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投票結果は?
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第2部も無伴奏の曲で始まった。
聖が一人舞台に立ち、楽器を構える。
客席はシンと静まり返った。
パガニーニ作曲の「24のカプリース」より第24番
またしても息つく暇のない超絶技巧に、観客は一気に惹き込まれる。
そのままの熱量で、次は芽衣も舞台に上がり、ピアソラ作曲「リべルタンゴ」と「鮫」を続けた。
そこで公平のMCを挟む。
「それでは皆様、いよいよ最終投票の時間です。まだ投票していない方、これが最後のチャンスとなります。あなたが今聴きたい曲を、如月フィルのホームページから投票してください。それではどうぞ!」
ザワザワと客席がざわめき、スマートフォンを片手に楽しそうに投票する。
芽衣はドキドキしながらその様子を見守った。
「ただ今をもって、投票時間終了です。結果発表の前に1曲お聴きいただきましょう。これも動画で大反響だった、モーツァルト作曲の歌劇『魔笛』より「夜の女王のアリア」復讐の炎は地獄のように我が心に燃え、です。どうぞ」
芽衣はこの曲を、楽しかった合宿で、響きの良いチャペルで弾いたことを思い出す。
あの時と同じように、聖の奏でる高音は美しく透明感に溢れていた。
うっとりしながら弾き終わり、現実に引き戻される。
「それでは皆様、大変長らくお待たせいたしました。投票結果を発表いたします」
芽衣はゴクリと喉を鳴らして、結果用紙を広げる公平の言葉を待った。
「今、皆様が1番聴きたい曲は……」
うん、なに?
「おお?!意外ですね」
えっ、どれ?
「まさか、この曲とは……」
どれやねん?!
「これは皆様も予想外かもしれません」
はよ!そんなんええから、はよ言うて!
「では、発表します。サン=サーンス作曲」
えっ?!まさか!
「ロンカプ……」
ヒーッ!!
「ではなくて……」
なんやねん!
「『死の舞踏』です!」
………は?
芽衣はポカーンとしたまま固まった。
(はっ?えっ?サン=サーンスの『死の舞踏』?!)
ようやく頭が働いた次の瞬間、芽衣は一気に焦り始めた。
(嘘でしょ?!全く頭になかった。楽譜も用意してないよ。まあ、暗譜してるからいいけど。それよりも!この曲はダメなの!これを弾いたら……、来ちゃうじゃない!ヤツが!)
公平がマイクで曲の解説をしている間に、芽衣は小声で聖を呼んだ。
「如月さん、ねえ、如月さんってば!」
ん?と聖が振り返る。
「なんだよ。本番中にしゃべりかけんな」
「いいから、ちょっと!こっちに来て」
「はあー?ったく、なんだ?」
聖は渋々近づいて来た。
「次の曲、ここで弾いてください」
「は?なんでこんなピアノの近くで弾かなきゃなんねえんだよ?」
「だって、ほら……。来ちゃうから」
「なにが」
「だから……、ガイコツ」
はー?!と思わず聖が大きな声を出す。
「アホか!ここ舞台だぞ?しかも今、本番中!」
すると公平がマイクを握ったまま話しかけてきた。
「おや?なんだか揉めてますね。どうかしましたか?」
聖はクイッと親指を芽衣に向けながら、公平に言う。
「こいつがバカなこと言い出すからさ」
芽衣はムキッと憤慨した。
「何ですか?!バカなことって」
「だってそうだろう。この曲弾いたらガイコツ来るとかさ。自分で弾くのに何言ってんだ?」
「誰のせいで私がこの曲弾くの怖くなったと思ってんですか?!」
さすがは極上の音響を誇るホール。
マイクから離れているのに、しっかり聖と芽衣の声は客席に届いたらしい。
ドッと笑い声が上がった。
「おやおや。ステージで仲良く痴話げんかですか?こんなところも息ぴったりですね。それでは、次も息の合った演奏を聴かせてください。皆様からのリクエスト第1位に輝いた、サン=サーンス作曲『死の舞踏』です」
公平が袖にはけ、芽衣がラの音を出して聖が調弦する。
そのあと舞台の前方に歩み出ようとする聖のジャケットを、芽衣はグイッと引っ張った。
振り返った聖がジロリと芽衣を睨む。
負けじと睨み返すと、聖は諦めたようにため息をついた。
「分かったよ。ここで弾きゃいいんだろ。いくぞ!」
「はい」
二人で挑むようにアイコンタクトを取り、ダークな演奏を始める。
ザワッと鳥肌が立ち、ホールの空気が一変した。
聖の奏でる音は恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。
(くっそー!怖いよー!)
