都市街下奇譚

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四夜目『promise』

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これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。


※※※


木内新太の目の前に今ひとつの指輪があった。
新太の彼女である上原秋奈は、実に彼に様々なものをねだってきた。ブランド物のバックに財布、貴金属、数えればきりがないほどの品々はそれと同等に高額だった。その割には秋奈が彼にくれたのは、旅行先で買ったとかいう財布にいれておく小さなお守り。入れておかないと何時気が向いて秋奈が、持ってるか確認するかもしれない。嵩張るけど仕方がないから、財布の小銭入れに大事にいれている新太は純粋かもしれない。そんな秋奈の最近喉から手が出るほど欲しがっている指輪。それが予想外の状況で新太の手に入ったのだ。

実は指輪は有名なブランドの限定品で、ロットナンバー付きとという品だった。その指輪は有名ブランドのバックよりもはるかに高額で、今までで一番の高額な贈り物だ。しかし、既に新太には自由になる金銭に、余裕がなくなっていた。それはそうだ、秋奈に毎回プレゼントして、食事をしてホテルに泊まる全ての資金は新太が出すのだから。秋奈は迷いもなく高い物を飲み食いするし、ホテルも高級ホテルに泊まりたがる。でも、新太は会社の社長ではない、ただの会社員なのだ。指輪をねだられた時に流石に高額なのに躊躇したら、秋奈はその日は不貞腐れてベッドに向かいもしなかった。最近は高級ホテルに泊まれなくなって、ラブホテル続きなのにも不満顔だ。どうにかしないと、いいかげん秋奈に嫌われてしまいそうなのが目に見えている。それでも指輪を入手することが出来なかった新太は、秋奈に嫌われる不安に背を丸めて待ち合わせ場所に向かっていた。
そんな新太をまるで神様が見ていたかのように、歩いていた彼に背後から見知らぬ男が声をかける。

「これ落としましたよ?」

親切そうな大学生風の青年が、その小さな指輪のケースの入った箱を新太の手に落としこみ何か言い返す前に人混みにまぎれてしまった。それを新太は何の気なしに、何気なく空けてみる。すると、そこには自分がどうにかして手に入れたいと思っていた指輪が、ビロードの箱の中に納まっていたのだ。ロットナンバーもきちんと刻印された指輪は、偽物には見えない紛れもない本物だ。
新太だって何とか自力で手に入れたかったが仕事の最中に抜け出すわけにもいかず、金銭も余裕がないのだから明奈には謝るしかないと諦めていた矢先だ。

こんな高価なものを購入した人間は、そう簡単に諦められるだろうか?ロットナンバーだぞ?

流石に新太といえど、そのまま拾得するには些か不安がある。辺りをキョロキョロと見回す新太は人の往来に逆らっていて、手にした高価そうな指輪の箱が一際異彩を放つ。辺りを見回したが結局誰も何かを探す素振りをする人物の姿もなく、それどころかさっきの大学生も既に姿を消して何処にも見える気配もない。どうにかして手に入れたかった指輪が破格の値段どころか、無料で手のうちにある。それが、今秋奈と待ち合わせた新太の手の中にあるのだ。新太の中の良心が微かに警察に届けようと警鐘をならしている。そうは思ったのだが、

これがあれば、秋奈は喜んでさせてくれる。

一瞬過ぎった考えに彼は取り付かれてしまっていた。
可愛くて若い上原明奈は、彼にとっては生活の唯一の楽しみの全てと言える。辺りで誰も探している気配もないし、あの大学生風の男も見えない。これは神様が新太にプレゼントしてくれたのかもしれない等と、新太は心の中で呟く。

警察に届ける?勿論渡すつもりだ、ただし、上原秋奈に。

待ち合わせ場所で恭しく指輪を差し出すと、秋奈は指輪を見るとまるで踊り出さんばかりに喜び新太に極上の笑みを浮かべて微笑む。

「…その指輪…」

一瞬拾ったものだと正直に言いそうになるが、言って自分の株を下げるのは嫌だ。

「なぁに?指輪がどうしたの?」

秋奈が指輪を指で摘まみ眺めながら、不思議そうに新太の顔を見る。

「あ…いや、なんでもない。約束は守ったよ、秋奈。」

ありがとうと相変わらずの口調で、彼女は指輪を取り上げると宙に翳す。何度も見つめ試すように覗き込む秋奈の表情は、子供のようにあどけなく可愛らしい。
ケバケバしいネオンサインのラブホテルにも、今日は秋奈は文句も言わずついてきた。ベットの上で指輪をはめて足をパタパタさせる秋奈の体に、新太は跨がって尻を撫でる。

「やぁだ、新太、くすぐったいよぉ。」

指輪ばっかり眺めている秋奈に、新太は若い体に両の指を這わせ服を剥ぎ取りにかかった。指輪は左の薬指が一番収まりがいいようで、秋奈は楽しげに指をひらめかせている。その後新太の指に遊ばれて秋奈が可愛い声をあげ初めても、指を眺めるのは止むことがなかった。


秋奈との楽しい一時を終えて帰途についた新太は、彼女と別れて暫くすると気持ちを切り替えるように駅前の珈琲ショップの椅子に腰をおろした。煮詰まったコーヒーは酷く渋くて、夢見心地だった目が覚める。ここからは、何時もの生活に戻るだけだった。

な、ない!

唖然として小銭入れの中を探る。目を皿のようにして覗きこんでも、目の中には硬貨が幾つかしかみえなくて凍りつく。小銭いれの口が空いていたのか?鞄の中を探ると何枚か硬貨が散らばっていたから、小銭入れの口を閉め忘れたのは事実のようだ。でも、小銭しか鞄の中には散らばっていない。何処で?何時から開いてたんだ?財布を取り出したのはつい今だけど、ここにくる前に財布を取り出したのが何回かある。一番最後に小銭入れの中のあれを見たのは何時だ?

秋奈と会う前に入れて、食事をして支払いをした時には確かにあった。その後ホテルに行って、ホテルの支払いの時小銭を受け取ったけどあの時は入っていたっけ?

残念だがホテルの支払いの時、小銭入れの中を確認した記憶がない。あの時入っていれば今しがた落としたのだろうけど、歩いている時には財布を取り出しはしなかった。慌ててレジの辺りに戻ってレジの店員に、落ちていなかったかと問いかける。店員は困惑しながら見ていないと、首を横に振って首を傾げた。

どうしようか。

なくしたと話すのは簡単だが、どこでの説明が難しい。何処で落としたか、もしかしたら鞄の中から転がり落ちるとすれば、最悪だがホテルの中の可能性もある。ホテルか、そう言われれば鞄を投げたりしたから落としそうな気が確かにする、と新太は考えた。
ホテルを出てからまだ時間は経ってない、清掃していて見つかる可能性もある。そう考えて新太は財布の中のポイントの貯まったメンバーズカードを抜き出した。ラブホテルキャロルには、会員制のメンバーズカードがある。何度も利用してポイントを貯めると、休憩が割引になったり何かとサービスがつくのだ。そのカードには勿論電話番号も、印字されている。

『はい、ブティックホテル、キャロル。フロント森下です。』

電話の向こうで業務的な女のすました声が、ラブホテルではなく洒落た言い方をした。新太は声を潜めながら、先ほど出たものだけどと言葉を濁す。

「部屋に忘れ物が無かったかな?」
『お客様のご利用は何号室でしょう?』
「ええと、今日は。」

何号室だったか一瞬思い出せない。お客様?と受付の女が問いかけるのに、今日さっきまでいた部屋を思い浮かべる。

「ええと、赤いベットで。」
『申し訳ありません、当ホテルは全てベッドは赤で統一しておりますので。』

そうだった。まて、周りに何があっただろう、ボタンを押したのは何階だっただろう。必死になると余計に番号が思い出せない。さっき出たばかりなんだよと告げるが、チェックアウトは大概似通った時間なのか相手も困惑する。

『お客様、会員証お持ちですか?』

気がついたように告げた女の言葉に安堵する。そうだった、会員証を提示してポイントをつけているんだった。会員証の番号を告げると、相手は思い出したように302号室でいらっしゃいましたねとパソコンを見ながらなのだろう機械的に言う。

『清掃は終わっておりますが、申し訳ありません、新しいお客様がご利用になっておりますので、後程再度清掃の際に確認いたします。』

なんともう客が入っているだなんて。でも、そうなると確かに探してもらうには客が出るのを待つしかない上に休憩の自分とは違って、今からと言うことは一晩中の泊まり客か。新太は溜め息混じりに分かりましたと項垂れる。少なくともこれからしていないことをバレないようにしないと。冷めたコーヒーを見下ろしながら、新太はいい方法がないかと考え込んだ。


