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28 番外編・後
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《side:???》
私が初めて夫に強く殴りつけられたのは、誕生日の出来事から一ヶ月程経った頃だった。
領地視察に来たと言う夫は、出迎えて挨拶をした私に、「辛気臭い顔を見せるな」と言い放って、頬を力一杯殴った。
口の中に鉄のような味が広がる。
殴られた原因は分からない。
いや、きっと原因なんて無いのだ。
ただ虫の居所が悪かっただけ。
おそらく義父から「少しは領地の経営に携われ」とでも言われてムシャクシャしていたのだろう。
でなければ自主的にあの男が領地視察に来る事など無いのだから。
最低な男と結婚し、子爵家の執務を全て押し付けられ、何の落ち度も無いのに暴力を振るわれる。
私の人生って一体なんだろう?
「・・・・・・死にたい」
テラスのベンチに座り、殴られて紫色に腫れた頬を冷やしながら、思わずポツリと呟きが漏れた。
「しっ、死んじゃダメですっ!
生きてさえいれば、きっと良い事もありますから!
死ぬくらいなら、逃げて下さい!!」
焦った様な声に驚いて振り返ると、そこに居たのは庭師の彼だった。
逃げたい。
逃げてしまいたい。
・・・・・・逃げよう。
一人で逃げるつもりだった私に彼は言った。
「貴族のご夫人が一人で市井に出るのは危険です。
俺を愛してくれなんて言いません。
生活が安定するまでで構わないから、貴女を守らせて下さい」
確かに、私は殆ど市井を知らない。
だから逡巡しつつも、最終的には頷いた。
それに、私は少し嬉しかったのだ
異性にこんなに優しくされたのは、初めてだったから。
私達が最後まで迷ったのは、あの子を連れて行くかどうか。
ずっと貴族として生きて来た私がここから逃げても、まともな生活が出来るとは思えない。
庭師として手に職を持っている彼も、もしも「雇い主の妻と駆け落ちをした」と言う事実が広まれば、雇ってくれる人などいないだろう。
食べる物にも困る生活をさせるかもしれないのに、育ち盛りの娘を連れて行っても良いのだろうか?
ここに置いて行けば、最低限の衣食住は提供される。
でも、夫の暴力がいつか子供に向くかもしれない。
それとも、逃げるのを諦めて、私もここに残るべきなのか?
しかし、私の心はずっと悲鳴を上げていて、もうとっくに限界を迎えていたのだ。
迷った挙句、私はとうとう、あの子を捨てた。
夫が自分の両親に会わせる為にあの子を王都へと連れ出した隙に、小さな荷物をひとつだけ持って邸を出た。
それからの日々は、予想以上に大変だった。
徒歩で移動したり農家の荷馬車に乗せて貰ったりしながら、少しづつ移動して領地を離れ、王都とは反対方向の田舎町へと向かった。
田舎の方ならば私達の噂も耳に入らないだろうから、彼を雇ってくれる家があるかもしれないと思って。
でも、残念ながら庭師を雇う様な大きな邸は田舎には殆ど無かった。
彼は庭師の仕事だけでなく力仕事も探し、私は刺繍や裁縫の仕事を探した。
だが、日雇いの仕事がたまに見つかる程度で、パンが買えずに水だけで凌ぐ日さえあった。
物乞いの様な真似をした事だってある。
どんなに困窮しても、私は体を売る事だけはどうしてもしたくなかったのだ。
そんな生活でも、あの家にいた時のことを思うと、私は幸せだった。
だけど、その幸せは、あの子を捨てて掴んだ物だ。
瞼の裏に浮かぶのは、あの日貰った笑顔。
半身を失った様な喪失感と、我が子を捨てた罪悪感で眠れない夜を何度も超えた。
あの子に似た髪色の子を街で見掛けると、つい、いつまでも見詰めてしまう。
そして、ふと隣を見上げると、彼もまた辛そうな表情でその子をジッと見ているのだ。
彼もきっと、罪悪感に苦しんでいたのだろう。
本来、彼はとても子供好きな人だから。
それから10年以上経った頃、漸く人間らしい生活が出来る様になった。
ある商家の別荘の庭の整備に彼が日雇いで呼ばれた時に気に入られ、港町にある本邸で雇いたいと打診されたのだ。
私も事務員として仕事をさせて貰える事になった。
二人共お給料は安かったが、安定した収入があるのは有難い。
その商家は貴族との取引もあって、色々な噂が耳に入る。
そこで数年勤めて環境にも慣れた頃。
仕事の休み時間、いつもの様に噂話に花を咲かせる同僚達の声を聞き流していると、思わぬ情報がもたらされた。
どうやら、元夫が断罪されて王都を追放されたらしい。
「・・・ねぇ、その家には確か娘がいたでしょう?
