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10 対価のバランス
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《side:ルルーシア》
植物園の管理棟は、本来ならば関係者以外は立ち入れない場所である。
だがローレンス様は慣れた様子で、入り口の守衛に声を掛けた。
「ローレンス・エイムズだが、クレヴァリー殿にお会いしたい」
「ええ、お話は伺っております。
ご案内させましょう」
守衛室の奥からもう一人男性が出て来て、管理棟の中の一室に私達を案内してくれた。
応接室の様なその部屋に入ると、黒い革張りのソファーに座る様に促される。
「只今呼び出して参りますので、少々お待ち下さい」
男性はそう言って部屋を出て行った。
代わりに入って来た秘書の様な女性が、鮮やかな紫色のハーブティーを提供してくれる。
口に運ぶと、心が穏やかになる様な優しい香りがした。
お茶に癒され少し寛いだ気持ちになった頃に、不意にガチャリと扉が開く音がして、ピクっと肩が震えた。
「ノックぐらいしたらどうだ。
急に開けたら驚くだろ」
ローレンス様が胡乱な視線を向けた先には、皺の付いた白衣姿でボサボサ髪の長身の男性がいた。
「悪いな。つい、うっかり」
ポリポリと頭をかいて、悪びれない様子のこの男性が『クレヴァリー氏』だろうか。
「ルルーシア、彼はサイモン・クレヴァリー。
兄の古い友人で、植物学者だ」
「初めまして。
ルルーシア・ブルーノと申します。
ローレンス様の・・・・・・学友、です」
どう自己紹介するべきなのか一瞬迷ったが、無難に学友と言っておいた。
偽りの関係なのに『恋人です』と名乗るのは、流石に厚かましいだろう。
クラスメイトなのだから、学友ならば嘘では無い。
それなのに、ローレンス様が微かに不機嫌そうに見えるのは何故だろうか?
「サイモン・クレヴァリーです」
ニコリと笑った彼は、なかなかの男前である。
ボロボロの格好をしているのが勿体無い気もするが、研究者というのは、身なりをあまり気にしない物なのかもしれない。
「例の物、用意出来たか?」
「ああ。
ブルーノ嬢、こちらをどうぞ」
クレヴァリー様に手渡されたのは、一冊の分厚いファイルだった。
ペラリと表紙を捲ると、その中身は、ブルーノ子爵領の気候や土壌の問題点や、子爵領でも育てられそうな薬草などの一覧、土壌の改良方法などが詳しく記されている。
「・・・っ!・・・コレ、は・・・・・・」
私が言葉を失っていると、クレヴァリー様が資料を見ながらその内容を丁寧に解説してくれた。
そして、私の素人丸出しの質問にも優しく答えてくれる。
お陰で今迄土壌の改良が上手くいかなかった原因が、朧げにだが見えて来た。
それに、薬草を栽培すると言うのは考えたことがなかったのだ。
「・・・───と、まあ、そんな感じでやってみると良いと思います。
本当は野菜などの作物の方が、売れ残った場合も領民の食料になって良いのでしょうけどね。
薬草は様々な種類があって、痩せた土壌や乾燥した土の方が逆に育つ物もあります」
「そうですね。
食物にばかり目が行ってましたが、薬草ならば収穫後に乾燥させるにも、雨が少ないブルーノ領の気候は適しているかも知れません。
乾燥させれば日持ちもするから、交通の便が悪いウチの領地から他領に持ち込むにも都合が良いですし」
「まあ、土壌の改良なども一応資料を用意しましたが、大掛かりですし初期投資がかなりかかりますので、実行するのは難しいでしょう。
出来る範囲で参考にして頂ければ」
「なんとお礼を言えば良いのか・・・」
「僕はローレンスに頼まれた事を調べただけですから、礼なら彼に言って下さい。
条件の悪い場所での植物の育成研究は、僕の専門分野なんですよ。
お役に立てると良いのですが」
「ありがとうございます!
頑張ってみます」
クレヴァリー様に何度も頭を下げて、管理棟を後にした。
外から建物を見上げて、ホゥッと息を吐く。
まだ高揚していた気持ちが、冷んやりとした外気に触れて少しだけ落ち着いた。
上手く行けば、私が居なくなった後の領民の生活が楽になるかもしれない。
その成果を自分で確かめられないのが残念ではあるけど。
ローレンス様は、先日私が食堂でうっかり漏らした愚痴を覚えていてくれたのだ。
そして、それを解決しようと知人に協力を依頼してくれた。
只の契約の恋人にもこの神対応。
今更ながら、試験対策への協力しか対価が用意出来ない自分が情けなくなってくる。
「ローレンス様、素晴らしい方を紹介してくださって、本当にありがとうございます」
頂いたファイルを胸に抱き締めながらお礼を言うと、彼は微かに眉根を寄せた。
「喜んでもらえたのは嬉しいけど、そんな風に言われるのは、なんだか複雑だな」
「?」
「・・・いや、何でもない」
ローレンス様は少し困った様に眉を下げて、私の頭をポンポンと撫でた。
「だけどこの恋愛契約、私にばかりメリットが大きい気がして来ました」
一番の懸念事項を打ち明けると、彼は爽やかに笑った。
「ルルーシアのお陰で俺の成績は一気に上がったんだから、そんな事は無いと思うけど・・・・・・。
そんなに気になるなら、もう一つだけ対価を要求しようかな?」
「私に出来る事でしたら是非」
「じゃあ・・・、契約が終わるまでの間に、俺の頬にキスをする事」
チョンチョンと、自分の頬を指で突きながら悪戯っぽい笑みを浮かべる彼はとても色っぽい。
「えっ・・・?・・・はっ!?」
思わずポカンと口を開けた私の顔が、みるみる熱くなってくる。
きっと、みっともなく赤い顔をしているのだろう。
「嫌か?」
「嫌・・・では、ないです、けど・・・」
「じゃあ決まりな。
恋愛講座の卒業試験だとでも思って」
「・・・は、い」
彼にキスをするのは、勿論嫌じゃない。
好きな人の頬に堂々と口付けする権利を得たのだから、寧ろご褒美だ。
・・・・・・だが、果たして、好きでもない女からのキスが彼にとっての対価になり得るのだろうか?
───好きでもない。
自分の脳裏に浮かんだ言葉に、胸が抉られる。
そう。
彼は私の事を好きな訳ではない。
契約だから、大事にしてくれているだけ。
勘違いしない様にしなければ。
きっと、ろくな対価を用意出来なくて申し訳無く思っている私の心を軽くしようとして、こんな冗談半分の提案をしてくれたのだろう。
私の本当の想いを知ったら、彼は私を軽蔑するだろうか?
植物園の管理棟は、本来ならば関係者以外は立ち入れない場所である。
だがローレンス様は慣れた様子で、入り口の守衛に声を掛けた。
「ローレンス・エイムズだが、クレヴァリー殿にお会いしたい」
「ええ、お話は伺っております。
ご案内させましょう」
守衛室の奥からもう一人男性が出て来て、管理棟の中の一室に私達を案内してくれた。
応接室の様なその部屋に入ると、黒い革張りのソファーに座る様に促される。
「只今呼び出して参りますので、少々お待ち下さい」
男性はそう言って部屋を出て行った。
代わりに入って来た秘書の様な女性が、鮮やかな紫色のハーブティーを提供してくれる。
口に運ぶと、心が穏やかになる様な優しい香りがした。
お茶に癒され少し寛いだ気持ちになった頃に、不意にガチャリと扉が開く音がして、ピクっと肩が震えた。
「ノックぐらいしたらどうだ。
急に開けたら驚くだろ」
ローレンス様が胡乱な視線を向けた先には、皺の付いた白衣姿でボサボサ髪の長身の男性がいた。
「悪いな。つい、うっかり」
ポリポリと頭をかいて、悪びれない様子のこの男性が『クレヴァリー氏』だろうか。
「ルルーシア、彼はサイモン・クレヴァリー。
兄の古い友人で、植物学者だ」
「初めまして。
ルルーシア・ブルーノと申します。
ローレンス様の・・・・・・学友、です」
どう自己紹介するべきなのか一瞬迷ったが、無難に学友と言っておいた。
偽りの関係なのに『恋人です』と名乗るのは、流石に厚かましいだろう。
クラスメイトなのだから、学友ならば嘘では無い。
それなのに、ローレンス様が微かに不機嫌そうに見えるのは何故だろうか?
