できない子に転生しましたが、家族と食卓があれば十分です ―人間不信だった私が、ゆっくり育つ異世界生活―

愛朱ひいろ

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37話「ちいさな看板、おおきな一歩」

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机の上に紙が置かれている。

白い紙。
少しだけ、端が丸まっている。

そのまわりに、
私とエルとお父さんとお母さん。

「じゃあ決めようか」

お母さんがやさしく言う。

「お店の名前」

エルが腕を組んで天井を見る。

「名前なあ……」

「……なまえ」

私は紙を見る。

(……むずかしい)

「甘いのがわかるほうがいいかな」

「でも、やさしい感じがいい」

「子どもでも読めるのがいいな」

言葉がぽつぽつと落ちる。

エルがふとこちらを見る。

「さ」

「“えがお”って、どう?」

私は少しだけ息を止める。

(……えがお)

エルが笑ったときの顔。
クッキーを見たときの、あの顔。

胸の奥がきゅっとする。

お父さんが、ゆっくり頷いた。

「いいな」

「無理に笑わせるんじゃなくて、
そこにあったら、笑顔になる感じだ」

お母さんも紙を見ながら言う。

「“えがお屋”とか」

その言葉が机の上に静かに置かれる。

「……えがおや」

私は小さく声に出す。

お店。
場所。

誰かが来るところ。

胸の奥があたたかくなる。

「いいね、それ」

エルが言う。

「覚えやすいし」

私はこくんと頷いた。

(……これ)

お父さんが紙に書く。

大きな字で。

えがお屋

黒い線がしっかり残る。

私はそれを見る。

(……なまえ、ついた)

しばらく、みんなで眺めていた。

「じゃあさ」

エルがまた言う。

「クッキーの名前も決めよう」

「……なまえ、ある?」

私は少し考える。

(……わらう)

「……にこにこ」

「にこにこ?」

「……にこにこ、くっきー」

一瞬、静かになる。

それから、

「かわいい」

「いいじゃない」

「えがお屋の、にこにこクッキー」

お母さんが声に出して言う。

私は胸の奥がぽわっとする。

(……それ)

「よし」

お父さんが紙をもう一枚出す。

「次は、看板だな」

私ははっと顔を上げる。

「……え、かく」

「絵?」

私はこくんと頷く。

「……かお」

「にこって、してるやつ」

エルが笑う。

「いいじゃん」

「俺も見る」

板が運ばれてくる。

少しざらざらして、
木の匂いがする。

私は炭を持つ。

(……むずかしい)

でも、前より手が震えない。

丸。
目。
にょろっとした線。

(……えがお)

ちょっとゆがむ。
でも、消さない。

「いいと思うよ」

エルが言う。

「そのままで」

お父さんが、横で釘を打つ音がする。

こん。
こん。

看板は少しずつかたちになる。

私は描いた顔を見る。

上手じゃない。
でも。

(……つたえたい)

えがお屋。

にこにこクッキー。

胸の奥があたたかい。

お店がほんとうにはじまる気がした。

***

朝の光が庭に落ちる。

昨日まで何もなかった場所に、
小さな屋台が立っている。

木の台。
布。
紐。

お父さんが作ってくれた、車輪つき。

布の端にさっきの紙が結ばれている。

“えがお屋”

にっこりした顔の絵も頑張って描いた。

私は少し離れたところに立つ。

(……ある)

ちゃんと、ある。

胸が少しきゅっとする。

息を吸う。

(……すう)

空気が冷たい。

「緊張してる?」

エルが横に来る。

私はこくんと頷く。

「最初はみんなそうだよ。俺も、だいぶ……ははっ、緊張しちゃってる」

そう言って肩をすくめる。

お母さんは屋台の布を整しながら言う。

「ここ日陰だから。見やすいところに椅子置いておいたよ」

言い方はいつも通り。

指示じゃない。

選ばせる声。

お父さんは屋台の車輪を確かめてから言う。

「動かしたくなったら、言え。押すのは、俺の役目だ」

私は三人を見る。

(……まもってる)

でも、引っ張らない。

私は椅子に座る。

足が地面につく。

(……ここ)

遠くで、声がする。

人の声。

村の朝。

(……ひと)

胸が少しざわつく。

「最初は俺が立つよ」

エルが自然に屋台の前に立つ。

「慣れてきたら、交代でもいいし」

私はこくんと頷く。

(……みる)

「“にこにこクッキー”あります」

エルの声。

足音が止まる。

「あら?」

近所の人。

「この前の、あの?」

「はい」

包みを取る音。

布がほどける。

「かわいいね。本当にニコニコ笑ってるみたい」

その声が耳に入る。

(……かわいい)

胸の奥が少しあたたかくなる。

「これ、ください」

お金の音。

かちゃ。

私は影からそっと見る。

(……たべる)

私が作ったものを。

次は子ども。

「なにそれ!」

「色ついてる!」

声が近い。

(……ちかい)

胸がきゅっとなる。

息が少し早くなる。

エルがしゃがむ。

「食べられるよ」

子どもが笑う。

世界が少しにぎやかになる。

音が重なる。

(……だめ)

急に息が浅くなる。

胸が締まる。

視界が少し揺れる。

私は椅子の縁をぎゅっと掴む。

お母さんが静かに横に来る。

「大丈夫よ」

短い言葉。

私は頷く。

(……だいじょうぶ)

エルが布を少し下ろす。

「少しだけ、待ってください」

声は落ち着いている。

私は目を閉じる。

呼吸。

すう。

はく。

世界が戻ってくる。

「……いける?」

エルが聞く。

私は少し考えてから、
小さく頷く。

私は包みを一つ取る。

手渡しはしない。

机に置く。それでいい。

「ありがとう」

その声がちゃんと届く。

胸の奥がじんわりあたたかくなる。

空を見る。

青い。

布の端で、店の名前が揺れている。

「えがお屋」

(……ここまで、きた)

今日は全部じゃない。

でも、ここまで。

私は椅子に座ったまま、
屋台と人と、その間にある空気を静かに見つめていた。
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