ガイコツに対抗するように、芽衣も懸命に鋭い音を奏でた。
一瞬でも隙を見せたら負け。
そんな二人の掛け合いに、観客も固唾を呑む。
かっこいいけど、恐ろしい。
恐ろしいけど、かっこいい。
そんな思いで誰もが聖と芽衣から目をそらせない。
ラストに向けて疾走感が増していく。
二人のエネルギーに身体ごと持っていかれそうになり、ギュッと拳を握りしめる観客。
やがて不気味さを残したまま、静かに曲は終わりを告げる。
ホールに静けさが戻り、ゴクリと生唾を飲んでから、観客は一斉に手を叩く。
芽衣はハッとして、思わずまた聖のジャケットの裾を掴んだ。
「おい、離せ。挨拶出来ないだろ」
「だって、怖くって」
「はあ?まだ言うか。どこにいるってんだよ、ガイコ……」
「いやー!言わないで!」
まったくもう、と聖は大きく息を吐く。
「ほら、立て。お客様を待たせるんじゃない」
聖は芽衣の手を取って立たせると、そのままステージの前方に歩み出た。
拍手がより一層大きくなる。
二人で深々とお辞儀をし、時間をかけてゆっくりと顔を上げる。
客席を見渡して笑顔で応えたあと、聖は芽衣の手を引っ張って袖に引き揚げた。
◇
「お前な、前代未聞だぞ!本番中に話しかけてきて服引っぱるとか、信じられん!」
「そんなこと言われたって、怖いんだから仕方ないでしょ?私だって澄ました顔で最後まで演奏したかったですよ」
「じゃあ我慢して澄ました顔してりゃよかっただろ?」
「出来ないから仕方なく呼んだんじゃないですか」
「仮にも演奏者だぞ?聞いたことないわ、怖くて弾けない!とか。それでもピアニストか?」
「私がこんなふうになっちゃったのは、如月さんのせいですよね?!」
ワーワー言い合う聖と芽衣を、公平が間に入って止める。
「あーもう!本番後に舞台袖でけんかするのだって前代未聞だ。ほら、アンコール行って来い!」
鳴り止まない拍手に、公平が聖と芽衣の背中を強引に押した。
笑顔を貼りつけて二人はステージに戻る。
拍手が大きくなり、聖は感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
楽器を構えると、すぐさま観客は拍手をやめ、静けさが広がる。
「ねえ、如月さん」
芽衣がささやくと、聖はギロリと芽衣を睨んだ。
「なんだよ?!また話しかけるとか、信じられん!楽器構えてんだぞ?」
「だって、アンコール何やるか、決めてなかったですもん」
「あ……」
聖は真顔に戻る。
そうだ。
人気投票でどの曲が選ばれるか分からなかった為、アンコール曲が決められなかったのだった。
「ええい、じゃあ『チャルダッシュ』!超高速のな」
「分かりました。いきます」
芽衣は力強く冒頭の和音を鳴らす。
低い音をたっぷり溜めてから、一気に駆け上がった。
聖が空気を切り裂くような低音を響かせ、妖艶に歌い出す。
大人の余裕、男の色気。
ガラリと変わった雰囲気に、芽衣は思わず酔いしれる。
(色気かあ、どこから来るんだろう?)
