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三十一夜目『さむとのばぁ』
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これは俺の話なんですがね、そうマスターの久保田の横に出てきた鈴徳良二が自分に向けて口を開く。久保田は横でグラスを磨きながら、客足は奇妙なほど途絶えてその言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。
※※※
鈴徳良二は十年程前までは海外で生活していた。最初はヨーロッパ方面にいて各国の料理を学んだが、フランス料理を身に付けてからはその方面でコンテストに出る程の腕になり請われてアメリカに渡り店を任された程だ。自分でもそのまま日本に戻ることもなく一生海外で過ごすに違いないと、朧気にその頃は考えていた位だった。海外で暮らすのが当然になると、故郷の事は遥か遠く過去の事のように感じる。何しろ日本語で会話をすること自体が減るのだから、その感覚はやむを得ない。海外で暮らしていると、視界に入るもの自体が日本とはかけ離れていくのだろう。
そんな最中、何気なく視界に入った一人のホームレスの姿に、良二は足を止めた。そのホームレスの何が気になったのか分からないが、彼は人混みに紛れていくホームレスを眺める。別段他のホームレスと違いは無いような気もするのに、何かが他のホームレスと違うのだ。
何だ?
何が気にかかったのかは分からないのに、遠ざかるホームレスの頭が目につく。人混みの中で灰色の頭はユックリと揺れながら消えて、良二は戸惑いながら再び歩き出した。
それからというものの街を歩いていると、時々同じホームレスとおぼしき頭を見かけるようになった。何時も何かが気にかかり灰色の頭を眺めるが、それが何なのかハッキリしない。何時も何かが気にかかって慌てて灰色の頭を目で追うが、目で追い始めた時には人混みの中に遠ざかる頭しか分からないのだ。恐らくお互いの生活圏が同じなのだろう、次第にそのホームレスとの遭遇率が上がっている気がする。
何だって気にかかってるんだか。
街の雑踏の中で立ち尽くし良二は首を傾げながら、今は遠ざかっていく灰色の頭を眺めた。そして、その翌日それは起こったのだ。
「あべ」
英語の中で異彩を放って聞こえた言葉に、ギクリと体が強ばるのが分かる。英語の発音ではない聞きなれた日本語の発音に、良二は雑踏の中で思わず振り返った。しかし、その言葉を発したと思われる人物は、視界の中には見当たらず良二は呆然と辺りを見渡す。何か得たいの知れないものが、自分ににじり寄って来ていて胸の中に不安が沸き上がる。
「リオ、What's the matter?」
リオは良二とは発音しにくいらしい外国人達の、こちらでの普段の彼の呼び名だ。問いかけられた言葉に良二は何でもないと返しながら、同時に今聞いたものが何だったのかと考える。単語の一部だけを聞き取って脳内で変換した可能性は高いが、何となくそうではないと心の中で考えていた。何故か父親の故郷の方言を伺わせる響きに、言い様のない不安感だけが増えていく。高齢だった祖母が死んで、妹も父の故郷の山に姿を消した。両親は今でも妹の安否を心配しているが、良二には帰ってくるなの一点張りなのは両親なりの理由がありそうだ。夏場は十六時間、冬は十七時間の時差は大きく、両親の様子を知るには真夜中に電話をかけても早朝だった。
「おふくろ?」
『良二、元気にやってるの?』
ああと答えると母は安堵した様子で近況を教えてくれる。父はどうやら妹を探しにまた実家に戻っているということらしいが、内心もう見つからないのではと考えてもいるようだ。
「何にも手がかり無いの?早苗。」
『そうなのよ、父さんの周りの人達はなんだっけ、なんとかってのに捕まったって口を揃えて言うし。』
「ふったち。」
口をついて出た言葉に母がえ?と問い返し、もう一度繰り返す言葉に早々それと同意する。何故その言葉を不意に思い出したか気がついて、良二は黙りこんで母の言葉に耳を傾けた。父の故郷では鈴徳の娘は、昔消えた佐々野の冬子がふったちと一緒に拐っていったと噂されているらしい。現代社会でそんな馬鹿な話があるかと父は憤慨したらしいが、閉鎖的な土地だから信仰は根強く捜索に意欲的ではない人々に父だけが死に物狂いになっているのだ。良二は母からそれを聞きながら、昨日の声の事を思い出していた。
あれは年老いた女の声のような気がした。
けして若い女の声ではない。年老いてその言葉を使うことに慣れ親しんだ口調。例えば死んだ祖母のような、その言葉を長年使い続けてきた女の口調なのだ。
「おふくろ、俺も一度そっち行こうか?」
何気なく口をついて出た言葉に、母親は瞬時に拒否の言葉を放った。
『あんたは、戻ってこなくていい!あんた仕事忙しいんだから!』
その口調は断固とした拒絶で、今になって良二はそれに気がつく。祖母の葬儀にも出ずに妹の行方不明になっても戻らない事を咎められない異質な拒絶は、本来信仰心の強い鈴徳の家ではあり得ない。両親は何か意図があって自分の帰途を拒絶しているのではないかと、良二には考えられるのだ。
『何かあったら連絡するから、帰ってこなくていいからね。』
母親は一方的にそう言うと電話を終えた。良二は不思議に思いながら今の電話を整理しようと試みるが、どうしてもあの声の事が気にかかって仕方がない。この懐かしい声は偶然なんだろうか。本来なら偶然何かの単語の一部が聞こえただけと考えられるのに、何故か今はそう思えない自分がいる。戻った方がいいのだろうかとチラリと考えるが、母のあの拒絶を無視して戻ってもいいものだろうか。良二は判断がつかないまま電話を見下ろし考え込んでいた。
※※※
そのホームレスはここいらに多い服装ではなかった。そいつが良二の気にかかったのは、ホームレスがジャンパーでもななくコートでもなく着物を着ているからだった。薄汚れた白の着物は薄すぎて、路上生活をしているとは思えずホームレスと言うには異質すぎる。しかも、そいつが着ている白の着物は、どう見ても訪問着や浴衣とは質が違う。良二は面と向かってその着物のホームレスの顔を眺めながら、死んだ祖母の言葉を思い出していた。
のごすたのがさむとのばぁよったばばだったじょうよ。
《さむとのばぁ》は父親の故郷の辺りの民話だ。本来は寒戸の婆と書くのだが、有名な民俗学者柳田国男の著書『遠野物語』にある伝説の一つで、本来は神隠しにまつわる話だ。寒戸という地方にいた若い娘がある日、木の下に草履を残して消息を絶った。その三十年後、親戚達が集まっているところへ、その娘がすっかり老いさらばえた姿で戻ってくる。事情を尋ねる親戚達に対し娘は皆に逢いたくて帰って来たものの、山に帰らなければならないと言って去って行った。その日は風の強かったのでそれ以来、強風の日は「寒戸の婆が帰ってきそうな日だ」といわれたという話だ。父の故郷はそれよりも北部だが、老いさらばえ恐ろしい姿でやってくると言うところだけが誇張されて、こちらで言うクローゼットの中のボギーのように扱われているのだろう。つまりはふったちと同じ様なもの、年老いて人間にあらざるものに変わった存在だ。
祖母は両親が兄が消えたことで、良二も消えてしまわないようにと神頼みをしていた。そして、夢枕に経った神様が良二に与えられるのは、寒戸の婆のような女だと告げたと言う。だから、祖母は良二に早く若い女と結婚しろと話したのではなかったか。それに良二は寒戸の婆みたいな女を探して結婚する方が難しいと笑ったのだ。
佐々野のばぁ、くぅしてくぅしてあだまやめでしまっだのよ。
祖母はそう言ったが、佐々野の祖母とて祖母とたいして年は変わらない。つまりは九十近い老女な筈で、あんな姿で飛行機に乗って渡米は可能なのだろうか。貴金属は身に付けていなさそうだが、見るからに不振人物としか見えない。態々渡米してからこの姿になったとしても、異様としか言えない姿だ。
おらほよいさばきてな。
既に死んだ筈の祖母の声が、目の前の老女のホームレスに重なり良二の脳裏で話し続ける。祖母は霧に紛れて佐々野の祖母が夜毎家に忍び込むと話したのだ。そして祖母に向かって言う。
んがぁよ、まごどぉよごせ、ふゆこぉむがえさいがせすきゃひゃぐまごおよごせっ
ふったちに連れていかれたという佐々野冬子を取り返すために、孫を寄越せと騒ぎ立てた佐々野の祖母。昔からいる土地の者は全て佐々野の祖母は、ふったちに拐われた冬子を心配する余りおかしくなったのだと考えた。そして、ふと記憶の片隅で佐々野冬子がいなくなった頃の事を思い浮かべる。あの時確か自分と早苗は冬子と一緒にいなかっただろうか。朧気な記憶の中で、手を繋いで遊んで帰る帰り道が思い起こされる。
ふゆこぉめなぐなったべ?
