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山吹の女
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「どうしてお文のお返事、くださらないのよ!」
今日も北の方は喚き散らす。
「お姉様。落ち着いて。お忙しいのかもしれませんわ」
側にいた妹姫がなだめる。
「だって!」
「そう嫉妬ばかりなさっては、お義兄様もいらっしゃってくれません。殿方に恥をかかせてはなりませんわ」
「恥?」
「ええ………」
少し言いにくそうに、そっぽを向く。
「何?」
「女房が申していたのです。噂ですけれど……お姉様のお仕立てになったお衣裳をお召になったお義兄様は、宮中でも笑い者だ、と……」
「なんですって?」
「きっと、ただの噂ですわ。気落ちなさらないで。わたくしもお手伝い致しますから、立派なお衣裳をまた、仕立てて差し上げましょう?ね?」
妹姫は、教養のある娘で、勿論、北の方の仕立てた物があまり良くないことは知っていた。だが、それを言わないでいるのも、優しさだと思っていた。
(あんなことを言ってしまったけれど………)
女房が、「大君(北の方)様のお衣裳で、婿君は、笑い者」と言っていたのは、本当のことだと思ってしまう。
(一条のお邸に、女性がいらっしゃるって……)
そんなことを言って、北の方が騒いでいたのを知っている。それが本当のことなのか、誰もが分からないと言う。
(お姉様………)
居ないなら居ないで、その方が良い。だが、もし居たら……考えただけでも恐ろしい。
妹姫は、信頼している女房に頼んで、装束を着替える。
一条の邸を、こっそり覗いて帰るつもりでいた。
「姫様、本当に、大丈夫なのですか?」
「平気よ。一条なら、わたくしでも分かるわ」
それでも女房が心配するので、仕方なく、女房を具して行くことにした。
藤の花が見事なことで知られる、橘の邸、一条邸。久光少将が普段住まいとしているのは、この邸だ。
人気のない所から、こっそりと入る。
「姫様、こんなことをなさって……」
「いいわ。見つかってしまったら、お姉様からのお文のお返事を頂きに参りました、ということにしましょう?」
「でも…」
「………倭……どうかしたの?」
「人の気配が……」
倭は小袿を脱いで、藤の君に着せる。
この邸にいる者で、久光少将を除くと、一番身分の高い者は、倭になる。藤の君の存在を隠さなければならないため、倭は、藤の君を自分の女房に仕立て上げることにしたのだ。
衣擦れの音。足音。多分、二人の女。
「誰かある」
倭は、藤の君を隠す様に座り、威厳を込めた低い声で誰何する。
「おります」
女は、堂々と答える。後ろにいた女房は、頼りなく、狼狽えている。
「わたくしは、清原家の者にございます」
「清原………若君の北の方の?」
「はい。北の方様のお文のお返事を受け取りに参りました」
「成程ね。北の方が、待ちきれなくて、催促でもしたのかしら?」
女は、頷く。
「お生憎ね。若君は出仕されています。まだ暫く、お返事は出来そうにないわ」
「そうですか」
女は、倭から、後ろにいる藤の君に目線を移す。
「そちらの方は?」
「此方のお邸に新しく仕える女房です。元々、女房をはじめ、仕える者達が多くはありませんのよ」
藤の君の着ていた小袿を見て、納得したのか、女は微笑み、「お待ちしておりますわ」とだけ残し、去った。
「で?」
「何です?」
「小袿、どうしてわたくしに?」
先程からずっと、聞きたかった疑問をぶつける。二人が来るのを察知した倭が、藤の君に、無理矢理着せたのだ。
「小袿は、女房の正装に準ずる装束です」
「それを、何故?」
「貴女のことを、清原家に知られてはならないから、ですよ。若君を除けば、この邸で一番身分の高い者は、あたくし、ということになっておりますから」
「そうなの」
その為、小袿を着た藤の君と、着ていない倭を見比べて、女は帰ったのである。
(あの女、誰なのかしら)
清原家に縁がある、それだけしか、分からなかった。
山吹の装束の似合う、まだ少女の歳を脱していない、可憐な姫君であった。
「言ったでしょう?何とかなる、と」
「もう、こんな危ないことは、なさいませんように。私もしたくありませんわ」
女房は不満げだ。
隠れながら邸を出て行くと、一台の牛車が止まっていた。降りてきたのは、若い、端正な顔立ちの男。すぐに、義兄だと分かった。
「あちらは、少将様?」
「はい」
女房は面識があったらしく、慌てて物陰に隠れる。
少将は、ちらりと此方を一瞬だけ見ると、すぐに邸に入っていった。
山吹の衣の女。北の方の面影を、少しだけ残す。それでも、身の丈を超える豊かな黒髪、滲み出る上品さ。
藤の君とは別の、理想の女。清原殿も、北の方ではなく、此方を下さればよかったのに、と思ってしまう。
「何を考えているの?」
藤の君は、隣の久光をつつく。
「なんでもないよ」
久光は何かを察したのか、藤の君を抱擁する。
「本当?」
ええ、と答える。
