19 / 111
十五夜目『福』
しおりを挟む
これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。
※※※
うーっと呻くように、福上雄三は痛む背をググッと伸ばした。福上という名前のわりに体は柳のように細く、頬骨が突き出た顔をしている。別段病気というわけではなく、若い頃から太れない体質で、太ろうと食事を無理にとると逆に体を壊すというだけ。
そんな福上も還暦という言葉が次第に近づいてきて、その上中年をとうに過ぎてからのパソコンとか言う訳のわからない機械の出現。昔は二行しか見えないデジタル画面を見ながらワードプロセッサーが最先端だったなんて、若いものは信じられないだろう。それ以上に今の若い教え子達に、ワープロなんて言葉が既に通用しない。下手すると若い教師でも何ですか?それ、と聞き返してくる始末だ。
忌々しい機械文明め!
今ではテストを作るのもWordやExcelの世界になってしまっては、福上が幾ら機械が苦手でもまず通用しなくなった。何しろ家庭への連絡もメール使う学校が存在している世の中だ。近郊の小中高一貫校では臨時休校のお知らせをメール連絡するらしいが、そんなことをして見ていなかったから学校に来たじゃないかと苦情を言う家族がいないのかと考えてしまう。とは言え、便利さに都立高校に勤務していても、いつか保護者から同じことが希望されかねないのが今の世の中だ。
ワープロでお知らせを作ってわら半紙でコピーしていた世の中が懐かしい。
染々そんなことを考えるようになったのは、教え子が教師として自分の部下になった頃からだろうか。遠ざかる昔を思い出して、福上は目を閉じ宙を仰ぐ。
昔はあいつもヤンチャで手のかかる生徒だった。
何かと三人で問題を起こす生徒で、仲が良いことは素晴らしいがやることが破天荒だった。当人達は普通のつもりだろうが、福上の教師生活の中で入学式から一騒ぎを起こしたのは後にも先にもあの三人組だけだ。今となっては懐かしいだけだが、綺麗な顔をしてると揶揄されたからといって入学式前に乱闘をする新入生など見たこともない。しかも、一人が絡まれると残りの二人が必ず参戦するのが、あの三人組だ。しかも、毎年何かしら大事をしでかすもので、今でも文化祭の乱闘は同窓生達の悪い意味での伝説と化してしまった。あの三人組と修学旅行と考えだけで、当時の福上は身の細る思いだったものだ。勿論、当然のように三人組は修学旅行でも、大騒動を起こしてくれた。当人達には悪気が全くないの上に、話すと聞き分けのいいところが更に質が悪い。
あの時の騒動は違う意味で伝説と化した。
思わず遠い目をしてしまった福上は修学旅行のクラスメイトが絡まれたからと、全うでないご職業の方々と乱闘した上に撃退した三人組を思い浮かべる。これが、伝説になったのは、その後のホテルに撃退された方々の上司というかお偉いさんが三人をスカウトに現れるという何ともあり得ない事件に発展したからだ。
えー、めんどくさっ
どう見ても堅気のお方でない恰幅のいいお人に、そんな遠慮のない一言でスカウトを拒否した宮井智雪に福上は卒倒しそうだった。しかも、残りの二人もめんどくさいと口を合わせたのには、福上は泡を吹き倒れてしまいたくなったものだ。とにもかくにも問題児三人組が晴れて卒業の時はこれで、やっと心労で痩せ細る日々から逃れられると思った。
長時間のパソコンモニターとの格闘は、どうしても腰が痛む。福上は現実逃避から戻ると、ショボショボする目を揉みながらもう一度背筋を伸ばした。
私も年かなぁ
しょぼつく目を眼鏡をはずし揉み解しながら、福上は出来上がった長文を目を凝らして読みなおした。どこか食い違っていないか、どこか間違っていないかをもう一度見直す。こう言うと信じられないかも知らないが、お知らせに誤字があると電話で苦情を言ってくる保護者は事実存在する。こちらが打ち間違った文章を、こういう意味で捉えていいんですよね?とくるのだ。それ以外に何と捉えるのだと内心は文句を言いたくなるが、そうできないのが今の親の扱いの難しいところ。
「教頭先生、外線二番に二年の里内の家族からです。」
ああ、考えた途端噂の問題の保護者から電話が。
昔はよかった、なにしろ話してみれば案外通じるものばかりで、あの三人組だって面と向かって話せば物わかりが良かったのだ。今では面と向かって話しても理解できない人間が、山のように世界に溢れている気がする。福上は外線を切り替え、甲高い声で捲し立てる準備をしている声を目を閉じて待ち受けた。
※※※
「お疲れ様です、教頭。」
「おつかれさん。土志田君は校内当番かね。」
ええと賑やかに問題児だった昔を感じさせない教え子が、校内に残っている生徒がいないか確認をして歩いている。
「今日は大変でしたね。」
「まあ、やむを得ない事だがね。」
昼間の電話の件を言っているのは、聞かなくとも分かった。何しろ相手は今では福上と同等に、校内で苦情に曝される生活指導を担当しているのだ。まさか、こんな風に成長するとはなぁと染々目の前の青年を眺めていると、相手は不思議そうに福上の事を眺めている。
「お疲れですか?結構長かったですしね、あの電話。」
「ああ、いやいや、それではお先するよ。」
「お疲れ様です。」
丁寧に頭を下げる土志田を残して、福上は最寄りの駅に向かい唯一の楽しみに喫茶店に寄って珈琲と甘いものをを楽しんでから帰宅するのだ。最近の小さな流行は『茶樹』という大通りから一本道を入った、隠れ家のような喫茶店。何より珈琲が旨いし、甘いものも種類が豊富で寛げる店なのだ。
「先生、また会いましたね。」
何故か時折教え子に鉢合わせするのは、彼らがここいらの出身でそのままここで生活をしているからだろう。三人組は今も頻繁に交流を続けて、社会的にも随分成長したようだ。
「やあ、鳥飼くん。」
「遅くまで大変ですね。」
「まあ今日は早い方だがね。」
昔話をすることもあるが、大抵は挨拶くらいでお互いに距離をとって座る。相手の自由な楽しみを邪魔しないのも、大人になった証拠だろう。珈琲とガトーショコラを楽しんでいると、彼はこちらとマスターに会釈をしてから立ち去った。
これくらいしか楽しみがないのも、困ったもんだな。
本を手に少しばかり寛いで、帰途についた福上は苦笑いしながら空を仰ぐ。何か趣味でもとは思うが、仕事をしている間は中々時間が取れないものだ。仕事を定年退職したら、ゆっくり旅行でも趣味にしたらいいかもしれない。そんなとき足元にコツンと何かが当たる感触があって、福上は視線を足元に落とした。
何だ?
小さなまん丸の体は雀のように丸々としているが、ペンギンのようにも見える。足元に転がったそれを福上は何気なく拾い上げ、掌の上に乗せて眺めた。手の上にはずんぐりとした毛綿のような何かが、コロンと転がるように乗っている。
こりゃ、なんだ?
じいっと見ているがサッパリ招待が分からない。毛綿にしては骨があるのだろう手の上にしっかりと、乗ったまま転がり落ちる様子もない。しかし、得たいの知れないものを拾うわけにはと、辺りを見渡しどうしたもんかと思案する。投げるわけにもいかないし、ゴミ箱にでも、と頭で考えた瞬間、目の前の毛綿が突然黒い瞳をパチリと開いた。鳥のヒナかと一瞬考えたが、嘴がない。しかし、クリクリした瞳は何処と無く愛嬌がある。
しかし、困った、毛綿ならともかく、生き物ではなぁ。
ゴミ箱に投げるのも忍びないし、やむを得ないからと福上はその目のついた毛綿を両手で包むようにして自宅まで持ち帰ったのだった。
※※※
「さて、お前はなんだろうなぁ?」
自宅に帰った福上はテーブルの上に乗せた、正体不明の毛綿を見下ろす。福上は五年前に妻に先立たれ、子供達二人も独立しているから今は独り暮らしだ。後添いなんて考えたこともない、気ままな暮らしではあるがこの珍妙なモノをどうしたらいいのだろう。口は毛に隠れているのか見えないが、子供なのか何なのかすら分からない。鳥のヒナだとしたら、虫でも食べるとなったらどうするべきか。購入する場所はあるのか?それとも虫を捕ることになるのか?
こんな時こそ文明の力、最近知ったググるというやつ
白い毛綿、掌サイズでかの有名な『ヤフー』氏に伺ってみると、最初に出てきた宝毛という文字にもんどりうってしまいそうになるが、少し先にスクロールしてみるとそれっぽいものが現れた。
ケ、ケサラ、ケサランパサ、ケサランパサラン?
早口言葉かと突っ込みたくなったが、説明を読んでいると確かに似ている感じを受ける。ただ、目があるとは書いていないし、しかもこのご時世白粉を食うと言われても福上には白粉を準備する術もない。
「育てるにしても、お前は何を食うんだろうなぁ。」
呟くとフワフワの毛が理解したように、黒い瞳で福上を見上げスススとテーブルの上の手に寄ってくる。拾ったせいか、目を合わせたせいか、毛綿は福上を親かなにかと思っているみたいに見えた。
何やら、可愛らしいなぁ。お前。
そう考えると毛綿は嬉しそうにフワフワと手を撫でて、指の上に乗り安心したようにそこに落ち着く。せめて米でも食えばなあと、考えた福上は試しに小皿に炊飯器に保温された米を皿に盛ってみた。毛綿は暫しフンフンと米の周りを回っていたが、唐突に毛綿の目の間に小さな口か現れたのには面食らってしまう。しかし、白粉ではなく米を食うならケサランパサランというやつではないのだろうと、福上は米粒を旨そうに食う毛綿を暖かい目で見下ろした。
※※※
「最近教頭先生、お帰りが早いですね。」
「そうかね?まあ、動物を拾ってしまってね、飼い始めたんだ。」
「あら、猫ですか?」
「いやいや、猫は苦手なんだよ。では、お先する。」
保険室の大浦女史に颯爽と答えると、福上は帰途を急いだ。こんなに急いで帰るようになったのは毛綿の存在のせいだが、あれをどのように他人に説明してやったらいいのかはいまだ不明だ。モフモフとした毛綿はサイズで言えば、仔猫ぐらいなものだが猫のように爪もなければ牙もない。
「ただいま、毛綿!」
ドアを開けると玄関には物音を事前に聞き付けていたのか、はたまた出掛けてからずっとここで待っていたのか毛綿が鎮座している。撫でてやると黒い瞳が気持ちよさげに細められ、手の周りをクルクルとまとわりついた。可愛いもので、こんなになつかれていると離れているのが心配になってくる。
「ちゃんと大人しくお留守番できて偉いぞ。毛綿。」
何故か毛綿と呼ぶのが定着化してしまい、毛綿の名前は毛綿になっていた。その姿は一番適切な表現は、手乗りサイズのアザラシの子供。夜泣きもしないし、遠吠えもしない。食べるのは米だけだが、炊きたての方が尚旨そうに食べる。お気に入りの場所は福上の膝の上。
なんと可愛らしいものではないか。
久しく何かと一緒に暮らすことなどなかった福上にとって、毛綿は愛らしい同居する不思議な生物となったのだ。お陰で独りっきりを実感させられる家に帰るのが楽しくなったし、毛綿のせいで一人の寂しさも紛らわせられる。毛綿はケサランパサランではないが、福上にとっては福を運ぶ生き物なのかもしれない。
※※※
本当にいるんですか?そんな生き物?
と自分が目を丸くすると、久保田は賑やかにどうでしょうねぇと微笑みながらグラスをおいた。まあ、毛玉のように見えると言えば鳥のヒナで、フクロウなんかは一見すると毛玉のように見えるらしい。しかし、足もないし爪もない牙もない嘴もないのでは、見てみないと本当のところは分からないのかと考える。そんな風に考え込んでいる自分に、久保田が微笑んだのに我に帰った。考えれば本当の話かどうかも分からないのに、そんなことを真剣に考えてしまったのだ。
恥ずかしさに黙りこんだ瞬間、カランとドアを開いて痩せぎすの頬骨の目立つ中年が扉を潜ってきた。
お久しぶりですね、福上さん。
そう久保田が声をかけると、相手は賑やかに手を上げて奥の方の席にあるいていってしまった。
※※※
うーっと呻くように、福上雄三は痛む背をググッと伸ばした。福上という名前のわりに体は柳のように細く、頬骨が突き出た顔をしている。別段病気というわけではなく、若い頃から太れない体質で、太ろうと食事を無理にとると逆に体を壊すというだけ。
そんな福上も還暦という言葉が次第に近づいてきて、その上中年をとうに過ぎてからのパソコンとか言う訳のわからない機械の出現。昔は二行しか見えないデジタル画面を見ながらワードプロセッサーが最先端だったなんて、若いものは信じられないだろう。それ以上に今の若い教え子達に、ワープロなんて言葉が既に通用しない。下手すると若い教師でも何ですか?それ、と聞き返してくる始末だ。
忌々しい機械文明め!
今ではテストを作るのもWordやExcelの世界になってしまっては、福上が幾ら機械が苦手でもまず通用しなくなった。何しろ家庭への連絡もメール使う学校が存在している世の中だ。近郊の小中高一貫校では臨時休校のお知らせをメール連絡するらしいが、そんなことをして見ていなかったから学校に来たじゃないかと苦情を言う家族がいないのかと考えてしまう。とは言え、便利さに都立高校に勤務していても、いつか保護者から同じことが希望されかねないのが今の世の中だ。
ワープロでお知らせを作ってわら半紙でコピーしていた世の中が懐かしい。
染々そんなことを考えるようになったのは、教え子が教師として自分の部下になった頃からだろうか。遠ざかる昔を思い出して、福上は目を閉じ宙を仰ぐ。
昔はあいつもヤンチャで手のかかる生徒だった。
何かと三人で問題を起こす生徒で、仲が良いことは素晴らしいがやることが破天荒だった。当人達は普通のつもりだろうが、福上の教師生活の中で入学式から一騒ぎを起こしたのは後にも先にもあの三人組だけだ。今となっては懐かしいだけだが、綺麗な顔をしてると揶揄されたからといって入学式前に乱闘をする新入生など見たこともない。しかも、一人が絡まれると残りの二人が必ず参戦するのが、あの三人組だ。しかも、毎年何かしら大事をしでかすもので、今でも文化祭の乱闘は同窓生達の悪い意味での伝説と化してしまった。あの三人組と修学旅行と考えだけで、当時の福上は身の細る思いだったものだ。勿論、当然のように三人組は修学旅行でも、大騒動を起こしてくれた。当人達には悪気が全くないの上に、話すと聞き分けのいいところが更に質が悪い。
あの時の騒動は違う意味で伝説と化した。
思わず遠い目をしてしまった福上は修学旅行のクラスメイトが絡まれたからと、全うでないご職業の方々と乱闘した上に撃退した三人組を思い浮かべる。これが、伝説になったのは、その後のホテルに撃退された方々の上司というかお偉いさんが三人をスカウトに現れるという何ともあり得ない事件に発展したからだ。
えー、めんどくさっ
どう見ても堅気のお方でない恰幅のいいお人に、そんな遠慮のない一言でスカウトを拒否した宮井智雪に福上は卒倒しそうだった。しかも、残りの二人もめんどくさいと口を合わせたのには、福上は泡を吹き倒れてしまいたくなったものだ。とにもかくにも問題児三人組が晴れて卒業の時はこれで、やっと心労で痩せ細る日々から逃れられると思った。
長時間のパソコンモニターとの格闘は、どうしても腰が痛む。福上は現実逃避から戻ると、ショボショボする目を揉みながらもう一度背筋を伸ばした。
私も年かなぁ
しょぼつく目を眼鏡をはずし揉み解しながら、福上は出来上がった長文を目を凝らして読みなおした。どこか食い違っていないか、どこか間違っていないかをもう一度見直す。こう言うと信じられないかも知らないが、お知らせに誤字があると電話で苦情を言ってくる保護者は事実存在する。こちらが打ち間違った文章を、こういう意味で捉えていいんですよね?とくるのだ。それ以外に何と捉えるのだと内心は文句を言いたくなるが、そうできないのが今の親の扱いの難しいところ。
「教頭先生、外線二番に二年の里内の家族からです。」
ああ、考えた途端噂の問題の保護者から電話が。
昔はよかった、なにしろ話してみれば案外通じるものばかりで、あの三人組だって面と向かって話せば物わかりが良かったのだ。今では面と向かって話しても理解できない人間が、山のように世界に溢れている気がする。福上は外線を切り替え、甲高い声で捲し立てる準備をしている声を目を閉じて待ち受けた。
※※※
「お疲れ様です、教頭。」
「おつかれさん。土志田君は校内当番かね。」