冬子は姿を消した。言葉通り見えなくなったのだが、何時何処で消え去ったのかはハッキリしない。思わずこめかみを押さえながら祖母の言葉と、過去の記憶を手繰り寄せようとする。良二の視線は目の前のホームレスを見ている筈なのに、遥か二十年も前の夕暮れ時の田舎道を見ていた。手を繋いで歩く子供が三人並んで、道を歩いている途中突然一人の手を振り払いもう一人だけを連れて駆け出す。その直後悲鳴と振り返る幼い妹の顔が驚愕に目を見開くのを、前を向いたままの良二の目が見ている。
そうだ、早苗が手を離して
冬子は消え去った。手を繋いで帰るのは土地の約束事だったのだ。良二はそれを思い出した途端背筋が凍りつくのを感じた。祖母の通夜の最中に行方を消した妹の電話の向こう側で、幼い子供が話す声を聞いたのを思い出したのだ。あの時は叔母の子供が随分達者に喋ると何処か他人事のように考えて、突然の悲鳴が脅かされでもしたのだろうくらいに考えた。妹の失踪と佐々野冬子の失踪が、関係してるなんて微塵も考えていなかったのだ。
んがぁよ、ふったちばまなぐでみながったべ?良二はふったちばみでないがらよ、なんじょもせねえどせったどもよ?
寒戸の婆のような姿で現れた老女に、良二はふったちを見ていないからと答えた祖母。しかし、妹はあの時確かに振り返って、何かを見た筈だ。祖母は佐々野の祖母が両親の枕元に立った神様のお告げの妖怪のような姿で現れたので、神様のお告げ通り妖怪のような老婆に良二が連れ拐われるのではと心配していた。でも、拐われたのは早苗で、寒戸の婆の伝説では三十年後に若い娘は老婆になって戻ってくるのだ。
あのばば霧さ紛れで入っでくすきゃぁ、んがも霧さば紛れねようにすねばよ?
霧に紛れ夜な夜な現れる妖怪のような婆さんは海を飛び越えることは可能なのだろうか。そう考えている良二の目の前のホームレスは、ジッと白濁した瞳で良二の顔を見つめている。東洋人の顔をした着物一枚のホームレスが、アメリカの街中で実なりのいい東洋人と西部劇のようにみつめあう姿は何故か辺りの注目を惹かない。それすらも奇妙でおかしな事なのだが、良二は困惑顔で相手をジッと見つめたままだった。
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鈴徳良二は十年程前までは海外で生活していた。最初はヨーロッパ方面にいて各国の料理を学んだが、フランス料理を身に付けてからはその方面でコンテストに出る程の腕になり請われてアメリカに渡り店を任された程だ。自分でもそのまま日本に戻ることもなく一生海外で過ごすに違いないと、朧気にその頃は考えていた位だった。海外で暮らすのが当然になると、故郷の事は遥か遠く過去の事のように感じる。何しろ日本語で会話をすること自体が減るのだから、その感覚はやむを得ない。海外で暮らしていると、視界に入るもの自体が日本とはかけ離れていくのだろう。
そんな最中、何気なく視界に入った一人のホームレスの姿に、良二は足を止めた。そのホームレスの何が気になったのか分からないが、彼は人混みに紛れていくホームレスを眺める。別段他のホームレスと違いは無いような気もするのに、何かが他のホームレスと違うのだ。
何だ?
何が気にかかったのかは分からないのに、遠ざかるホームレスの頭が目につく。人混みの中で灰色の頭はユックリと揺れながら消えて、良二は戸惑いながら再び歩き出した。
それからというものの街を歩いていると、時々同じホームレスとおぼしき頭を見かけるようになった。何時も何かが気にかかり灰色の頭を眺めるが、それが何なのかハッキリしない。何時も何かが気にかかって慌てて灰色の頭を目で追うが、目で追い始めた時には人混みの中に遠ざかる頭しか分からないのだ。恐らくお互いの生活圏が同じなのだろう、次第にそのホームレスとの遭遇率が上がっている気がする。
何だって気にかかってるんだか。
街の雑踏の中で立ち尽くし良二は首を傾げながら、今は遠ざかっていく灰色の頭を眺めた。そして、その翌日それは起こったのだ。
「あべ」
英語の中で異彩を放って聞こえた言葉に、ギクリと体が強ばるのが分かる。英語の発音ではない聞きなれた日本語の発音に、良二は雑踏の中で思わず振り返った。しかし、その言葉を発したと思われる人物は、視界の中には見当たらず良二は呆然と辺りを見渡す。何か得たいの知れないものが、自分ににじり寄って来ていて胸の中に不安が沸き上がる。
「リオ、What's the matter?」
リオは良二とは発音しにくいらしい外国人達の、こちらでの普段の彼の呼び名だ。問いかけられた言葉に良二は何でもないと返しながら、同時に今聞いたものが何だったのかと考える。単語の一部だけを聞き取って脳内で変換した可能性は高いが、何となくそうではないと心の中で考えていた。何故か父親の故郷の方言を伺わせる響きに、言い様のない不安感だけが増えていく。高齢だった祖母が死んで、妹も父の故郷の山に姿を消した。両親は今でも妹の安否を心配しているが、良二には帰ってくるなの一点張りなのは両親なりの理由がありそうだ。夏場は十六時間、冬は十七時間の時差は大きく、両親の様子を知るには真夜中に電話をかけても早朝だった。
「おふくろ?」
『良二、元気にやってるの?』
ああと答えると母は安堵した様子で近況を教えてくれる。父はどうやら妹を探しにまた実家に戻っているということらしいが、内心もう見つからないのではと考えてもいるようだ。
「何にも手がかり無いの?早苗。」
『そうなのよ、父さんの周りの人達はなんだっけ、なんとかってのに捕まったって口を揃えて言うし。』
「ふったち。」
口をついて出た言葉に母がえ?と問い返し、もう一度繰り返す言葉に早々それと同意する。何故その言葉を不意に思い出したか気がついて、良二は黙りこんで母の言葉に耳を傾けた。父の故郷では鈴徳の娘は、昔消えた佐々野の冬子がふったちと一緒に拐っていったと噂されているらしい。現代社会でそんな馬鹿な話があるかと父は憤慨したらしいが、閉鎖的な土地だから信仰は根強く捜索に意欲的ではない人々に父だけが死に物狂いになっているのだ。良二は母からそれを聞きながら、昨日の声の事を思い出していた。
あれは年老いた女の声のような気がした。
けして若い女の声ではない。年老いてその言葉を使うことに慣れ親しんだ口調。例えば死んだ祖母のような、その言葉を長年使い続けてきた女の口調なのだ。
「おふくろ、俺も一度そっち行こうか?」
何気なく口をついて出た言葉に、母親は瞬時に拒否の言葉を放った。
『あんたは、戻ってこなくていい!あんた仕事忙しいんだから!』
その口調は断固とした拒絶で、今になって良二はそれに気がつく。祖母の葬儀にも出ずに妹の行方不明になっても戻らない事を咎められない異質な拒絶は、本来信仰心の強い鈴徳の家ではあり得ない。両親は何か意図があって自分の帰途を拒絶しているのではないかと、良二には考えられるのだ。
『何かあったら連絡するから、帰ってこなくていいからね。』
母親は一方的にそう言うと電話を終えた。良二は不思議に思いながら今の電話を整理しようと試みるが、どうしてもあの声の事が気にかかって仕方がない。この懐かしい声は偶然なんだろうか。本来なら偶然何かの単語の一部が聞こえただけと考えられるのに、何故か今はそう思えない自分がいる。戻った方がいいのだろうかとチラリと考えるが、母のあの拒絶を無視して戻ってもいいものだろうか。良二は判断がつかないまま電話を見下ろし考え込んでいた。
※※※
そのホームレスはここいらに多い服装ではなかった。そいつが良二の気にかかったのは、ホームレスがジャンパーでもななくコートでもなく着物を着ているからだった。薄汚れた白の着物は薄すぎて、路上生活をしているとは思えずホームレスと言うには異質すぎる。しかも、そいつが着ている白の着物は、どう見ても訪問着や浴衣とは質が違う。良二は面と向かってその着物のホームレスの顔を眺めながら、死んだ祖母の言葉を思い出していた。
のごすたのがさむとのばぁよったばばだったじょうよ。
《さむとのばぁ》は父親の故郷の辺りの民話だ。本来は寒戸の婆と書くのだが、有名な民俗学者柳田国男の著書『遠野物語』にある伝説の一つで、本来は神隠しにまつわる話だ。寒戸という地方にいた若い娘がある日、木の下に草履を残して消息を絶った。その三十年後、親戚達が集まっているところへ、その娘がすっかり老いさらばえた姿で戻ってくる。事情を尋ねる親戚達に対し娘は皆に逢いたくて帰って来たものの、山に帰らなければならないと言って去って行った。その日は風の強かったのでそれ以来、強風の日は「寒戸の婆が帰ってきそうな日だ」といわれたという話だ。父の故郷はそれよりも北部だが、老いさらばえ恐ろしい姿でやってくると言うところだけが誇張されて、こちらで言うクローゼットの中のボギーのように扱われているのだろう。つまりはふったちと同じ様なもの、年老いて人間にあらざるものに変わった存在だ。
祖母は両親が兄が消えたことで、良二も消えてしまわないようにと神頼みをしていた。そして、夢枕に経った神様が良二に与えられるのは、寒戸の婆のような女だと告げたと言う。だから、祖母は良二に早く若い女と結婚しろと話したのではなかったか。それに良二は寒戸の婆みたいな女を探して結婚する方が難しいと笑ったのだ。
佐々野のばぁ、くぅしてくぅしてあだまやめでしまっだのよ。
祖母はそう言ったが、佐々野の祖母とて祖母とたいして年は変わらない。つまりは九十近い老女な筈で、あんな姿で飛行機に乗って渡米は可能なのだろうか。貴金属は身に付けていなさそうだが、見るからに不振人物としか見えない。態々渡米してからこの姿になったとしても、異様としか言えない姿だ。
おらほよいさばきてな。
既に死んだ筈の祖母の声が、目の前の老女のホームレスに重なり良二の脳裏で話し続ける。祖母は霧に紛れて佐々野の祖母が夜毎家に忍び込むと話したのだ。そして祖母に向かって言う。
んがぁよ、まごどぉよごせ、ふゆこぉむがえさいがせすきゃひゃぐまごおよごせっ
ふったちに連れていかれたという佐々野冬子を取り返すために、孫を寄越せと騒ぎ立てた佐々野の祖母。昔からいる土地の者は全て佐々野の祖母は、ふったちに拐われた冬子を心配する余りおかしくなったのだと考えた。そして、ふと記憶の片隅で佐々野冬子がいなくなった頃の事を思い浮かべる。あの時確か自分と早苗は冬子と一緒にいなかっただろうか。朧気な記憶の中で、手を繋いで遊んで帰る帰り道が思い起こされる。
ふゆこぉめなぐなったべ?
冬子は姿を消した。言葉通り見えなくなったのだが、何時何処で消え去ったのかはハッキリしない。思わずこめかみを押さえながら祖母の言葉と、過去の記憶を手繰り寄せようとする。良二の視線は目の前のホームレスを見ている筈なのに、遥か二十年も前の夕暮れ時の田舎道を見ていた。手を繋いで歩く子供が三人並んで、道を歩いている途中突然一人の手を振り払いもう一人だけを連れて駆け出す。その直後悲鳴と振り返る幼い妹の顔が驚愕に目を見開くのを、前を向いたままの良二の目が見ている。
そうだ、早苗が手を離して
冬子は消え去った。手を繋いで帰るのは土地の約束事だったのだ。良二はそれを思い出した途端背筋が凍りつくのを感じた。祖母の通夜の最中に行方を消した妹の電話の向こう側で、幼い子供が話す声を聞いたのを思い出したのだ。あの時は叔母の子供が随分達者に喋ると何処か他人事のように考えて、突然の悲鳴が脅かされでもしたのだろうくらいに考えた。妹の失踪と佐々野冬子の失踪が、関係してるなんて微塵も考えていなかったのだ。
んがぁよ、ふったちばまなぐでみながったべ?良二はふったちばみでないがらよ、なんじょもせねえどせったどもよ?
寒戸の婆のような姿で現れた老女に、良二はふったちを見ていないからと答えた祖母。しかし、妹はあの時確かに振り返って、何かを見た筈だ。祖母は佐々野の祖母が両親の枕元に立った神様のお告げの妖怪のような姿で現れたので、神様のお告げ通り妖怪のような老婆に良二が連れ拐われるのではと心配していた。でも、拐われたのは早苗で、寒戸の婆の伝説では三十年後に若い娘は老婆になって戻ってくるのだ。
あのばば霧さ紛れで入っでくすきゃぁ、んがも霧さば紛れねようにすねばよ?
霧に紛れ夜な夜な現れる妖怪のような婆さんは海を飛び越えることは可能なのだろうか。そう考えている良二の目の前のホームレスは、ジッと白濁した瞳で良二の顔を見つめている。東洋人の顔をした着物一枚のホームレスが、アメリカの街中で実なりのいい東洋人と西部劇のようにみつめあう姿は何故か辺りの注目を惹かない。それすらも奇妙でおかしな事なのだが、良二は困惑顔で相手をジッと見つめたままだった。
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