アンコール マリアージュ

葉月 まい

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こんな偶然ありますか?!

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 「…はあ」

 会社の寮に帰ってくると、真菜はボスッとベッドにうつ伏せに倒れ込んだ。

 「なんだったんだろう、今日は…」

 朝、この部屋を出る時は、頑張ってご成約頂くぞ!と意気込んでいたっけ。

 それがなぜか、ウェディングドレスを着てバージンロードを歩き、皆が見ている前で知らない人とキスをするはめになったのだ。

 (しかもあれが私の…ファーストキス)

 じわっと目に涙が浮かんでくる。

 昔から人一倍結婚式への憧れが強く、それが高じてこの仕事を選んだ。

 ウェディングドレスは、一生に一度。

 自分の時はどんなドレスにしようかと、結婚情報誌やドレスのカタログを眺めては、気に入ったものを切り抜いて集めていた。

 新郎には事前にドレス姿を見せず、チャペルに父親と入場する時に初めてお披露目しようかな、とまで考えていたのだ。

 そんな夢も、今日1日でガラガラと崩れたような気がする。

 (仕事なんだから、仕方ないじゃない。それに、自分の結婚式はまた別。その時は、こだわりのドレスを着たらいいんだから)

 そう言って己を慰める。

 だが、どうしても立ち直れない事実が1つ…。

 どこの誰とも分からない、会ったばかりの人にファーストキスを奪われてしまった事だ。

 思い出しただけで、顔が赤くなる。

 と同時に、なんだか腹が立ってきた。

 「ファーストキスだって、私の理想があったのにー!綺麗な夜景が見える、海沿いのみなとみらいの観覧車の中で、ちょうど1番高い所に来た時に、そっと肩を抱かれて…って」

 ファーストキスは、やり直せないんだからねー!と、手足をバタバタさせながら布団に顔を押し付けて叫ぶ。

 (大体あの人、誰だったんだろう…)

 完璧に新郎役をこなした、あの長身の男性を思い出す。

 模擬挙式のあと控え室で呆けていると、久保がやって来て真菜を労った。

 「よくやってくれたわ!このあとは、裏方の業務だけやってくれればいいから」

 そう真菜に言ったあと、新郎役の男性に頭を下げていた。

 「急な事とはいえ、上司の方にこのような役をお願いするなど、大変ご迷惑をおかけしました。引き受けていただき、本当にありがとうございました」

 そして、清水様の接客があるからと、久保は早々に控え室を出て行った。

 男性は更衣室でスーツに着替えると、衣裳を希に渡して無言で出口に向かう。

 ありがとうございました、と頭を下げる希に続いて、真菜も立ち上がって礼を言った。

 ふう、とひと息つくと、希は真菜の髪からたくさんのピンを外しながら、いきさつを話し始める。

 あの時、誰でもいいから新郎役を!とオフィスに飛び込むと、ちょうどエリア統括マネージャーがブライダルフェアの様子を見に来ており、隣に立っていた如何にもイケメンのあの男性に白羽の矢が立ったらしい。

 「もうさ、一分一秒を争う感じだったじゃない?だから、とにかく着替えてください!事情はあとで話します!って、強引にお願いしたの」

 模擬挙式の新郎役をやって欲しいと告げると、エリア統括マネージャーは慌てて止めようとしたが、その男性はひと言、分かったと頷き、すぐさま着替えてチャペルに走ってくれたらしい。

 「エリア統括マネージャーと一緒にいたって事は、本部の方でしょうか?」

 真菜が聞くと、希は頷く。

 「そうだと思う。でも今まで見たことない顔だから、どこか違うエリアにいたマネージャーかもね。ほら、来月、人事異動あるし」
 「なるほど。じゃあうちのエリアのマネージャーが、あの人になるかもしれないって事ですか?それで下見に来られたとか」
 「分からないけどね。正式な発表もまだだから、聞いても答えてくれないだろうし」

 うーん…と真菜は考え込む。

 (また顔を合わせる事になるのかな…。なんだか気が重いな。あの人、どことなく近寄り難い雰囲気だったし。でもエリア統括マネージャーなら、普段は本社にいるし、そんなしょっちゅうここには来ないか)

 そうこうしているうちに、希が真菜の髪型を編み込みで整えてくれ、二人はオフィスに戻った。

 だが、あの男性とエリア統括マネージャーの姿はすでになかった。

 (結局名前も分からず仕舞いか…)

