逃げた先に、運命

夢鴉

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一章 歪な世界

3-1 旅館の息子

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 蜜希さんに連れられて庭を横切る。
 従業員専用の扉を潜り抜け、塀を越えた。

 旅館の更に奥にあったのは――普通の一軒家。つまり、蜜希さんの住む家があった。

「こんなところに家が……」
「いつもは裏口から入るんだけど、面倒だったから突っ切って来ちゃった」

「母さんには内緒ね」と蜜希さんがウインクをする。
 俺は素直に頷いた。


 一軒家と旅館は繋がってはいないものの、壁一枚通り抜ければすぐに足を踏み入れてしまえる位置にあった。
 間の壁にはやはり扉があって、使い古されているのがわかる。

 一軒家は普通の木造建築で、旅館と同じ二階建てだ。
 旅館の方が一面壁になっているので、生活しているところを見られることもない。
(ちゃんと配慮してるんだな)

 家の前には赤いポストが一つ。名札には『宵月』と書かれていた。
 その下には綺麗に花が咲いている花壇がある。
 色とりどりの花が綺麗に咲いている。

「暁月くん。こっち」
「あ、はいっ」

 蜜希さんに言われ、俺は本家から目を離した。

 


「ここが離れだよ」

 歩いて一分もしないで、蜜希さんが足を止めた。
 俺も足を止める。

 辿り着いたのは、本家よりも少し細身の二階建ての家だった。
 幅はそこまで広くなく、倉庫と見間違えそうだ。
 
「ここが……」
「狭いけど、我慢してね」

 蜜希さんはそういうと、鍵を取り出した。
 カチャンと鍵が開く音がし、蜜希さんが扉を開く。俺はその瞬間、蜜希さんを見ていた。

(……何だろうな)
 離れに案内すると決まった時から、蜜希さんの雰囲気が少し違って見える。

 今だって、鍵を開ける時に懐かしいものを見るような目をしていた。
 どこか悲し気で泣きそうにも見える視線。

(何か、あるのか?)
 そう聞きたいのに、聞けない。
 俺はまだ蜜希さんにそれを聞けるほど、蜜希さんを知らないから。



「どうぞ。上がって」

 蜜希さんが笑って言う。その顔からは、寂しさはいつの間にか消えていた。

 俺は「お邪魔します」と告げて、足を踏み入れる。


 外見が倉庫みたいだから、てっきり中も倉庫みたいになっているのかと思えば、中は意外と家らしかった。
 開いた先には玄関があり、中には誰かが住んでいた形跡がある。
 どうやら一つの家みたいになっているらしい。

 狭い玄関で靴を脱ぎ、玄関を上がる。

 床にはうっすらと埃が積もっていたが、思ったより綺麗だった。

「ごめんね、埃っぽいよね。後で掃除しておくよ」
「い、いえ、全然」

 二週間放置した自分の家よりは断然マシだ。
 俺は無意識に自分の家と比べてしまう。

「足の踏み場があるだけ、全然大丈夫です」
「……暁月くんはもしかして、家事出来ない人?」

 蜜希さんの問いに、俺は無言で答えた。
 蜜希さんが笑っているが、素知らぬふりを突き通す。



 玄関を上がってすぐに見えるのは、二階へ続く階段と奥にある扉。
 左右には小さな部屋が広がっており、右がキッチン、左がリビングとなっているらしい。

 キッチンを覗けば、よくドラマで見る日本特有の雰囲気が広がっていた。
 小さな机に、L字のキッチン台。
 コンロは今時珍しくガスのようで、その上――窓の前の棚には、鍋やフライパンが綺麗に並べられていた。
 食器棚にはいくつかの食器が並べられている。

(大切に使われてたんだろうな)

 どこも壊れた様子がないキッチンに、そう思う。
 それくらい、部屋の中の物が全部丁寧に扱われていた。


 次にリビングを覗こうとすれば、「こら」と手を掴まれる。

「あんまりうろちょろしないの」
「あ、すみません。つい」

 蜜希さんに叱られ、俺は足を止める。
 離れとはいえ、あんまり人様の家をうろうろするのは良くなかった。

「まずは着替えとお風呂だね。そのままだと風邪引くでしょ」

 俺は頷く。
 既に服は渇いていたけど、それよりも潮でベタベタになっているのが気持ち悪かった。

「二階に部屋があるから、そこに荷物置いて。浴室はそこね。使い方わかる?」
「たぶん」
「そっか。それじゃあ、僕は君に貸せそうな服取って来るから」

「先にお風呂入ってて」と言われた。
 俺は頷き、蜜希さんを見送る。

(……なんか、凄いことになったな)
 まさか小さい家を借りることになるなんて。
 電車に乗った時は想像もしていなかった。

 俺は息を吐いて、もう一度離れの中を見渡す。
 確かにちょっと埃っぽい。でも不思議と温かい家だった。


 俺は蜜希さんに言われた通り、階段を上がって行った。


 小さな踊り場を超えて、階段を上がり切る。
 細い廊下に出てすぐ。目の前にある二つの扉に足を止めた。

「……どっちだ」

 俺は迷う。
 しかし、考えてもわからない。
 とりあえず俺は中を覗くことにした。

 向かって右にある扉を開ける。瞬間、ふわりと香る、紙の匂い。

「す、ごいな……」

 壁一面にあるのは、本だった。

 分厚い本もあれば、薄い本もある。
 背表紙を見る限り内容はまちまちだったが、どれも面白そうな本ばかりだった。

(広辞苑まであるな……まるで小さな図書館みたいだ)
 棚に入りきらない本が、床に積み上がっている。
 古い床が傾かないか心配になる量だ。


「さすがにここではない、よな」

 俺は扉を閉め、身体を百八十度回転させる。

 向かって左側の戸に手を伸ばし、ノブを捻った。カチャと音を立てて扉が開かれる。
 広がっていたのは――――普通の部屋だった。

(普通の部屋だ)
 俺はもう一度心の中で呟く。

 部屋の中には小さなちゃぶ台が一つと、小さな棚が一つ。左側には押入れがあり、しっかりと戸が閉められている。
 床は珍しい畳で、俺は気分が高揚する。

「蜜希さんが言っていたのはこっちの部屋だろうな」

 というか、出来ればこっちがいい。

 畳の部屋で寝泊まりなんて、初めての経験だ。
 ワクワクしない方がおかしい。


 少し埃っぽいのが気になって、俺は窓を開ける。
 少し硬かったが、問題なく開いた。
(あとで軽く掃除しよう)

 俺は足元に荷物を置く。
 夜の風がひゅうっと吹き抜ける。心地よさに目を細めた。
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