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第4章 祭りの前のひと仕事、ふた仕事
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アベルは少し体を起こし、手渡された水を口にした。
レティシアはアベルの顔色を窺うように、そっと頷いた。
「物心ついた時から婚約者でしたから。それに、そういう関係だったから、あの方は唯一の幼なじみでしたもの」
王子の婚約者である公爵家のご令嬢に、滅多な者が近づけるわけがない。また、幼くして重要な地位についてしまった娘が周囲に利用されまいと、宰相リール公爵はありとあらゆる囲い込みをしていた。
結果、レティシアに近づける者はリール公爵が認めた大人か、婚約者であるリュシアンのみとなってしまった。
「……昔は、仲が良かったんだな」
「それはまぁ……お互いしかいませんでしたもの。でも、少しずつ変わっていった……」
「……例の、平民の女か?」
「いいえ、もっと前。学院に入る前です。あの方がまだ、王太子ではなかった頃」
レティシアは語りながら、記憶を遡っていった。思い返せば思い返すほど、色々なことが鮮明になっていく。もやもやしていた気持ちが、不思議と一本の線として繋がっていく気がしていた。
「そうだわ……第一王子がお亡くなりになった頃です」
「第一……王子」
アベルは目を見開いていた。その存在に、衝撃を受けたらしい。
「ご存じありませんか? 第一王子のエルネスト殿下……すごく優秀で、人望もおありで、次期国王に相応しいと誰からも言われていたお方らしいのですけど、急にご病気で亡くなられて……」
「ああ、いや、その話は聞いている。その名前がいきなり出てきたから、少し驚いてな」
「やはり皆様ご存じなのですね。リュシアン様の兄君にあたる方で、私はお会いしたことはないのですが、どこへ行ってもお噂を耳にしたものです。亡くなられた時、リュシアン様はそれはひどく落ち込んでおられました。だからお声をかけたのです。『エルネスト王子とは、素晴らしいお方だったのですね』と。そうしたら、見たことがないほど激しくお怒になられて……」
「……リュシアン王子は、そのエルネスト王子を、憎んでいたのか?」
「わかりません。でも後で聞いたところ、いつも兄君と比べられていたようで……嫉妬では片付けられない思いを抱いておられたのだと、今ならわかります。だけど当時は不可解で……どうして兄君にそんなに苛立つのか、まるで理解できなかったのです」
「……そうか」
「いつの頃からか、何かと言うと兄君と自分を比べて、勝手に劣等感を抱いては憤りをぶつけるようになっていきました。どんどん激しくなっていきました。兄君はお亡くなりになったというのに、ずっと……」
「……王子にとっては『いなくなった』のではないんだろう」
アベルの声が、微かに聞こえた。まるで零れ出たような囁き声で、そのまま、空気に溶けてしまいそうだった。
「そういった見えない壁というものは、どうしたって乗り越えられない。乗り換えたと思う前に相手が消えてしまったのなら尚更な。だが……案外、その壁本人は、自分が壁だとはこれっぽっちも思っていなかったりしてな……」
「だったら、あの方の意地の張り方はどうすればいいんですか。一生あのままということですか?」
「さあな……だが、もうお前が気にしてやる必要もあるまい。今は、傍についている者がいるんだろう? その娘は善人か?」
「優しい子だと思います。彼女……アネットと親しくなるにつれて、殿下は私をますます遠ざけるようになりました。公には私が婚約者だというのに、と呆れてしまって、国王陛下からお叱りがあるのを待っていたのですけど……どこかホッとしている自分もいたのです」
「自分に、火の粉がかからない、と?」
レティシアは、小さく頷いた。肯定することを、恥じ入っているように。
「もう私が八つ当たりされることはない。これで卒業までは安心して過ごせる……そんなことを思っていました。殿下との間にできた溝を埋めようなんて、少しも思わなかった」
レティシアはアベルの顔色を窺うように、そっと頷いた。
「物心ついた時から婚約者でしたから。それに、そういう関係だったから、あの方は唯一の幼なじみでしたもの」
王子の婚約者である公爵家のご令嬢に、滅多な者が近づけるわけがない。また、幼くして重要な地位についてしまった娘が周囲に利用されまいと、宰相リール公爵はありとあらゆる囲い込みをしていた。
結果、レティシアに近づける者はリール公爵が認めた大人か、婚約者であるリュシアンのみとなってしまった。
「……昔は、仲が良かったんだな」
「それはまぁ……お互いしかいませんでしたもの。でも、少しずつ変わっていった……」
「……例の、平民の女か?」
「いいえ、もっと前。学院に入る前です。あの方がまだ、王太子ではなかった頃」
レティシアは語りながら、記憶を遡っていった。思い返せば思い返すほど、色々なことが鮮明になっていく。もやもやしていた気持ちが、不思議と一本の線として繋がっていく気がしていた。
「そうだわ……第一王子がお亡くなりになった頃です」
「第一……王子」
アベルは目を見開いていた。その存在に、衝撃を受けたらしい。
「ご存じありませんか? 第一王子のエルネスト殿下……すごく優秀で、人望もおありで、次期国王に相応しいと誰からも言われていたお方らしいのですけど、急にご病気で亡くなられて……」
「ああ、いや、その話は聞いている。その名前がいきなり出てきたから、少し驚いてな」
「やはり皆様ご存じなのですね。リュシアン様の兄君にあたる方で、私はお会いしたことはないのですが、どこへ行ってもお噂を耳にしたものです。亡くなられた時、リュシアン様はそれはひどく落ち込んでおられました。だからお声をかけたのです。『エルネスト王子とは、素晴らしいお方だったのですね』と。そうしたら、見たことがないほど激しくお怒になられて……」
「……リュシアン王子は、そのエルネスト王子を、憎んでいたのか?」
「わかりません。でも後で聞いたところ、いつも兄君と比べられていたようで……嫉妬では片付けられない思いを抱いておられたのだと、今ならわかります。だけど当時は不可解で……どうして兄君にそんなに苛立つのか、まるで理解できなかったのです」
「……そうか」
「いつの頃からか、何かと言うと兄君と自分を比べて、勝手に劣等感を抱いては憤りをぶつけるようになっていきました。どんどん激しくなっていきました。兄君はお亡くなりになったというのに、ずっと……」
「……王子にとっては『いなくなった』のではないんだろう」
アベルの声が、微かに聞こえた。まるで零れ出たような囁き声で、そのまま、空気に溶けてしまいそうだった。
「そういった見えない壁というものは、どうしたって乗り越えられない。乗り換えたと思う前に相手が消えてしまったのなら尚更な。だが……案外、その壁本人は、自分が壁だとはこれっぽっちも思っていなかったりしてな……」
「だったら、あの方の意地の張り方はどうすればいいんですか。一生あのままということですか?」
「さあな……だが、もうお前が気にしてやる必要もあるまい。今は、傍についている者がいるんだろう? その娘は善人か?」
「優しい子だと思います。彼女……アネットと親しくなるにつれて、殿下は私をますます遠ざけるようになりました。公には私が婚約者だというのに、と呆れてしまって、国王陛下からお叱りがあるのを待っていたのですけど……どこかホッとしている自分もいたのです」
「自分に、火の粉がかからない、と?」
レティシアは、小さく頷いた。肯定することを、恥じ入っているように。
「もう私が八つ当たりされることはない。これで卒業までは安心して過ごせる……そんなことを思っていました。殿下との間にできた溝を埋めようなんて、少しも思わなかった」
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