 今日のブライダルフェアは、15組中10組のご成約を頂くという好成績。
 久保はもう喜びに浮かれっぱなしで、マネージャーの事は話題にもならなかった。

 (とにかく、フェアが大成功だったのは本当に良かったなあ。はあ、疲れた。明日は挙式もあるし、早くお風呂に入って寝よう…)

 真菜は、ノロノロとベッドから降りた。

*****

 数日後、ブライダルフェアの成功を祝おうと、仕事終わりに飲み会が開かれた。

 その日は平日で挙式もなく、オフィスで事務作業をしたり、見学のカップルにプランの説明や施設の案内をしたりと、比較的穏やかに仕事を終えた。

 私服に着替えると、皆で歩いて中華街に向かう。

 フェリシア 横浜がある元町からは、徒歩15分程で中華街に着く。

 久保は、個室を押さえてくれていた。

 「ではでは、色々ありましたが、ブライダルフェアの成功を祝して…」
 「かんぱーい!」

 あちこちでグラスを合わせる音がする。

 ひと口飲むと、一斉に拍手で互いを労った。

 「いやー、モデルさん来なくて一時はどうなる事かと思ったけど、なんとか乗り切って、結果オーライだったね」
 「ほんと。しかも、たまたまあのイケメンの人がいてくれて、良かったよねー」
 「そうそう!お客様、うっとり見惚れてたよね」
 「この時期に2/3の割合でご成約取れたのは、あのかっこいい新郎役のおかげよねー」

 美味しいお酒と中華料理を食べながら、皆はワイワイと盛り上がる。

 すると向かい側に座った希が、ふと真菜に声をかけてきた。

 「ね、真菜。大丈夫だったの?ほら、挙式の時の誓いのキス」
 「ゴホッ!そ、それは…」

 思わず真菜は、飲んでいたビールにむせ返る。

 (あー、せっかく忘れてたのに。思い出しちゃったよー)

 ハンカチで口元を押さえながら、ふうと真菜がため息をつくと、希は、やっぱりと呟く。

 「真菜、本当はほっぺにしてもらうつもりだったんでしょ?だからびっくりしたのよ、私。でも、あのキスであの場にいた女の子達、みんなうっとりしてたわよ」
 「そ、そうですか」

 真菜は、自分の顔が真っ赤になるのが分かった。

 「んー、とにかくお疲れ様!良く頑張ってくれたよ」

 希の言葉に、はあ…と頷く。

 「フェアが成功してくれて、本当に良かったです」
 「そうね。みんなはあの新郎のおかげだなんて言ってるけど、私は誰よりも真菜のおかげだと思ってるよ。ありがとう」
 「希先輩~」

 不覚にも、真菜の目から涙が溢れる。

 「わ!ちょっと、泣かないでよ。ね?今日はもうジャンジャン飲みな!」

 希にビールを注がれ、ゴクゴクと飲み干した時、写真事業部に所属するカメラマンの拓真たくまがやって来た。

 真菜とは同い年の同期入社で、関東エリアのあちこちの式場で、カメラマンとして働いている。

  基本的にはフェリシア 横浜を拠点にしており、真菜とも気心の知れた仲だ。

 「真菜、ほら。この間の模擬挙式の写真、やるよ」

 そう言って、厚みのある封筒を真菜に差し出す。

 「へえー、どれどれ?」

 希も身を乗り出して覗き込んできた。

 封筒から写真を取り出してみると、ウェディングドレス姿の真菜が、様々なアングルで写っていた。

 バージンロードを歩く後ろ姿、うつむき加減の横顔のアップ、指輪の交換やベールアップの瞬間。

 何枚かの写真をめくってから、真菜は手を止めて拓真を見る。

 「も、もしかして拓真くん。このあと、撮ってないよね?」
 「このあとって?」

 どこかとぼけた表情をする拓真に、真菜は嫌な予感がした。

 「そりゃ、ブライダルカメラマンですからねー。決定的瞬間は逃してませんよー」

 嫌な予感が確信に変わり、真菜は写真を封筒にしまう。

 「お?なんだ、見ないのかよ?」
 「はい、それは、その。お見せする程の物ではありませんので」
 「なんだよー。天才カメラマンの拓真様の写真だぞ?良く撮れてるのに」

