ギフテッド

路地裏乃猫

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1章

6話 招かれざる客人

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 電話を切ると、海江田将司はスマホをローテーブルに戻し、向かいの客人にぎこちなく笑んだ。

「間もなく戻るとは思います。お待たせして申し訳ありません」

 そんな彼の笑みには、隠しきれない不安と猜疑、それから、ここしばらくの騒動で染みついたであろう疲労とが色濃く塗り込められている。彼は裏手の総合病院の院長を務めており、その海江田病院には実際、騒動の間に多くの患者が運ばれた。

 そんな将司に、客人――嶋野凪は作り慣れた微笑みを返す。

「いえ、こちらこそ何のアポもなく押しかけてしまい、失礼しました」

 奥にあるカウンター式のキッチンでは、将司の妻、美香が慣れた手つきでコーヒーを淹れている。

 アール・ヌーヴォーを意識した瀟洒な家具と内装は、おそらく彼女の趣味だろうと凪は思う。優美な曲線をふんだんに取り込んだ柱や梁。猫足のテーブルにソファ。さらに、サイドボードにはアール・ヌーヴォーを代表する巨匠、ルネ・ラリックの花瓶の複製が品よく置かれている。

 この空間を維持管理するのは、少なくとも一貫した美意識を持つ人物だ。それは、ロンドン仕立てのスーツにベネチアングラスのカフスを合わせてしまう夫の方では絶対にありえない。

 やがて、リビングの応接セットに二人分のコーヒーが運ばれる。客人がやんわり礼を言うと、美香は少女のようにはにかんで俯く。大学生の息子がいるぐらいだから、若くとも四十代ではあるだろう。が、年齢を感じさせない表情と愛らしさは、二十代と言われても通りそうではある。

「こちらのお部屋は、奥様が?」

 リビングを見回しながら凪が問うと、美香は、「ええ」と、やや戸惑いがちに頷く。

「お好きなんですね。アール・ヌーヴォーですか」

「え……ええ。優美で繊細なデザインが……この家を建てる時も、設計士の方には随分と無理を言いました。玄関のステンドグラスもミュシャの、」

「おほんっ」

 夫の無遠慮な咳払いが、妻の言葉を強引に中断する。

 美香は気まずそうに微笑むと、逃げるようにキッチンに引き取ってしまう。そんな美香の背中を無言で見送りながら、随分と古風な夫だな、と凪は思う。女子供は男の会話にくちばしを挟むな、とでも言いたげな態度。彼女の美香という名前にしても、事前に家族構成をインプットしたからこそ判るものの、凪が直接、彼女に紹介を受けたわけではない。

 やがて、リビングのドアが勢いよく開く。ところが戸口に現れたのは、見るからに高校生と思しき制服姿の少女だった。少なくとも……、ではない。

 その少女は、凪に目を止めるなり綺麗なアーモンド形の目を大きく見開く。

「うわっ超イケメン! えっ何? アイドル? ホスト?」

「美海、部屋に入っていなさい」

 なるほど、彼女が妹の美海みうか。顔立ちは母親に瓜二つだが、肝心の美的センスは残念ながら父親のそれを引き継いでしまったようだ。流行りのキャラクター商品をごてごてとぶら下げた鞄には、とりあえずモードとミームを押さえておけば良かろうというデザインへの無頓着さが感じられる。

「うっさいクソ親父。――あ、あたし、海江田美海って言います。まだ十七歳なんですけど、大学生とか社会人の人も全然OKって感じで――」

「美海ッッ!」

 父親に強く怒鳴られ、美海はびくり身構える。

 が、懲りない性分なのか、父親が背を向けた隙をついて両手でサムズダウンを作ると、フローリングを派手に踏み鳴らしながらリビングを出て行く。

 いびつな家庭だな、と、彼女の足音を聞きながら凪は思う。

 形の合わないパズルピースを、無理やり一つの枠に嵌め込んだようないびつさ。それでもどうにか枠に嵌っていられるのは、それぞれが、あるいは誰か一人が自分というものを削りながら他のピースの緩衝材を務めるからだ。この海江田家に関して言えば、おそらく後者の色合いが強いのだろう。

 だからこそあの子の絵は、あんなにも痛々しく、美しかったのだ。

 一方、娘の狼藉に水を差されたかたちの将司は、気まずそうに咳払いをすると、改めて客人に向き直る。

「失礼しました。……ところで、無礼を重ねるようで恐縮ですが、その、藝術協会というのは?」

「ええ。平たく言えば、国内から才能あふれるアーティストを発掘し、育成する団体です」

「才能……しかし、漣には絵の才能など」

「でも昔は、よくコンクールで賞を獲ってたわ」

 キッチンに立つ妻の指摘に、夫の方はあからさまに嫌そうな顔をする。が、事実、彼女の言う通りなのだ。漣の出身小学校や中学校で美術顧問に問い合わせたところ、実際、ずば抜けたセンスの持ち主だったことが判明している。漣自身それを自覚していたのか、美術科のある高校への進学を希望していたらしい。

 だが結局、願いは叶わなかった。息子の医学部進学を望む父親の強い反対に阻まれて。

「そんなこともあったな。だが、所詮は子供の落書きだ」

 吐き捨てると、将司はローテーブルに置かれたままの凪の名刺を一瞥し、はぁ、と小さく溜息をつく。気の毒なほど色濃く疲労が滲んだ嘆息。

「少なくとも、あなたのような方がわざわざ目をかけるほどの才能ではありませんよ。それに、あれにはいずれうちの病院を継がせるつもりでおります。絵描きになどさせられません」

「……なるほど」

 その時、ふたたびリビングのドアが開く。

 先程の少女とは打って変わり、どこか躊躇いがちに現れたのは、すらりと背の高い、いかにも育ちの良さそうな青年だった。柔らかな色合いのサマーセーターに細身のデニム、少し茶味がかった短髪のショートヘアは、ラフなようでいて細部まで美しく調和している。顔立ちも男性的で整っているから、これはモテるだろうな、と不躾を承知で凪は思う。が、同時に凪は、それが彼なりの擬装にすぎないことを見抜いてもいる。

 むしろ彼の本質は、今にもくずおれそうな立ち姿や蒼褪めた顔に現れている。おそらく、すでに自分が持つ力に薄々勘付いているのだろう。その上で、なお葛藤しているのだ。絵筆を捨てるべきか否かを――だが、凪には視えている。彼が、すでにその答えを手にしていることを。

 海江田漣かいえだれん

 我が国で二例目の、〝死〟のギフトの保持者。

「君が、漣くんだね」

 挨拶を待たずに凪は立ち上がると、自ら漣に歩み寄る。

 目の前に立つと、漣は凪より頭半分は背が高い。にもかかわらず漣は小動物のように身を縮め、怯えがちな上目を未知の客人に向ける。

「え、ええ。……あの、あなたは?」

 そんな漣に、凪はやんわりと笑んでみせる。業務用の笑みの中に、本物の喜びが紛れていることを確かに自覚しながら。

 会いたかったよ、新しい才能。

「ええ。先程お父様よりお話があったとおり、藝術協会日本支部より参りました。嶋野凪しまのなぎ、と申します」
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