ええと賑やかに問題児だった昔を感じさせない教え子が、校内に残っている生徒がいないか確認をして歩いている。
「今日は大変でしたね。」
「まあ、やむを得ない事だがね。」
昼間の電話の件を言っているのは、聞かなくとも分かった。何しろ相手は今では福上と同等に、校内で苦情に曝される生活指導を担当しているのだ。まさか、こんな風に成長するとはなぁと染々目の前の青年を眺めていると、相手は不思議そうに福上の事を眺めている。
「お疲れですか?結構長かったですしね、あの電話。」
「ああ、いやいや、それではお先するよ。」
「お疲れ様です。」
丁寧に頭を下げる土志田を残して、福上は最寄りの駅に向かい唯一の楽しみに喫茶店に寄って珈琲と甘いものをを楽しんでから帰宅するのだ。最近の小さな流行は『茶樹』という大通りから一本道を入った、隠れ家のような喫茶店。何より珈琲が旨いし、甘いものも種類が豊富で寛げる店なのだ。
「先生、また会いましたね。」
何故か時折教え子に鉢合わせするのは、彼らがここいらの出身でそのままここで生活をしているからだろう。三人組は今も頻繁に交流を続けて、社会的にも随分成長したようだ。
「やあ、鳥飼くん。」
「遅くまで大変ですね。」
「まあ今日は早い方だがね。」
昔話をすることもあるが、大抵は挨拶くらいでお互いに距離をとって座る。相手の自由な楽しみを邪魔しないのも、大人になった証拠だろう。珈琲とガトーショコラを楽しんでいると、彼はこちらとマスターに会釈をしてから立ち去った。
これくらいしか楽しみがないのも、困ったもんだな。
本を手に少しばかり寛いで、帰途についた福上は苦笑いしながら空を仰ぐ。何か趣味でもとは思うが、仕事をしている間は中々時間が取れないものだ。仕事を定年退職したら、ゆっくり旅行でも趣味にしたらいいかもしれない。そんなとき足元にコツンと何かが当たる感触があって、福上は視線を足元に落とした。
何だ?
小さなまん丸の体は雀のように丸々としているが、ペンギンのようにも見える。足元に転がったそれを福上は何気なく拾い上げ、掌の上に乗せて眺めた。手の上にはずんぐりとした毛綿のような何かが、コロンと転がるように乗っている。
こりゃ、なんだ?
じいっと見ているがサッパリ招待が分からない。毛綿にしては骨があるのだろう手の上にしっかりと、乗ったまま転がり落ちる様子もない。しかし、得たいの知れないものを拾うわけにはと、辺りを見渡しどうしたもんかと思案する。投げるわけにもいかないし、ゴミ箱にでも、と頭で考えた瞬間、目の前の毛綿が突然黒い瞳をパチリと開いた。鳥のヒナかと一瞬考えたが、嘴がない。しかし、クリクリした瞳は何処と無く愛嬌がある。
しかし、困った、毛綿ならともかく、生き物ではなぁ。
ゴミ箱に投げるのも忍びないし、やむを得ないからと福上はその目のついた毛綿を両手で包むようにして自宅まで持ち帰ったのだった。
※※※
「さて、お前はなんだろうなぁ?」
自宅に帰った福上はテーブルの上に乗せた、正体不明の毛綿を見下ろす。福上は五年前に妻に先立たれ、子供達二人も独立しているから今は独り暮らしだ。後添いなんて考えたこともない、気ままな暮らしではあるがこの珍妙なモノをどうしたらいいのだろう。口は毛に隠れているのか見えないが、子供なのか何なのかすら分からない。鳥のヒナだとしたら、虫でも食べるとなったらどうするべきか。購入する場所はあるのか?それとも虫を捕ることになるのか?
こんな時こそ文明の力、最近知ったググるというやつ
白い毛綿、掌サイズでかの有名な『ヤフー』氏に伺ってみると、最初に出てきた宝毛という文字にもんどりうってしまいそうになるが、少し先にスクロールしてみるとそれっぽいものが現れた。
ケ、ケサラ、ケサランパサ、ケサランパサラン?
早口言葉かと突っ込みたくなったが、説明を読んでいると確かに似ている感じを受ける。ただ、目があるとは書いていないし、しかもこのご時世白粉を食うと言われても福上には白粉を準備する術もない。
「育てるにしても、お前は何を食うんだろうなぁ。」
呟くとフワフワの毛が理解したように、黒い瞳で福上を見上げスススとテーブルの上の手に寄ってくる。拾ったせいか、目を合わせたせいか、毛綿は福上を親かなにかと思っているみたいに見えた。
何やら、可愛らしいなぁ。お前。
そう考えると毛綿は嬉しそうにフワフワと手を撫でて、指の上に乗り安心したようにそこに落ち着く。せめて米でも食えばなあと、考えた福上は試しに小皿に炊飯器に保温された米を皿に盛ってみた。毛綿は暫しフンフンと米の周りを回っていたが、唐突に毛綿の目の間に小さな口か現れたのには面食らってしまう。しかし、白粉ではなく米を食うならケサランパサランというやつではないのだろうと、福上は米粒を旨そうに食う毛綿を暖かい目で見下ろした。
※※※
「最近教頭先生、お帰りが早いですね。」
「そうかね?まあ、動物を拾ってしまってね、飼い始めたんだ。」
「あら、猫ですか?」
「いやいや、猫は苦手なんだよ。では、お先する。」
保険室の大浦女史に颯爽と答えると、福上は帰途を急いだ。こんなに急いで帰るようになったのは毛綿の存在のせいだが、あれをどのように他人に説明してやったらいいのかはいまだ不明だ。モフモフとした毛綿はサイズで言えば、仔猫ぐらいなものだが猫のように爪もなければ牙もない。
「ただいま、毛綿!」
ドアを開けると玄関には物音を事前に聞き付けていたのか、はたまた出掛けてからずっとここで待っていたのか毛綿が鎮座している。撫でてやると黒い瞳が気持ちよさげに細められ、手の周りをクルクルとまとわりついた。可愛いもので、こんなになつかれていると離れているのが心配になってくる。
「ちゃんと大人しくお留守番できて偉いぞ。毛綿。」
何故か毛綿と呼ぶのが定着化してしまい、毛綿の名前は毛綿になっていた。その姿は一番適切な表現は、手乗りサイズのアザラシの子供。夜泣きもしないし、遠吠えもしない。食べるのは米だけだが、炊きたての方が尚旨そうに食べる。お気に入りの場所は福上の膝の上。
なんと可愛らしいものではないか。
久しく何かと一緒に暮らすことなどなかった福上にとって、毛綿は愛らしい同居する不思議な生物となったのだ。お陰で独りっきりを実感させられる家に帰るのが楽しくなったし、毛綿のせいで一人の寂しさも紛らわせられる。毛綿はケサランパサランではないが、福上にとっては福を運ぶ生き物なのかもしれない。
※※※
本当にいるんですか?そんな生き物?
と自分が目を丸くすると、久保田は賑やかにどうでしょうねぇと微笑みながらグラスをおいた。まあ、毛玉のように見えると言えば鳥のヒナで、フクロウなんかは一見すると毛玉のように見えるらしい。しかし、足もないし爪もない牙もない嘴もないのでは、見てみないと本当のところは分からないのかと考える。そんな風に考え込んでいる自分に、久保田が微笑んだのに我に帰った。考えれば本当の話かどうかも分からないのに、そんなことを真剣に考えてしまったのだ。
恥ずかしさに黙りこんだ瞬間、カランとドアを開いて痩せぎすの頬骨の目立つ中年が扉を潜ってきた。
お久しぶりですね、福上さん。
そう久保田が声をかけると、相手は賑やかに手を上げて奥の方の席にあるいていってしまった。
0
あなたにおすすめの小説
17歳男子高生と32歳主婦の境界線
MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。
カレンと晴人はその後、どうなる?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)
MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
10秒で読めるちょっと怖い話。
絢郷水沙
ホラー
ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語
jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ
★作品はマリーの語り、一人称で進行します。
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる