Bravissima!

葉月 まい

文字の大きさ
11 / 32

大人の色気

しおりを挟む
「おはようございます」

翌朝。
公平がキッチンで朝食を作っていると、芽衣が笑顔で部屋に入って来た。

「おはよう。よく眠れた?」
「はい、もうぐっすり。あんなに豪華なお部屋なんですもの。もう貴族の気分でしたよ」
「はは!それは良かった。じゃあ朝食食べようか」
「えっ、もう作ってくださったんですか?すみません、何もお手伝いしなくて」
「好きでやってるから、気にしないで。聖は多分まだ起きて来ないから、先に食べよう」

二人はダイニングテーブルにオムレツやクロワッサン、サラダやフルーツを並べる。

「美味しそう!いただきます」
「芽衣ちゃん、これもどうぞ。搾りたてのオレンジジュース」
「わあ、ありがとうございます。なんて優雅な朝食。私もう日常生活に戻れそうにありません」
「じゃあ、ここにいる間は堪能してね」

公平は終始芽衣を優しく気遣った。

朝食を食べ終わると、公平はコートと車のキーを手に芽衣に声をかける。

「芽衣ちゃん、ちょっと食料品買いに行ってくるね。何か欲しいものある?」
「いえ、大丈夫です。すみません、お世話になりっぱなしで」
「気にしないでってば。じゃあ留守番頼むね」
「はい、お気をつけて」

公平を見送ると、芽衣は食器を洗ってから早速ピアノの前に座った。

ひたすら基礎練習をしていると、階段から足音が聞こえてきて芽衣は手を止めた。

「ふわー、ねむ……」

部屋着姿でボサボサ頭の聖が、寝ぼけまなこで下りてくる。

「おはようございます」
「おはよ。あれ?公平は?」
「食料品の買い出しに行かれました。すぐに朝食を用意しますね。座っててください」

芽衣はキッチンへ行き、公平が作ってくれたオムレツとクロワッサンを温めると、サラダやフルーツと一緒にテーブルに運んだ。

「どうぞ。今、オレンジも搾りますね」
「ん、サンキュー」

聖が食べている間に、芽衣はドリップコーヒーをじっくりと淹れる。

カップ2つに注いで聖の向かい側に座った。

「食後のコーヒーもどうぞ」
「ありがとう」

聖はコーヒーを飲みながら芽衣の様子をそっとうかがう。

(こうして二人切りになるのって、ひょっとして初めてじゃないか?)

そう思った途端に緊張してきた。

「えっと、あのさ」
「はい、なんでしょう?」

沈黙に耐えかねて声をかけたはいいが、何を言えばいいのか分からない。

「うん、その……。あ、名前!」
「はい?名前がどうかしましたか?」
「やっぱり《イスラメイ》が弾けるからその名前にしたのか?」

すると芽衣はキョトンとしたあと、堪え切れずに笑い出す。

「あはは!如月さん、おかし過ぎます。生まれてすぐに《イスラメイ》が弾けたら、聖徳太子もびっくりですよ」
「あ、そうか」

聖はバツが悪そうに顔を伏せた。

「5月です」
「え?」
「5月生まれだから、メイって」
「ああ、なるほど」
「如月さんは?2月生まれなんですか?」

は?と今度は聖が固まる。

「いや、おかしいだろ。如月って、名字だぞ?」
「あ、そうか!あはは、失礼しました」
「でもまあ、俺も誕生日に由来してる」
「そうなんですか?お誕生日っていつ?」
「……12月25日」
「12月25日って、ええ?!クリスマス?」

芽衣は興奮気味に言葉を続けた。

「聖なる日ってことですよね、素敵!え、でもクリスマスがお誕生日って。3日前じゃないですか。大変!私、何もお祝い出来なくて」
「いいよ、別に。男がこの歳になって誕生日祝ってもらうのも恥ずかしい。それにケーキを買いに行っても、クリスマスケーキしか売ってない。バースデーケーキじゃなくてひんしゅく買うだけだ」
「あはは!お上手です。いえ、笑いごとじゃないですね、すみません」