 まあまあと、希が二人の間に割って入る。

 「真菜、家に帰ってからゆっくり見なさいよね。ほら、天才ぽんこつカメラマンの拓真はビールでも飲んで」
 「はいー?希先輩、なんか今、変なひと言挟みました?」
 「挟んでないよー、褒め称えただけよー」

 二人のやり取りを聞きながら、真菜は写真をそっと鞄にしまった。

*****

 (うー、結構飲んじゃったな)

 ふわふわする足取りでなんとか寮に戻り、202と書かれたポストを開けて中身を取り出した真菜は、階段で2階へ上がる。

 鍵を開けて部屋に入ると、手にしていた封筒をテーブルに置いてベッドに座った。

 (ふう。今日も早めに寝よーっと)

 足元に置いた鞄から、ミネラルウォーターのボトルを取り出そうとした時、ふと拓真にもらった写真が目に入った。

 家に帰ってからゆっくり見なさいよね、という希のセリフを思い出し、そっと残りの写真をめくってみる。

 ベールアップのあと、新郎が真菜の両肩に手を置き、見つめ合っている写真。

 そしてその次は。

 そっと目を閉じた真菜に、首を傾げながら優しくキスしている新郎…

 一瞬、雑誌の切り抜きかと思ってしまう程、絵になる1枚だった。

 けれど写っているのは確かに自分だ。

 (はあー。どうすりゃいいのさ、こんな写真)

 酔っていなければ、見る勇気も出なかったかもしれない。

 (拓真くんが撮ってくれたものだから、捨てる訳にもいかないし…。とにかく、封印だな)

 頷いて写真を引き出しにしまうと、テーブルの上の封筒を手に取り、封を手でビリッと破る。

 (会社からの手紙か。何だろう)

 会社のロゴマークが入った封筒から手紙を取り出すと、三つ折りの紙を開いた。

 (ありゃ、ちょっと破けちゃった。ま、いいか)

 手で乱暴に封を開けた時に、中の手紙も少し破ってしまっていた。

 (えーっと、なになに。住所変更手続きのお知らせ…。ん?私、住所変更なんてしたっけ?)

 おかしいな…と、真菜はもう一度封筒を見てみた。

 宛先は、確かにこの寮の住所になっている。

 (名前もちゃんと、齊藤 真…。え?真菜の菜がない?書き忘れちゃったのかしら。部屋番号も二〇二だし…。いや、違う!三〇二だ!)

 ど、どういう事?と、真菜はしばし呆然とする。

 お酒のせいか、頭が上手く働かない。

 (えっと、この手紙は、三〇二号室の齊藤さん宛ってこと?それを郵便屋さんが、二〇二の齊藤と間違えた…)

 なるほど、それなら頷ける。

 大体、この齊藤という漢字も珍しい上に、部屋番号も紛らわしい。

 おまけに下の名前まで酷似している。

 (齊藤 真さん?私と1字違いなんて、そんな事あり得る?凄い偶然の重なり)

 とにかく、それが本当なら自分は他人宛の封筒を開けてしまったのだ。

 (しかも、こんなビリッと)

 謝りに行くしかない。

 真菜は、大きく息を吐いてから立ち上がった。

*****

 ピンポーン、というインターホンの音を聞きながら、302号室の前で、真菜は深呼吸して気持ちを落ち着かせる。

 すでに夜の9時半を過ぎており、こんな時間に訪問する事もためらったが、事情が事情だけに早い方がいい。

 それにここは、会社の寮だ。
 相手も同じ会社で働いている同僚なのだと思うと、少しは気が楽になった。

 「はい」

 インターホンから聞こえてきた低い声に、思わずゴクッと唾を飲み込んでから、真菜は恐る恐る話しかける。

 「あの、夜分遅くに申し訳ありません。私、202号室の者なのですが、間違ってうちのポストにこちら宛の封筒が入っていまして…それで」
 「ああ、だったらそこのドアポケットに入れておいてください」
 「あ、はい。そうしたいのは山々なのですが、のっぴきならない事情でそうもいかず…」
 「はあ?」

 あからさまに不機嫌そうな声がしたあと、ちょっと待って、と通話が切れた。

 「は、はい」

 もう聞こえていないだろう相手に返事をして、言われた通りに待っていると、ガチャッと玄関のドアが開いた。

 真菜はすぐさま頭を下げる。

 「こんな時間に申し訳ありません。封筒の宛名をきちんと確かめずに封を切ってしまいました。中の手紙は読んでおりません。あ、見出しの部分だけは、読んでしまいました。それと、あの、封を手で切ったものですから、少し中の手紙も破けてしまって。本当に申し訳ありません」

 とにかく下を向いたまま封筒を差し出すと、無言のまま受け取られた。

 カサッと手紙を取り出して、目を通したらしい相手がようやく口を開く。

 「分かった。大した内容の手紙じゃない」
 「あ、そうですか。良かったです」
 「それにしても、酷い破き方だな。O型か?」
 「いえ、それがビックリまさかのA型でして…」
 「こんなA型いるのか?そもそも、中の手紙まで破る開け方するやつなんて、見たことない」
 「そうですか。私はいつもこの開け方でして、中身を破く事にも慣れておりますけど」
 「凄い人種がいたもんだな」
 「幻の珍獣に出会った感じですかね?以後お見知りおきを…」

 ひたすら身を縮こませていた真菜は、急に聞こえてきた笑い声に驚いて顔を上げる。

 「お前、相当おもしろいな」

 ずっと低い声で威圧的に話していた相手が、可笑しそうに笑っていた。

 その姿にホッとした真菜は、次の瞬間、あー!と大きな声を出した。

*****

 「はい、コーヒー」
 「あ、ありがとうございます」

 テーブルにカップを置かれ、真菜は恐縮して頭を下げる。

 「少しは落ち着いたか?」

 向かい側の椅子に座りながらそう声をかけてくる男性に、真菜は、はいと頷きながら、ちらりと顔を覗き見る。

 (やっぱり、あの時の新郎役の方だ)

 先程、玄関先でそれに気付き、大声で騒いでしまったものだから、とにかく入れ!と部屋の中に入れられてしまったのだ。

 伏し目がちにコーヒーを飲んでいる整った顔立ち、長いまつ毛や額にサラッとかかる黒髪を見ても、先日の新郎に間違いない。

 「それで、俺が何だって?あの時のって、どの時だ?」

 やがて顔を上げると、真っ直ぐに真菜を見つめて問いかける。

 どうやら、あの時の方ですよね?!と騒いだ真菜の言葉に心当たりがないらしい。

 つまり、覚えていないのだろう。

 「あ、はい。私、フェリシア 横浜でウェディングプランナーをしている齊藤と申します」
 「ん?齊藤?もしかして…」
 「あ、そうです。この漢字です」

 そう言って真菜は、テーブルに置かれていた例の封筒の宛名を指差す。

 「へえー、部屋番号も似てる上に名字の漢字も同じだったのか」
 「はい。更に申し上げますと、下の名前も似ています。私は真菜と言いまして、この一文字目が同じ漢字です。私はそこに、菜の花の菜が付きますが」
 「ええ?!」

 男性は、マジマジと封筒を見る。

 「そりゃ間違うわ」
 「ですよね。むしろ、今までよく間違えなかったなって、郵便屋さんを褒めたいくらいです」
 「あー、それはそうでもないな。俺は1週間前にここに越して来たばかりだから。それに、これが初めて届いた郵便だ」

 そう言ってから、ふと真菜を見る。

 「間違えてそっちに入れられてなければ、だが」
 「だ、大丈夫です。これ以外はありません。多分…」
 「多分?!」
 「えっと、ちょっと自信がなくて…。宛名なんていちいち確認しないし。でも最近はDMとかしか届いてなかったから、大丈夫かと」
 「ふっ、まあいいや。それで?」
 「は?それでって?」

 何の事かと、真菜はポカンとする。

 「だから話の続き!フェリシア 横浜の齊藤さんがどうしたの?」
 「え!齊藤さん、フェリシア 横浜に来るんですか?やっぱり人事異動で?」
 「は?もう何言ってんの。齊藤さんって君だろう?」
 「あ!そうですよね、私の話ですよね」

 すみません、と肩をすくめる。

 どうやらまだ酔いが回っているらしい。

 「先日、フェリシア 横浜でブライダルフェアがあったんですが、モデル事務所がダブルブッキングしてしまって、新郎新婦役のモデルさん達が来なかったんです。それで急遽私が新婦役をやって…」
 「あー!君、あの時の?」
 「はい、そうです」

