ギフテッド

路地裏乃猫

文字の大きさ
24 / 68
2章

12話 大丈夫は大丈夫じゃない

しおりを挟む
「さて、次はどこを紹介しようかな」

「え……ああ、お任せします」

 正直に言えば、今日はもう部屋に戻って休みたかったが、せっかく案内してくれるという瑠香の手前、断るのは憚られた。

 その後、体育館にジム、それからプール併設のスパへと案内される。いずれも贅沢な仕様で、閉鎖環境において健康維持は重要なテーマだとはいえ、優遇されているなと漣は思う。昨日、嶋野に聞かされた話によると、ここの入居者は総計で一九三人。その、たかだか二〇〇人程度の人間のために、ここまで税金をかけて設備を整える必要はあるのだろうか。

 あるんだろう。必要ではなく価値が。

 あるいはこれも、社会の平穏を保つためのコストというわけか。

「なんか……至れり尽くせりですね。都心にこんな贅沢な施設があるなんて……」

 医務室を後にしながらしみじみ呟くと、「でしょ」と瑠香は笑う。

「びっくりしちゃうよね。でもまぁ、あたしら別に犯罪者でもないのに自由を奪われてるわけだし、これぐらいは役得ってやつじゃない?」

 ――ここは刑務所ではないの。

 ふと漣は、昨晩の高階の言葉を思い出す。

 ――事実、ここには何の問題も起こさず、ただギフテッドである、というだけで収容された人間も多い。そうした人達を前に、今と同じ言葉をあなたは口にできるかしら。

 確かに……ここは刑務所ではない。漣とは違い、何の罪も犯さずにただギフテッドというだけで収容された人々にしてみれば、むしろ当然の待遇なのだ。

 居住棟の二階には、地域医療と連携した診察室も置かれていた。先程の充実した福利厚生施設といい、住人の健康状態には細心の注意が払われているようだ。瑠香の話では、定期健診やカウンセリングも頻繁に実施されているらしい。しかも、費用は全て税金持ち。

「元々が繊細な人達だからさ。おまけにこの閉鎖環境でしょ? やっぱ病む人もそれなりに多くて」

「え……やっぱ、そうなんすか」

「うん。漣くんも、あ、これヤバいなって思ったらすぐ相談してね。上手く眠れなかったり、ごはんが食べられなくなったら、それ、病みはじめのサインだから」

 何でもない顔で語る瑠香だが、言葉にはどこかリアルな質感がある。そうでなくとも、閉鎖環境とは本来、宇宙飛行士のストレステストにも用いられるほど過酷な場所だ。そうした環境での暮らしは、たとえ施設内での自由は認められても、実際は相当のストレスがかかるのだろう。

「あ、気にしないで! 多いっってもごく一部だから! あははっ」

 そんな瑠香に追従の笑みを向けながら、漣はしかし、抑えようのない不安が喉元にこみ上げるのを感じていた。初日から思い知らされる自分の脆さと無力さ。背中に負う罪の重み――

 ――それでもなお君は、表現を続ける道を選んだ。その覚悟をこそ、今は大事にしてください。

「……っ」

 ああ、そうだ。何にせよ漣はこの道を選んだ。選んでしまった。ならば、後は腹を括るしかない。これからどんな暮らしをここで送るにせよ、それは、漣自身が選んだ人生なのだから。

「ありがとうございます。でも……大丈夫です。俺は」

 すると瑠香は、一瞬、虚を突かれたようにぽかんとし、それから、なぜか少し寂しく笑む。本当は頼って欲しかったのかもしれない。でも――

「でもね」

 漣の思考を先回りする瑠香の声。振り返ると、二つの瞳が気遣う目でじっと漣を見上げている。その濡れた表面は、なぜか涙の気配を――あるいは名残を漣に感じさせた。

「そうやって強がる人ほど、ちっとも大丈夫じゃない。だから、ちゃんと頼って。今度こそ助けさせて……ね?」


 その後、荷物の回収のために倉庫に引き返すと、宅配ボックスに新たな荷物が届いていた。

 これも家の私物かなと箱を開いてみると、明らかに見覚えのない新品のスケッチブックとデッサン用の鉛筆、油彩画用の絵具が大量にパッケージされている。さらに、その隣に置かれた細長い箱を開くと、ロール状の白い布と細長い木片、ペンチのような道具が出てきた。

「おおっ、油彩画用の道具じゃん!」

 傍らで様子を見守っていた瑠香が、嬉しそうな声を上げる。

「これで木枠を組んで、このペンチみたいな張り器とスタックで画布を張るんだよ。やり方は、まぁ、多分誰かが教えてくれるよ。――あ、こっちにイーゼルも置いてある!」

「えっ……いや、注文した覚えないんすけど……誤配送かな」

 だとしたら、本来の注文主に伝えた方がいいだろう。そう思い、宛先を書いた紙などを探していると、箱の底から一枚のメモ紙が出てくる。パソコンで打ち込んだような、でも、よく見ると手書きだとわかる几帳面な文字。

