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これが同棲というものですか?!
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次の日の朝、出勤した真菜は、久保や梓達に取り囲まれる。
「真菜!一体、昨日のあれはどういう事?」
「は?昨日のあれって?」
「専務よ専務!」
「専務?って誰ですか」
「何とぼけてんのよー」
皆から責められ、真菜は困惑する。
「いや、あの、何の事やら」
「とぼけたって無駄よ。みんな知ってるんだから」
「え?何を?」
「だーかーら!昨日、いきなり専務が現れて、真菜は?って」
「キャー!そうそう、真菜は?って呼び捨てにしてた」
ん?と一瞬考えたあと、あ!と真菜は声を上げた。
「専務!そうだ、思い出した、専務だったんだ」
「え、何?」
今度は皆が困惑した時だった。
「真菜先輩!」
胸に書類を抱えた美佳が、真菜に近付いて来た。
「おはようございます。あの、昨日の園田様・上村様の打ち合わせ内容の確認、お願いしてもいいですか?」
「あ、そうね。ごめんね、昨日確認せずに帰っちゃって。サロンの方でやろうか」
そう言って真菜も資料を取り出し、美佳と二人でサロンに向かう。
「あ~あ、結局聞きそびれちゃった…」
梓が残念そうに呟いた。
*****
他には誰もいないサロンの1角で、真菜と美佳は、昨日打ち合わせした内容を確認していく。
「えっと、招待状のデザインと文面はこれで決定。あとはお二人が、ご自分で宛名書きして発送するって事だったわよね」
「はい。今日中に招待状の発注かけます。仕上がりは2週間後なので、次回の打ち合わせでお二人にお渡し出来ますね」
「そうね。あとは、新郎様からご質問があった後撮りの件…」
そう言って真菜は、昨日お二人にも渡したフォトプランの資料のコピーを取り出す。
「挙式当日が雨だった場合、後日、後撮りをしたいって事だったわよね?」
「ええ。でも、もし週間天気予報とかで、当日雨の可能性が高いと分かった場合は、前撮り出来ればと」
「そうそう。つまり、前撮りにしても後撮りにしても、直前予約って事になる。なので、挙式と同じヘアメイクやドレス、カメラマンが手配出来るとはお約束出来ないって話したわよね?」
「はい。資料にも書いてありますし、新郎様も、分かりましたとおっしゃってました」
「いずれにしても、挙式当日が晴れなら、問題ないもんね。晴れるといいなー」
そうですね、と頷いたあと、美佳は声をひそめて聞いてきた。
「ところで新婦様の様子、相変わらず無口なままですが、真菜先輩どう思われますか?梓先輩の仰る通り、望まない結婚なのでしょうか…」
うーん…と真菜は遠くを見ながら考える。
「私の感じた限りでは、望まない結婚ではないと思う」
「え、どうしてですか?私はやはり、どうしても新婦様がこの結婚に前向きだとは思えないのですが」
「そうねえ、確かに楽しみな様子には見えない。でも、新婦様は新郎様のこと、本当に好きなんだと思う。ドレスの試着の時ね、新郎様が、綺麗だって仰ったら、新婦様のお顔、ほんの少し赤くなったのよ」
「えー、知らなかったです。でも、じゃあどうしてあんなにいつも無口なんでしょう」
美佳の疑問は、真菜も感じていた。
「本当よねえ。単に、もの凄く人見知りな性格の方なのかも?ほら、お二人は子どもの頃からの幼なじみってお話だったでしょ?家も近所でって。合コンとかで知り合って結婚するタイプではないのね、きっと」
「うーん、そうなんですかねえ」
「まあ、これからも打ち合わせは続くし、少しずつでも私達に心開いて下さるといいね」
そう言って真菜が笑いかけると、美佳も、そうですねと頷いた。
*****
営業時間を過ぎ、書類の確認をしていた真菜は、デスクの上のスマートフォンにメッセージが届いた事に気付く。
あと20分程で着く、という真からのメッセージだった。
真菜はパソコンの電源を落とし、書類を片付けると、同じく残業していた久保に挨拶してロッカールームに向かう。
私服に着替えて表に出ると、やがて見覚えのある車が目の前に停まった。
「乗れ」
ドアを開けて、中からぶっきらぼうにひと言声をかけてくる真に、真菜は思わず吹き出す。
「お疲れ様です。失礼します」
そう言って、真菜が笑いを堪えながら乗り込むと、真は怪訝そうな顔を向ける。
「何がおかしい」
「いえ、そういう訳では。ちょっとおかしくて」
「お前のその言葉がおかしいぞ」
「そうですか?まあ、いいですけど」
変な生き物でも見るような顔をしたあと、真は膝の上のパソコンをいじり始めた。
寮に着くと、真と真菜はそれぞれ自分の部屋で荷造りを始める。
といっても、既に真はほとんどの荷物を移し終えていた。
真菜は、ひとまず次の休みの日までの荷物を、大きなバッグに詰めていく。
(3日後にお休みがあるから、取り敢えずその日までの分。えっと、2泊3日の旅行の荷物って感じでいいか)
貴重品を持ち、ガスの元栓を閉める。
「よしっ!と」
戸締まりを確認した時、コンコンとノックの音がした。
「準備出来たか?行くぞ」
真の声に、はーいと返事をして、真菜は部屋から出た。
*****
「うわー、広い!綺麗!素敵~」
真の新居に1歩足を踏み入れた真菜は、あまりの豪華さに感激した。
「凄い!夜景が、めちゃくちゃ夜景!」
「お前、日本語おかしくないか?」
荷物を床に下ろしながら、真が呆れたように言う。
「だって、冷静に話せないんだもん。こんな、まるで夢の世界…。見て!あっち、海が見えるよ。それに、あっ!観覧車も見える」
「いつまで窓にへばり付いてる気だ?」
「いつまででも~」
やれやれと、真はソファにドサッと身を投げる。
(取り敢えず、ここなら1人で帰って来るのも平気だろう。人通りの少ない道もないし、マンションのセキュリティーも万全だ。あとは、やはりあの新婦の様子をうかがうしかないか…)
ちらりと真菜に目を向ける。
子どものようにはしゃいで、窓の外に釘付けになっている真菜の笑顔に、真もふっと頬を緩めた。
*****
「お前の部屋はここ。ベッドやひと通りの家具は入っている。足りない物はあるか?」
「ええー!こんな広いお部屋を使ってもいいんですか?」
「ああ。だから、足りない物は?」
「ありません!ありませんとも!」
「そうか、なら自由に使え」
そう言って出て行こうとする真を、真菜が呼び止めた。
「真さん、本当にありがとうございます。何てお礼を言えばいいのか…。いつか必ずこのご恩はお返ししますので」
「そんな事は気にするな。会社の義務でもあるしな」
「え?」
「いや、まあいい。それより何か飲むか?」
「じゃあ、私がコーヒー淹れますね!」
二人でキッチンに行き、真新しいソファでコーヒーを味わった。
「そう言えば、お前、夕飯は?食べたのか?」
ふと思い出したように、真が真菜に聞く。
「残業中に、少しおにぎり食べました。真さんは?」
「俺は、まあいつも適当に、時々つまむ程度だが。何か食べるか?」
そう言って立ち上がると、冷蔵庫を開ける。
「秘書に頼んで、食材や惣菜を入れて置いてもらったんだ。んー、何だこれ?」
真菜も立ち上がって、真のもとへ行く。
「これは、パエリアみたいですね。このまま温めれば食べられます。こっちは、アクアパッツァかな?」
「何だって?」
怪訝そうな真に、真菜は思わず笑い出す。
「私がやりますから。真さんは座ってて下さい」
そう言って、キッチンの棚の中を確認すると、フライパンや調味料を取り出す。
「パエリアは、オーブンでもう少し焼き色付けようかなー。アクアパッツァも、オリーブオイルで少し炒めて…あ、白ワインがある!」
ひとり言を言いながら、手際良く準備すると、ダイニングテーブルに並べていく。
「はい!出来ました」
「はやっ、もう出来たのか?」
「仕上げるだけの簡単クッキングですから。さ、召し上がれ」
真菜は、食器戸棚をゴソゴソと探りながら、カトラリーを真の前に並べていく。
「お前は?食べないのか?」
「いただいてもいいですか?」
「もちろん。あ、ワインもあるぞ」
そして二人で乾杯する。
「うまい!レストランの料理みたいだ」
「本当ですね。秘書さん、きっと高級なお店で買ってくれたんでしょうね」
「いやー、でも単純に温めただけじゃないだろう?仕上げのひと手間があるからうまいんだ」
「うふふ、良かったです。でも、普通なら引っ越しの日はお蕎麦なのに、さすがは専務取締役ですね。庶民とは違います」
すると真は、お?と顔を上げる。
「お前、ようやく俺の役職名覚えたのか?」
「そうなんです!だから使いたくて。ね、専務!」
「やめろ」
「えー、何でですか?」
「何か嫌だ。それにお前、専務がどんな仕事をするのか、分かってないだろう?」
「え、そうですねー。デスクに座って、書類にハンコを押す仕事?」
はあ…、と真はため息をつく。
「もういい。黙って食べろ」
「ええー?どんな仕事なんですか?」
「どうせ言っても分からん」
「分かりますよー、教えてくたさいよー」
押し問答しながら食べ終えると、真菜はキッチンで洗い物をしてから、ソファに座って雑誌を読み始めた。
「何を読んでるんだ?」
真菜の分のコーヒーをテーブルに置きながら、真が隣に座る。
「あ、ありがとうございます」
そう言ってコーヒーをひと口飲んでから、真菜は真に雑誌を見せた。
「今日発売の、結婚情報誌です。私、毎月買ってるので」
「ああ、うちも載せてるやつか。でも、毎号ほぼ同じ内容だろ?」
「そうなんですけどね。見てるだけでも楽しいので、つい」
ペラペラめくっていたかと思うと、急に手を止め、ペンケースからハサミを取り出して切り抜き始める。
何をしているのかと真が黙って見ていると、やがて真菜は、雑誌の下に置いていたスクラップブックに、切り抜いた写真を貼り付け始めた。
「それは?」
「いいなと思った写真をまとめてるんです」
真に見えるように、真菜はスクラップブックのページをめくっていく。
「ドレスやヘアメイク、式場やチャペルの内装、テーブルコーディネート、引き出物、ウェルカムボードとか、参考になりそうなものを貼ってあります。写真のアングルとかも参考になるし…」
「ふーん。でも他はともかく、ドレスは衣裳事業部が仕入れてくるし、どうにもならんだろ?」
「そうなんですけど、ほら、ベールやアクセサリー、あとヘアメイクやブーケでもイメージ変わるじゃないですか?だから、自分の出来る範囲で工夫して、良いご提案を出来たらなって。感覚を養って、アイデアの引き出しを増やしておきたいんです」
へえーと真は感心する。
海外事業部にいた時も、しょっちゅう挙式に立ち会っていたが、そこまで細かく気にした事はなかった。
(女性社員は、みんなこんなふうに日々研究しているのだろうか。いや、ここまで熱心な社員は知らないな。ん?)
真は、テーブルにもう一冊スクラップブックがあるのに気付く。
「そっちは?」
「え、そっち?あ、これは…違うんです」
真菜は、慌ててもう一冊のスクラップブックを雑誌の下に隠す。
「何だよ、気になる」
そう言って手を伸ばす真から、真菜は必死で遠ざける。
「いいんです。これはお見せする程の物では…」
「ふーん…、そっか」
真が諦めてソファに座り直すと、真菜はホッとしてまた雑誌に目を通し始めた。
次の瞬間、いきなり真が真菜の手にした雑誌を持ち上げる。
「え、何?」
びっくりして顔を上げた真菜は、真の視線の先を追って、あ!と慌ててスクラップブックを胸に抱えた。
「…見たでしょ?」
真菜は真をじろりと睨む。
「見てないよ」
「嘘だー」
「見てない。見えただけだ」
「ほら!見たんじゃない」
真はボソッと、見えた表紙の文字を呟く。
「真菜のDream Wedding♡」
「もう!言わないで!!」
くくっと真は笑いを堪える。
聞くまでもない。
きっと自分の結婚式のイメージを膨らませて、色々な切り抜きを貼っているのだろう。
「楽しみだな、お前の結婚式」
真は、真っ赤な顔で頬を膨らませている真菜に笑いかけた。
*****
翌朝、いつも通り6時に起きた真は、着替えと洗顔を済ませてダイニングに向かう。
ドアを開けると、コーヒーの良い香りがした。
「おはようございます。今、朝食運びますね」
真菜がキッチンから声をかけてきた。
「秘書さんが買っておいてくれたクロワッサンと、あとは冷蔵庫の卵とチーズでオムレツにしました。それからサラダとヨーグルト」
真は、思いがけない朝食に驚く。
「朝からこんなに作ったのか?」
「作ったのはオムレツだけですよ?」
「だが、お前が俺の分まで作る必要はない。自分の朝食だけ気にしろ」
「いえ、私の方がご馳走になってるんです。昨日の夕食も、この朝食も。それにお部屋を使わせてもらってるのに、何もしないなんて…。せめて、このくらいはやらせてください。でないと本当に肩身が狭くて」
真は、少し考えてから口を開く。
「分かった、好きにしたらいい。だが、無理にやる必要はないからな」
「はい!好きにやらせていただきます」
真菜はにっこり微笑んだ。
*****
「じゃあ、これがお前の鍵だ。オートロックだから気を付けろよ。俺は帰りが遅くなるから、気にせず先に寝てろ」
「分かりました!行ってらっしゃい」
7時前に玄関を出る真を、真菜は笑顔で見送る。
「さてと。私はまだ時間があるし、食器洗いとお掃除しちゃおう!」
腕まくりして、てきばきと家事をこなす。
冷蔵庫の中を確認し、仕事帰りにスーパーで買う物を考える。
(この辺りってスーパーあるのかな?)
窓から見える景色を眺めてみる。
ここはみなとみらいのど真ん中。
高級ホテルや、ショッピングモール、ランドマークタワーが近くにある観光地だ。
真菜もこの辺りは良く知っているが、スーパーマーケットは見かけた事がない。
(このマンションの人、どこでお買い物してるんだろう?セレブの生活って謎だわー)
職場の近くに高級スーパーがある事を思い出し、そこで買い物をしてから帰ってこようと真菜は思った。
*****
夜の11時。
玄関を開けた真は、部屋にほのかな灯りを感じてホッとする。
(誰かのいる部屋に帰るなんて、何年ぶりだ?)
鞄を置くと、ネクタイを緩めながら椅子に座る。
(はあ、疲れた)
ここ最近、引っ越し作業や真菜を迎えに行く事で、仕事を早めに切り上げていた。
その分、今日は溜まった業務を一気にこなし、もはや身体はクタクタだ。
水でも飲もうと、ノロノロと立ち上がった時だった。
「お帰りなさい」
ドアが開いて、真菜がダイニングに入って来た。
「夕食は?ちゃんと食べましたか?」
「え、いや、まだ」
「じゃあ、軽く用意しますね。手を洗ったら座っててください」
そう言って真菜は、冷蔵庫を開けて、何やらキッチンで作り始めた。
昨日入居したばかりだというのに、もうどこに何があるのか把握しているようだ。
(俺なんて、まだ勝手が分からないのに)
そう思っていると、真菜はトレーに載せた料理を運んできた。
「はい。鯛茶漬けと、お漬物。あとは、私が夕飯に作った肉じゃがも少し。残り物みたいですみません」
「いや、ありがとう。いただきます」
真は少し戸惑いながら食べ始める。
「うん、うまい!」
そして一気にパクパクと食べていく。
「真さん、本当にいつも美味しそうに食べますね」
真菜が、ふふっと笑いかける。
「いやだって、うまいんだもん」
「ステーキばっかり食べてる人が、たまに牛丼食べたくなるってやつですかねえ」
「ん、何だそれ?」
「セレブあるある、です。もちろん私は庶民なので、逆にステーキ食べたいですけどね」
真菜の話を聞いているのかいないのか、真はあっという間に平らげてしまった。
「はー、うまかった」
「真さん、もう少しゆっくり食べてください。消化に悪いですよ?」
食後のお茶を出しながら真菜が言う。
「だって、箸が止まらなくてさ。それより、毎日俺の食事の事は気にしなくていいんだからな?」
「分かってます。好きにやってるだけですから」
「そうか、ならいいんだが…」
お茶をひと口飲んでから、真が話し始めた。
「お前、次の休みに、寮に荷物を取りに行くって言ってなかったか?」
「はい。明後日行ってきます」
「明後日か。じゃあ俺も一緒に行く。何時頃だ?」
