都市街下奇譚

文字の大きさ
31 / 111

二十五夜目『続・黒髪』

しおりを挟む
これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



佐倉里津は元々黒髪が自慢の女だった。黒髪が自慢過ぎて自分の抜け毛を捨てることが出来ず箱に貯めこみ、黒髪に固執しすぎて仕事を解雇された、ここまでの説明だと髪に執着するとんでもなく困った女にしか聞こえない。しかし、ある時佐倉里津は、髪に固執することから解放されたのだ。それは黒髪に振り回される自分の異常さに、やっとのことで気がつく事が出来たのだった。
お陰で佐倉里津は自慢だった長い髪をバッサリと切りすて、新しく人生をやり直すことにした。物心ついてからというものの同じ髪型だったから、ショートカットにしたら頭は随分と軽くなった気がする。頬にかかる髪も軽くて心まで軽くなったみたいに感じたが、流石に何だか少しだけまだ落ち着かない。鏡を見てもショートカットの自分が、一瞬では自分だと見えない事があるのだ。

慣れればいいだけなんだけど。

苦笑いしながら新しい自分の顔を眺め、里津はもう一度鏡の中の自分の事を確かめる。暫くすれば慣れると分かっているが、夜中など起きて鏡を見ると驚いてしまう。何気なく髪を払う仕草をして、髪が短くなったのを思い出す事が度々重なる。そして、髪が短くなった事を思い出すと、同時に集められ束ねられて箱に納められていた髪の毛の事を思い出すのだ。

髪の毛が消えるなんて、有り得るのかしら。

実際に目の前から消えたのだからあり得るとしか言えないのだが、時にあの髪の毛は何処にいったのだろうと不安になる。箱の中にリボンで束ねられた大量の髪の毛。しかも、消えたのを知るほんの直前に聞いたと思った箱の中を蠢く何かの音。あれが何だったのか考えると、里津の不安は更に心の中で大きく膨れ上がる。

髪の毛。

考えるのを止めようと頭を振り里津は鏡から視線を反らした。考え続けるとあの束ねられた髪の毛が、良くない答えを伴って戻ってきそうなきがするのだ。



※※※



「佐倉さんって、双子?」

唐突に新しい職場の同僚の女性に声をかけられ、里津は戸惑いながら振り返った。新しい職場は近郊の出版社の総務というなの雑用係だが、以前より仕事に打ち込めるような気がする。そんな風に前向きに考え始めた里津に問いかけられた質問に、思わず首を傾げてしまう。

「いえ、兄がいるだけですけど。」
「あー、そうなんだ。以前さ、他の会社によく似た人がいてさ。髪の長い人だったんだよね。」

それはきっと自分ですと思ったが、何故かその言葉は口から出てこなかった。目の前の彼女は賑やかに微笑みながら、言葉を繋ぐ。

「世の中には三人同じ顔の人がいるって言うもんね。」
「そうですね、よく言いますよね。」

思わず里津がそう答えると彼女は、納得したようにウンウンと頷く。

「だよね、佐倉さんとは全然雰囲気ちがうもんね。あの人結構違う男の人といるしさ。」

え?とその言葉に声をあげると、彼女はその里津に似た人をよく見かけるのだと話す。以前の自分の事を言っていると思ったのに、相手の話していたのはどうやら全くの別人だったらしい。そう言えば以前も男性と一緒にいたかと何度も聞かれていた時期があった。あの時は長い黒髪の後ろ姿で里津だと確信を持ったと、当時の同僚から問いかけられていたのだ。でも、今度は顔をみて里津に双子の姉妹がいないかと、目の前の彼女は問いかけている。

「あの、竜胆さん、その人って何処で見かけたんですか?」

思わず問いかけると彼女は少し目を丸くしながら、何処でよくすれ違うのかを教えてくれた。何故それを聞いてしまったのかは、里津自身よく分からないのだ。でも、若干の好奇心が働いたのは事実だった。恐らく以前里津と間違われていた女性が、再び話題に戻ってきたという偶然の世界への単純な興味。本気で出会いたいと考えていたわけではなく、もしかして出会ったら実は思ったより似ていないというオチがつく程度のこと。里津はそう考えていた。
だから、別に本気で出会いたいと考えて、そこを通ったわけではない。ないのに、里津の視線の先に見覚えのある艶やかな長い黒髪の人影が、病的な痩せ方をした男性の腕に手を絡ませて歩いていた。ハーフアップにした黒髪を赤のリボンで結い上げたその後ろ姿に、里津は思わず立ち尽くし顔を確認する気分にもなれない。

あのリボン、それにあの髪の毛。

リボンに見覚えがあった。しかも、そのリボンを何処で見たのかも分かっている。しかし、それを認めるのは正直なところ、里津には恐ろしくてしかたがない。揺れる黒髪は艶やかで、絹糸のようにサラサラと肩に溢れおちる。

髪の毛。

里津が箱に人一人分もある程に貯めて、リボンで束ねていた黒髪。箱の中でカサカサと蠢く音をさせて、忽然と消え去った筈の髪の毛。それだと認めてしまっていいのだろうか。歩み去っていく後ろ姿を見つめたまま、里津は戸惑いながら立ち尽くしていた。



※※※



その後何度か同じ道で黒髪の女と痩せぎすの男が一緒にいるのを見かけたが、里津はけして顔を確認しようとはしなかった。それでも何故かその道に向かい、女と出会うためのように佇むのは里津自身にも理由が分からない。やがて、後ろ姿の女の相手が痩せぎすの男ではなく、他の若い男に相手が変わったのに気がつく。

何故こうして見ているのかしら。気になるなら顔を見てしまえばいいのに。

そう考えているのに里津には、どうしてもあの女の顔を見る事が出来ない。そうしているうちに里津は、相手の男が見ているうちに次第に痩せ細っていくのに気がついた。あの女の相手になった途端、急激に男は痩せて窶れていく。まるで、女に生気を吸いとられて枯れていくみたいに、ドンドン痩せて窶れて骨と皮だけになっているのだ。

なに?何で?痩せていくの?

やがてまた相手の男が別な男に変わったのに、里津は戸惑いながら女の背中を見つめた。一体あの女は何を考えて男を取り替えているのだろうか。まるで、男から生気を吸いとって、とり殺しでもしているみたいに見えるのだ。

人間なの?

思わずそう感じてしまう。再び男が痩せ始めたのを見ながら、里津は女の髪が更に艶を増したような気がする。男は自分の体の事に気がついていないみたいに、女にデレデレとしながら連れだって歩いていく。

あの人も痩せ細ってから捨てられるのかしら。

思わずそう考えて相手の男がどうなって別れているのかが、里津には気にかかり始めた。病的な程に痩せて窶れた男達はどうなったのか、そう言えば新しい男に変わるとプッツリと姿が消え去る。そんな最中、相手の男が見たことのある男に変わったのに、里津は思わず目を丸くした。里津が勤める総務に時折文具を納品している会社の人間で、沢瀬清春という男だと名刺を見たことがある。やはり男はドンドンと痩せ細っていった。最初は百キロ近い巨漢だったのに、ほんの半月ほどで別人のように痩せて窶れていく。思わず話しかけてみようかと考えもしたのたが、里津は何と言ったらいいのかも分からなかった。

だって、あなたの付き合っている女性は、人間じゃないかもなんて言えないし。別れた方がいいと言うにしても理由が説明出来ないわ。

とり殺されるから別れた方がいい等と話して、里津の方がおかしな女だと思われるのはごめんだ。やがて、女は再び別な男に相手を変え、里津は文具の納品に来た今まで見たことのない男に声をかけた。

「あの、以前の担当の方って。」
「あー、沢瀬ですか?」

ええと答えると彼は言いにくそうに言葉を濁し、そそくさと帰ろうとする。しかし、里津があまりにも熱心に問いかけるのに、逆に不思議そうに何でですかと問いかけて来た。

「急に痩せられたから、ご病気かなって。」

そう言うと相手は納得したように眉を潜めて、少し声を落とすと辺りを憚る様子で言葉を選んだ。

「病気で死んだんです。詳しくは知りませんけど。」

言葉少なく答えた彼がそそくさと姿をけしても、里津はその言葉を心の中で繰り返し呆然と立ち尽くした。もしかして、今までの男の人全員が死んだから、次の男の人になってるのだとしたら。そう考えると酷く恐ろしく、胸の中の不安が一段と大きく膨れ上がる。



※※※


もう、見に行くのを止めよう。

里津は痩せ細っていく新しい男を連れているのだろうあの女を見に行くことを止めることにした。見たからといって何も出来るわけでもない里津自身、見ていると次第に体調が悪くなっている気がするのだ。

見ても何も出来ないのだから、みないことにしてスッパリと縁を切ってしまおう。

そう考えていた里津の目の前にはあの髪の女が、正面からこちらに向かって歩いてきているのが見えた。随分遠くだったのに一目であの女だとわかった上に、次第にこちらに向かってきている。早く避けるなら動かないと、顔が判別できてしまう。そう考えているのに下を向く事しか、里津には行動が起こせないでいた。カツカツと足音が近づいてくるのを聞きながら、足元に視線を落としたままの里津は避けるための時間を既に失ってしまっている。

「これ以上探り回ったらただじゃすまないわよ?」

擦れ違い様に低い声で囁かれた言葉に、里津は凍りつきながら背後を振り返った。ところがたった今擦れ違った筈の里津と同じ顔をした女の姿は、一瞬にして掻き消して影も形もない。里津は戸惑いながら辺りを見渡しながら、底冷えのするような女の声を脳裏で反芻する。今聞いた女の声は確かに自分の声と同じに聞こえたが、一瞬で消え去ってしまうなんて有り得ない。有り得ないことが幾つも起きているが、これ以上は怖くて追求することが出来ないのだ。里津は微かに体を震わせながら、そう心の中で呟いた。



※※※


それって、黒髪が人間になったってことですか?

以前前段を聞いていたのは事実だが、髪の毛が消えて現れた女は髪の毛から産まれたのだろうか。久保田はどうでしょうねと微かに微笑みながらグラスを置く。それにしても女性の髪にかける気持ちというのは、男性には理解できない範疇だ。失恋をしたら髪を切るとか、黒髪に固執するとか。そう考えながら、以前この店で見た黒髪の女性の事を考える。

見事な黒髪を維持するのって大変なんですかね?

さあどうでしょうねと久保田が穏やかに告げたのに、まるで返事をするみたいにカランと扉の開く音がしていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

17歳男子高生と32歳主婦の境界線

MisakiNonagase
恋愛
32歳主婦のカレンはインスタグラムで20歳大学生の晴人と知り合う。親密な関係となった3度目のデートのときに、晴人が実は17歳の高校2年生だと知る。 カレンと晴人はその後、どうなる?

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

10秒で読めるちょっと怖い話。

絢郷水沙
ホラー
 ほんのりと不条理な『ギャグ』が香るホラーテイスト・ショートショートです。意味怖的要素も含んでおりますので、意味怖好きならぜひ読んでみてください。(毎日昼頃1話更新中!)

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

処理中です...