、人間を神への生贄とすること。 天魔神社の跡取り巫女の私、天魔華鈴(てんまかりん)は、今年の人身御供の生贄に選ばれた。 昔から続く儀式を、どうせ、いない神に対して行う。 私で最後、そうなるだろう。 親戚達も信じていない、神のために、私は命をささげる。 人身御供と言う口実で、厄介払いをされる。そのために。 親に捨てられ、親戚に捨てられて。 もう、誰も私を求めてはいない。 そう思っていたのに――…… 『ぬし、一つ、我の願いを叶えてはくれぬか?』 『え、九尾の狐の、願い?』 『そうだ。ぬし、我の嫁となれ』 もう、全てを諦めた私目の前に現れたのは、顔を黒く、四角い布で顔を隠した、一人の九尾の狐でした。 ※カクヨム・なろうでも公開中! ※表紙、挿絵:あニキさん

ベンチャーCEOの想い溢れる初恋婚 溺れるほどの一途なキスを君に

犬上義彦
恋愛
『御更木蒼也(みさらぎそうや)』 三十歳:身長百八十五センチ 御更木グループの御曹司 創薬ベンチャー「ミサラギメディカル」CEO(最高経営責任者) 祖母がスイス人のクオーター 祖父:御更木幸之助:御更木グループの統括者九十歳 『赤倉悠輝(あかくらゆうき)』 三十歳:身長百七十五センチ。 料理動画「即興バズレシピ」の配信者 御更木蒼也の幼なじみで何かと頼りになる良き相棒だが…… 『咲山翠(さきやまみどり)』 二十七歳:身長百六十センチ。 蒼也の許嫁 父:咲山優一郎:国立理化学大学薬学部教授 『須垣陸(すがきりく)』 三十四歳:百億円の資金を動かすネット投資家 ************************** 幼稚園教諭の咲山翠は 御更木グループの御曹司と 幼い頃に知り合い、 彼の祖父に気に入られて許嫁となる だが、大人になった彼は ベンチャー企業の経営で忙しく すれ違いが続いていた ある日、蒼也が迎えに来て、 余命宣告された祖父のために すぐに偽装結婚をしてくれと頼まれる お世話になったおじいさまのためにと了承して 形式的に夫婦になっただけなのに なぜか蒼也の愛は深く甘くなる一方で ところが、蒼也の会社が株取引のトラブルに巻き込まれ、 絶体絶命のピンチに みたいなお話しです

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

【短編集・中華後宮】愛されない貴妃の、想定外の後宮譚 ほか

秦朱音|はたあかね
恋愛
【中華後宮モノの短編を短編集にまとめました】 ーーー ▼短編①「愛されない貴妃の、想定外の後宮譚」 幼馴染として育った皇帝の後宮に入って三年。 曹 春麗(そう しゅんれい)は、初恋の相手だった皇帝陛下からは一度も寵愛を受けたことがなく、寂しい毎日を過ごしていた。 ある日春麗は臥せった皇帝陛下を見舞おうと、皇帝の住まいである龍和殿を訪れる。そこで見たのは、思いもよらない呪いに侵された幼馴染の姿だった―― ▼短編②「梅折りかざし、君を恋ふ 〜後宮の妃は皇子に叶わぬ恋をする〜」 ――皇帝に仕える後宮妃は、皇子に叶わぬ恋をした。 親子ほどに年の離れた皇帝に仕える後宮妃・張 琳伽(ちょう りんか)は、皇帝の崩御により後宮を去ろうとしていた。 皇帝から寵を得て徳妃まで昇り詰めた琳伽だったが、どうしても忘れられないのは梅華殿で過ごした十代の日々。 あの頃内院に咲く梅の花を、かんざしに見立てて贈ってくれた皇子。彼は新皇帝として即位し、前皇帝の妃嬪が去った後に、新しく後宮を構えようとしていた。 ーーー ※中華後宮を舞台にした短編を集めました ※どちらかというとシリアスな内容ですが、ハッピーエンドです。 ※過去の短編を短編集にまとめるための再投稿です。既読の方がいらっしゃったら申し訳ありません。

処理中です...