「ええ?真さんはお仕事なんでしょ?私1人で行けますから」
「いや、俺も退去手続き残ってるんだ。部屋の鍵も返してないし。午前中でもいいか?その日は午後出勤にしておくから」
「あ、はい。それはもちろん。でも本当にいいんですか?」
「だから、俺だって用事があるんだってば!何度言ったら分かる」
真が鋭い目線を向けると、真菜は小さく、はいと頷く。
そして、何かを思い出したように口を開いた。
「あの、真さん」
「何だ」
「パンツ洗ってもいいですか?」
お茶を持つ手を止め、長い間固まったあと、はあー?!と大きな声で聞き返す。
「おまっ、何を言って…」
「だって、洗濯機使わせてもらってるから、ついでに真さんのタオルやシャツも一緒に洗ったんです。でも靴下はともかく、パンツはどうかなーって迷って…」
「洗ったのか?!」
「いえ、今日のところはやめておきました。そのまま、洗濯かごに入れてあります」
「ってことは、見たのか?」
「え?そりゃ、まあ」
真は、はあ…と深いため息をつく。
「お前、純情なんだか、ただの鈍感なのか、どっちなんだ?」
「え、私のこと?」
「そうだ、お前のこと!」
「私?って、普通の女の子です」
「嘘つけ!絶対普通じゃない」
「ひどーい!普通ですよ?強いて言うなら…『恋を夢見る可憐な乙女』ってとこですかね?」
ぶっと真はお茶を吹き出す。
「やだ!真さん、汚いってば」
真菜がティッシュを渡してくる。
「はあ、もう、お前といると色々調子が狂う。ほら、もう遅いんだからさっさと寝ろ」
「はーい。あ、パンツはどうします?」
「またその話か!」
「だって、返事してくれてないし」
「あーもー、好きにしろ!」
ヤケになってそう言うと、はーい、好きにしますと言って、ようやく真菜は自分の部屋へと戻って行った。
*****
2日後。
車で寮に来た二人は、まずポストを確認する。
真は既に転居届を郵便局に出しており、302のポストの入り口にもガムテープが貼ってあった。
真菜の手元を覗き込み、不審な郵便物がないか確かめると、真菜を部屋まで送っていく。
そして再び1階に下りた真は、管理人室へと向かった。
退去手続きを終え、鍵を返却して立ち去ろうとすると、ちょっと待ってくださいと管理人に呼び止められた。
「ちょうどご連絡しようと思っていたんです。実は昨日、ポストの前で郵便屋さんが困惑していて…。どうかしましたか?って声をかけたら、封筒を見せてきたんです。部屋番号は302だけど、宛名は202の人だって」
「何っ?!」
真は一気に顔を強張らせる。
「その封筒は?」
「私が預かりました。こちらです」
半ば奪うように封筒を受け取る。
味気ない事務的な封筒にパソコンで印刷された文字、そして差出人も書かれていない。
何もかもあの時と同じだが、部屋番号が302と書き加えられ、切手も貼られていた。
「これは、私が預かります。心当たりがあるので」
そう言うと管理人は、分かりましたと頷いた。
真は管理人室を出て、建物の片隅に行くと、そっと封筒を開けてみた。
恐る恐る中を覗き込むと、1枚の紙が折られて入っている。
ゆっくりと取り出して、他に何も封筒に入っていない事を確かめると、紙を開いてみた。
新聞か雑誌の文字を、1つ1つ切り抜いて貼った手紙…
そこに並べられた文字を読んだ真は、スッと身体が冷たくなる気がした。
『消えうせろ。さもなくば、また襲われる』
(くっそー!)
思わずグシャッと手紙を握り潰しそうになり、なんとか堪えると、鞄の奥深くにしまった。
「お待たせしました!」
やがて真菜が大きなバッグを手に階段を下りてきて、真は我に返る。
「ん、ああ、じゃあ帰ろうか」
「はい」
車に乗ってからも、真はじっと窓の外を見ながら考える。
(やはり別々の事件なんかじゃない。この手紙と真菜が襲われた事は関係がある。だが、同一犯の仕業ではない。この手紙を送って来たのは、男ではなく、おそらくあの新婦だ)
真は、隣に座る真菜にそれとなく話しかけた。
「真菜。俺が最初にフェリシア 横浜にお前を迎えに行った日、確かお前はサロンで接客中だったよな?」
「え?ああ、園田様と上村様の打ち合わせが長引いちゃった時ですね。それが何か?」
「いや、何でもない」
(園田様、上村様…。新婦の名前は上村か)
難しい顔で再び考え始めた真を、真菜は少し不思議そうに眺めていた。
*****
「じゃあ、俺はこのまま仕事に行くから」
「はい。ありがとうございました」
マンションのロータリーで真菜を降ろし、会社へと向かう。
到着するとすぐに自分の部屋に入り、パソコンを開いた。
顧客データを呼び出し、フェリシア 横浜のパスワードを入力する。
挙式の日取り順のものと、担当者順の2種類の名簿があった。
真は、担当者の真菜の名前を探してファイルを開く。
(えっと、園田・上村…。あった、これだ)
クリックすると、新郎新婦の名前や住所、連絡先などが載っている。
(新婦の名前は、上村 亜希。年齢は27才。現在は無職。住所は、新郎とも近いんだな。横浜市戸塚区…)
真は鞄の中から、先程の封筒を取り出した。
(あーもう、触るのも忌々しいな)
仕方なく手にして、消印を見る。
(横浜中央郵便局か…。まあ、わざと家から遠い場所で投函したんだろう)
うーん…と腕組みしながら考える。
(これを新婦が投函したのなら、襲った男とはグルだな。なぜ真菜を狙うのか、目的は?新婦が企んで、男に手伝わせたのか、もしくはその逆か?)
考えても答えは出ない。
ただ一つ言える事は、手紙を送ったのが新婦なら、彼女は何かを知っている。
(直接会って、聞き出すしかないか…。だが、やはり真菜には知られてはいけない)
慎重に、だが早急に事を進めなくてはならない。
真菜が今も狙われているのは、確実なものになったのだから。
「真菜!一体、昨日のあれはどういう事?」
「は?昨日のあれって?」
「専務よ専務!」
「専務?って誰ですか」
「何とぼけてんのよー」
皆から責められ、真菜は困惑する。
「いや、あの、何の事やら」
「とぼけたって無駄よ。みんな知ってるんだから」
「え?何を?」
「だーかーら!昨日、いきなり専務が現れて、真菜は?って」
「キャー!そうそう、真菜は?って呼び捨てにしてた」
ん?と一瞬考えたあと、あ!と真菜は声を上げた。
「専務!そうだ、思い出した、専務だったんだ」
「え、何?」
今度は皆が困惑した時だった。
「真菜先輩!」
胸に書類を抱えた美佳が、真菜に近付いて来た。
「おはようございます。あの、昨日の園田様・上村様の打ち合わせ内容の確認、お願いしてもいいですか?」
「あ、そうね。ごめんね、昨日確認せずに帰っちゃって。サロンの方でやろうか」
そう言って真菜も資料を取り出し、美佳と二人でサロンに向かう。
「あ~あ、結局聞きそびれちゃった…」
梓が残念そうに呟いた。
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他には誰もいないサロンの1角で、真菜と美佳は、昨日打ち合わせした内容を確認していく。
「えっと、招待状のデザインと文面はこれで決定。あとはお二人が、ご自分で宛名書きして発送するって事だったわよね」
「はい。今日中に招待状の発注かけます。仕上がりは2週間後なので、次回の打ち合わせでお二人にお渡し出来ますね」
「そうね。あとは、新郎様からご質問があった後撮りの件…」
そう言って真菜は、昨日お二人にも渡したフォトプランの資料のコピーを取り出す。
「挙式当日が雨だった場合、後日、後撮りをしたいって事だったわよね?」
「ええ。でも、もし週間天気予報とかで、当日雨の可能性が高いと分かった場合は、前撮り出来ればと」
「そうそう。つまり、前撮りにしても後撮りにしても、直前予約って事になる。なので、挙式と同じヘアメイクやドレス、カメラマンが手配出来るとはお約束出来ないって話したわよね?」
「はい。資料にも書いてありますし、新郎様も、分かりましたとおっしゃってました」
「いずれにしても、挙式当日が晴れなら、問題ないもんね。晴れるといいなー」
そうですね、と頷いたあと、美佳は声をひそめて聞いてきた。
「ところで新婦様の様子、相変わらず無口なままですが、真菜先輩どう思われますか?梓先輩の仰る通り、望まない結婚なのでしょうか…」
うーん…と真菜は遠くを見ながら考える。
「私の感じた限りでは、望まない結婚ではないと思う」
「え、どうしてですか?私はやはり、どうしても新婦様がこの結婚に前向きだとは思えないのですが」
「そうねえ、確かに楽しみな様子には見えない。でも、新婦様は新郎様のこと、本当に好きなんだと思う。ドレスの試着の時ね、新郎様が、綺麗だって仰ったら、新婦様のお顔、ほんの少し赤くなったのよ」
「えー、知らなかったです。でも、じゃあどうしてあんなにいつも無口なんでしょう」
美佳の疑問は、真菜も感じていた。
「本当よねえ。単に、もの凄く人見知りな性格の方なのかも?ほら、お二人は子どもの頃からの幼なじみってお話だったでしょ?家も近所でって。合コンとかで知り合って結婚するタイプではないのね、きっと」
「うーん、そうなんですかねえ」
「まあ、これからも打ち合わせは続くし、少しずつでも私達に心開いて下さるといいね」
そう言って真菜が笑いかけると、美佳も、そうですねと頷いた。
*****
営業時間を過ぎ、書類の確認をしていた真菜は、デスクの上のスマートフォンにメッセージが届いた事に気付く。
あと20分程で着く、という真からのメッセージだった。
真菜はパソコンの電源を落とし、書類を片付けると、同じく残業していた久保に挨拶してロッカールームに向かう。
私服に着替えて表に出ると、やがて見覚えのある車が目の前に停まった。
「乗れ」
ドアを開けて、中からぶっきらぼうにひと言声をかけてくる真に、真菜は思わず吹き出す。
「お疲れ様です。失礼します」
そう言って、真菜が笑いを堪えながら乗り込むと、真は怪訝そうな顔を向ける。
「何がおかしい」
「いえ、そういう訳では。ちょっとおかしくて」
「お前のその言葉がおかしいぞ」
「そうですか?まあ、いいですけど」
変な生き物でも見るような顔をしたあと、真は膝の上のパソコンをいじり始めた。
寮に着くと、真と真菜はそれぞれ自分の部屋で荷造りを始める。
といっても、既に真はほとんどの荷物を移し終えていた。
真菜は、ひとまず次の休みの日までの荷物を、大きなバッグに詰めていく。
(3日後にお休みがあるから、取り敢えずその日までの分。えっと、2泊3日の旅行の荷物って感じでいいか)
貴重品を持ち、ガスの元栓を閉める。
「よしっ!と」
戸締まりを確認した時、コンコンとノックの音がした。
「準備出来たか?行くぞ」
真の声に、はーいと返事をして、真菜は部屋から出た。
*****
「うわー、広い!綺麗!素敵~」
真の新居に1歩足を踏み入れた真菜は、あまりの豪華さに感激した。
「凄い!夜景が、めちゃくちゃ夜景!」
「お前、日本語おかしくないか?」
荷物を床に下ろしながら、真が呆れたように言う。
「だって、冷静に話せないんだもん。こんな、まるで夢の世界…。見て!あっち、海が見えるよ。それに、あっ!観覧車も見える」
「いつまで窓にへばり付いてる気だ?」
「いつまででも~」
やれやれと、真はソファにドサッと身を投げる。
(取り敢えず、ここなら1人で帰って来るのも平気だろう。人通りの少ない道もないし、マンションのセキュリティーも万全だ。あとは、やはりあの新婦の様子をうかがうしかないか…)
ちらりと真菜に目を向ける。
子どものようにはしゃいで、窓の外に釘付けになっている真菜の笑顔に、真もふっと頬を緩めた。
*****
「お前の部屋はここ。ベッドやひと通りの家具は入っている。足りない物はあるか?」
「ええー!こんな広いお部屋を使ってもいいんですか?」
「ああ。だから、足りない物は?」
「ありません!ありませんとも!」
「そうか、なら自由に使え」
そう言って出て行こうとする真を、真菜が呼び止めた。
「真さん、本当にありがとうございます。何てお礼を言えばいいのか…。いつか必ずこのご恩はお返ししますので」
「そんな事は気にするな。会社の義務でもあるしな」
「え?」
「いや、まあいい。それより何か飲むか?」
「じゃあ、私がコーヒー淹れますね!」
二人でキッチンに行き、真新しいソファでコーヒーを味わった。
「そう言えば、お前、夕飯は?食べたのか?」
ふと思い出したように、真が真菜に聞く。
「残業中に、少しおにぎり食べました。真さんは?」
「俺は、まあいつも適当に、時々つまむ程度だが。何か食べるか?」
そう言って立ち上がると、冷蔵庫を開ける。
「秘書に頼んで、食材や惣菜を入れて置いてもらったんだ。んー、何だこれ?」
真菜も立ち上がって、真のもとへ行く。
「これは、パエリアみたいですね。このまま温めれば食べられます。こっちは、アクアパッツァかな?」
「何だって?」
怪訝そうな真に、真菜は思わず笑い出す。
「私がやりますから。真さんは座ってて下さい」
そう言って、キッチンの棚の中を確認すると、フライパンや調味料を取り出す。
「パエリアは、オーブンでもう少し焼き色付けようかなー。アクアパッツァも、オリーブオイルで少し炒めて…あ、白ワインがある!」
ひとり言を言いながら、手際良く準備すると、ダイニングテーブルに並べていく。
「はい!出来ました」
「はやっ、もう出来たのか?」
「仕上げるだけの簡単クッキングですから。さ、召し上がれ」
真菜は、食器戸棚をゴソゴソと探りながら、カトラリーを真の前に並べていく。
「お前は?食べないのか?」
「いただいてもいいですか?」
「もちろん。あ、ワインもあるぞ」
そして二人で乾杯する。
「うまい!レストランの料理みたいだ」
「本当ですね。秘書さん、きっと高級なお店で買ってくれたんでしょうね」
「いやー、でも単純に温めただけじゃないだろう?仕上げのひと手間があるからうまいんだ」
「うふふ、良かったです。でも、普通なら引っ越しの日はお蕎麦なのに、さすがは専務取締役ですね。庶民とは違います」
すると真は、お?と顔を上げる。
「お前、ようやく俺の役職名覚えたのか?」
「そうなんです!だから使いたくて。ね、専務!」
「やめろ」
「えー、何でですか?」
「何か嫌だ。それにお前、専務がどんな仕事をするのか、分かってないだろう?」
「え、そうですねー。デスクに座って、書類にハンコを押す仕事?」
はあ…、と真はため息をつく。
「もういい。黙って食べろ」
「ええー?どんな仕事なんですか?」
「どうせ言っても分からん」
「分かりますよー、教えてくたさいよー」
押し問答しながら食べ終えると、真菜はキッチンで洗い物をしてから、ソファに座って雑誌を読み始めた。
「何を読んでるんだ?」
真菜の分のコーヒーをテーブルに置きながら、真が隣に座る。
「あ、ありがとうございます」
そう言ってコーヒーをひと口飲んでから、真菜は真に雑誌を見せた。
「今日発売の、結婚情報誌です。私、毎月買ってるので」
「ああ、うちも載せてるやつか。でも、毎号ほぼ同じ内容だろ?」
「そうなんですけどね。見てるだけでも楽しいので、つい」
ペラペラめくっていたかと思うと、急に手を止め、ペンケースからハサミを取り出して切り抜き始める。
何をしているのかと真が黙って見ていると、やがて真菜は、雑誌の下に置いていたスクラップブックに、切り抜いた写真を貼り付け始めた。
「それは?」
「いいなと思った写真をまとめてるんです」
真に見えるように、真菜はスクラップブックのページをめくっていく。
「ドレスやヘアメイク、式場やチャペルの内装、テーブルコーディネート、引き出物、ウェルカムボードとか、参考になりそうなものを貼ってあります。写真のアングルとかも参考になるし…」
「ふーん。でも他はともかく、ドレスは衣裳事業部が仕入れてくるし、どうにもならんだろ?」
「そうなんですけど、ほら、ベールやアクセサリー、あとヘアメイクやブーケでもイメージ変わるじゃないですか?だから、自分の出来る範囲で工夫して、良いご提案を出来たらなって。感覚を養って、アイデアの引き出しを増やしておきたいんです」
へえーと真は感心する。
海外事業部にいた時も、しょっちゅう挙式に立ち会っていたが、そこまで細かく気にした事はなかった。
(女性社員は、みんなこんなふうに日々研究しているのだろうか。いや、ここまで熱心な社員は知らないな。ん?)
真は、テーブルにもう一冊スクラップブックがあるのに気付く。
「そっちは?」
「え、そっち?あ、これは…違うんです」
真菜は、慌ててもう一冊のスクラップブックを雑誌の下に隠す。
「何だよ、気になる」
そう言って手を伸ばす真から、真菜は必死で遠ざける。
「いいんです。これはお見せする程の物では…」
「ふーん…、そっか」
真が諦めてソファに座り直すと、真菜はホッとしてまた雑誌に目を通し始めた。
次の瞬間、いきなり真が真菜の手にした雑誌を持ち上げる。
「え、何?」
びっくりして顔を上げた真菜は、真の視線の先を追って、あ!と慌ててスクラップブックを胸に抱えた。
「…見たでしょ?」
真菜は真をじろりと睨む。
「見てないよ」
「嘘だー」
「見てない。見えただけだ」
「ほら!見たんじゃない」
真はボソッと、見えた表紙の文字を呟く。
「真菜のDream Wedding♡」
「もう!言わないで!!」
くくっと真は笑いを堪える。
聞くまでもない。
きっと自分の結婚式のイメージを膨らませて、色々な切り抜きを貼っているのだろう。
「楽しみだな、お前の結婚式」
真は、真っ赤な顔で頬を膨らませている真菜に笑いかけた。
*****
翌朝、いつも通り6時に起きた真は、着替えと洗顔を済ませてダイニングに向かう。
ドアを開けると、コーヒーの良い香りがした。
「おはようございます。今、朝食運びますね」
真菜がキッチンから声をかけてきた。
「秘書さんが買っておいてくれたクロワッサンと、あとは冷蔵庫の卵とチーズでオムレツにしました。それからサラダとヨーグルト」
真は、思いがけない朝食に驚く。
「朝からこんなに作ったのか?」
「作ったのはオムレツだけですよ?」
「だが、お前が俺の分まで作る必要はない。自分の朝食だけ気にしろ」
「いえ、私の方がご馳走になってるんです。昨日の夕食も、この朝食も。それにお部屋を使わせてもらってるのに、何もしないなんて…。せめて、このくらいはやらせてください。でないと本当に肩身が狭くて」
真は、少し考えてから口を開く。
「分かった、好きにしたらいい。だが、無理にやる必要はないからな」
「はい!好きにやらせていただきます」
真菜はにっこり微笑んだ。
*****
「じゃあ、これがお前の鍵だ。オートロックだから気を付けろよ。俺は帰りが遅くなるから、気にせず先に寝てろ」
「分かりました!行ってらっしゃい」
7時前に玄関を出る真を、真菜は笑顔で見送る。
「さてと。私はまだ時間があるし、食器洗いとお掃除しちゃおう!」
腕まくりして、てきばきと家事をこなす。
冷蔵庫の中を確認し、仕事帰りにスーパーで買う物を考える。
(この辺りってスーパーあるのかな?)
窓から見える景色を眺めてみる。
ここはみなとみらいのど真ん中。
高級ホテルや、ショッピングモール、ランドマークタワーが近くにある観光地だ。
真菜もこの辺りは良く知っているが、スーパーマーケットは見かけた事がない。
(このマンションの人、どこでお買い物してるんだろう?セレブの生活って謎だわー)
職場の近くに高級スーパーがある事を思い出し、そこで買い物をしてから帰ってこようと真菜は思った。
*****
夜の11時。
玄関を開けた真は、部屋にほのかな灯りを感じてホッとする。
(誰かのいる部屋に帰るなんて、何年ぶりだ?)
鞄を置くと、ネクタイを緩めながら椅子に座る。
(はあ、疲れた)
ここ最近、引っ越し作業や真菜を迎えに行く事で、仕事を早めに切り上げていた。
その分、今日は溜まった業務を一気にこなし、もはや身体はクタクタだ。
水でも飲もうと、ノロノロと立ち上がった時だった。
「お帰りなさい」
ドアが開いて、真菜がダイニングに入って来た。
「夕食は?ちゃんと食べましたか?」
「え、いや、まだ」
「じゃあ、軽く用意しますね。手を洗ったら座っててください」
そう言って真菜は、冷蔵庫を開けて、何やらキッチンで作り始めた。
昨日入居したばかりだというのに、もうどこに何があるのか把握しているようだ。
(俺なんて、まだ勝手が分からないのに)
そう思っていると、真菜はトレーに載せた料理を運んできた。
「はい。鯛茶漬けと、お漬物。あとは、私が夕飯に作った肉じゃがも少し。残り物みたいですみません」
「いや、ありがとう。いただきます」
真は少し戸惑いながら食べ始める。
「うん、うまい!」
そして一気にパクパクと食べていく。
「真さん、本当にいつも美味しそうに食べますね」
真菜が、ふふっと笑いかける。
「いやだって、うまいんだもん」
「ステーキばっかり食べてる人が、たまに牛丼食べたくなるってやつですかねえ」
「ん、何だそれ?」
「セレブあるある、です。もちろん私は庶民なので、逆にステーキ食べたいですけどね」
真菜の話を聞いているのかいないのか、真はあっという間に平らげてしまった。
「はー、うまかった」
「真さん、もう少しゆっくり食べてください。消化に悪いですよ?」
食後のお茶を出しながら真菜が言う。
「だって、箸が止まらなくてさ。それより、毎日俺の食事の事は気にしなくていいんだからな?」
「分かってます。好きにやってるだけですから」
「そうか、ならいいんだが…」
お茶をひと口飲んでから、真が話し始めた。
「お前、次の休みに、寮に荷物を取りに行くって言ってなかったか?」
「はい。明後日行ってきます」
「明後日か。じゃあ俺も一緒に行く。何時頃だ?」
「ええ?真さんはお仕事なんでしょ?私1人で行けますから」
「いや、俺も退去手続き残ってるんだ。部屋の鍵も返してないし。午前中でもいいか?その日は午後出勤にしておくから」
「あ、はい。それはもちろん。でも本当にいいんですか?」
「だから、俺だって用事があるんだってば!何度言ったら分かる」
真が鋭い目線を向けると、真菜は小さく、はいと頷く。
そして、何かを思い出したように口を開いた。
「あの、真さん」
「何だ」
「パンツ洗ってもいいですか?」
お茶を持つ手を止め、長い間固まったあと、はあー?!と大きな声で聞き返す。
「おまっ、何を言って…」
「だって、洗濯機使わせてもらってるから、ついでに真さんのタオルやシャツも一緒に洗ったんです。でも靴下はともかく、パンツはどうかなーって迷って…」
「洗ったのか?!」
「いえ、今日のところはやめておきました。そのまま、洗濯かごに入れてあります」
「ってことは、見たのか?」
「え?そりゃ、まあ」
真は、はあ…と深いため息をつく。
「お前、純情なんだか、ただの鈍感なのか、どっちなんだ?」
「え、私のこと?」
「そうだ、お前のこと!」
「私?って、普通の女の子です」
「嘘つけ!絶対普通じゃない」
「ひどーい!普通ですよ?強いて言うなら…『恋を夢見る可憐な乙女』ってとこですかね?」
ぶっと真はお茶を吹き出す。
「やだ!真さん、汚いってば」
真菜がティッシュを渡してくる。
「はあ、もう、お前といると色々調子が狂う。ほら、もう遅いんだからさっさと寝ろ」
「はーい。あ、パンツはどうします?」
「またその話か!」
「だって、返事してくれてないし」
「あーもー、好きにしろ!」
ヤケになってそう言うと、はーい、好きにしますと言って、ようやく真菜は自分の部屋へと戻って行った。
*****
2日後。
車で寮に来た二人は、まずポストを確認する。
真は既に転居届を郵便局に出しており、302のポストの入り口にもガムテープが貼ってあった。
真菜の手元を覗き込み、不審な郵便物がないか確かめると、真菜を部屋まで送っていく。
そして再び1階に下りた真は、管理人室へと向かった。
退去手続きを終え、鍵を返却して立ち去ろうとすると、ちょっと待ってくださいと管理人に呼び止められた。
「ちょうどご連絡しようと思っていたんです。実は昨日、ポストの前で郵便屋さんが困惑していて…。どうかしましたか?って声をかけたら、封筒を見せてきたんです。部屋番号は302だけど、宛名は202の人だって」
「何っ?!」
真は一気に顔を強張らせる。
「その封筒は?」
「私が預かりました。こちらです」
半ば奪うように封筒を受け取る。
味気ない事務的な封筒にパソコンで印刷された文字、そして差出人も書かれていない。
何もかもあの時と同じだが、部屋番号が302と書き加えられ、切手も貼られていた。
「これは、私が預かります。心当たりがあるので」
そう言うと管理人は、分かりましたと頷いた。
真は管理人室を出て、建物の片隅に行くと、そっと封筒を開けてみた。
恐る恐る中を覗き込むと、1枚の紙が折られて入っている。
ゆっくりと取り出して、他に何も封筒に入っていない事を確かめると、紙を開いてみた。
新聞か雑誌の文字を、1つ1つ切り抜いて貼った手紙…
そこに並べられた文字を読んだ真は、スッと身体が冷たくなる気がした。
『消えうせろ。さもなくば、また襲われる』
(くっそー!)
思わずグシャッと手紙を握り潰しそうになり、なんとか堪えると、鞄の奥深くにしまった。
「お待たせしました!」
やがて真菜が大きなバッグを手に階段を下りてきて、真は我に返る。
「ん、ああ、じゃあ帰ろうか」
「はい」
車に乗ってからも、真はじっと窓の外を見ながら考える。
(やはり別々の事件なんかじゃない。この手紙と真菜が襲われた事は関係がある。だが、同一犯の仕業ではない。この手紙を送って来たのは、男ではなく、おそらくあの新婦だ)
真は、隣に座る真菜にそれとなく話しかけた。
「真菜。俺が最初にフェリシア 横浜にお前を迎えに行った日、確かお前はサロンで接客中だったよな?」
「え?ああ、園田様と上村様の打ち合わせが長引いちゃった時ですね。それが何か?」
「いや、何でもない」
(園田様、上村様…。新婦の名前は上村か)
難しい顔で再び考え始めた真を、真菜は少し不思議そうに眺めていた。
*****
「じゃあ、俺はこのまま仕事に行くから」
「はい。ありがとうございました」
マンションのロータリーで真菜を降ろし、会社へと向かう。
到着するとすぐに自分の部屋に入り、パソコンを開いた。
顧客データを呼び出し、フェリシア 横浜のパスワードを入力する。
挙式の日取り順のものと、担当者順の2種類の名簿があった。
真は、担当者の真菜の名前を探してファイルを開く。
(えっと、園田・上村…。あった、これだ)
クリックすると、新郎新婦の名前や住所、連絡先などが載っている。
(新婦の名前は、上村 亜希。年齢は27才。現在は無職。住所は、新郎とも近いんだな。横浜市戸塚区…)
真は鞄の中から、先程の封筒を取り出した。
(あーもう、触るのも忌々しいな)
仕方なく手にして、消印を見る。
(横浜中央郵便局か…。まあ、わざと家から遠い場所で投函したんだろう)
うーん…と腕組みしながら考える。
(これを新婦が投函したのなら、襲った男とはグルだな。なぜ真菜を狙うのか、目的は?新婦が企んで、男に手伝わせたのか、もしくはその逆か?)
考えても答えは出ない。
ただ一つ言える事は、手紙を送ったのが新婦なら、彼女は何かを知っている。
(直接会って、聞き出すしかないか…。だが、やはり真菜には知られてはいけない)
慎重に、だが早急に事を進めなくてはならない。
真菜が今も狙われているのは、確実なものになったのだから。
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