※※※


考えついたのは、どうにも単純でくだらない方法だったが、もし、理由を聞かれたら、その時はその時だ。と、考えたのに相手は別段疑いもしない様子で、追求すらしなかった。早く見つけなきゃと、翌日もう一度ホテルに電話すると、あったという言葉に新太は喜んでホテルに向かった。

「こちらでしょうか?」

取り出されたものは自分が求めていた物とは似ても似つかない。こんな時じゃなかったらありがたく頂いて、秋奈にプレゼントしてやればもう一回楽しい時間が過ごせるだろうけど、自分が今必要なのはそれじゃない。

「違います、ほんとただシンプルなやつ。部屋探してもいいですか?」
「申し訳ありません、302号は今使用中なんです。」

確かに背後の部屋の写真のライトは消えているから、スタッフの言う通りなんだろう。もう一度探してくれると告げたけど、見つかりそうもない気がしてきた。
秋奈はあの後何と誘っても、素っ気ない返事しか帰ってこない。どうしたら彼女の気を引けるのか新太には、検討もつかないのだ。


※※※


上原秋奈は等の昔に気がついていた。というよりも最初から気がついていたのだ。女がそういうことに目敏いのは知っておいた方がいい。大体にして幾ら隠すにしても、財布の小銭入れに隠すのは安直すぎ。それを秋奈がこっそり抜き取ったのに新太は何時気がつくだろうか。
秋奈は微笑みながら考える。新太が本気なのか遊びなのかは、正直に言うと秋奈にはどうでもいい。

でも、この指輪は特別ね。

秋奈は薄く微笑みながら、指輪を指でつまんで眺める。微かなシャワーを浴びている音に、秋奈は男の様子を伺いながら微笑む。こうなると、新太はお財布とはもう言えない。恐らく自由になるお金は指輪で使い尽くしたことだろうし、この先に起こることを考えるとソロソロ時期だろう。秋奈はベットの上に寝転びながら、子供のように足をパタパタさせる。

ま、いっか。

そう考えながら男がシャワーから上がってくる気配を感じとった秋奈は、しなやかな動きでベットのマットレスの間にそれを捩じ込んだ。


※※※


新太はスマホを見下ろしながら、ドアに寄りかかり考えている。相変わらず探し物は出て来ないし問題は山積みで、今はそれに振り回されている最中だ。母親の金切り声と買い物は付き合うのか大変だと、秋奈の事を考えながら心の中で愚痴る。早く見つかってくれないと困るんだけどな、気がつかれたら答えようがない。包帯を巻いた指を器用に曲げてスマホを操作する横では、口論が始まったのが分かる。

どうでもいいけど、早くみつかんないかな。

話が終わったらもう一度ホテルに電話をしてみようと、新太は何気ないふりで考えた。この後何が起こるか考えもせず、秋奈に今度いつ会える?とメッセージを送る。返事は来ないが、少しでも彼女に気に入ってもらう努力はするつもりだ。その時だ、不意に名前を呼ばれたのは。

「木内新太さん、スマホの彼女とお話しする前に。」


※※※


女の嫉妬って怖いですね。 

自分が言うと久保田は軽やかに笑って、そうですかねと首を傾げる。その言葉の意図が分からずに彼を見つめると、嫉妬でなくとも女が折れることもあるんですよと意味深に微笑む。嫉妬でない?指輪を隠す理由に他の理由なんて。そんなことあり得るんだろうかと、何気なく考えてみる。

誰かに頼まれたとか?

そう久保田に問いかけてから、逆にその方が無気味なのに気がついた。

もらった指輪をホテルに態々隠すなんて。

自分が呟くように言うと久保田はおやというように、私そういいましたかね?と呟く。指輪を隠したんですよね?と問いかけると、そうですねと久保田が頷く。自分はまるで謎かけでもされたみたいに、暫く黙りこんで考え込む。
お財布に入っていたのはお守り。でも、隠
してはいないはず。じゃ、男が隠してて、無くして慌てて探したのはなんだろう。そして、ふとその違和感が何か分かって話が伝わると、背筋が少し寒くなるのを感じた。

その男の人、今どうしてるんですかね?

自分の言葉に久保田は賑やかに微笑んだだけだった。
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