月に叢雲花に風

乙人

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藤の邸

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「今年も藤の花が綺麗だねぇ、やまと
「そうですね、若君」
 平安の都の一条に、藤の花が美しいと評判の邸があり、所有する若君が、お付きの女房を連れて来ていた。
「今のうちに堪能しておきませんと、いつ手放さねばならぬか分かりませんわよ」
「これは、手厳しい………」
「栄華なぞ、儚いですからね」
 倭と呼ばれている女房の本当の身分は、女王。宮家の姫君である。妃となった妹を持つ、高貴な人だ。
「後悔しても、もう、遅いのです」
 美しく、器量も良く、教養もあり、血筋は申し分ない。それなのに、彼女は臣下の女房、つまり侍女にまで下ったわけである。
「あら、若君?」
 若君は庭に降りた。
「少し、歩いて来たいんだ」

 ふわりと、風が薫る。
「いい香りだなぁ」
 ふらりと歩き回っていた。目を疑った。
(あれ?)
 風に乗って、領布が舞う。白い顔に、紅がさされている。長い髪に挿しているのは、金の簪。
(こんな処に、人が…………!)
 若君は驚き狼狽え、取り敢えず、邸まで引き上げることにした。

「まあ!若君!」
 邸を整えていた倭は呆気にとられていた。
「その女君はどうしたのです!?」
「いやぁ、その、藤の花の木に寄りかかり、眠ってらしたのだよ。だから、取り敢えず…………」
「清原殿に、叱られますよ」
 若君には、既に娶った女がいた。
「あたくしは、あのひとは、好きませんわ。受領の娘です。貴方とは身分が釣り合わない。おかしな話です」
「そうだけれども………」
「さあ、その女君を東の対屋の寝所にお連れして。衣裳はあたくしの、新調したての物がありますので、それを」
 若君は女君を抱えて対屋まで移った。

「綺麗な方だね」
 若君はうっとりとこぼした。
「そうかしら」
 倭は首を傾げる。
「髪は豊かではあるが、茶抜けている。それに、大柄であります。貴方と大して変わらないのでは?」
 この時代、美しい女の基準は、黒く艶やかな長い髪、小柄、目は細く、鼻も高くはなく、痩せすぎてはない。そういうことだ。
「異国の方なのだろうか」
「如何して?」
「ほら、先程、この方がお召しになっていたのは、袿でも袴でもないではないか」
「大陸の方でしょうか」
「だが、少し前まで、この国の人間も、こんな格好をしていた様だよ」
 二人は、眠っている女君を囲んで、話に花を咲かせる。
「んぐ…………」
 女君は褥から起き上がる。そして、辺りをキョロキョロと見渡している。
「此処は…………」
「気がついたかい?」
「此処は、一条に位置する、橘家所有の邸です」
「いちじょう?」
 首を傾げる。分からないらしい。
「如何して此処にいたのか、分かるかい?」
「知らぬ」
 堅苦しい物言いだ。姫君らしくない。
「貴女、名は?」
 と言っても、普通、姫君は諱は人に言わない。何と呼ばれているかが分かれば、手がかりになると思ったのだ。
霛塋レイエイ
 女君-霛塋-は淡々と答えた。
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