都市街下奇譚

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三十二夜目『検索情報』

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これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



矢根尾俊一は酷く困っていた。手に入る予定だったものが手に入らない事が分かって、矢根尾は困窮しているのだ。一応は自分の過ちではない事柄で已む無く職場を追われる羽目になった矢根尾は、失業手当てをあてにしていたのにそれが直ぐには手に入らないと通知された。しかも、助けを求めた両親には断られ、最後の頼みの弟にまで救いを求めて拒否されてしまったのだ。たった一人の兄弟なのに、兄の頼みを一言目からいい加減にしろと怒鳴り付ける弟には正直ガッカリだった。

昔はいい弟だったのに。

そうごちても借りれないものは借りれない。つまりは金が入る予定が何一つ無いことになる矢根尾は、まず働こうというよりも自分の権利を最大限に活用して利権は貪った後で働くつもりだ。そうでないと仕事を辞めたかいがないとすら、矢根尾は正直考えている。そのためには、初回の振り込みまで延ばせるものは延ばして、何とか繋ぐしかない。後は泣いてでもなんでも母親から金を引き出すくらいしか方法がない。
苛立ちながら矢根尾は、何時もの慣れた動きでパソコンを立ち上げる。パソコンがあれば大概の事は調べられるし買い物だって済ますことができるが、その多くは金銭が絡む。簡単に金を稼ぐのはリスクが高すぎるし、そんなことをしなくても両親か弟が助けてくれる筈だ。勿論棚からぼた餅で親の親戚からの遺産が転がり込んでくれれば言うことなしだが、矢根尾の親戚が経営しているホテルはどう転んでも矢根尾に遺産としては転がり込みそうにもない。他の親戚がやっていた有名ワイナリーは使用していた葡萄の産地偽装やら問題を起こして、ワイナリーの経営ごと他人の手に渡してしまったので矢根尾の眼中にはなくなっていた。

それにしても、どうにかして簡単に金がころがりこんでくれないかな。

そう考える事自体が過ちなのだとは、矢根尾はつゆとも思わない。何気なくキーボードを軽やかに叩きながら、金儲けと打ち込んだ後に暫く考えた矢根尾は楽と打ち込む。出てくるのは簡単楽して金儲け等のよく見る言葉と、副業なんかの掲載サイトばかり。何もしてないで金を稼ぐなんて事自体が無理難題なのに、楽になんて事を考えているのだから始末に終えない。副業どころか本業がない矢根尾は、仕事を探す訳でもなく時分の暇潰しのためにネットサーフィンを始める。趣味も食事も鐘が必要だが、暇潰しは金がかからないと考えていた。そこには通信料という物と電気料金とがかかっていることは、意識の隅にも無いのが矢根尾と言う男なのだ。公共料金や税金などは念頭になく、電気を切られたりガスを止められたりするのは相手が集金を取り立てにちゃんと来ないのが悪い。こっちはお客様なのだから、という考え方なのである。

あーあ、金がないから遊びに女も誘えない。どっかに金持ちで小遣いもくれる女落ちてないかな。

無造作にそんなことを考えながら、最近は諸事情で割合綺麗に片付いている部屋を見渡す。ここなら女を連れ込んでも大丈夫だと思うのに、最近は女の方が上手くいかない。ケチのつき初めは、塾の女子高生に手を出したことだった。あれの最後に警察沙汰になってからと言うもの、矢根尾の生活は転がり落ちるばかりだ。いや、一番のケチはあの雌奴隷を放棄したことかもしれない。あの雌奴隷はきちんと躾てあって、しかも、金を稼いでくる能力もあった。向こうの親の反対で結局別れてやったが、今でも自分の事を主人として慕っている筈だ。そう考えると、さっさと戻らせてくださいと言ってくるのを待っていてやる自分の懐の広さに泣けてくる。

金持ち、援助

そんなことを打ち込んでみると、いかがわしい気配のプンプン漂うサイトが連なった。どれもこれも金がある男を欲しがっている女子高生やらOLやらで、女から男を欲しがるものは見当たらない。溜め息が出そうになるのを感じながら、矢根尾は何とはなしに一番最初のサイトをクリックした。画面に出てきたのは、よくある若い女の刺激的な格好をして寝そべる姿。別段代わり映えしないが、そのうちの一人に矢根尾は目を丸くして画面を覗きこんだ。

こいつ、もしかして。

一人の女が寝そべる姿でチャットをしている。肉感的な胸元はブイネックのセーター一枚。顔を殆ど出している辺り女にも何か目的があるのだろう。問題は何よりその女の顔立ちだった。矢根尾に見覚えのある顔立ちは、赤の細い縁の眼鏡をかけていて穏和で大人しそうにカメラに微笑みかけている。横に表示されたハンドルネームは《リエナ》で、それを見た矢根尾は間違いないと確信した。

矢根尾の元妻はネットでは、リエと名乗っていたのだ。

こちらは顔をさらすこともなく、相手にチャットで話しかけられるから相手を確認するにも容易い筈だ。矢根尾は微かな緊張感を感じながら、その女のチャットルームをクリックした。画像は女性の部屋を中継しているが、音声はないので全て会話はタイピングになる。カメラの位置で寝そべった胸元の谷間が覗ける様にしているのは、女の方が男を釣り上げるためのスパイスのようなものだ。

《こんばんわぁ。》

女の打つ柔らかい話し口調に、矢根尾は僅かに興奮しながら少し冷静に見えるように慎重に言葉を選ぶ。

《こんばんは、こんな時間にチャットしてて平気なの?》

時間はそろそろ深夜に近い。普通のOLなら寝る時間というところだろうが、相手はのんびりした口調で大丈夫と告げる。

《明日お休みなんで、話し相手がほしくって。》

翌日が平日だと問いかけると、相手は自分の職業は看護師なので明日は休みだからと告げた。それに矢根尾は更に相手が元妻だと確信する。しかも、相手は顔を見られないからこっちが矢根尾だとは気がついていない筈だ。

だが、何故今になって元妻はネットに顔までだして、話し相手を求めているのだろうか。

答えは簡単だと矢根尾は思った。東北の片田舎に今も住んでいるなら、男を欲しがっても矢根尾のような男はそう簡単には見つからない。それを探すためにはネットは最も手っ取り早い出会いツールなのだ。そう考えた矢根尾は、ニヤリと笑いながら会話を続ける。

《可愛いから彼氏とかいるんでしょう?》
《褒めてくれてありがとう、でも、彼氏がいたらこんな事してませんよ。》

そんな事は答えなくたって分かっているし、口を滑らすのを狙って話しているのだからどうでもいい。

《話し相手って、何処に住んでるの?》
《えーと、北の方です。》
《東北とか?》

相手の画面が苦笑いに変わるのを見て、矢根尾はこれ以上の追求を止めると話題を切り替える。

《昔、東北に旅行したことがあるんだ。鍾乳洞とか行った事ある?綺麗なところだよ。》
《もしかして知ってるとこかなぁ。観光地ですよね。》
《そう、中を歩けるようになってて、水が綺麗で青いんだよね。》

相手が知っていると興味を抱いたのが表情で分かった。人間は誰しも出身地の話をすると話に乗ってくる傾向があるから、相手は十中八九東北の出身であることは確かだ。しかも、東北で完全に観光地化されている鍾乳洞は実はあまり多くない。有名なところは検索すれば分かるが二つの県にしかないのだと、多くの人間は知らないのだ。そして、彼の元妻はその片方の県の出身者だった。

《温泉とかも好きで行ったよ。》
《温泉良いですね!私もよく行きますよ!》

女というものは大概が美肌に執着するから、基本的に風呂やスパの話は食いついてくる。しかも、住んでいる環境の傍の温泉の話が出来れば、食いつきは更によくなるというわけだ。顔立ちだけでは確信は持てないが、話し方や住んでいる環境や、職業を思えば相手は間違いない。

《今度また行きたいと思ってるんだよね、山の上にある温泉とか行ってみたくて。》
《良いですね、もう少し時期が後だと山の気候もいいですもんね。私も温泉行きたくなってきました。》

笑い方や笑顔の時に出来るエクボの位置。小柄そうなのに柔らかそうな胸元は、どう見ても矢根尾の知っている女だ。しかし、このまま正体をばらしてもそのまま女は消えるだけで、矢根尾には何の特も得られない。どうにかして再び女を手に入れる方法がないが、矢根尾は考え込んだ。一先ず相手に再び会話がしたい相手だと思わせて、連絡を取り合えるようにしなければ先がない。矢根尾は必死になりながら、相手の気を引く会話を続けていた。

《それじゃ、今夜は寝ますね。》

やがてそう言って回線を切った女は、矢根尾と会話が終わった後もチャットルームで寝転び続けていたのに矢根尾は奥歯を噛んだ。チャットルームから降りないと言うことは寝るつもりではなく、女は矢根尾との会話がつまらなかったと言うことだった。それを目に見せつけられると苛立ちが募るのに、他の男がチャットルームに入ったのは更に腹立たしい。



※※※



再び女を見つけたのは数日後の事だった。相変わらず胸元を強調するような服で、寝そべってチャットをしている彼女は長い髪を緩く束ねている。チャットルームに入ろうとしたら、同じ女との二度目の会話には料金が必要と表示された。苛立ちながら女と会話をするための処理を読み込み、なけなしの資金でプリペイドカードを購入する。その日は会話をする事は出来なかったが、次の機会はまた数日後に訪れた。

《こんばんわぁ。》
《こんばんは、二度目だね。今日も話し相手探し?》

一瞬画面の彼女が戸惑いに顔を曇らせるのに、矢根尾は慌てて可愛かったから覚えてたんだと言い繕う。可愛かったからの言葉に、少しだけ警戒心を解いた様子で彼女は二度目でした?と話しかけてくる。

《二度目だよ、暫く前だと思うけど。》
《前も似たようなこと言った人いるんです、似た顔の人いるみたいで。そんなに繋いでないんですけどね。》

心の中で嘘をつけと思いながら、そうなんだと相槌を打つ。彼女は自分を特定されるのを避けているのだと分かって、そうとられる会話を極力避ける。何とかして個別の連絡をとれる方法を探したかったが、中々会話は盛り上がらず彼女のガードが硬い。看護師の仕事の話を振った途端、ガードは鉄のように堅くなった。

《看護師って言いましたっけ?》
《前の時にね、何科なんだっけ?脳外科とか?》
《あ、私明日用事があるんですよ、今晩はこれで休みますね。おやすみなさい。》

失敗だった。折角会話をする機会を持ったのに、地雷を踏んでしまったらしい。以前の矢根尾との事があるから、個人を特定されるのを極力避けているのだ。それにしても、それなら顔を出す方が危険だとは考えないのか。いや、あの女は生まれつきの雌奴隷だから、もしかすると顔を出すスリルで濡らしているのかもしれない。矢根尾は奥歯を噛みながらそう苦々しく考えた。何とかして話を続けたいと考えさせないとと、矢根尾は考え込んだ。元妻の好きな話は何だっただろうか、それを振ったらもう少し話に乗ってくるかもしれない。とは言え元妻と別れたのは既に十年も前で、普段どんな話をしていたかも何が好きだったのかも分からない。彼女が何が好きだったのか考えても思い出せない矢根尾は、女が喜んだ事を思い出そうとして結局自分に犯されている姿しか浮かばない。それが好きだったとは思うが女にその話を振るには、まだまだ女のガードが堅すぎるのだ。

何の話に乗ってくるか、だ。

元妻は化粧品や衣類には興味がなかった。映画鑑賞は趣味だったが、自分はスポーツ鑑賞が中心で話題に出来る種がない。後は何かないかと考えるが、話題に出来そうなモノのない矢根尾は話題のネタを探すために検索をはじめていた。
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