(嫌な予感しか、しないの)
北の方の妹―山吹の衣裳が似合うため、山吹と呼ぼう―が、将来、因縁の女となることを、まだ、誰も知らない。
今日も北の方は喚き散らす。
「お姉様。落ち着いて。お忙しいのかもしれませんわ」
側にいた妹姫がなだめる。
「だって!」
「そう嫉妬ばかりなさっては、お義兄様もいらっしゃってくれません。殿方に恥をかかせてはなりませんわ」
「恥?」
「ええ………」
少し言いにくそうに、そっぽを向く。
「何?」
「女房が申していたのです。噂ですけれど……お姉様のお仕立てになったお衣裳をお召になったお義兄様は、宮中でも笑い者だ、と……」
「なんですって?」
「きっと、ただの噂ですわ。気落ちなさらないで。わたくしもお手伝い致しますから、立派なお衣裳をまた、仕立てて差し上げましょう?ね?」
妹姫は、教養のある娘で、勿論、北の方の仕立てた物があまり良くないことは知っていた。だが、それを言わないでいるのも、優しさだと思っていた。
(あんなことを言ってしまったけれど………)
女房が、「大君(北の方)様のお衣裳で、婿君は、笑い者」と言っていたのは、本当のことだと思ってしまう。
(一条のお邸に、女性がいらっしゃるって……)
そんなことを言って、北の方が騒いでいたのを知っている。それが本当のことなのか、誰もが分からないと言う。
(お姉様………)
居ないなら居ないで、その方が良い。だが、もし居たら……考えただけでも恐ろしい。
妹姫は、信頼している女房に頼んで、装束を着替える。
一条の邸を、こっそり覗いて帰るつもりでいた。
「姫様、本当に、大丈夫なのですか?」
「平気よ。一条なら、わたくしでも分かるわ」
それでも女房が心配するので、仕方なく、女房を具して行くことにした。
藤の花が見事なことで知られる、橘の邸、一条邸。久光少将が普段住まいとしているのは、この邸だ。
人気のない所から、こっそりと入る。
「姫様、こんなことをなさって……」
「いいわ。見つかってしまったら、お姉様からのお文のお返事を頂きに参りました、ということにしましょう?」
「でも…」
「………倭……どうかしたの?」
「人の気配が……」
倭は小袿を脱いで、藤の君に着せる。
この邸にいる者で、久光少将を除くと、一番身分の高い者は、倭になる。藤の君の存在を隠さなければならないため、倭は、藤の君を自分の女房に仕立て上げることにしたのだ。
衣擦れの音。足音。多分、二人の女。
「誰かある」
倭は、藤の君を隠す様に座り、威厳を込めた低い声で誰何する。
「おります」
女は、堂々と答える。後ろにいた女房は、頼りなく、狼狽えている。
「わたくしは、清原家の者にございます」
「清原………若君の北の方の?」
「はい。北の方様のお文のお返事を受け取りに参りました」
「成程ね。北の方が、待ちきれなくて、催促でもしたのかしら?」
女は、頷く。
「お生憎ね。若君は出仕されています。まだ暫く、お返事は出来そうにないわ」
「そうですか」
女は、倭から、後ろにいる藤の君に目線を移す。
「そちらの方は?」
「此方のお邸に新しく仕える女房です。元々、女房をはじめ、仕える者達が多くはありませんのよ」
藤の君の着ていた小袿を見て、納得したのか、女は微笑み、「お待ちしておりますわ」とだけ残し、去った。
「で?」
「何です?」
「小袿、どうしてわたくしに?」
先程からずっと、聞きたかった疑問をぶつける。二人が来るのを察知した倭が、藤の君に、無理矢理着せたのだ。
「小袿は、女房の正装に準ずる装束です」
「それを、何故?」
「貴女のことを、清原家に知られてはならないから、ですよ。若君を除けば、この邸で一番身分の高い者は、あたくし、ということになっておりますから」
「そうなの」
その為、小袿を着た藤の君と、着ていない倭を見比べて、女は帰ったのである。
(あの女、誰なのかしら)
清原家に縁がある、それだけしか、分からなかった。
山吹の装束の似合う、まだ少女の歳を脱していない、可憐な姫君であった。
「言ったでしょう?何とかなる、と」
「もう、こんな危ないことは、なさいませんように。私もしたくありませんわ」
女房は不満げだ。
隠れながら邸を出て行くと、一台の牛車が止まっていた。降りてきたのは、若い、端正な顔立ちの男。すぐに、義兄だと分かった。
「あちらは、少将様?」
「はい」
女房は面識があったらしく、慌てて物陰に隠れる。
少将は、ちらりと此方を一瞬だけ見ると、すぐに邸に入っていった。
山吹の衣の女。北の方の面影を、少しだけ残す。それでも、身の丈を超える豊かな黒髪、滲み出る上品さ。
藤の君とは別の、理想の女。清原殿も、北の方ではなく、此方を下さればよかったのに、と思ってしまう。
「何を考えているの?」
藤の君は、隣の久光をつつく。
「なんでもないよ」
久光は何かを察したのか、藤の君を抱擁する。
「本当?」
ええ、と答える。
(嫌な予感しか、しないの)
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