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一章
9.拒絶されたのは
しおりを挟む食事が終わり、クレッジはイウリュースと共に外に出た。
これから甘い物でも食べに行こうかと思っていたのに、楽しい時間は突然終わる。大通りの向こう側から、ヴィルイが、パティシニルを連れて歩いてきたのだ。
ヴィルイは、イウリュースに気づいて、彼を睨みつける。
「イウリュース……貴様、こんなところで何をしている!?」
「何って……デート。そっちこそ、なに? 死にに来たの?」
「なぜそうなるんだ!! 貴様、そんなことで、夜の約束は覚えているんだろうな!!」
「うるさいなー。分かってるよー」
ぶつぶつ言いながら、イウリュースは頭をかいている。
どうでもよさそうな様子で受け答えしているが、クレッジは、ひどく動揺していた。
(約束って……ヴィルイと? ヴィルイと約束って……どういうことだよ。それ……)
「あのっ……!!」
声を上げたクレッジに、二人とも振り向く。
珍しく、動揺が全て表情に出ていたようで、ヴィルイが、クレッジに向かってニヤリと笑った。
「驚いたか? この男は、今日から俺の男娼になるのだ」
「……………………は?」
何を言っているのか、分からなかった。唐突すぎた。
そんな話、初めて聞いた。
普段からクレッジが言われていることだが、それが他人に向けられたところは、見たことがなかった。
「……えっ……と……?」
動揺は相手に隙と取られたらしい。ヴィルイはニヤニヤ笑いながら畳み掛けるように続けた。
「分からないのか? 今日からその男は、私が屋敷に呼び寄せて囲う。分かったら、もうそいつには馴れ馴れしく近づくな」
「……」
もう疑問をぶつけることすら忘れて、クレッジはヴィルイの襟元に掴みかかった。
「嘘だろ? 冗談だよな?」
クレッジがヴィルイに手を上げることなど、ほとんどない。護衛の途中でフラフラ魔物の前に出て行こうとしたり、イウリュースと言い争いをしている時に、少し制止する手に力が入るくらいだ。
まして、こんなに感情をむき出しにした目で睨んだのは、初めてだった。
ヴィルイは慌てて言った。
「は、離せ!! い、言っておくが、その男が言ってきたんだぞ!! 妾にしてほしいと」
「…………」
無言で、いつのまにか力が入っていた。イウリュースは、クレッジの大事な人だ。それを、汚された気がした。
「……お…………おいっ……! は……離せ!!」
苦しそうに言うヴィルイから、手を離す気などなかった。
一番大切なものを傷つけられた、そう思ったら、許せなかった。
それなのに、ヴィルイを締め上げるクレッジの腕を、イウリュースが握って止めた。
「イウリュースさん……」
彼の顔を見るのが辛かった。きっと今彼は、ヴィルイに言われたことで悩んでいるんだろう。
(……イウリュースさんには、苦しまないでほしい。そんなふうに辛そうにしないでほしい……それなのに……こいつ……)
ヴィルイに振り向こうとしたら、グッと強く腕を握られた。
驚いて見上げたら、イウリュースと目があう。その目は笑っていなくて、ひどく冷たい。突き放された気分だった。
「……大丈夫。ちょっとヴィルイの家に行くだけだから」
「だ、大丈夫って……なにがですか!! だ、男娼って……」
「そんなの、そいつが勝手に言ってるだけー」
彼はそう言っているが、ヴィルイの方は「どういうことだ!」と言って喚いている。
どちらが本当のことを言っているのか、分からなくなりそうだった。けれど、イウリュースが嘘をつくとは思えない。そう思いたいのに、クレッジの胸には不安が広がっていく。
「イウリュースさん……本当に……ヴィルイの言ってること、嘘……なんですか?」
「うん。じゃあ、俺、行くね」
「え?」
「そろそろ行くよ。これから、予定があるんだ」
「え、えっと……でも、予定って……」
「家でゆっくりする予定」
「は!?」
急にそんなことを言われて、ますます心配になる。
ヴィルイはイウリュースに向かって「時間に遅れるなよ!!」と怒鳴り、パティシニルを連れて、去って行った。
まだ話は終わっていない。ヴィルイを追おうとしたが、イウリュースに手を握られ止められてしまう。
クレッジは、気づけばイウリュースの手を握り返していた。
「…………行かないでください……」
「……」
「行かないでください……俺、イウリュースさんといたいですっ……!」
「クレッジ……」
イウリュースが言葉を詰まらせている。それは、クレッジにとっても辛かった。まるで自分が追い詰めているようではないか。
(そんなつもりはない。何より大事なのに。そんなふうに傷つけたくないだけなのに……)
「……何か困ってることがあるなら、俺が……相談に乗ります……だから、今は……俺といてください」
一方的に言って、顔を上げた。行かないで、そう言いたい。分かってもらうまで言うつもりだった。
けれど、イウリュースは冷たく突き放すような目をしている。
それでも、そばにいてくれて手を引いてくれた人が傷つけられるなんて、許せなかった。
「だからっ……その、行かないでください! 何か悩みがあるなら、俺っ……相談に乗りますから!」
必死に訴えた。
それなのにイウリュースは、何度目か分からない変わらない笑顔で、クレッジに微笑んだ。
「クレッジ……そんなに気にしなくていい。ヴィルイの言ってたことなんて嘘なんだから」
「でも……」
「それにクレッジ、言ってたじゃないか。ヴィルイは魔法使いを雇いたいだけだって」
「それは……じ、じゃあ、そうなんですか!?」
「うん」
「でも……さ、さっきと言ってたことが違うっ……!」
「違わない。あんなの、ヴィルイの冗談。だから放っておけばいい。今日は暑いし、早く帰りな」
「……でっ……でもっ……! 俺っ……」
「でもじゃない。クレッジ……今日ちょっとしつこい」
「……」
愕然とした。そんなことを言われたのは、初めてだった。
(しつこい? 俺が?? だって、イウリュースさんのことが心配なのに。イウリュースさんのことが好きなのに。それなのに、しつこい? それなのに、そんなに鬱陶しそうな顔するのか?)
「じゃあね。クレッジ。今日は早く帰りな。日が暮れる頃に雨が降るらしいよ」
そう言って、イウリュースはクレッジに手を振って去っていく。
このまま行かせるなんてできない。離れていく彼に駆け寄り手を握るが、冷たく振り払われた。
「帰れって……言っただろ?」
それだけ言って、イウリュースはクレッジに背を向ける。
呼び止めたいのに、声が掠れて、最後に口に出したはずの声は、イウリュースには届かなかっただろう。
こんなにも、強く拒絶されたのは初めてだった。
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