161 / 170
第6章 聖大樹の下で
23
しおりを挟む
――その瞬間に、ふわりと思い出した。
幼い頃、レティシアは大きな木に登って下りられなくなったことがあった。どこまで行けるのか知りたくてぐんぐん高く登っていった。でも下を見たら、自分と地面との差に急におののいて、竦んでしまった。
大人達が慌てて駆け寄ってきたけれど、はしごが届かないような高さまで登ってしまった自分を救える人なんて誰もいなかった。
ああ、私はもう一生、こんな高い木の上で暮らさなければいけないんだ……そう思って、絶望した。
その時だった。レティシアの前に、大きくて逞しい手が、静かに差し出された。夜の闇よりも黒い髪と、炎のように真っ赤な瞳が、印象的な男の人だった。
だけど何より一番驚いたのは、その男の人が空に浮かんでいたと言うことだった。物を少し浮かせる魔術は見たことがあったが、人間を浮かせるようなものは初めてだ。
男の人は、驚くレティシアを優しく抱き上げると、風に乗ってびゅんびゅん空を舞って、やがて風と共に地上に降り立った。ちょうど、今のアベルと同じように。
「アベル様……」
今は、降り立つと言うよりは、勢い任せに不時着したと言った方が正しい。
そしてあの時、男の人はレティシアを地面に下ろすと、何も言わずに立ち去った。だが今は、側にいるアベルは、レティシアを抱き留めた腕を決して離さなかった。
二人して教会の中庭に転がり落ちている様は、先ほどまでの怖かった状況を差し引いても、なんだか恥ずかしい。
だがアベルは、いつもと変わらない静かな声で尋ねてきた。
「……無事か」
「え、は、はい……怪我はありません」
「そうか」
そう呟くと、ようやくアベルは、レティシアを開放した。気恥ずかしくてぱっと身を離したレティシアに遅れて、アベルはゆっくりと身を起こす。
そして、起こすと同時にレティシアの顔にそっと掌を添えたかと思うと……思い切り額をはじいた。
「痛っ!!」
抗議しようとアベルを睨む。だが逆に、怒り心頭といった様子のアベルに睨み返されていた。
「な、何ですか……」
「この……バカ! 大人しくしていろと言っただろうが」
「なっ……! こんなびゅんびゅん飛び回ったアベル様に言われたくありません!」
「勢いをつけて飛んだから仕方ないだろう! 誰のせいであんなことになったと思っている」
「私のせいだって言うんですか!?」
「見覚えのある植物の暴走で建物を壊したのはどこの誰だ! しかも自分が真っ先に落ちるなど、間抜けにも程がある!」
「あのーお二人とも……微笑ましいケンカは後にしませんか?」
遠慮がちに、だがクスクス笑いながらそう言ったのは、確かにレオナールの声だ。振り向くと、声と同じ印象の顔で二人の側に立っている。その後ろには、あわあわしているアランと、にやにやしているジャンもいる。
「な、なんでここに……?」
「アベル様が来たんだから、そりゃあ俺たちも来るでしょうよ」
なるほど確かに。ジャンの言葉に頷きつつ唖然としていると、足音やら悲鳴やら怒号やらが、次々押し寄せてきた。
王宮の兵士達、それを引き連れているリール公爵たちだ。
「お父様……!」
「レティシア、無事か!?」
駆け寄り、人目も憚らずに抱きしめる父親にレティシアは驚いていた。人前でそんなことをする人手はないと思っていた。
レティシアを放すと、リール公爵はアベルに向けて深く頭を垂れた。
「娘をお助け下さり、感謝の言葉もございません。私は、あなたにどのように報いれば良いのか……エルネスト殿下」
「……よせ。今はランドロー伯爵、そうだろう?」
「お父様……知っていたの? アベル様がエルネスト王子だって」
「お前こそ」
レティシアがその名を口にしたことで、むしろアベルとリール公爵が驚いていた。
「お前の父君のおかげで俺はバルニエ領まで逃れることが出来たんだ。今回の助力も併せて、報いるとしたら俺の方だ」
「もったいないお言葉です」
お互いに頭を下げ合っているアベルとリール公爵。穏やかな空気を纏っていたのだが、王宮から派遣された兵士達に混ざって現れたもう一人の人物を目に留めると、二人共が顔を強ばらせた。レティシアもまた、目を瞠っていた。
「お兄様……」
幼い頃、レティシアは大きな木に登って下りられなくなったことがあった。どこまで行けるのか知りたくてぐんぐん高く登っていった。でも下を見たら、自分と地面との差に急におののいて、竦んでしまった。
大人達が慌てて駆け寄ってきたけれど、はしごが届かないような高さまで登ってしまった自分を救える人なんて誰もいなかった。
