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しおりを挟む……目を覚ますと、見慣れない天井が目に入った。
少なくとも、アルカディアのクソド派手なベッドの天蓋ではない。かといって、本来の俺の部屋――日本の築古マンションの物置じみた六畳間でもない。
飴色の梁と、薄緑色の漆喰で覆われた天井。王宮の寝室ほどではないにせよ、かなり上等な屋敷の一室だろう。そんな上等な部屋のベッドに、どうやら俺は寝かされているらしい。
窓から差し込むのは、新鮮な朝の光。
そういえば……この鼻腔を満たす匂いには覚えがある。柑橘に似た、でもどこかほろ苦い香り。一体どこで――
――お前のことは、命に代えてでも守る。約束しただろ。
「あっ!」
おぼろげな記憶が、頭の中で急速に像を結んでゆく。
そうだ。俺は昨日、イザベラを屋敷へ送り届けた帰りに謎の暴漢に襲われたんだった。けどその直後、なぜかウェリナに助けられて……
「……約束」
そう、確かにウェリナは言った。俺を守るのが奴の約束だと。
てっきり俺は、ウェリナに何らかの便宜を図る約束をさせられているものと思っていた。が、昨日のやりとりを踏まえると、個人的にアルカディアの身柄を守ることを指していたようだ。結局、俺はあの後すぐに気を失ってしまったらしく、真意については聞けずじまいに終わったが……
だが、そんな話がありえるのか?
俺は、悪役令嬢モノで言えば脇役のひとりにすぎない。その脇役を、物語の準主役たるヒーローがわざわざ助ける義務はあるのか?
不意にノックの音がして、俺は慌てて布団を被り直す。が、瞼だけは、部屋の様子が伺えるよう、薄くうすーく開いておく。
やがてドアが開いて、戸口から想像通りの男が現れる。
ウェリナ=ウェリントン。
寝具に漂う匂いから何となく察していたが、やはり、ここは奴の屋敷で間違いなさそうだ。
「おはよう、アル」
それは明らかに俺に向けられた挨拶で、その、あからさまに親密さを含んだ声色に改めて俺は面食らう。そういえば……昨晩もこいつは、俺を親しげに呼んでいた。俺を強く抱き寄せながら。
――アル。
昨晩の、腰にくる低音が耳の奥によみがえる。ぞくぞくと痺れを伴うその感覚は、でも、不思議と不快じゃない。むしろ……
って、冗談じゃねぇ!
こいつは、イザベラの愛を巡って俺と争うライバルだ。同じ男として、俺はこいつと競い合っていかなきゃならない。いくら声が良かろうが、俺を抱き寄せる腕が逞しかろうが、屈するわけにはいかねぇんだよ!
そのライバルことウェリナは、今はカッターシャツにパンツというラフな格好をしている。いわゆる部屋着、というやつだろうか。
やがてウェリナは、ベッドの縁に腰を下ろすと、身を屈め、俺の顔を覗き込んでくる。……って、近ぇよバカ! そんな国宝級の顔面を寄せられたら、いくらノンケの俺でも、なんかこうドキドキしちまうんだよ!
「ごめん。でも……どうしようもないんだ」
そう囁くウェリナの声は甘く、でも、どこか苦しげだ。
ごめん? そいつは、何に対する謝罪だ?
「これから俺がすることを、どうか、赦してほしい」
そしてウェリナは、ただでさえ近い顔をさらに寄せてくる。そして――
は?
こいつは一体、何を。
やがてウェリナは、おもむろに身を起こす。白い頬はあからさまに紅潮し、普段は冷たく冴えるエメラルドの双眸が、今は、舐め溶かされた飴玉のようにだらしなく蕩けている。
「……アル」
その、甘い溜息に。
身体の芯が、ぞく、と痺れる。
その痺れが、不覚にも俺のくちびるに残された感触と呼応し、鋭く際立つ。じんと疼くくちびる。その重い痺れが、ウェリナの行為を――俺へのキスを、記憶じゃなく本能に刻み込む。……どうして、お前がそんなこと。
「愛してた。ずっと」
最後に俺の頬をひと撫ですると、ウェリナは、名残を惜しむように振り返りつつ部屋を出ていく。その背中を、薄く開けた瞼越しに見送りながら、俺はまじかよと呆れていた。
どうやらウェリナが惚れていたのは、イザベラではなくアルカディアの方だったらしい。……えっ、じゃあウェリナはヒーローじゃなかったってことか? ってことは、本当のヒーローは一体……いや、その前にここは本当に悪役令嬢モノの世界なのか? ヒロインじゃなくバカ王子の方がヒーローと結ばれるパターンなんて、少なくとも俺は聞いたことがねぇぞ!?
……まさか。
そう、いうことなのか。
仮にここが悪役令嬢モノの世界ではなかったとして、じゃあ一体どういう世界か。ウェリナ(男)が俺(男)に惚れているってことは……その、正直、あまり考えたくはないんだが……男同士の恋愛を主軸とした、いわゆるボーイズラブ、の世界である可能性が高い。
そのボーイズラブには、いわゆる〝攻め〟と〝受け〟なる役割が存在する。
大抵の場合、〝攻め〟には高身長ハイスペイケメンが、〝受け〟にはバカでノロマで低スペックの残念なイケメンがあてられる……えっ、まんま俺らじゃん。つまり、アルカディアの諸々残念なスペックは、実はこのテンプレに則したものだったわけか。うんうんなるほど――
って、マジか。
……っと、いかんいかん。
そもそも俺は、すでに一度、このテンプレ思考で失敗しているのだ。
悪役令嬢モノと思い込んだ挙句、実態を見誤った。同じことが二度起こらないとも限らないわけで、例えばボーイズラブと思いきや、実際はホラーだったりSFだったり、何なら怪獣モノの可能性だってある。
何が起きても驚いてはいけないし、そういうものだと受け入れ、対処しなくちゃいけない。何でもありのバーリトゥードな世界観で生き延びるには、思考の自由を縛るテンプレはむしろ足枷になる。
ただ。
そうは言っても、とりあえず認めなくてはならない事実。
どうやら俺は、バカ王子破滅ルートとは別の文脈で命を狙われているらしいこと。
それから……ウェリナの想い人はアルカディア君こと俺であり、しかも奴は、どうやら性的な対象として俺を見ているらしい、ということだ。
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