ギフテッド

路地裏乃猫

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2章

15話 アンフォルメル①

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 醜いな、と、目の前の油彩画を眺めながら嶋野なぎは思う。

 本来、アートとは巧拙の差はあれ全て美しいものだ。そこにはただ、伝えたい、表現したい、という祈りに似た想いが込められている。いや、そもそも人は、そうした祈りのために表現を獲得し、また、祈りを出発点に表現を始めた。この表現がいつか誰かに届き、ほんの一瞬でもいい、心と心で触れ合うことができたなら。

 そうした願いのために描かれたアートは、何であれ美しい。

 だが……これらの絵は。

「お気に召しましたか」

 そう凪に声をかけながら、二人の男がフロアの奥から歩み寄ってくる。一人は、品のいいスリーピースに清潔感のあるツーブロック。いかにも営業マンじみた風貌の彼は、このギャラリーのオーナーで間違いない。

 ただ、今回の目的は彼ではなく、その隣に立つ金髪の若者だ。

 ここは名古屋市内にある個人経営のアートギャラリーで、自身でキュレーターを務めるオーナーが独自にアーティストの発掘を行ない、その作品を展示、販売している。二〇〇平米ほどはあるゆったりとしたフロアには、大小合わせて五十点もの油彩画が展示されており、そのほとんどはすでに『売約済』のタグが貼られている。展示期間が終わり次第、買い手に引き渡される仕様だろう。

 ただ、残念ながらこれらの取引はいずれキャンセルされる。そのための手はすでに打ってある。

「……ユリシーズ」

「えっ、……ゆり?」

「ユリシーズ。アンリ・マティスが男女の交わりを描いたエッチングによる連作です。単純な曲線のみで構成された高度な抽象表現にも関わらず、あるいはだからこそ、性的衝動の熱と質との再現に成功している。こちらに展示される作品には、そんなマティスのユリシーズにも似た性衝動の効果的な表現が見て取れます」

 もっとも、手法としてはマティスのフォーヴィズムではなく、二十世紀中盤に流行したアンフォルメルに近い。

 もとは〝不定形なもの〟を意味するアンフォルメルとは、激しい筆致や強烈な色彩で、人間の心が持つプリミティブな衝動をより直截にカンバスに叩きつけるスタイルだ。高度に抽象化、単純化された図像は、一般に子供の落書きと揶揄されることも多い。ただ、だからこその原始的でパワフルな表現は、価値観の激烈な変化を強いられた第二次大戦後の人々に広く受け入れられることとなった。

 そのアンフォルメルスタイルを、ここの絵は取っている。確かに、よく描けてはいる。暴力的なタッチと、それとは相反する繊細な色使い。遠目には黒地に単色の曲線がうねっているだけに見えるカンバスも、近くで見るとじつに多彩な色とタッチが塗り込まれている。

 ただ。

 それでも、ここにある絵はいずれもよくできたイミテーションにすぎない。

「……勿体ない」

 つい、そんな独白がこぼれてしまう。これほどの才能だ。もし、真摯に表現を突き詰めていたならば、彼の絵はとっくにイミテーションの域を越えていただろう。真似それ自体は悪ではない。モネもゴッホも、既存の西洋絵画にはなかった多くの構図的な学びを、浮世絵という異文化の絵を真似ることで獲得したのだ。

 だが、この若者は――展示物の作者は、おそらくある時点で気付いてしまった。自分の絵が持つ特殊な効果を。そして……利用することを思い立った。あるいはこの、いかにも軽薄そうなギャラリストに吹き込まれたか。

 何にせよ今の彼は、その効果を濫用するためだけに筆を執っている。

「ああ、ユリシーズですね。結構、アートにはお詳しいんですか?」

 オーナーの声にはあからさまな媚びと、それから、隠してもなお隠しきれない欲望とが感じられる。隣の金髪に至ってはさらに明け透けだった。舐めるような眼差しは、衣服越しに凪の肢体を辿っているのだろう。それが、アーティストとしての関心なら構わない。アートの糧になれるのなら、どれほどの痴態を、醜態を晒しても良いとさえ思う。だが、この男のまなざしはーーまあいい。改めてこちらから仕掛ける手間が省けた。それに、むざむざ別のキュレーターを危険に晒さずに済む。

「いえ。まだまだわからないことだらけです。分け入れば分け入るほど、森の深さに驚かされるばかりで」

「あはは、上手い表現だ。……ところで、彼が今回の作家なのですが、よろしければ奥で少しお話しされて行かれませんか」

 すると金髪が、どうも、と軽く頭を下げながら一歩前に進み出る。サイケデリックを取り入れた古着の上下は、派手ではあるが決して下世話ではない。ただ、いかんせん本人の顔つきが気に入らない。にやにやと何かを期待する笑み。なるほど、これが通常の相手なら、この時点で堕ちているわけだ。この男に。

 彼が持つギフトは〝恋慕〟。この絵を目にした者は、性別問わず作者である彼を思慕せずにはいられない。心も、それに身体も彼に差し出したくなる。より端的に言えば――セックスがしたくなる。

 事実、これまで何十人もの男女が彼のギフトに篭絡されている。ただ、過ぎたるは猶及ばざるが如し。それだけの数の恋人を囲えば、当然、恋愛絡みのトラブルは避けられなくなる。事実、彼に囲われた男女のうち数人が、アトリエ前の路上で殴り合いの喧嘩に発展。その映像をインフルエンサーがSNS上で拡散し、協会の目に触れることとなった。

「よろこんで。ああ、ちなみに私はこういう者です――」

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