そんなことを考えられたのは序盤だけ。
中盤、一気にテンポを上げると、芽衣は聖の動きを凝視して指を走らせる。
一瞬でも気を緩める訳にはいかない。
一旦テンポが落ち着き、フラジオレットの美しさにうっとりしたのも束の間、またしてもテンポが変わり、更に速度と熱量を増していく。
最後は二人で一気に駆け抜け、長くたっぷり音を伸ばしてから、息を揃えてザン!とラストの音を放った。
ワッと拍手が沸き起こる。
やり切った顔で聖が頭を下げ、観客は惜しみない拍手をいつまでも送っていた。
◇
ダブルアンコールに、ストラヴィンスキー作曲のバレエ音楽「火の鳥」カスチェイ王の魔の踊りを演奏し、それでも鳴り止まないカーテンコールに応えて何度も挨拶したあと、ようやくコンサートは無事に終演となった。
「お疲れ様!なんか色々あったみたいだけど、とにかく良かったぞ、二人とも」
公平は苦笑いを浮かべながら二人を労う。
「ほんとだよ、ったく。演奏とは別のところで疲れたわ」
「まだ言いますか?!もう、終わったことはいいでしょ?」
「なんだよ!かき乱した張本人がケロッとしてるって、おかしいだろ?!」
はいはい、と公平は二人を引き離した。
「とにかく着替えて来いよ。このあとは楽しい打ち上げだぞー!」
「そうだ!マトリョーシカのスウィイートルーム!やったー、るんるん!着替えて来まーす!」
芽衣はご機嫌で控え室へと向かい、残された聖は深いため息をついた。
すると芽衣と入れ違うように、理事長がやって来る。
「おお、聖!なかなかのコンサートだったぞ」
「そうですか。それは何より」
「なんだ?もっと嬉しそうにせんか」
「はあ、これが精一杯です」
「ははは!さすがのお前も精根尽きたか?」
「別の意味で吸い取られました」
あはは!と理事長はおかしそうに笑うと、ポンポンと聖の肩を叩く。
「お疲れ。ホテルでゆっくり疲れを癒やすといい。ルームサービスでコース料理とシャンパン頼んでおいたからな」
「ありがとうございまーす」
「ははは!こんなしおらしい聖は初めてだな。なかなか貴重だ。さてと、イスラメイちゃんにも挨拶して来よう。またな、聖」
「はーい。お疲れ様でーす」
理事長は愉快気に笑って、手を挙げながら去って行った。
◇
「めーいー!さいっこうに良かったよ!」
控え室にやって来た弥生は、興奮冷めやらぬ様子で芽衣に抱きついた。
「演奏もほんっとにすごかった。けどさ、如月さんとのやり取りがもう、夫婦漫才みたいで大ウケ!何あれ?仕込んであったの?」
芽衣は唇を尖らせながら答える。
「そんな訳ないでしょ?」
「えー、あれがアドリブなの?すごいんだけど!」
「別に笑いを取ろうとしたんじゃないの。普通にけんかになっただけ」
「本番中にステージでけんか?面白過ぎる!しかもアンコール前にも揉めてたよね?もう最高!演奏で感動して、漫才で笑い転げて。はあ、楽しかった」
満足そうに弥生が笑っていると、ノックの音がした。
「はい、どうぞ」
すると理事長が顔を覗かせる。
「イスラメイちゃん、お疲れ様!最高のステージだったよ」
「理事長!ありがとうございます」
「このあとはホテルでゆっくりしなさいね。食事も手配してあるから。ん?こちらはお友達かな?」
「あ、はい。大学の同級生だった、鈴木 弥生さんです」
芽衣が紹介すると、弥生が「鈴木です、初めまして」と挨拶した。
「これはこれは、聖の祖父です。可愛らしいお嬢さんだね。イスラメイちゃんのお友達か。よかったらこれから一緒にホテルに向かうといいよ。部屋は広いから、一人増えたって構わない。料理も手配しておくね」
え!と弥生は慌てふためく。
「そんな図々しいこと出来ません。私のことなどお気遣いなく」
「でも、イスラメイちゃんだってお友達と一緒の方がいいだろう?弥生ちゃんと言ったね。君もピアノ科だったの?」
「はい、そうです」
「それなら、公平とも話が合うだろう。四人で楽しくおしゃべりしたらいい。それじゃあ、またね」
「あ、はい!ありがとうございます」
結局弥生も含めた四人でホテルのスイートルームに向かうことになった。
聖が一人舞台に立ち、楽器を構える。
客席はシンと静まり返った。
パガニーニ作曲の「24のカプリース」より第24番
またしても息つく暇のない超絶技巧に、観客は一気に惹き込まれる。
そのままの熱量で、次は芽衣も舞台に上がり、ピアソラ作曲「リべルタンゴ」と「鮫」を続けた。
そこで公平のMCを挟む。
「それでは皆様、いよいよ最終投票の時間です。まだ投票していない方、これが最後のチャンスとなります。あなたが今聴きたい曲を、如月フィルのホームページから投票してください。それではどうぞ!」
ザワザワと客席がざわめき、スマートフォンを片手に楽しそうに投票する。
芽衣はドキドキしながらその様子を見守った。
「ただ今をもって、投票時間終了です。結果発表の前に1曲お聴きいただきましょう。これも動画で大反響だった、モーツァルト作曲の歌劇『魔笛』より「夜の女王のアリア」復讐の炎は地獄のように我が心に燃え、です。どうぞ」
芽衣はこの曲を、楽しかった合宿で、響きの良いチャペルで弾いたことを思い出す。
あの時と同じように、聖の奏でる高音は美しく透明感に溢れていた。
うっとりしながら弾き終わり、現実に引き戻される。
「それでは皆様、大変長らくお待たせいたしました。投票結果を発表いたします」
芽衣はゴクリと喉を鳴らして、結果用紙を広げる公平の言葉を待った。
「今、皆様が1番聴きたい曲は……」
うん、なに?
「おお?!意外ですね」
えっ、どれ?
「まさか、この曲とは……」
どれやねん?!
「これは皆様も予想外かもしれません」
はよ!そんなんええから、はよ言うて!
「では、発表します。サン=サーンス作曲」
えっ?!まさか!
「ロンカプ……」
ヒーッ!!
「ではなくて……」
なんやねん!
「『死の舞踏』です!」
………は?
芽衣はポカーンとしたまま固まった。
(はっ?えっ?サン=サーンスの『死の舞踏』?!)
ようやく頭が働いた次の瞬間、芽衣は一気に焦り始めた。
(嘘でしょ?!全く頭になかった。楽譜も用意してないよ。まあ、暗譜してるからいいけど。それよりも!この曲はダメなの!これを弾いたら……、来ちゃうじゃない!ヤツが!)
公平がマイクで曲の解説をしている間に、芽衣は小声で聖を呼んだ。
「如月さん、ねえ、如月さんってば!」
ん?と聖が振り返る。
「なんだよ。本番中にしゃべりかけんな」
「いいから、ちょっと!こっちに来て」
「はあー?ったく、なんだ?」
聖は渋々近づいて来た。
「次の曲、ここで弾いてください」
「は?なんでこんなピアノの近くで弾かなきゃなんねえんだよ?」
「だって、ほら……。来ちゃうから」
「なにが」
「だから……、ガイコツ」
はー?!と思わず聖が大きな声を出す。
「アホか!ここ舞台だぞ?しかも今、本番中!」
すると公平がマイクを握ったまま話しかけてきた。
「おや?なんだか揉めてますね。どうかしましたか?」
聖はクイッと親指を芽衣に向けながら、公平に言う。
「こいつがバカなこと言い出すからさ」
芽衣はムキッと憤慨した。
「何ですか?!バカなことって」
「だってそうだろう。この曲弾いたらガイコツ来るとかさ。自分で弾くのに何言ってんだ?」
「誰のせいで私がこの曲弾くの怖くなったと思ってんですか?!」
さすがは極上の音響を誇るホール。
マイクから離れているのに、しっかり聖と芽衣の声は客席に届いたらしい。
ドッと笑い声が上がった。
「おやおや。ステージで仲良く痴話げんかですか?こんなところも息ぴったりですね。それでは、次も息の合った演奏を聴かせてください。皆様からのリクエスト第1位に輝いた、サン=サーンス作曲『死の舞踏』です」
公平が袖にはけ、芽衣がラの音を出して聖が調弦する。
そのあと舞台の前方に歩み出ようとする聖のジャケットを、芽衣はグイッと引っ張った。
振り返った聖がジロリと芽衣を睨む。
負けじと睨み返すと、聖は諦めたようにため息をついた。
「分かったよ。ここで弾きゃいいんだろ。いくぞ!」
「はい」
二人で挑むようにアイコンタクトを取り、ダークな演奏を始める。
ザワッと鳥肌が立ち、ホールの空気が一変した。
聖の奏でる音は恐ろしいほどに研ぎ澄まされている。
(くっそー!怖いよー!)