 どうやら思い出してもらえたようで、ホッとする。

 「へー、なんか別人だな。全く気付かなかった」
 「それは、あの時のメイクさん、スゴ腕の持ち主でして…。あの、とにかく本当に助かりました。ありがとうございました」

 改めて頭を下げると、男性は、顎に手をやってじっと何かを考え始めたようだった。

 「あ、あの、何か?」
 「今回は、たまたまどうにかなったが、同じミスがあってはならない。その後、何か対策は?」
 「あ、はい。今までモデル事務所とは、電話でやり取りしたあと、確認の為FAXで依頼書を送っていました。そしてその内容でOKなら、了承のハンコを押してFAXバックしてもらい、それが届いた時点でやり取りは終了。あとは当日モデルさん達が来店してくれる流れでした。ですが今後は、前日に確認の電話をモデルさん本人に入れることになりました。入り時間や場所の確認も、直接本人とやり取りするようにと」
 「なるほど。それは本部にも報告してあるのか?」
 「そのはずです。店長が報告書をまとめていましたし、他店とも共有するとお話しされていました」
 「分かった」

 そう言って頷いた男性は、急にふと我に返ったように慌て始めた。

 「すまなかった。仕事中でもないのに、こんな話…」

 いえ…と首を振ってから、真菜はどうにも気になって聞いてみる。

 「あのー、やっぱり齊藤さんは…、あ!あの私じゃなくて、あなたの齊藤さんですが」
 「ぶっ!あなたの齊藤さん?」

 ははっと笑ってから、真顔に戻って真菜を見つめる。

 「まことだ」
 「え?」
 「俺の名前」
 「あ、そっか、真さん」
 「それで?俺が何だって?」
 「えーっと、あ、そうそう。やっぱり真さんは、本部の方なんですか?先日、エリア統括マネージャーと一緒にいらしたから、ひょっとして人事異動で次のマネージャーさんになるのかなって。でも正式な発表までは、教えられないですよね。聞き流してもらっていいです。気にしないでくださいね」

 一人で完結してコーヒーを飲んでいると、真がゆっくり話し出した。

 「4年間、海外事業部にいたんだ。帰国したばかりで、この寮に入った。4月からは本社勤務になる」
 「え?本社って東京ですよね?この寮から通うんですか?」
 「いや、ここにはそう長くはいない。しばらく横浜エリアの式場を見て回ろうと思って、その間の仮住まいだ」
 「なるほど。そうですよね、本部の方がこんな単身寮には住まないですよね」
 「でも場所は気に入っている。横浜はいいな」
 「ですよね!海も近いし、東京ほど混雑してないし」
 「ああ。都内に住もうかと思っていたが、横浜から通うのもアリかも」
 「うんうん。ぜひ横浜に!って、私、親善大使でも何でもないですけど。でも本当にいい所ですよね。横浜に配属されて良かったなー、私。フェリシア 横浜も、凄く気に入っていて大好きなんです。アニヴェルセル・エトワールの他の式場も行ったことありますけど、やっぱりお花がいっぱいのフェリシア 横浜が1番好きー」

 そう言って、ふふっと笑顔を向けると、真は一瞬驚いたような表情をしてから、すぐに目を逸らした。

 「フェリシア 横浜で、いつか愛する人と結婚式を挙げたいなー。一生に一度のウェディングドレス姿を、大好きな人に式で初めて見せるの。誓いの言葉なんて、きっと泣いちゃうー。ベールを上げて見つめ合ったら…キャー!もう想像しただけで鼻血が出そう~」
 「おい、出すなよ」
 「出しませんよー。大好きな人にしか出ませんからー」
 「それもどうかと思うが?」
 「安心してください。真さんには出しません」
 「そりゃどうも…って、お前、さては酔ってるな?」
 「えー?今頃気付いたんですかー?酔いまくってますよー」
 「さっきまで普通だったのに、なんだ急に?とにかく帰れ。ここで寝るなよ」
 「寝ませんよー。愛する人の腕の中でしか眠れないんです、私って」
 「そう言って机に突っ伏すな!寝る気だろう!」
 「だーかーらー、真さんの腕の中では、眠れませんよー」
 「机の上なら寝るのか。おい!起きろー!」

 そして強引に腕を取られ、ふらつく足取りで階段を下りるのを支えられながら、なんとか真菜は自分の部屋にたどり着いて、バタッとベッドに倒れ込んだ。
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