その子はどうなったの?」
居ても立ってもいられなくて、同僚達の会話に口を挟む。
「あら、貴女がお貴族様のゴシップに興味を持つなんて、珍しいわね。
そのお嬢様なら、少し前に他の家の養女になったみたい。
侯爵家の跡取りと婚約する為だったらしいわ」
「下位貴族の出身なのに、侯爵令息に見初められるなんて素敵ねぇ。
まるで物語みたいだわ」
夢見る様に頬を染めた彼女達の話を聞いて、涙が出そうだった。
(ああ、あの子も幸せになれたんだ)
今更、私みたいな女とは、関わりを持たない方が良い。
それがあの子の為だ。
分かってはいるけれど───。
あの子が学園を卒業する日、私は沢山の種類の花を集めた花束を贈った。
私の誕生日にあの子がくれた物に似た花束。
辛い結婚生活の中の、唯一の優しい思い出。
完全に自己満足なその贈り物に、差出人の名前は書かなかった。
『愛している』も『ごめんなさい』も伝える権利さえ無いのだと分かってるから。
私はあの子を捨てた後悔を、ずっと忘れないように生きて行く。
それが、私に出来る唯一の贖罪。
この贈り物を最後に、二度とあの子に関わったりはしないと誓おう。
さよなら、ルルーシア。
愛しい私の天使。
もう会う事は叶わないけれど、どうか、いつまでも幸せでいて。
【終】
私が初めて夫に強く殴りつけられたのは、誕生日の出来事から一ヶ月程経った頃だった。
領地視察に来たと言う夫は、出迎えて挨拶をした私に、「辛気臭い顔を見せるな」と言い放って、頬を力一杯殴った。
口の中に鉄のような味が広がる。
殴られた原因は分からない。
いや、きっと原因なんて無いのだ。
ただ虫の居所が悪かっただけ。
おそらく義父から「少しは領地の経営に携われ」とでも言われてムシャクシャしていたのだろう。
でなければ自主的にあの男が領地視察に来る事など無いのだから。
最低な男と結婚し、子爵家の執務を全て押し付けられ、何の落ち度も無いのに暴力を振るわれる。
私の人生って一体なんだろう?
「・・・・・・死にたい」
テラスのベンチに座り、殴られて紫色に腫れた頬を冷やしながら、思わずポツリと呟きが漏れた。
「しっ、死んじゃダメですっ!
生きてさえいれば、きっと良い事もありますから!
死ぬくらいなら、逃げて下さい!!」
焦った様な声に驚いて振り返ると、そこに居たのは庭師の彼だった。
逃げたい。
逃げてしまいたい。
・・・・・・逃げよう。
一人で逃げるつもりだった私に彼は言った。
「貴族のご夫人が一人で市井に出るのは危険です。
俺を愛してくれなんて言いません。
生活が安定するまでで構わないから、貴女を守らせて下さい」
確かに、私は殆ど市井を知らない。
だから逡巡しつつも、最終的には頷いた。
それに、私は少し嬉しかったのだ
異性にこんなに優しくされたのは、初めてだったから。
私達が最後まで迷ったのは、あの子を連れて行くかどうか。
ずっと貴族として生きて来た私がここから逃げても、まともな生活が出来るとは思えない。
庭師として手に職を持っている彼も、もしも「雇い主の妻と駆け落ちをした」と言う事実が広まれば、雇ってくれる人などいないだろう。
食べる物にも困る生活をさせるかもしれないのに、育ち盛りの娘を連れて行っても良いのだろうか?
ここに置いて行けば、最低限の衣食住は提供される。
でも、夫の暴力がいつか子供に向くかもしれない。
それとも、逃げるのを諦めて、私もここに残るべきなのか?
しかし、私の心はずっと悲鳴を上げていて、もうとっくに限界を迎えていたのだ。
迷った挙句、私はとうとう、あの子を捨てた。
夫が自分の両親に会わせる為にあの子を王都へと連れ出した隙に、小さな荷物をひとつだけ持って邸を出た。
それからの日々は、予想以上に大変だった。
徒歩で移動したり農家の荷馬車に乗せて貰ったりしながら、少しづつ移動して領地を離れ、王都とは反対方向の田舎町へと向かった。
田舎の方ならば私達の噂も耳に入らないだろうから、彼を雇ってくれる家があるかもしれないと思って。
でも、残念ながら庭師を雇う様な大きな邸は田舎には殆ど無かった。
彼は庭師の仕事だけでなく力仕事も探し、私は刺繍や裁縫の仕事を探した。
だが、日雇いの仕事がたまに見つかる程度で、パンが買えずに水だけで凌ぐ日さえあった。
物乞いの様な真似をした事だってある。
どんなに困窮しても、私は体を売る事だけはどうしてもしたくなかったのだ。
そんな生活でも、あの家にいた時のことを思うと、私は幸せだった。
だけど、その幸せは、あの子を捨てて掴んだ物だ。
瞼の裏に浮かぶのは、あの日貰った笑顔。
半身を失った様な喪失感と、我が子を捨てた罪悪感で眠れない夜を何度も超えた。
あの子に似た髪色の子を街で見掛けると、つい、いつまでも見詰めてしまう。
そして、ふと隣を見上げると、彼もまた辛そうな表情でその子をジッと見ているのだ。
彼もきっと、罪悪感に苦しんでいたのだろう。
本来、彼はとても子供好きな人だから。
それから10年以上経った頃、漸く人間らしい生活が出来る様になった。
ある商家の別荘の庭の整備に彼が日雇いで呼ばれた時に気に入られ、港町にある本邸で雇いたいと打診されたのだ。
私も事務員として仕事をさせて貰える事になった。
二人共お給料は安かったが、安定した収入があるのは有難い。
その商家は貴族との取引もあって、色々な噂が耳に入る。
そこで数年勤めて環境にも慣れた頃。
仕事の休み時間、いつもの様に噂話に花を咲かせる同僚達の声を聞き流していると、思わぬ情報がもたらされた。
どうやら、元夫が断罪されて王都を追放されたらしい。
「・・・ねぇ、その家には確か娘がいたでしょう?
その子はどうなったの?」
居ても立ってもいられなくて、同僚達の会話に口を挟む。
「あら、貴女がお貴族様のゴシップに興味を持つなんて、珍しいわね。
そのお嬢様なら、少し前に他の家の養女になったみたい。
侯爵家の跡取りと婚約する為だったらしいわ」
「下位貴族の出身なのに、侯爵令息に見初められるなんて素敵ねぇ。
まるで物語みたいだわ」
夢見る様に頬を染めた彼女達の話を聞いて、涙が出そうだった。
(ああ、あの子も幸せになれたんだ)
今更、私みたいな女とは、関わりを持たない方が良い。
それがあの子の為だ。
分かってはいるけれど───。
あの子が学園を卒業する日、私は沢山の種類の花を集めた花束を贈った。
私の誕生日にあの子がくれた物に似た花束。
辛い結婚生活の中の、唯一の優しい思い出。
完全に自己満足なその贈り物に、差出人の名前は書かなかった。
『愛している』も『ごめんなさい』も伝える権利さえ無いのだと分かってるから。
私はあの子を捨てた後悔を、ずっと忘れないように生きて行く。
それが、私に出来る唯一の贖罪。
この贈り物を最後に、二度とあの子に関わったりはしないと誓おう。
さよなら、ルルーシア。
愛しい私の天使。
もう会う事は叶わないけれど、どうか、いつまでも幸せでいて。
【終】
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そうなのです。
今回のタイトルの「さよなら」の部分は、
ルル→ローレンス(後に撤回)だけでなく、
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不器用な二人の恋をニヤニヤしながら見守って頂けたみたいで、とても嬉しいです♪
血縁があるからって、無条件で愛情や信頼が生まれる訳では無いですよねヽ(´o`;
元家族とは上手く行かなかったルルですが、ローレンスと両思いになり、新しい家族も出来て、きっと幸せになってくれると思います。
いつも拙作を読んで下さる千夜歌様に最大級の感謝をm(_ _)m
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感想ありがとうございます💕
母の葛藤や愛情を読み取ってもらえて良かった。ちゃんと表現出来ていたか心配だったので、とても嬉しいです😆
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