都市街下奇譚

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十七夜目『郷愁』

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これは俺の友人から聞いた話なんですよ、そうマスターの久保田の横で鈴徳良二が姿を見せる。今日のランチプレートはオムライスらしく、デミグラスソースのいい臭いをさせながら皿を運んだ彼が、思い出したように口を開いたのはそんな時だ。久保田はグラスを磨きながら、横で眺めている。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※


芳賀巧には定期的に女性からの手紙が届く。最近じゃ連絡なんかメールの方がずっと簡単だし、早いのだがその女性は律儀に手紙をしたため続けている。相手はメールが使えない祖母やら、面倒くさがりの母親ではない。勿論男兄弟しかいないから姉妹でもない。ここまで言うのだから、勿論従姉妹でもないのは予想できるだろう。しかも、奇妙な話に聞こえるだろうが巧に手紙を書いてくる女性を、実は巧は一度も相手と直に話をしたことがない。彼女の事は何時も遠くから見つめていただけで、隣に立ったことすらなかったのだ。そんな間柄なのに手紙を送ってくるなど普通は考えもしないのだろうが、巧は初めて手紙を受け取ってからこれが彼女からの手紙だと知っている。誰かの悪戯とはチラリとも考えず、巧は毎回律儀に手紙を受け取り封を自分で開けている。
封筒を開けた瞬間にフワリと薫る彼女を彷彿とさせる様な香りが鼻孔に届いた。その香りは巧に微かな郷愁を呼び起こす。

《おげんきですか?》

何時もと同じ書き出しで始まったその手紙。時候の挨拶もなく、不意に語りかける様な問いかける様な出だして唐突に始まる文章。それは、彼女の姿を巧の脳裏にありありと思い起こさせる。



※※※



山間部の谷間に芳賀巧の産まれ育った小さな町がある。町と言うには谷川沿いに家の集まった集落程度のものだが、一応商店もあるし小さいが郵便局もある。住民の半分が林業で残りの半分は蕎麦やら米やら野菜を作って生計を立て、農閑期には働ける大人は大きな町に出稼ぎにいく。そんな戦後直ぐみたいな町がまだ現代の日本にあるなんて、大都市に住んでいる人間は知りもしないだろう。そこで育つ子供達は中学までは町で過ごすが、高校ぐらいから大概故郷を出て下宿したりしながら都市に出て学校に通いそのまま帰ってこなくなる。勿論巧もそんな経緯で故郷を出てきた人間の一人で、過疎化も仕方がないような場所なのだ。
恐らく今の故郷には祖父母と両親より若い人間は、年寄りの数に比べたら一割にもならない。古くから土地に住んだ老人達は集まると、町を流れる谷川の洪水の話を飽きもせず繰り返すような寂れた場所なのだから。

「ダムが出来るまではなぁ、毎年河が溢れてなぁ。」

巧の曾祖父はダムが出来る前の河川の氾濫で、田畑を見に行ったまま行方不明になったという。何時もの事のように墓の中には骨がないと、祖父母は繰り返し話していた。どこぞの誰が流された、どこぞの誰も河に落ちたなんて恐ろしい話を当然のように聞かされて育ったのに、そこで育つ子供達の遊び場はその河だから本末転倒だ。

巧が彼女を初めてみたのは、そんな子供同士の川遊びの最中だった。集落として狭い分子供達は皆顔見知りで、大抵はオムツをあてた頃から知っているような長い付き合いだ。大概の子供は歩くのと同じくらいに河で泳げるようになり、小学にはいると大岩から河に飛び込んで遊ぶようになり、中学になると橋桁から飛び込んで遊ぶ。
そんな河童みたいな子供らの視界に突然現れた彼女は、まるで異世界の住人のようだった。真っ黒で濡れたような黒髪を肩に届く程伸ばして、色の白い肌をした黒目がちの瞳の少女。集落の子供達は通学や手伝いで日焼けして、浅黒い子供しかいない。だから、色の白い彼女の存在は、特別目立った。彼女は遠くから自分達の遊ぶ様子を眺めていた。彼女が男の子だったら声をかけたかもしれないが、華奢で病弱そうなか弱い女の子に川遊びを誘う気には誰もならない。それでも、綺麗な色の白い女の子に自分達はざわめいて、いいところを見せようと争うように河に飛び込んで見せていた気がする。

何故越してきたのかは最初分からなかったが、集落の情報網も早いもので彼女は転地療養に来たようだ。都会で生活していたが、喘息が酷くて空気のいい田舎に預けられたのだと後で誰かから聞いた気がする。
彼女が少学校に通うのなら話をする機会もうまれたかもしれないが、彼女は集落の外れの家に籠っていることの方が多かった。だから、子供達は誰も彼女の声を聞いたこともないし、誰も彼女の名前すらも知らないのだ。

「外れん家に女の子が来とるの知ってるが?巧。」

母親に聞かれて知っていると答えると、母親は採れたばかりの野菜をビニール袋に詰めて巧にその家に持っていくよう言いつけた。本当なら言い訳をして逃げ出すところだが、遠目に見たあの少女の事が気にもなっていたから巧は大人しく従う。あんな華奢で真っ白な肌をした少女は今まで見たことがなかったから、巧はもっと間近で見てみたかったのだ。



※※※



《わたしはかわらずここにいます。》

その言葉に巧はあぁ、彼女は今もあそこに居るのかと考える。巧の脳裏の中の彼女は未だあの時の姿のままだ。何故なら、巧が彼女と別れた日から彼女の時間は巧の中でも止まってしまっているから。あの時のまま成長することもなく、巧の記憶の中で少女であり続ける。
巧は手紙をじっくりと眺めて、溜め息混じりに目を細めた。今や巧は故郷からずっと離れた都会の片隅で、当たり前の様に毎日同じ生活を毎日当然のように繰り返し続けている。

《いつもあなたのことをおもいだしています。》

その滑らかで流暢な綺麗な文字に巧は切ない思いを抱きながら、もう一度ユックリと文面を読み返す。実際には、巧は殆どあの町に戻ったことがない。何時も帰ってこいと連絡が来ても、電話に出ないままだったり仕事が忙しいと断って帰る素振りすら見せたことがない。正直あの寂れた町には帰りたくないのだ、どんなに懐かしく思い出せても帰りたくはない。そう本心が分かっているのに、懐かしい光景は瞼の裏に焼きつく様に直ぐにありありと心の中に浮かぶ。

彼女の眼は今何を映しているのだろうか、あの場所で。

あの山の中の何もない谷川を挟んだ土地の外れに建つ古びた家の前に佇む彼女の姿を思い出す。鮮やかな緑の山際に他の家と少し離れて、川縁に建つ古びた家の中から歩いて出てくる華奢な少女。膝に手を当てて透明な川縁を覗きこむ少女の艶やかな黒髪が、サラサラ水みたいな音をさせて頬にかかる様。

手紙を読むと、鮮明にその姿を思い出す。

そんな思いが巧の心の中に湧きあがる。湿った土の香りとむせかえる様な青葉の香り、それに彼女の肩にかかる髪から薫る甘い香りすら今ここで思い出せるほどに近くにある。巧はジッと手の中の手紙を見つめ、肺の空気の全てを吐き出すような深く溜息をついた。

俺もできる事なら帰りたい。

そう心の中で自分が言うのが分かる。だけど、それが無理なことなのだという事も巧はよく知っていた。手紙を見る度に鮮明に思い出すのが、その理由なのはハッキリしている。

《かえってきたら、あなたとはなしてみたい。》

最後に続いた何時もと同じ結びの言葉を、巧はもう一度読み返し指でそっとなぞる。

帰ったら、俺は二度とここに戻れないだろう。

だけど、巧は最近気がつくと故郷に帰ろうかと思い始めていた。休みも貰えず毎日夜遅くまで働き詰めだが、給料が上がるわけでもなく日々が辛い。朝起きて仕事だと思うだけで、疲労がたまるのを感じ初めてもいる。それに比べたら、彼女のいる故郷に帰るのも悪いことではない気がするのだ。二度と戻れないとはっきり知りつつ。



※※※



巧の記憶には続きがある。
水辺りに佇む少女が膝に手を当てて、澄んだ水面を覗きこんだ後。ほんの戯れか華奢なその体を、水面に向けて押した手の存在。声もあげずに水に落ちた艶やかな黒髪が、水面に浮き沈みする様を巧は忘れられない。
そして、川底に漂う白磁のような肌をして眠ったように目を閉じていた少女の姿。陶器の人形のように美しく水面の底に、音もなく冷たく眠るあの少女の姿。

そして、記憶の最後は土にまみれた手で終わる。

ふと巧は手にした彼女の手紙から薫る甘い香りの中に紛れて、湿った水の匂いを嗅いだ様な気がしていた。



※※※


この話の後にね、そいつ実家に帰ったんですよ。

鈴徳良二はカウンター越しにそう告げた。え?と自分が声を返すと、その後から音信不通なんですよねと彼は意味深な微笑みを浮かべる。

冗談だよね?

自分の言葉に鈴徳は意味ありげに笑うと、答えを濁して奥の調理場に姿を消した。久保田は変わらずグラスを磨く手を休めずに、カウンターの中から窓の外に視線を投げる。

降ってきましたね。

硝子窓越しに見る外に、雨の気配がし始めたのに久保田が呟く。硝子一枚の雨は、まるで水面の底から水面を見上げるようだ。そんなことを感じながら水面の底に沈んでいた彼女はどうやって手紙を書いていたんだろう、大体にして話したこともない相手の住所はどうやって知ったのだろう。そんなことを考え込んでいる。
カランと音をたててドアが開き、女性客が店内に姿を見せた。それは鈴徳が話してくれた話の中から、飛び出してきたような黒髪に白磁の肌をした黒目がちな女性だった。急な雨に艶やかな黒髪は水に濡れて頬に張り付き、その長い髪を華奢な白い手がかきあげる。彼女は無言のままカウンターに歩み寄ると、当然のように腰掛けもう一度髪をかきあげ耳にかけた。無意識に水面に沈む少女の姿を頭の中に思い描いていた自分は、彼女の横顔を眺める。そんな時彼女からフワリと特有の水の匂いが漂ってきて、自分は思わず背筋が凍りつくのを感じていた。
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