「サイモン・クレヴァリーです」
ニコリと笑った彼は、なかなかの男前である。
ボロボロの格好をしているのが勿体無い気もするが、研究者というのは、身なりをあまり気にしない物なのかもしれない。
「例の物、用意出来たか?」
「ああ。
ブルーノ嬢、こちらをどうぞ」
クレヴァリー様に手渡されたのは、一冊の分厚いファイルだった。
ペラリと表紙を捲ると、その中身は、ブルーノ子爵領の気候や土壌の問題点や、子爵領でも育てられそうな薬草などの一覧、土壌の改良方法などが詳しく記されている。
「・・・っ!・・・コレ、は・・・・・・」
私が言葉を失っていると、クレヴァリー様が資料を見ながらその内容を丁寧に解説してくれた。
そして、私の素人丸出しの質問にも優しく答えてくれる。
お陰で今迄土壌の改良が上手くいかなかった原因が、朧げにだが見えて来た。
それに、薬草を栽培すると言うのは考えたことがなかったのだ。
「・・・───と、まあ、そんな感じでやってみると良いと思います。
本当は野菜などの作物の方が、売れ残った場合も領民の食料になって良いのでしょうけどね。
薬草は様々な種類があって、痩せた土壌や乾燥した土の方が逆に育つ物もあります」
「そうですね。
食物にばかり目が行ってましたが、薬草ならば収穫後に乾燥させるにも、雨が少ないブルーノ領の気候は適しているかも知れません。
乾燥させれば日持ちもするから、交通の便が悪いウチの領地から他領に持ち込むにも都合が良いですし」
「まあ、土壌の改良なども一応資料を用意しましたが、大掛かりですし初期投資がかなりかかりますので、実行するのは難しいでしょう。
出来る範囲で参考にして頂ければ」
「なんとお礼を言えば良いのか・・・」
「僕はローレンスに頼まれた事を調べただけですから、礼なら彼に言って下さい。
条件の悪い場所での植物の育成研究は、僕の専門分野なんですよ。
お役に立てると良いのですが」
「ありがとうございます!
頑張ってみます」
クレヴァリー様に何度も頭を下げて、管理棟を後にした。
外から建物を見上げて、ホゥッと息を吐く。
まだ高揚していた気持ちが、冷んやりとした外気に触れて少しだけ落ち着いた。
上手く行けば、私が居なくなった後の領民の生活が楽になるかもしれない。
その成果を自分で確かめられないのが残念ではあるけど。
ローレンス様は、先日私が食堂でうっかり漏らした愚痴を覚えていてくれたのだ。
そして、それを解決しようと知人に協力を依頼してくれた。
只の契約の恋人にもこの神対応。
今更ながら、試験対策への協力しか対価が用意出来ない自分が情けなくなってくる。
「ローレンス様、素晴らしい方を紹介してくださって、本当にありがとうございます」
頂いたファイルを胸に抱き締めながらお礼を言うと、彼は微かに眉根を寄せた。
「喜んでもらえたのは嬉しいけど、そんな風に言われるのは、なんだか複雑だな」
「?」
「・・・いや、何でもない」
ローレンス様は少し困った様に眉を下げて、私の頭をポンポンと撫でた。
「だけどこの恋愛契約、私にばかりメリットが大きい気がして来ました」
一番の懸念事項を打ち明けると、彼は爽やかに笑った。
「ルルーシアのお陰で俺の成績は一気に上がったんだから、そんな事は無いと思うけど・・・・・・。
そんなに気になるなら、もう一つだけ対価を要求しようかな?」
「私に出来る事でしたら是非」
「じゃあ・・・、契約が終わるまでの間に、俺の頬にキスをする事」
チョンチョンと、自分の頬を指で突きながら悪戯っぽい笑みを浮かべる彼はとても色っぽい。
「えっ・・・?・・・はっ!?」
思わずポカンと口を開けた私の顔が、みるみる熱くなってくる。
きっと、みっともなく赤い顔をしているのだろう。
「嫌か?」
「嫌・・・では、ないです、けど・・・」
「じゃあ決まりな。
恋愛講座の卒業試験だとでも思って」
「・・・は、い」
彼にキスをするのは、勿論嫌じゃない。
好きな人の頬に堂々と口付けする権利を得たのだから、寧ろご褒美だ。
・・・・・・だが、果たして、好きでもない女からのキスが彼にとっての対価になり得るのだろうか?
───好きでもない。
自分の脳裏に浮かんだ言葉に、胸が抉られる。
そう。
彼は私の事を好きな訳ではない。
契約だから、大事にしてくれているだけ。
勘違いしない様にしなければ。
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