都市街下奇譚

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六夜目『しせん』

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これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。


※※※


木村勇は朝の新鮮な空気の満ちる空の下で、白い息を吐き散らしながら何気なくその家の窓を見つめた。大きなその屋敷と呼ぶのに相応しい家屋の、出窓の一つにその人物を見つけたのは半年程前のことだ。
窓辺からその人物は悲しげな顔をして椅子に腰掛け、下を通る人を見下ろしている。透き通るような白い肌、物憂げな瞳、流れるような長い黒髪は頬を覆い肩に垂れかかっていた。勇はその家の家族を知るわけではないが、窓辺に座ったその人の姿に引き付けられるのを感じる。

綺麗な人だな。

歳は高校二年の自分より少し上なのではないだろうか、体は座っていて殆ど下からでは見えないが白い服を着たその人は女性だと思う。最初の日、彼女は勇と視線が合うと困ったように目を伏せてしまった。しかし、その瞳が宝石のようにキラキラと濡れたように光ったのを、勇はまだ忘れられずにいる。

それから通る度に窓を見上げるのだが、彼女がいる時といない時とがあるのに気がつく。彼女が窓辺に姿を見せるのは朝早くか、夕方、どちらも六時半から七時半の間だけ。そう気がつくと、心なしかその時間を選んで、そこを通るようになる自分がいる。

「女の人?どこの家だよ?」 

近郊に自分よりずっと長く住んでる親友の浦野太一に聞くと、先ずどの家の事か分からない様子だった。勇は中学の最後に家を両親が購入して引っ越してきたので、近郊の家族まではそう詳しくはない。
 
「出窓のたくさんある、でっかいお屋敷でさ?学校行く途中に通りかかるんだよ。」
「出窓ぉ?」

案外日々通っていても目に入らない物のようで、太一は考え込む。同級生の家でもなければ、確かに家の作りなんて早々眺めるものでも無いのかもしれない。

「もしかして、三浦さんの家かな?」
「三浦?」
「ああ、ちょっと色々あって今は誰が住んでるかは知らないけど。」

太一が言いにくそうに言葉を濁したから、恐らく今住んでる人は知らないのだろうと勇は考えた。家の門柱に名前は掲げられていないところを見ると、名前は分からないが新しく引っ越してきた人なのだろうと勇は窓辺を見上げる度に思う。
いつか、また最初と同じ様にこちらを見てくれるのではないかと、毎日こうして窓辺を見上げている自分が何とも歯がゆいような気はする。これが、恋なのかなんなのか分からないが、それでも彼女の事を一目見たくて同じ時間にここを通ってしまう。

今日もこっちは見てくれないのか。

目を伏せた彼女の白い顔が、髪を掻きあげ耳にかけている横顔で見える。窓辺に花でも飾ったら少し華やかになるかもしれないが、彼女の密やかな気配には何もない窓辺が似合っているような気もした。次第に季節が移り変わり、夏を過ぎて変わっていく。朝の空気が冷たさを無くして、蒸し暑さを温んでも時間は変わる様子がない。

今日もいる。

決まった時間に決まったように窓辺に座り。窓の外を見つめている彼女の名前はなんというのだろうと、勇は窓を見上げる。
先日夜にここを通った時、既に何時もの時間は過ぎていて部屋は暗く窓辺に彼女の姿はなかった。そのかわり下の部屋に燈る暖かい室内が見えて、光の中で何かを言い合うような声がする。でも、暖かい光にしては、その声は声高で言い争う声にも聞こえた。勇はもしかしてその言い合いこそが、彼女の悲しそうな表情の理由なのではないかとすら考えている。そうは言ってもそれも彼の勝手な憶測にしか過ぎないのだから、どうしようもない。

「なあ、あの時のはなし覚えてるか?太一。」
「ああ、三浦さんちの窓にいる美女ってやつ?」
「昨日さぁ、家で言い合うような声を聞いたんだよ、あの人が寂しそうにしてるのの理由ってそれじゃないかなぁ。」

勇が溜め息混じりに言うのに、太一はコンビニの中華まんを齧りながら少し声を落とした。

「あのなあ、三浦さんって不動産屋さんなんだよ。でも、あすこんちの息子さんが大分前におかしくなって事件起こしたから別なとこに暮らしててあの家、殆ど今住んでない筈だぞ?」
「事件?」
「何年か前に大きな事件起こしたって、お袋達が噂してた。お前も引っ越した後の事だから知ってる筈だぞ。」

殆ど住んでいないというが、時間さえ会わせれば彼女は何時も同じ窓辺にいるのだから勇は熱っぽく説明して太一を誘って朝早くに窓辺の下を通ることにした。ところが、その日に限って彼女は窓辺に姿を見せないのだ。しかも、生け垣から覗いた家の中には、全く人の気配もなく庭は荒れ果てた印象すらある。

「な?言ったろ?事件のせいでマスコミとか来て大騒ぎだったの覚えてないのか?」

そう言われればここら辺を通る度にカメラを構えた男が何人も、角や電信柱の影に立ち並んでいるのを見た覚えがある。

「事件ってどんなやつだったっけ?」
「殺人じゃなかったっけ?連続殺人鬼とかなんとか。」

そんな風に言われると、確かに以前そんな事件がここら辺であった気もする。関わりのない年代の話だったから詳しくは忘れてしまったが、それではあの人は誰なのだろうと勇は考え込んだ。幽霊にしては実在感があるが、結局見ているのが自分だけじゃ判断のしようもない。勇は何気なくネットを検索して事件の事を調べてみる事にした。

連続殺人事件の詳細はあまり高校生が調べられる範疇では、得られる情報は多くはない。人が五人殺されて、生き残った人が二人。その犯人があの家に住んでいた長男で、当時はマンションに独り暮しだったから、異常が発覚したのは全部が終わってからだったということくらい。後は事件に関わった不思議な女がいたかもしれないってことくらいだ。

不思議な女……って感じでもないんだけどな。どっちかって言うと寂しそうな女って感じだ。

三浦って人に息子だけでなく、娘もいたかどうかは分からない。でも、少なくとも自宅にはそうそう安心して過ごせなくなってしまったのは、本当の事なのだろう。再び窓の下を通りかかると、勇一人の時は彼女は寂しげに道路を見下ろしているのだ。太一が一緒の時はけして出会わないのに、勇だけだと必ず窓辺にいるのが不思議だった。

他の奴に見られるのは迷惑なのかな。

何となくそんな風に感じて、勇は彼女を眺めるのを自分一人の宝物の時間にすることに決めたのだった。ほぼ毎日のように歩いていると、時折彼女の視線が動くような気がする。そんな風に思いながら勇は、毎日同じように窓の下を通りすぎる日が続いていた。


毎日が同じように過ぎて息の方が外気より暖かくなった頃、その日は少し何時もより暖かい日差しの中だった。勇は毎日と同じように、彼女のいる窓辺を見上げる。そこには驚いたことに彼女が、最初の日と同じく真っ直ぐにこちらを見つめて座っていた。
寒さに青白い肌に白いブラウスは変わりなく、黒い綺麗な髪も頬にかかったまま。初めて目があってから半年以上もたって、やっと視線を合わせてくれたのに勇は心なしか微笑みながら彼女を見上げた。彼女は瞬きもせずに、彼のことをジッと見つめている。ふと勇は微かな違和感を感じて、その場に立ち尽くした。
揺らぐことなく視線を合わせている彼女の濡れたような瞳は、何だか視点が虚ろに濁っている様に見える。暫く無言で見つめるが、以前の様に彼女は視線をずらす事も身動ぎ一つしない。次第に朝の冷たい空気に冷えていく体を感じながら、勇は戸惑いながら窓の下を通りすぎていた。

何だったんだろう。

疑問に感じながら、帰り道既に暗くなった窓の下から見上げて勇は目を丸くした。窓辺に朝と同じく彼女がいるのだ。何時もより30分遅い時間だから、普段だったら窓辺には彼女はいない筈。でも、確かに暗くなりつつある窓辺に彼女は道路を見つめて、同じ位置に座り続けている。しかし、朝とは違ってあの濡れたような瞳が、今は閉じられているのが分かる。髪が絹糸のように白いブラウスの肩にかかっていて、顔は血の気がなく青白い。自分の体が冷え切っていることも忘れ、勇はその場に立ち尽くしたまま強い不安にかられた。

もしかして…気を失ってるとか。いやもしかして……。

思考はどんどん最悪の結末を導き出していく。勇はは思わずスマホをかじかんだ手で取り出すと思いつく場所に電話を始めていた。


※※※



救急車が居間で倒れていたという住人を乗せて出て行くのを見つめながら、警官は不思議そうに首をかしげる。原因は暫く留守にしていて、久々に帰宅して着けた石油ストーブの不完全燃焼ということらしい。しかし、通報の内容と、現場は今ひとつ一致しないものが多すぎた。
通報してきた電話の青年が、様子がおかしい少女が居ると言う部屋はこの家の中には当てはまる場所が存在しないのだ。一番家に近い道路を直接見下ろせる位置には、出窓のある部屋はないどころか部屋がない。大体にして北側に面したそこは外壁で、窓を作ったこともないようだ。他の出窓からは立ち木が遮り、道路どころか車の屋根を眺めることも難しい。

「おい、いたか?」

彼らがここに到着する前に電話で「その女性がいる部屋に行く」といった青年を引き止めたが、電話口の青年は勝手に女性の部屋に向かったらしい。事件性がなければいいがと苦慮しながら、結局到着してみたらその通報者すら忽然と消えた。
住人の物ではなさそうなスニーカーが一足乱雑に駆け込んだように玄関に脱いであり、一階の窓を解放した人間は確かにいた。誰かが警察官の到着前に一人は家に入った気配はあるのだが、当の入った人間が何処にも見当たらないのだ。

「参ったな、靴はあるんだがな。」

靴の持ち主だろう通報した青年とおぼしき姿が、家の中の何処にもない。靴を履かずに出ていったとも、正直考えにくい。世の中自分の存在を隠してまで人助けをする人に溢れているとは思えないのだが、そんな風に思いながら警官は溜め息混じりに玄関から出ると家を眺めた。

『出窓のある部屋で女の人が倒れてるみたいなんです。窓を道路から見上げたら見えたんです!俺上がってみます!』

青年はそう言って引き留める電話を切ったというが、警察官は制帽を上げて家を見上げた。

見上げたら見えた……ねえ?一体何処から何処を見たんだ

デザイン性の高い洒落た平屋建て、そんな二階のない道路からは見えない筈の家屋を警察官はマジマジと見つめなおしたのだった。



※※※


見えない部屋に入った青年はどうなったんですか?

思わず聞き返した自分の声に、久保田はグラスを磨きながらさあと首を傾げる。自分が見ているのが実在しない部屋だとしたら、扉を潜った途端消え去ってしまうのだろうかと自分は不安になる。

家に帰って二階に上がるのが怖くなりますね。

そうですねぇと呑気に答えた久保田がおやと言いたげに自分の顔を眺め、次のグラスを磨き始める。

二階建てに住んでいらっしゃったんですか、てっきりマンションにお住まいだと。

そう朗らかに告げた久保田の言葉に、自分は凍りついていた。
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