ガイコツに対抗するように、芽衣も懸命に鋭い音を奏でた。
一瞬でも隙を見せたら負け。
そんな二人の掛け合いに、観客も固唾を呑む。
かっこいいけど、恐ろしい。
恐ろしいけど、かっこいい。
そんな思いで誰もが聖と芽衣から目をそらせない。
ラストに向けて疾走感が増していく。
二人のエネルギーに身体ごと持っていかれそうになり、ギュッと拳を握りしめる観客。
やがて不気味さを残したまま、静かに曲は終わりを告げる。
ホールに静けさが戻り、ゴクリと生唾を飲んでから、観客は一斉に手を叩く。
芽衣はハッとして、思わずまた聖のジャケットの裾を掴んだ。
「おい、離せ。挨拶出来ないだろ」
「だって、怖くって」
「はあ?まだ言うか。どこにいるってんだよ、ガイコ……」
「いやー!言わないで!」
まったくもう、と聖は大きく息を吐く。
「ほら、立て。お客様を待たせるんじゃない」
聖は芽衣の手を取って立たせると、そのままステージの前方に歩み出た。
拍手がより一層大きくなる。
二人で深々とお辞儀をし、時間をかけてゆっくりと顔を上げる。
客席を見渡して笑顔で応えたあと、聖は芽衣の手を引っ張って袖に引き揚げた。
◇
「お前な、前代未聞だぞ!本番中に話しかけてきて服引っぱるとか、信じられん!」
「そんなこと言われたって、怖いんだから仕方ないでしょ?私だって澄ました顔で最後まで演奏したかったですよ」
「じゃあ我慢して澄ました顔してりゃよかっただろ?」
「出来ないから仕方なく呼んだんじゃないですか」
「仮にも演奏者だぞ?聞いたことないわ、怖くて弾けない!とか。それでもピアニストか?」
「私がこんなふうになっちゃったのは、如月さんのせいですよね?!」
ワーワー言い合う聖と芽衣を、公平が間に入って止める。
「あーもう!本番後に舞台袖でけんかするのだって前代未聞だ。ほら、アンコール行って来い!」
鳴り止まない拍手に、公平が聖と芽衣の背中を強引に押した。
笑顔を貼りつけて二人はステージに戻る。
拍手が大きくなり、聖は感謝の気持ちを込めて頭を下げた。
楽器を構えると、すぐさま観客は拍手をやめ、静けさが広がる。
「ねえ、如月さん」
芽衣がささやくと、聖はギロリと芽衣を睨んだ。
「なんだよ?!また話しかけるとか、信じられん!楽器構えてんだぞ?」
「だって、アンコール何やるか、決めてなかったですもん」
「あ……」
聖は真顔に戻る。
そうだ。
人気投票でどの曲が選ばれるか分からなかった為、アンコール曲が決められなかったのだった。
「ええい、じゃあ『チャルダッシュ』!超高速のな」
「分かりました。いきます」
芽衣は力強く冒頭の和音を鳴らす。
低い音をたっぷり溜めてから、一気に駆け上がった。
聖が空気を切り裂くような低音を響かせ、妖艶に歌い出す。
大人の余裕、男の色気。
ガラリと変わった雰囲気に、芽衣は思わず酔いしれる。
(色気かあ、どこから来るんだろう?)
そんなことを考えられたのは序盤だけ。
中盤、一気にテンポを上げると、芽衣は聖の動きを凝視して指を走らせる。
一瞬でも気を緩める訳にはいかない。
一旦テンポが落ち着き、フラジオレットの美しさにうっとりしたのも束の間、またしてもテンポが変わり、更に速度と熱量を増していく。
最後は二人で一気に駆け抜け、長くたっぷり音を伸ばしてから、息を揃えてザン!とラストの音を放った。
ワッと拍手が沸き起こる。
やり切った顔で聖が頭を下げ、観客は惜しみない拍手をいつまでも送っていた。
◇
ダブルアンコールに、ストラヴィンスキー作曲のバレエ音楽「火の鳥」カスチェイ王の魔の踊りを演奏し、それでも鳴り止まないカーテンコールに応えて何度も挨拶したあと、ようやくコンサートは無事に終演となった。
「お疲れ様!なんか色々あったみたいだけど、とにかく良かったぞ、二人とも」
公平は苦笑いを浮かべながら二人を労う。
「ほんとだよ、ったく。演奏とは別のところで疲れたわ」
「まだ言いますか?!もう、終わったことはいいでしょ?」
「なんだよ!かき乱した張本人がケロッとしてるって、おかしいだろ?!」
はいはい、と公平は二人を引き離した。
「とにかく着替えて来いよ。このあとは楽しい打ち上げだぞー!」
「そうだ!マトリョーシカのスウィイートルーム!やったー、るんるん!着替えて来まーす!」
芽衣はご機嫌で控え室へと向かい、残された聖は深いため息をついた。
すると芽衣と入れ違うように、理事長がやって来る。
「おお、聖!なかなかのコンサートだったぞ」
「そうですか。それは何より」
「なんだ?もっと嬉しそうにせんか」
「はあ、これが精一杯です」
「ははは!さすがのお前も精根尽きたか?」
「別の意味で吸い取られました」
あはは!と理事長はおかしそうに笑うと、ポンポンと聖の肩を叩く。
「お疲れ。ホテルでゆっくり疲れを癒やすといい。ルームサービスでコース料理とシャンパン頼んでおいたからな」
「ありがとうございまーす」
「ははは!こんなしおらしい聖は初めてだな。なかなか貴重だ。さてと、イスラメイちゃんにも挨拶して来よう。またな、聖」
「はーい。お疲れ様でーす」
理事長は愉快気に笑って、手を挙げながら去って行った。
◇
「めーいー!さいっこうに良かったよ!」
控え室にやって来た弥生は、興奮冷めやらぬ様子で芽衣に抱きついた。
「演奏もほんっとにすごかった。けどさ、如月さんとのやり取りがもう、夫婦漫才みたいで大ウケ!何あれ?仕込んであったの?」
芽衣は唇を尖らせながら答える。
「そんな訳ないでしょ?」
「えー、あれがアドリブなの?すごいんだけど!」
「別に笑いを取ろうとしたんじゃないの。普通にけんかになっただけ」
「本番中にステージでけんか?面白過ぎる!しかもアンコール前にも揉めてたよね?もう最高!演奏で感動して、漫才で笑い転げて。はあ、楽しかった」
満足そうに弥生が笑っていると、ノックの音がした。
「はい、どうぞ」
すると理事長が顔を覗かせる。
「イスラメイちゃん、お疲れ様!最高のステージだったよ」
「理事長!ありがとうございます」
「このあとはホテルでゆっくりしなさいね。食事も手配してあるから。ん?こちらはお友達かな?」
「あ、はい。大学の同級生だった、鈴木 弥生さんです」
芽衣が紹介すると、弥生が「鈴木です、初めまして」と挨拶した。
「これはこれは、聖の祖父です。可愛らしいお嬢さんだね。イスラメイちゃんのお友達か。よかったらこれから一緒にホテルに向かうといいよ。部屋は広いから、一人増えたって構わない。料理も手配しておくね」
え!と弥生は慌てふためく。
「そんな図々しいこと出来ません。私のことなどお気遣いなく」
「でも、イスラメイちゃんだってお友達と一緒の方がいいだろう?弥生ちゃんと言ったね。君もピアノ科だったの?」
「はい、そうです」
「それなら、公平とも話が合うだろう。四人で楽しくおしゃべりしたらいい。それじゃあ、またね」
「あ、はい!ありがとうございます」
結局弥生も含めた四人でホテルのスイートルームに向かうことになった。
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「私が……蒼一さんと結婚します」
姉の身代わりに結婚した咲良。好きな人と夫婦になれるも、心も体も通じ合えない片想い。
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