笑いを収めてから、改めて芽衣はしみじみと呟く。

「でも本当に素敵。聖なるクリスマスが名前の由来なんて」

そしてふと思い出したように顔を上げて聖を見た。

「私の友達に、弥生ちゃんって子がいるんです。如月さんと結婚したらお似合いじゃないですか?」
「ああ、如月 弥生ってことか」
「ええ。どうですか?弥生ちゃんをお嫁さんに」
「いや、俺、結婚に絶対向いてないから。ヴァイオリン弾いてると話しかけられても気づかなくて、すぐに愛想尽かされるよ」
「それ私もです。何時間も弾き続けて、ご飯も作らないし家事もほったらかしになると思います」
「やっかいだよな。きっと『ヴァイオリンと私、どっちが大事なの?!』って詰め寄られるのがオチだ」

うんうんと芽衣も頷く。

「私、もう音楽と結婚したと思うことにします」
「そうだな、俺もそうしよう。さてと!それでは愛するヴァイオリンのもとへ行こうかな」
「ふふ、私も愛しのピアノのところに戻ります」

二人は笑い合って席を立った。



「今日の動画は、ボロディンの《イーゴリ公》ダッタン人の踊りはどうかな?」

買い物を終えて戻って来た公平が昼食にパエリアを作り、皿に取り分けながら尋ねる。

「ああ、いいぜ。イスラメイもいいか?」
「はい、もちろん」

昼食後、いつものようにワンテイクで撮り終えた。

公平は早速編集に取りかかると言って部屋に引き挙げる。

「せっかくだから、もう少しなんか合わせないか?」
「はい、ぜひ」

残された二人で好きな曲を合わせてみることにした。

「冬だし、『冬』でもやるか」
「ふふふ、はい」

笑いながらそれぞれ楽譜を用意して構えた。

「よし、いくぞ」
「はい」

二人で息を合わせて鋭く情熱的に奏でる。

ヴィヴァルディ作曲の《四季》より「冬」

「おー、これなかなかいいな。動画撮っとけば良かった」
「ほんとですね。次回もう一度やりますか?」
「そしたら1発撮りにならない」
「え、如月さんって案外真面目なんですね。黙ってればバレねえよっておっしゃるかと思ってました」

すると聖は能面のような顔で芽衣を見下ろす。

「おい。俺のイメージどうなってんだよ?これでも音楽を愛する心清きヴァイオリニストのつもりだけど?」
「そ、そうですね、失礼しました。楽器を下ろすと人が変わるので、つい」
「なんだと?まだディスってるな?」
「違います!本当に心から尊敬しています。如月さんはどんな曲でも完璧で。弾きこなせない曲はないんですね」

そう言って芽衣は思い出したように頭を下げた。

「すみません、私が弾けないばかりに《カルメン幻想曲》が保留になっていて」
「別にいいよ。絶対あの曲を弾かなきゃいけない訳じゃない。それに普通に聴いてりゃ、お前は充分上手い」
「いいえ。如月さんの伴奏者なのですから、如月さんを納得させられないようでは務まりません。なんとかこの合宿中には掴めるようにがんばります」
「いや、掴めるようにって言っても……」

ハバネラを妖艶に、大人の色気たっぷりに弾くってことか?と聖は視線をそらして考え込む。

(そんなの、すぐに掴むって言ったら……)

ほわーんと大人の男女の情事が思い浮かび、慌てて頭を振っていると芽衣が口を開いた。

「如月さん、大人の色気ってどうやったら出せるんですか?」
「え、いや……。それって、真面目に聞いてる?」
「もちろんです。わらにもすがる思いです」
「それなら、まあ。手っ取り早いのは、男に抱かれることかと」

芽衣はボン!と音が出そうなほど一瞬で顔を真っ赤にしたあと、真顔で頷いた。

「そうですよね。そういう世界を表現した音楽ですものね。ううん、あの曲だけじゃない。他にもたくさん男女の営みを題材にした曲があるんですから、避けて通る訳にはいかないですよね。私、ピアノばかりで誰ともおつき合いしたことなくて……。このままだといけないですよね」

いやいやと、聖は手を伸ばして遮る。

「だからって音楽の為にそこまでしなくてもいいぞ」
「でも私は大人の世界を知って演奏したいんです」
「いや、抱かれたらいきなり色気が出て演奏が上手くなるとは限らないし。それに、ほら。お前の純真さで奏でられる音楽もあるんだからさ」

芽衣がそんな理由で誰かに抱かれようとするのを、聖は必死で止めにかかった。

「カルメンだって……、そうだ!試しにインテルメッツォ弾いてみ。俺も合わせるから」
「はい」

ビゼー作曲、歌劇『カルメン』から第3幕への間奏曲

美しく天まで続きそうな清らかなメロディを奏でると、二人でうっとりと余韻に浸った。

「うん、いいじゃないか。お前の良さが存分に表れてる。素直で真っ直ぐで、透明感に溢れてて。その個性はそのまま大事にしろよ?」

そんなふうに思ってもらえていたとは、と芽衣は驚いて感激する。

「まあその上で、誰かと恋に落ちるのもいいと思う。誰かに愛されて大切にされると、きっとお前の音楽も奥深くなるだろうから。ま、焦ることはないよ。ピアノを弾いてるお前を見て、心奪われる男はたくさんいる」

芽衣はもう耳まで真っ赤になって、恥ずかしさの余り顔も上げられない。

そんな芽衣に気づいていないのか、聖はじっと何かを考え始めた。

「明日さ、三人でちょっと出かけないか?」
「え?どこにですか?」
「うん、ちょっとそこまで。まあ楽しみにしてろ」
「はあ」

腑に落ちないながらも、芽衣は頷いた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件

ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。 スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。 しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。 一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。 「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。 これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。

お前が愛おしい〜カリスマ美容師の純愛

ラヴ KAZU
恋愛
涼風 凛は過去の恋愛にトラウマがあり、一歩踏み出す勇気が無い。 社長や御曹司とは、二度と恋はしないと決めている。 玉森 廉は玉森コーポレーション御曹司で親の決めたフィアンセがいるが、自分の結婚相手は自分で決めると反抗している。 そんな二人が恋に落ちる。 廉は社長である事を凛に内緒でアタックを開始するが、その事がバレて、凛は距離を置こうとするが・・・ あれから十年、凛は最悪の過去をいまだに引き摺って恋愛に臆病になっている。 そんな凛の前に現れたのが、カリスマ美容師大和颯、凛はある日スマホを拾った、そのスマホの持ち主が颯だった。 二人は惹かれあい恋に落ちた。しかし凛は素直になれない、そんなある日颯からドライブに誘われる、「紹介したい人がいるんだ」そして車から降りてきたのは大和 祐、颯の息子だった。   祐は颯の本当の息子ではない、そして颯にも秘密があった。

婚約破棄された地味伯爵令嬢は、隠れ錬金術師でした~追放された辺境でスローライフを始めたら、隣国の冷徹魔導公爵に溺愛されて最強です~

ふわふわ
恋愛
地味で目立たない伯爵令嬢・エルカミーノは、王太子カイロンとの政略婚約を強いられていた。 しかし、転生聖女ソルスティスに心を奪われたカイロンは、公開の舞踏会で婚約破棄を宣言。「地味でお前は不要!」と嘲笑う。 周囲から「悪役令嬢」の烙印を押され、辺境追放を言い渡されたエルカミーノ。 だが内心では「やったー! これで自由!」と大喜び。 実は彼女は前世の記憶を持つ天才錬金術師で、希少素材ゼロで最強ポーションを作れるチート級の才能を隠していたのだ。 追放先の辺境で、忠実なメイド・セシルと共に薬草園を開き、のんびりスローライフを始めるエルカミーノ。 作ったポーションが村人を救い、次第に評判が広がっていく。 そんな中、隣国から視察に来た冷徹で美麗な魔導公爵・ラクティスが、エルカミーノの才能に一目惚れ(?)。 「君の錬金術は国宝級だ。僕の国へ来ないか?」とスカウトし、腹黒ながらエルカミーノにだけ甘々溺愛モード全開に! 一方、王都ではソルスティスの聖魔法が効かず魔瘴病が流行。 エルカミーノのポーションなしでは国が危機に陥り、カイロンとソルスティスは後悔の渦へ……。 公開土下座、聖女の暴走と転生者バレ、国際的な陰謀…… さまざまな試練をラクティスの守護と溺愛で乗り越え、エルカミーノは大陸の救済者となり、幸せな結婚へ! **婚約破棄ざまぁ×隠れチート錬金術×辺境スローライフ×冷徹公爵の甘々溺愛** 胸キュン&スカッと満載の異世界ファンタジー、全32話完結!

盲目王子の策略から逃げ切るのは、至難の業かもしれない

当麻月菜
恋愛
生まれた時から雪花の紋章を持つノアは、王族と結婚しなければいけない運命だった。 だがしかし、攫われるようにお城の一室で向き合った王太子は、ノアに向けてこう言った。 「はっ、誰がこんな醜女を妻にするか」 こっちだって、初対面でいきなり自分を醜女呼ばわりする男なんて願い下げだ!! ───ということで、この茶番は終わりにな……らなかった。 「ならば、私がこのお嬢さんと結婚したいです」 そう言ってノアを求めたのは、盲目の為に王位継承権を剥奪されたもう一人の王子様だった。 ただ、この王子の見た目の美しさと薄幸さと善人キャラに騙されてはいけない。 彼は相当な策士で、ノアに無自覚ながらぞっこん惚れていた。 一目惚れした少女を絶対に逃さないと決めた盲目王子と、キノコをこよなく愛する魔力ゼロ少女の恋の攻防戦。 ※但し、他人から見たら無自覚にイチャイチャしているだけ。

王太子妃専属侍女の結婚事情

蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。 未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。 相手は王太子の側近セドリック。 ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。 そんな二人の行く末は......。 ☆恋愛色は薄めです。 ☆完結、予約投稿済み。 新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。 ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。 そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。 よろしくお願いいたします。

俺と結婚してくれ〜若き御曹司の真実の愛

ラヴ KAZU
恋愛
村藤潤一郎 潤一郎は村藤コーポレーションの社長を就任したばかりの二十五歳。 大学卒業後、海外に留学した。 過去の恋愛にトラウマを抱えていた。 そんな時、気になる女性社員と巡り会う。 八神あやか 村藤コーポレーション社員の四十歳。 過去の恋愛にトラウマを抱えて、男性の言葉を信じられない。 恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。 そんな時、バッグを取られ、怪我をして潤一郎のマンションでお世話になる羽目に...... 八神あやかは元恋人に騙されて借金を払う生活を送っていた。そんな矢先あやかの勤める村藤コーポレーション社長村藤潤一郎と巡り会う。ある日あやかはバッグを取られ、怪我をする。あやかを放っておけない潤一郎は自分のマンションへ誘った。あやかは優しい潤一郎に惹かれて行くが、会社が倒産の危機にあり、合併先のお嬢さんと婚約すると知る。潤一郎はあやかへの愛を貫こうとするが、あやかは潤一郎の前から姿を消すのであった。

すれ違う心 解ける氷

柴田はつみ
恋愛
幼い頃の優しさを失い、無口で冷徹となった御曹司とその冷たい態度に心を閉ざした許嫁の複雑な関係の物語

片想い婚〜今日、姉の婚約者と結婚します〜

橘しづき
恋愛
 姉には幼い頃から婚約者がいた。両家が決めた相手だった。お互いの家の繁栄のための結婚だという。    私はその彼に、幼い頃からずっと恋心を抱いていた。叶わぬ恋に辟易し、秘めた想いは誰に言わず、二人の結婚式にのぞんだ。    だが当日、姉は結婚式に来なかった。  パニックに陥る両親たち、悲しげな愛しい人。そこで自分の口から声が出た。 「私が……蒼一さんと結婚します」    姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。

処理中です...