『ささやかながら、プレゼントをご用意しました。良ければ使ってみてください 嶋野凪』

「……嶋野さん」

「どしたの?」

「えっ、あ――」

 咄嗟にメモをポケットにしまい込み、いや別に隠さなくてもと後になって気づく。ただ……なぜだろう、嶋野との関係は、誰にも踏み込んでほしくない。別に疚しい感情があるわけではなく、ただ、あのひやりとしたスーツの感触は――耳朶を撫でる声の優しさは、漣ひとりの心にそっと留めておきたかった。

 ああそうだ。

 俺は、描くためにここに来たんだ。

「ええと、じゃ、行きましょうか」

 本来回収するはずだった私物の箱ではなく、代わりに画材が詰まった箱を抱える。正直、重い。だが、その重みが今の漣には心地よかった。この重さで、線で色で何を描こう。何を表現しよう。

 それはあの人に、今度は何を伝えるのだろう。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

還暦の性 若い彼との恋愛模様

MisakiNonagase
恋愛
還暦を迎えた和子。保持する資格の更新講習で二十代後半の青年、健太に出会った。何気なくてLINE交換してメッセージをやりとりするうちに、胸が高鳴りはじめ、長年忘れていた恋心に花が咲く。 そんな還暦女性と二十代の青年の恋模様。 その後、結婚、そして永遠の別れまでを描いたストーリーです。 全7話

女神の白刃

玉椿 沢
ファンタジー
 どこかの世界の、いつかの時代。  その世界の戦争は、ある遺跡群から出現した剣により、大きく姿を変えた。  女の身体を鞘とする剣は、魔力を収束、発振する兵器。  剣は瞬く間に戦を大戦へ進歩させた。数々の大戦を経た世界は、権威を西の皇帝が、権力を東の大帝が握る世になり、終息した。  大戦より数年後、まだ治まったとはいえない世界で、未だ剣士は剣を求め、奪い合っていた。  魔物が出ようと、町も村も知った事かと剣を求める愚かな世界で、赤茶けた大地を畑や町に、煤けた顔を笑顔に変えたいという脳天気な一団が現れる。  *表紙絵は五月七日ヤマネコさん(@yamanekolynx_2)の作品です*

母の下着 タンスと洗濯籠の秘密

MisakiNonagase
青春
この物語は、思春期という複雑で繊細な時期を生きる少年の内面と、彼を取り巻く家族の静かなる絆を描いた作品です。 颯真(そうま)という一人の高校生の、ある「秘密」を通して、私たちは成長の過程で誰もが抱くかもしれない戸惑い、罪悪感、そしてそれらを包み込む家族の無言の理解に触れます。 物語は、現在の颯真と恋人・彩花との関係から、中学時代にさかのぼる形で展開されます。そこで明らかになるのは、彼がかつて母親の下着に対して抱いた抑えがたい好奇心と、それに伴う一連の行為です。それは彼自身が「歪んだ」と感じる過去の断片であり、深い恥ずかしさと自己嫌悪を伴う記憶です。 しかし、この物語の核心は、単なる過去の告白にはありません。むしろ、その行為に「気づいていたはず」の母親が、なぜ一言も問い詰めず、誰にも告げず、ただ静かに見守り続けたのか——という問いにこそあります。そこには、親子という関係を超えた、深い人間理解と、言葉にされない優しさが横たわっています。 センシティブな題材を、露骨な描写や扇情的な表現に頼ることなく、あくまで颯真の内省的な視点から丁寧に紡ぎ出しています。読者は、主人公の痛みと恥ずかしさを共有しながら、同時に、彼を破綻から救った「沈黙の救済」の重みと温かさを感じ取ることでしょう。 これは、一つの過ちと、その赦しについての物語です。また、成長とは時に恥ずかしい過去を背負いながら、他者の無償の寛容さによって初めて前を向けるようになる過程であること、そして家族の愛が最も深く現れるのは、時に何も言わない瞬間であることを、静かにしかし確かに伝える物語です。 どうか、登場人物たちの静かなる心の襞に寄り添いながら、ページをめくってください。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

(学園 + アイドル ÷ 未成年)× オッサン ≠ いちゃらぶ生活

まみ夜
キャラ文芸
年の差ラブコメ X 学園モノ X オッサン頭脳 様々な分野の専門家、様々な年齢を集め、それぞれ一芸をもっている学生が講師も務めて教え合う教育特区の学園へ出向した五十歳オッサンが、十七歳現役アイドルと同級生に。 子役出身の女優、芸能事務所社長、元セクシー女優なども登場し、学園の日常はハーレム展開? 第二巻は、ホラー風味です。 【ご注意ください】 ※物語のキーワードとして、摂食障害が出てきます ※ヒロインの少女には、ストーカー気質があります ※主人公はいい年してるくせに、ぐちぐち悩みます 第二巻「夏は、夜」の改定版が完結いたしました。 この後、第三巻へ続くかはわかりませんが、万が一開始したときのために、「お気に入り」登録すると忘れたころに始まって、通知が意外とウザいと思われます。 表紙イラストはAI作成です。 (セミロング女性アイドルが彼氏の腕を抱く 茶色ブレザー制服 アニメ) 題名が「(同級生+アイドル÷未成年)×オッサン≠いちゃらぶ」から変更されております

処理中です...