都市街下奇譚

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十九夜目『感染源2』

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これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※


沢瀬清春は昔から目立たないタイプの人間だった。
人間には、何もしていないのにそこにいるだけで華のように辺りの目を引き付ける目立つ人間と、そうでない人間がいると思っている。清春はそうでない方の人間なのは確かだ。地味で目立たない、好きな女の子に告白も出来ない様な引っ込み思案な性格。そんな清春は学生時代までは、よく同級生から虐めの対象だった。つまりは学生カーストの最下層の人間と言うわけだ。だからいつも窓辺から自分とは違う、花のような人を羨ましそうに眺めていた。高校時代なんか特にそうだった。他のクラスにいる三人組は、何処にいても皆の視線の的。彼らは何もしてないつもりだろうけど、居ること自体が華なんだから目立つんだと気がついていない。頭がよくて顔がよくて運動も出来る奴が、少し悪ぶってるのなんか女子生徒から見たら王子様みたいなもんだ。頭がそれほどでなくても国体に出れるくらい運動が出来る奴が、誰しも口を揃えていい奴だと言うなんて出来すぎている。ハーフみたいな容姿の癖に抜群に頭がよくて、草花が好きだなんてズルすぎだ。だから、清春は目立たないよう、虐められないよう息を潜めて学生時代をやり過ごしてきた。大学にはいってもそれは何も変わらなかった、大学デビューなんて夢のまた夢だったのだ。長い学生の時間を何とかやり過ごした清春は、誰も自分を知らない場所に就職した。新しく生まれ変わるようなつもりで、誰も自分を知らない場所にいったのだ。

就職してからの清春は、勤勉でまじめな努力家だった。地味で目立たないのは変わらないが、努力家な面は上司の目にとまる。努力しているがそれをひけらかさない清春は、その上司から特に目をかけてもらい可愛がられる人間になった。そんなことは今までになかったから、清春は正直上司に可愛がられるのに半信半疑だったのだが。次第に彼が本当に自分の事を評価してくれるのだと気がついて、清春はその上司を恩師のように慕うようになった。

上司は清春を良く飲みに誘い、上司の気晴らしにつきあわされたりしたものだった。人の上に立つようになるとそれなりに苦労が増えるのだなと、清春は彼の愚痴に耳を傾け素直に頷く。いつかお前もこの苦労をするんだぞといわれ、本当にそんな日が来るものかと疑う自分がいる。でも、そんなことは口にはしない、彼が言うならもしかしたら本当にそんな日が来るかもしれないからだ。彼と飲むうちに次第に酒の味も肴の味も教えてもらったから、いつか自分が彼の立場になっても後輩に同じことを教えてやれるだろう。

「沢瀬って課長にベッタリだよね。」
「沢瀬、課長の腰巾着だもんな。」

そんな陰口が聞こえても、上司がいれば気にすることもなかった。上司の前でそんなことを堂々と言うような奴はいないし、影でいっても学生の時のように陰湿に虐められることもない。沢山色々な事を教えて貰えるのだから、上司の傍にいられる内に沢山吸収して置かないと。仕事をこなしながら清春は、陰口を微かに感じとりながらそう考える。


※※※



「課長、少し痩せました?」

一緒に飲んでいる居酒屋の明かりの下で、上司の頬が少し細くなっているのに気がついた。そう言うと上司はニヤリと笑って、ダイエット効果だなとまだ立派な太鼓腹を撫でる。確かに腹回りはまだ貫禄たっぷりだが、確かに少しシェイプアップした感じがした。

「検診でなぁ、中性脂肪がひっかかったんだよ。俺も年なんだなぁ。」
「でも、痩せたら若く見えますよ、課長。」

そうか?と嬉しそうに上司は笑う。
ダイエットの効果はその後も継続して、少しずつ少しずつ出ているようであまり目立つわけではないが毎日観察している清春は樹かついていた。ベルトの穴が一つ細くなったんですねと感心したように言うと、上司はよく気がついたなぁと嬉しそうだ。次には腕時計のベルトの穴が、一つ細くなっていたのに気がつく。顔は丸顔からかくばった顎が見え始め、その頃になると他の奴等も気がつき始めた。

「課長、なんキロ減ったんですか?」
「課長、痩せたらイケメンなんですねー!」

自分は随分前に気がついていたけど、今さら気がついた奴等に褒められても上司は嬉しそうだ。どうやら十キロ位落ちていたらしい。運動ですか?と聞くとまぁそんなもんだよと上司が言葉を濁しているところを見ると、本当のことは言いたくない風だ。周りが最近有名なテレビCMのダイエットかと上司に詰め寄っているが、清春だけは本当の事に気がついていた。

上司は清春と飲んだ後、真っ直ぐ家に帰らない日が増えていた。清春と飲んでいる後に、誰かと待ち合わせて何処かに寄っているのだ。時には次の日前日と同じスーツで、ネクタイだけを変えていることがある。そんなネクタイ一つの些細な変化で、上司は誰も気がつかないと考えているようだ。しかし、だからといって何かしようとは清春は思っていない。その先で何をしているのを知ったからといって、清春は上司にそれを問い詰めるわけでもないし誰かに言うわけでもないのだ。清春はただ観察して上司がどんな風に生活しているのかを、学んでおくだけなのだから。

「課長、大分減ったんじゃないですか?どれくらい痩せたんです?」
「そうかぁ?喰ってるけどなぁ。」

確かに上司は何時もとかわりなく、それどころか前以上に食事の量が増えていた。皆は見えない時の食事が置き換えダイエットなのではと、話していたがそうではないことは清春は知っている。それでも、上司の体がどんどん痩せていくことに気がついていた。まるで、どっかのホラー映画みたいだなと清春は考える。随分昔海外のホラー映画で、デブの弁護士が呪いで痩せ細るって言う映画を観たことがある。確かジプシーの婆さんに呪いをかけられて、二百キロのデブか四十キロ位まで痩せ衰えていく話だった。上司は百キロ位だっただろうけど、今では八十キロを切ったところらしい。あの映画みたいになるのかなと、心の何処かで期待めいた気持ちがあるのに気がつく。でも、やがてそれは冗談ではすまなくなってきたのは、百七十センチの上司の体重が本当に五十を切る辺りのことだ。

「課長、体調大丈夫ですか?」
「お前まで病気扱いか?沢瀬。」

骨と皮にみえる上司の言葉に、そう言うわけではないですけどとビールを飲みながら呟く。以前は自分と体型が同じだった上司は、既に自分の三分の一位しか無いように見える。それでも、上司は体調はすこぶるいいと話すし、話している姿は本当にそう見えるのだ。

「病気はないって、病院でも言われたから安心しろ。」
「そうなんですか、なら、トマト食いましょう、あとモロキュウ。」

何でだよと笑う上司には秘密だが、あのホラー映画で最後痩せ細った元デブの弁護士は痩せすぎてカリウムが足りなくなって不整脈を起こし始めるのだ。生野菜にはカリウムが多い、火を入れるとカリウムは溶けて流れ出してしまうのでカリウムをとりたいなら生野菜や生フルーツを食べるといいらしい。

「モロキュウ、うまいなぁ。」
「スイカとか食いたいですねぇ、課長。」
「お前、時期早いだろ。」

何気なく上司に生野菜を進めながら、何処と無く不安を感じながら清春はその背中を見送ったのだった。


※※※


その上司が急死した。死因は心不全。やっぱりと心の何処かで、急に痩せすぎてカリウムが足りなくなったんだなと考える。それは清春にとって酷い衝撃的な出来事だが、内心予想していた事でもあったのだ。病院には確かにかかっていたみたいで、他に病気はなかったらしい。通夜の受付をしながら、同僚が話しているのを何気なく聞いていた。過労死というには余りにもあの痩せ方は不可解で、上司の葬式の受付をしながら清春は小さく溜息をつく。初めて自分を認めてくれた人が、こんなに早く目の前から消えてしまうとは思ってもみなかった。これからは誰に認めてもらえばいいのか、清春には想像もつかない。シトシトと細かな糸のような雨が降り始め、通夜の席の湿っぽさを更に倍増させていく。
ふと清春の正面に人影が立ち、音もなく腰を前にかがめ記帳を始める。何気なく視線を上げた清春は美しくつややかな黒髪と均整の取れた姿に、一瞬我を忘れてボンヤリと見入っていた。記帳を終え視線をあげ頭を下げた憂いを帯びたその表情も透き通るように美しい。
その人が何者なのか、上司とどんな関係だったかは分からないが一目で不謹慎にも清春は恋に落ちていた。


※※※



記帳を見ると彼女は佐倉里津という名前だった。
彼は不謹慎と解かりながら、焼香を終えて帰りがけの彼女に思わず声をかけてしまった。最初は上司の思い出話をしようという建前で、次はほんの少し下心を持って。
彼女はそれを知ってか知らずか彼と食事をしたり飲みに行く間柄となり、やがて清春の告白を意外にすんなりと受け入れて肌を合わせる中になった。不謹慎な場所から始まった恋は、まるで忘れ形見のように上司が取り持ってくれた気すらしていたのだ。

里津は意外に清春と肌を合わせる事を好んだ。それは、彼にとって初めての経験だったし、彼は有頂天になって請われるがままに何度も肌を重ねていた。黒髪はシーツのの上で扇のように広がり、サラサラと絹糸のように音をたてる。色の白い滑らかな肌はキメが細かく、触れるだけで心地好い。死んだ上司がいなくなっても清春の仕事も順調だったし、新しい上司にも仕事が出来ると目をかけてもらえている。腰巾着と悪口を言っていた奴等も清春の仕事を認め始め、次第に清春を見る目が変わってきたようにも感じる。

「沢瀬君って彼女いるの?」

同僚に声をかけられた時は意図が分からなかったが、いるよと答えると残念そうな顔をしたのに清春自身が驚いてしまう。どうやら、彼女は清春の事を好きだと言いたいらしいのだ。でも、清春には既に里津がいた。里津がいるのに、他の女と遊んでいる暇なんてないのだ。

「里津、今日は何処で待ち合わせる?」
『清春の家の前で待ってる。』

それを耳に入れるだけでこんなにも幸せな気分になるのに、何故他の女と浮気をする人間がいるのかと清春は思う。きっと世の中の人間は里津ほどの相手を見つけられないか、本質を見抜けないのだろう。そんな風に考えながら、清春は仕事を終えて急いで家に向かい出会った途端に里津を抱き締める。



※※※



ある日、同期で他の部署に配属され暫く顔を会わせなかった邑上英治が、書類を届けに来て清春を見て驚いたように口を開いた。

「どうしたんだよ?お前。病気?」
「はぁ?」

開口一番に言われた言葉に、清春は眉を潜めてポカンとする。邑上は手を伸ばして清春の手首に手を回して見せ、言われて初めて清春は気がついた。慌ててトイレに駆け込んで鏡を覗きこむと、削り通られる様に頬がこけ着慣れていたはずのスーツもぶかぶかになっている自分が鏡のなかにいた。

どうしてこんなになるまで気がつかなかったんだろう?

同僚に声をかけられたのは、清春が痩せ始めデブ出はなくなったからだったのだろう。今では、デブどころか骨と皮だけになって、まるで骸骨みたいに見える。目の下の隈は黒々と目立ち、骸骨の眼窩の穴が浮き出ているみたいだ。気分が悪いと早退したら逆に安堵の吐息を溢した上司に、清春は絶望的な気分になった。病院に行って体重測定をして愕然となる。

三十九キロ?!嘘だろ?二ヶ月くらい前には八十八キロあったんだぞ?!

色々な検査をしたが目に見えて何かがあるわけでもなく、画像診断は一週間かかると言われたが癌も無さそうだと言う。

一体何が起こっているのだろう。

体調が悪い訳でも食欲がない訳でもないが、邑上が驚いて手を掴んで見せて分かりやすく痩せていると気がつかせなかったらあのままだったのだろうか。それに毎晩のように会う里津は、それに関して一言も今まで口にしたことが事がない。
フッと不意に不気味な予感がした、人間離れした美しさを持つ女性。毎晩のように彼女と肌を合せ、痩せこけていく、今や骨と皮だけの自分。それを目に何も言わない彼女。

そういえば、里津と課長は一体どんな関係だったんだろう。

清春はその夜も同じように里津と肌を重ねた後、思わずベットの上でその問いを口にしていた。彼女は裸のまま美しい体を起こすと、清春の横でにっこりと美しく輝くような微笑を浮かべ彼を見下ろす。

「あの人、貴方と同じよ。」

唐突にドッドッと心臓がおかしな音をたてて、駆け足を始めたのに気がついて清春は心の中で不整脈だと呟く。激しく今まで聞いたことのない、心臓の動く音がドドッドッドッドドドッと奇妙なリズムを刻む。ボンヤリしていく朦朧とした意識の中で、清春はふっと死ぬ直前の上司の姿を思い浮かべていた。

あぁ、そう言えばあの人も死ぬ間際、痩せたんだった。それに亡くなったの…も、どこかのホテルの……部屋…



※※※



沢瀬清春の通夜の斎場には、シトシトと雨が降り始めていた。ダイエットしていたようだが、他に大きな病気はなかったらしい。そう通夜の受付をしながら、他の同期の同僚が話しているのを何気なく聞いていた。ダイエットだけというには余りにもあの痩せ方は不可解で、拒食症だったんじゃないかって噂もある。上司が死んだストレスで拒食症になったなんて、繊細な奴だったんだなと邑上は溜め息をつく。自宅のアパートには何一つ食べ物がおかれていなかったらしいがそんな家で清春は何を考えていた過ごしていたのか、邑上には想像もつかない。シトシトと細かな糸のような雨が降り始め、通夜の席の湿っぽさを更に倍増させていく。
ふと邑上の正面に人影が立ち、音もなく腰を前にかがめ記帳を始める。何気なく視線を上げた邑上は美しくつややかな黒髪と均整の取れた姿に、一瞬我を忘れてボンヤリと見入っていた。記帳を終え視線をあげ頭を下げた憂いを帯びたその表情も透き通るように美しい。
その人が何者なのか、清春とどんな関係だったかは分からないが一目で不謹慎にも邑上は恋に落ちていた。



※※※


怖いですね、女の人が何かしてるってことなんですか?

さあ、どうでしょうと久保田は笑いながらグラスを置いた。雨の通夜で出会った女の人と、痩せて骨と皮ばかりになって死んでいく男達。人間離れした美しい女の人が、微笑みながら痩せていく相手を見下ろしていると考えると少し気味が悪い。
そんなことを考えていたら、背後でカランと音をたてて碧のドアを開き黒髪の女性が姿を見せる。年齢のはっきりしない、以前もここで出会った人間離れした美しい彼女はマスターに微笑みかけると奥の待ち合わせているらしい人に歩み寄った。

頼みますよ、ほんと身も細る思いなんですから

そう待っていた男が言ったのに、自分は思わず振り替えってその彼女の横顔を見つめていた。

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