ああ、私はもう一生、こんな高い木の上で暮らさなければいけないんだ……そう思って、絶望した。
その時だった。レティシアの前に、大きくて逞しい手が、静かに差し出された。夜の闇よりも黒い髪と、炎のように真っ赤な瞳が、印象的な男の人だった。
だけど何より一番驚いたのは、その男の人が空に浮かんでいたと言うことだった。物を少し浮かせる魔術は見たことがあったが、人間を浮かせるようなものは初めてだ。
男の人は、驚くレティシアを優しく抱き上げると、風に乗ってびゅんびゅん空を舞って、やがて風と共に地上に降り立った。ちょうど、今のアベルと同じように。
「アベル様……」
今は、降り立つと言うよりは、勢い任せに不時着したと言った方が正しい。
そしてあの時、男の人はレティシアを地面に下ろすと、何も言わずに立ち去った。だが今は、側にいるアベルは、レティシアを抱き留めた腕を決して離さなかった。
二人して教会の中庭に転がり落ちている様は、先ほどまでの怖かった状況を差し引いても、なんだか恥ずかしい。
だがアベルは、いつもと変わらない静かな声で尋ねてきた。
「……無事か」
「え、は、はい……怪我はありません」
「そうか」
そう呟くと、ようやくアベルは、レティシアを開放した。気恥ずかしくてぱっと身を離したレティシアに遅れて、アベルはゆっくりと身を起こす。
そして、起こすと同時にレティシアの顔にそっと掌を添えたかと思うと……思い切り額をはじいた。
「痛っ!!」
抗議しようとアベルを睨む。だが逆に、怒り心頭といった様子のアベルに睨み返されていた。
「な、何ですか……」
「この……バカ! 大人しくしていろと言っただろうが」
「なっ……! こんなびゅんびゅん飛び回ったアベル様に言われたくありません!」
「勢いをつけて飛んだから仕方ないだろう! 誰のせいであんなことになったと思っている」
「私のせいだって言うんですか!?」
「見覚えのある植物の暴走で建物を壊したのはどこの誰だ! しかも自分が真っ先に落ちるなど、間抜けにも程がある!」
「あのーお二人とも……微笑ましいケンカは後にしませんか?」
遠慮がちに、だがクスクス笑いながらそう言ったのは、確かにレオナールの声だ。振り向くと、声と同じ印象の顔で二人の側に立っている。その後ろには、あわあわしているアランと、にやにやしているジャンもいる。
「な、なんでここに……?」
「アベル様が来たんだから、そりゃあ俺たちも来るでしょうよ」
なるほど確かに。ジャンの言葉に頷きつつ唖然としていると、足音やら悲鳴やら怒号やらが、次々押し寄せてきた。
王宮の兵士達、それを引き連れているリール公爵たちだ。
「お父様……!」
「レティシア、無事か!?」
駆け寄り、人目も憚らずに抱きしめる父親にレティシアは驚いていた。人前でそんなことをする人手はないと思っていた。
レティシアを放すと、リール公爵はアベルに向けて深く頭を垂れた。
「娘をお助け下さり、感謝の言葉もございません。私は、あなたにどのように報いれば良いのか……エルネスト殿下」
「……よせ。今はランドロー伯爵、そうだろう?」
「お父様……知っていたの? アベル様がエルネスト王子だって」
「お前こそ」
レティシアがその名を口にしたことで、むしろアベルとリール公爵が驚いていた。
「お前の父君のおかげで俺はバルニエ領まで逃れることが出来たんだ。今回の助力も併せて、報いるとしたら俺の方だ」
「もったいないお言葉です」
お互いに頭を下げ合っているアベルとリール公爵。穏やかな空気を纏っていたのだが、王宮から派遣された兵士達に混ざって現れたもう一人の人物を目に留めると、二人共が顔を強ばらせた。レティシアもまた、目を瞠っていた。
「お兄様……」
16
あなたにおすすめの小説
私は聖女(ヒロイン)のおまけ
音無砂月
ファンタジー
ある日突然、異世界に召喚された二人の少女
100年前、異世界に召喚された聖女の手によって魔王を封印し、アルガシュカル国の危機は救われたが100年経った今、再び魔王の封印が解かれかけている。その為に呼ばれた二人の少女
しかし、聖女は一人。聖女と同じ色彩を持つヒナコ・ハヤカワを聖女候補として考えるアルガシュカルだが念のため、ミズキ・カナエも聖女として扱う。内気で何も自分で決められないヒナコを支えながらミズキは何とか元の世界に帰れないか方法を探す。
【完結】義姉上が悪役令嬢だと!?ふざけるな!姉を貶めたお前達を絶対に許さない!!
つくも茄子
ファンタジー
義姉は王家とこの国に殺された。
冤罪に末に毒杯だ。公爵令嬢である義姉上に対してこの仕打ち。笑顔の王太子夫妻が憎い。嘘の供述をした連中を許さない。我が子可愛さに隠蔽した国王。実の娘を信じなかった義父。
全ての復讐を終えたミゲルは義姉の墓前で報告をした直後に世界が歪む。目を覚ますとそこには亡くなった義姉の姿があった。過去に巻き戻った事を知ったミゲルは今度こそ義姉を守るために行動する。
巻き戻った世界は同じようで違う。その違いは吉とでるか凶とでるか……。
本物の聖女じゃないと追放されたので、隣国で竜の巫女をします。私は聖女の上位存在、神巫だったようですがそちらは大丈夫ですか?
今川幸乃
ファンタジー
ネクスタ王国の聖女だったシンシアは突然、バルク王子に「お前は本物の聖女じゃない」と言われ追放されてしまう。
バルクはアリエラという聖女の加護を受けた女を聖女にしたが、シンシアの加護である神巫(かんなぎ)は聖女の上位存在であった。
追放されたシンシアはたまたま隣国エルドラン王国で竜の巫女を探していたハリス王子にその力を見抜かれ、巫女候補として招かれる。そこでシンシアは神巫の力は神や竜など人外の存在の意志をほぼ全て理解するという恐るべきものだということを知るのだった。
シンシアがいなくなったバルクはアリエラとやりたい放題するが、すぐに神の怒りに触れてしまう。
巻添え召喚されたので、引きこもりスローライフを希望します!
あきづきみなと
ファンタジー
階段から女の子が降ってきた!?
資料を抱えて歩いていた紗江は、階段から飛び下りてきた転校生に巻き込まれて転倒する。気がついたらその彼女と二人、全く知らない場所にいた。
そしてその場にいた人達は、聖女を召喚したのだという。
どちらが『聖女』なのか、と問われる前に転校生の少女が声をあげる。
「私、ガンバる!」
だったら私は帰してもらえない?ダメ?
聖女の扱いを他所に、巻き込まれた紗江が『食』を元に自分の居場所を見つける話。
スローライフまでは到達しなかったよ……。
緩いざまああり。
注意
いわゆる『キラキラネーム』への苦言というか、マイナス感情の描写があります。気にされる方には申し訳ありませんが、作中人物の説明には必要と考えました。
【完結】政略婚約された令嬢ですが、記録と魔法で頑張って、現世と違って人生好転させます
なみゆき
ファンタジー
典子、アラフィフ独身女性。 結婚も恋愛も経験せず、気づけば父の介護と職場の理不尽に追われる日々。 兄姉からは、都合よく扱われ、父からは暴言を浴びせられ、職場では責任を押しつけられる。 人生のほとんどを“搾取される側”として生きてきた。
過労で倒れた彼女が目を覚ますと、そこは異世界。 7歳の伯爵令嬢セレナとして転生していた。 前世の記憶を持つ彼女は、今度こそ“誰かの犠牲”ではなく、“誰かの支え”として生きることを決意する。
魔法と貴族社会が息づくこの世界で、セレナは前世の知識を活かし、友人達と交流を深める。
そこに割り込む怪しい聖女ー語彙力もなく、ワンパターンの行動なのに攻略対象ぽい人たちは次々と籠絡されていく。
これはシナリオなのかバグなのか?
その原因を突き止めるため、全ての証拠を記録し始めた。
【☆応援やブクマありがとうございます☆大変励みになりますm(_ _)m】
悪役令嬢に転生したので、ゲームを無視して自由に生きる。私にしか使えない植物を操る魔法で、食べ物の心配は無いのでスローライフを満喫します。
向原 行人
ファンタジー
死にかけた拍子に前世の記憶が蘇り……どハマりしていた恋愛ゲーム『ときめきメイト』の世界に居ると気付く。
それだけならまだしも、私の名前がルーシーって、思いっきり悪役令嬢じゃない!
しかもルーシーは魔法学園卒業後に、誰とも結ばれる事なく、辺境に飛ばされて孤独な上に苦労する事が分かっている。
……あ、だったら、辺境に飛ばされた後、苦労せずに生きていけるスキルを学園に居る内に習得しておけば良いじゃない。
魔法学園で起こる恋愛イベントを全て無視して、生きていく為のスキルを習得して……と思ったら、いきなりゲームに無かった魔法が使えるようになってしまった。
木から木へと瞬間移動出来るようになったので、学園に通いながら、辺境に飛ばされた後のスローライフの練習をしていたんだけど……自由なスローライフが楽し過ぎるっ!
※第○話:主人公視点
挿話○:タイトルに書かれたキャラの視点
となります。
【完結】以上をもちまして、終了とさせていただきます
楽歩
恋愛
異世界から王宮に現れたという“女神の使徒”サラ。公爵令嬢のルシアーナの婚約者である王太子は、簡単に心奪われた。
伝承に語られる“女神の使徒”は時代ごとに現れ、国に奇跡をもたらす存在と言われている。婚約解消を告げる王、口々にルシアーナの処遇を言い合う重臣。
そんな混乱の中、ルシアーナは冷静に状況を見据えていた。
「王妃教育には、国の内部機密が含まれている。君がそれを知ったまま他家に嫁ぐことは……困難だ。女神アウレリア様を祀る神殿にて、王家の監視のもと、一生を女神に仕えて過ごすことになる」
神殿に閉じ込められて一生を過ごす? 冗談じゃないわ。
「お話はもうよろしいかしら?」
王族や重臣たち、誰もが自分の思惑通りに動くと考えている中で、ルシアーナは静かに、己の存在感を突きつける。
※39話、約9万字で完結予定です。最後までお付き合いいただけると嬉しいですm(__)m
【完結】期間限定聖女ですから、婚約なんて致しません
との
恋愛
第17回恋愛大賞、12位ありがとうございました。そして、奨励賞まで⋯⋯応援してくださった方々皆様に心からの感謝を🤗
「貴様とは婚約破棄だ!」⋯⋯な〜んて、聞き飽きたぁぁ!
あちこちでよく見かける『使い古された感のある婚約破棄』騒動が、目の前ではじまったけど、勘違いも甚だしい王子に笑いが止まらない。
断罪劇? いや、珍喜劇だね。
魔力持ちが産まれなくて危機感を募らせた王国から、多くの魔法士が産まれ続ける聖王国にお願いレターが届いて⋯⋯。
留学生として王国にやって来た『婚約者候補』チームのリーダーをしているのは、私ロクサーナ・バーラム。
私はただの引率者で、本当の任務は別だからね。婚約者でも候補でもないのに、珍喜劇の中心人物になってるのは何で?
治癒魔法の使える女性を婚約者にしたい? 隣にいるレベッカはささくれを治せればラッキーな治癒魔法しか使えないけど良いのかな?
聖女に聖女見習い、魔法士に魔法士見習い。私達は国内だけでなく、魔法で外貨も稼いでいる⋯⋯国でも稼ぎ頭の集団です。
我が国で言う聖女って職種だからね、清廉潔白、献身⋯⋯いやいや、ないわ〜。だって魔物の討伐とか行くし? 殺るし?
面倒事はお断りして、さっさと帰るぞぉぉ。
訳あって、『期間限定銭ゲバ聖女⋯⋯ちょくちょく戦闘狂』やってます。いつもそばにいる子達をモフモフ出来るまで頑張りま〜す。
ーーーーーー
ゆるふわの中世ヨーロッパ、幻の国の設定です。
完結まで予約投稿済み
R15は念の為・・
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる