1 / 23
1 どうか忘れて
しおりを挟む
窓から差し込む柔らかな日差しが、アルバートの青みがかった美しい銀髪を輝かせる。
新緑の様な明るいグリーンの瞳は、残念ながら固く閉じられた瞼の下に隠され、長いまつ毛が頬に影を作っていた。
彼の足元の床には飲みかけの紅茶のカップが転がり、カーペットに茶色い染みが広がっている。
ソファーに深く沈み込み、意識を失っている彼の頬にそっと触れると、愛しさと苦しさが同時に込み上げ、私の視界がジワリと歪んだ。
フゥっと深く息を吐いて、涙が零れ落ちるのを堪える。
「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」
二人きりの空間に、私の小さな呟きが零れる。
彼の瞳が再び開く時、彼の記憶の中に私はいない。
いない、はずだ。
真っ暗森の魔女さんを信じるのならば。
私は手のひらの中に隠し持っていたガラスの小瓶を、ポケットにしまった。
起こさない様にそっと彼の頬を撫でていると、走馬灯の様に今までの二人の思い出の数々が、私の胸に去来する。
覚悟していたはずなのに、やっぱり離れがたい。
彼の事を、誰よりも愛しているから。
どれくらい、そうしていただろうか?
凄く短い時間だった気もするし、永遠とも思える程に長い時間だった気もする。
部屋の扉をノックする音で我に返った私は、床に転がっていたカップを拾ってテーブルに戻した。
「コーデリア様、そろそろお茶のお代わりをご用意しましょうか?」
入室したフェルトン伯爵家の侍女は、いつもと変わらず私を気遣ってくれる。
もう私は、そんな風に大事にして貰える様な立場では無いというのに。
「ありがとう。でも結構よ。
なんだかアルバートは疲れているみたいで、ソファーで眠ってしまったの。
だから、私も今日はもうお暇するわね。
申し訳ないけど、紅茶を床にこぼしてしまったから、後で掃除をお願い出来るかしら?」
「あらまあ、せっかく愛しの婚約者様がいらしてくださったのに、坊っちゃまはお昼寝ですか?
本当に困った方ですねぇ。
お掃除の件は、かしこまりました。こう見えても染み抜きは得意なので大丈夫ですよ。
コーデリア様のドレスには掛かりませんでしたか?」
親切なこの侍女とも今日でお別れなのかと思うと、やっぱり淋しい。
「ええ、大丈夫よ。
それから、このお手紙をフェルトン伯爵にお渡しして貰える?」
「構いませんが、旦那様は今ご在宅ですので、お会いになればよろしいのに……」
いつもの私だったらそうしていただろう。
手紙を託すなんて初めての事だ。
シンプルな白い封筒を渡されて不思議そうに首を傾げている侍女に向かって、私は言った。
「残念だけど、もう行かなきゃいけないの。
面倒を掛けてしまって申し訳ないけど、お願いね」
「はい、確かにお預かりしました」
こうして、私はフェルトン伯爵邸を後にして、そのまま彼等の前から姿を消した。
それが、アルバートの為に私が出来る唯一の事なのだと、信じていたから。
新緑の様な明るいグリーンの瞳は、残念ながら固く閉じられた瞼の下に隠され、長いまつ毛が頬に影を作っていた。
彼の足元の床には飲みかけの紅茶のカップが転がり、カーペットに茶色い染みが広がっている。
ソファーに深く沈み込み、意識を失っている彼の頬にそっと触れると、愛しさと苦しさが同時に込み上げ、私の視界がジワリと歪んだ。
フゥっと深く息を吐いて、涙が零れ落ちるのを堪える。
「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」
二人きりの空間に、私の小さな呟きが零れる。
彼の瞳が再び開く時、彼の記憶の中に私はいない。
いない、はずだ。
真っ暗森の魔女さんを信じるのならば。
私は手のひらの中に隠し持っていたガラスの小瓶を、ポケットにしまった。
起こさない様にそっと彼の頬を撫でていると、走馬灯の様に今までの二人の思い出の数々が、私の胸に去来する。
覚悟していたはずなのに、やっぱり離れがたい。
彼の事を、誰よりも愛しているから。
どれくらい、そうしていただろうか?
凄く短い時間だった気もするし、永遠とも思える程に長い時間だった気もする。
部屋の扉をノックする音で我に返った私は、床に転がっていたカップを拾ってテーブルに戻した。
「コーデリア様、そろそろお茶のお代わりをご用意しましょうか?」
入室したフェルトン伯爵家の侍女は、いつもと変わらず私を気遣ってくれる。
もう私は、そんな風に大事にして貰える様な立場では無いというのに。
「ありがとう。でも結構よ。
なんだかアルバートは疲れているみたいで、ソファーで眠ってしまったの。
だから、私も今日はもうお暇するわね。
申し訳ないけど、紅茶を床にこぼしてしまったから、後で掃除をお願い出来るかしら?」
「あらまあ、せっかく愛しの婚約者様がいらしてくださったのに、坊っちゃまはお昼寝ですか?
本当に困った方ですねぇ。
お掃除の件は、かしこまりました。こう見えても染み抜きは得意なので大丈夫ですよ。
コーデリア様のドレスには掛かりませんでしたか?」
親切なこの侍女とも今日でお別れなのかと思うと、やっぱり淋しい。
「ええ、大丈夫よ。
それから、このお手紙をフェルトン伯爵にお渡しして貰える?」
「構いませんが、旦那様は今ご在宅ですので、お会いになればよろしいのに……」
いつもの私だったらそうしていただろう。
手紙を託すなんて初めての事だ。
シンプルな白い封筒を渡されて不思議そうに首を傾げている侍女に向かって、私は言った。
「残念だけど、もう行かなきゃいけないの。
面倒を掛けてしまって申し訳ないけど、お願いね」
「はい、確かにお預かりしました」
こうして、私はフェルトン伯爵邸を後にして、そのまま彼等の前から姿を消した。
それが、アルバートの為に私が出来る唯一の事なのだと、信じていたから。
283
あなたにおすすめの小説
記憶喪失になった婚約者から婚約破棄を提案された
夢呼
恋愛
記憶喪失になったキャロラインは、婚約者の為を思い、婚約破棄を申し出る。
それは婚約者のアーノルドに嫌われてる上に、彼には他に好きな人がいると知ったから。
ただでさえ記憶を失ってしまったというのに、お荷物にはなりたくない。彼女のそんな健気な思いを知ったアーノルドの反応は。
設定ゆるゆる全3話のショートです。
【完結】地味令嬢の願いが叶う刻
白雨 音
恋愛
男爵令嬢クラリスは、地味で平凡な娘だ。
幼い頃より、両親から溺愛される、美しい姉ディオールと後継ぎである弟フィリップを羨ましく思っていた。
家族から愛されたい、認められたいと努めるも、都合良く使われるだけで、
いつしか、「家を出て愛する人と家庭を持ちたい」と願うようになっていた。
ある夜、伯爵家のパーティに出席する事が認められたが、意地悪な姉に笑い者にされてしまう。
庭でパーティが終わるのを待つクラリスに、思い掛けず、素敵な出会いがあった。
レオナール=ヴェルレーヌ伯爵子息___一目で恋に落ちるも、分不相応と諦めるしか無かった。
だが、一月後、驚く事に彼の方からクラリスに縁談の打診が来た。
喜ぶクラリスだったが、姉は「自分の方が相応しい」と言い出して…
異世界恋愛:短編(全16話) ※魔法要素無し。
《完結しました》 お読み下さり、お気に入り、エール、ありがとうございます☆
塩対応の婚約者に婚約解消を提案したらおかしなことになりました
宵闇 月
恋愛
侯爵令嬢のリリアナは塩対応ばかりの婚約者に限界がきて婚約解消を提案。
すると婚約者の様子がおかしくなって…
※ 四話完結
※ ゆるゆる設定です。
手作りお菓子をゴミ箱に捨てられた私は、自棄を起こしてとんでもない相手と婚約したのですが、私も含めたみんな変になっていたようです
珠宮さくら
恋愛
アンゼリカ・クリットの生まれた国には、不思議な習慣があった。だから、アンゼリカは必死になって頑張って馴染もうとした。
でも、アンゼリカではそれが難しすぎた。それでも、頑張り続けた結果、みんなに喜ばれる才能を開花させたはずなのにどうにもおかしな方向に突き進むことになった。
加えて好きになった人が最低野郎だとわかり、自棄を起こして婚約した子息も最低だったりとアンゼリカの周りは、最悪が溢れていたようだ。
五歳の時から、側にいた
田尾風香
恋愛
五歳。グレースは初めて国王の長男のグリフィンと出会った。
それからというもの、お互いにいがみ合いながらもグレースはグリフィンの側にいた。十六歳に婚約し、十九歳で結婚した。
グリフィンは、初めてグレースと会ってからずっとその姿を追い続けた。十九歳で結婚し、三十二歳で亡くして初めて、グリフィンはグレースへの想いに気付く。
前編グレース視点、後編グリフィン視点です。全二話。後編は来週木曜31日に投稿します。
私の婚約者様には恋人がいるようです?
鳴哉
恋愛
自称潔い性格の子爵令嬢 と
勧められて彼女と婚約した伯爵 の話
短いのでサクッと読んでいただけると思います。
読みやすいように、5話に分けました。
毎日一話、予約投稿します。
婚約者とその幼なじみがいい雰囲気すぎることに不安を覚えていましたが、誤解が解けたあとで、その立ち位置にいたのは私でした
珠宮さくら
恋愛
クレメンティアは、婚約者とその幼なじみの雰囲気が良すぎることに不安を覚えていた。
そんな時に幼なじみから、婚約破棄したがっていると聞かされてしまい……。
※全4話。
【完結】前世の恋人達〜貴方は私を選ばない〜
乙
恋愛
前世の記憶を持つマリア
愛し合い生涯を共にしたロバート
生まれ変わってもお互いを愛すと誓った二人
それなのに貴方が選んだのは彼女だった...
▶︎2話完結◀︎
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる