都市街下奇譚

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四十一夜目『続、話し相手』

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気がつくと何時も同じ場所で、同じ相手と同じような会話をしている。あまりにも頻繁に繰り返されていると、いつの間にかその繰り返しの違和感すら感じなくなってしまう。喫茶店『茶樹』に来る度に、客足が途切れる事は普通なのだろうか。普段は女性客や学生やで賑わい席もない筈なのに、自分が訪れるとプツリと客足が途絶える一瞬が訪れる。店主だけでなく普段は表にあまり顔を出さない調理師迄が顔出して、世にも奇妙な物語を語り出す。それが繰り返されるのは偶然なのだろうかと、揺れる珈琲に写りこんだ顔を見つめながら話していた。

ハッと我に帰ったんですよ。

自分が言うと久保田は何に気がついたんですか?と不思議そうに声をかける。グラスは磨き終わり珍しく何もしないで自分を眺めているのは、いつも動き回っているように見える久保田にしては珍しい。

いや、相手っていうのが誰だか分からないんです。

同僚だったのでは?と声をかけられて、自分の職業を言うと久保田が目を丸くした。自分にはどう考えても同業者はいても、同僚ができるような職業ではないのだ。同時に相手の名前も顔も分からず、説明することが出来ない。あんなに面と向かって話していたのに、顔が全く思い出せないのだ。

そこまでして話したかったのは何だったんでしょうね?

久保田にそう問いかけられて、その先を聞かなくてよかったのか聞いた方がよかったのか分からないでいる自分がいた。



※※※



時々誰かに無性に話したくなる事ってないかと問いかけた相手の顔が思い出せない。しかも、親しげに話したのに名前も相手が誰だったのかも思い出せないのだ。そんなことが時折あると言ったら、きっと普通の人はおかしいと思うことだろう。何しろ自分でもおかしいと思っているのだから、他人がそう思うのは当然のことだ。

「久しぶり、元気そうだね。」

唐突に背後からかけられた言葉と肩に乗せられた手に、自分は思わずその声の相手を振り返った。相手は自分の顔を見ると矢継ぎ早に話しかけてくるが、自分は一向に相手のことが思い出せないでいる。名前も何処で出会ったのかも全く思い出せないでいるのに、相手は気がついた様子もなく話し続けた。

「そう言えば、あれ、どうしてる?」

あれ?思わずそう答えてから、あれどころか、そう言えばという前提すら分かっていないことに気がつく。相手は自分の反応に困ったようにあれだよと繰り返すが、こちらとしては前提すら分かっていないので答えようがないのだ。相手は少し考え込むと思い出したように、前提の説明を何とかしようと試みている。

「ほら、あの時にあった、あのあれ。」

残念だが、それでは全く意味がない。あの時が何の時か分からないし、あったと言われても分からないのだから。大体にして当の話している相手を思い出せないのだと、何と伝えればよいのか自分は考え込んでしまう。どちら様ですかと聞くのが一番早いのだが、そう聞いてもしこちらが度忘れしているだけで相手が気分を害するのも困る。相手は自分が考え込んだのをどうとらえたのか、何とかあれの説明をしようと試みた。

「ほら、ついこの間の、ええっと、あれって何て言えばいいのかな?集まりって言うか、集合体っていうか。」

集まりと集合体だと全く違う。集まりだと人の事だと思うが、集合体だと物だ。それは大きな差なのでハッキリして欲しいところなのだが、相手も凄く必死なのが見て分かるので突っ込むわけにもいかない。

「ええーっとさぁ、あの、ついこの間のことなんだよ。ついこの間、あの時の。」

うん、ついこの間であの時の事なのは理解できた。だが、あれが何を指しているのかが分からない。集まりなのか集合体なのか、ハッキリして欲しいのだ。いやいや、その前に相手が誰なのかをハッキリさせるのが先か?

「あれだよ、あれ、寄り集まってさあ。」

その集まりが人の事なのか物なのかをハッキリしてくれ。寄り集まる人なのか寄り集まった物を言っているかが、未だに不透明なまま。

「凄かったよ、一杯で。」

ああ、そう越えてしまったのか。大勢が集まって驚いたのか物が大量に集まって驚いたのか、結局分からない。自分の顔にそれが浮かんだのだろう、相手は困ったように首を傾げた。

「あれぇ、あの時いたよね?」

そこからして甚だ疑問なのだ。何しろ相手のことがこんなに親しげに話しかけられているのに、未だに片鱗すら思い出せない。流石に人違いと言うわけではない様子で話しかけてくる相手を見ていると、知らない誰かと間違っている様子ではないのだ。そうなってくるとやはり自分が忘れているだけなのかもしれないが、流石にこの状況は堪えきれずそれを正直に告げた。相手はそれを聞いて、驚いたように目を丸くする。

「え?覚えてない?会ったよ、この間。」

そのこの間が分かったら思い出せると思うのだが、そこがハッキリしないのが問題だ。相手は気分を害した様子ではなく、そのこの間が何時の事だったか考え始めた。

「えーっと、この間は、あいつの呼び出しで、あいつと待ち合わせた時だから。」

新しい単語に謎が深まるが、一先ず相手がこの間を思い出すのに任せる。相手は誰かの呼び出しに応じて誰かと待ち合わせて、出掛けた先であれをこうしてあれをそうしてと呟いているのだが。

この人、あれとかこれとかそれとか、本当に多いな。

と言うわけで残念だが、相手の話からでは全く何かを思い出せる要素がみいだせない。何時まで経っても糸口が掴めず、出口のない迷路を回っている気分になる。相手には悪気はないのだろうが、聞いているこっちも段々頭がいたくなってくるのは仕方がない。何しろあれこれそれの繰り返しなのだ。ただ、相手が悪意がないのは、見ていれば分かる。一生懸命伝えたいのだが、伝えたいものの固有名詞が出てこないだけなのだ。

「あいつの、そっかあいつの名前!あー、えーと、何でだろう、度忘れしちゃったよ、顔は分かるんだけどなぁ。」

あー、残念。確かにその気持ちは分かる。時々あるよね、そういうことって。じゃなくて!そこが大事なんで、そうだ、スマホとか持っていればその相手が分かるんじゃない?と言うと相手もそうだそうだと同意して鞄を探り始める。ところが今度は青ざめて、自分の顔を見つめた。

「スマホがない!」
「え?家に置いてきたの?」
「違う、だって家出た時には電話してたんだ、何処で落としたんだろう!?」

随分とそそっかしい人だ。名前は忘れるし、固有名詞は出てこないし、今度はスマートフォンを紛失だなんて。一体あんたは何を覚えているんだと突っ込みたくなるが、相手はスマホ紛失で半分パニックになっている。

「そうだ、あんた、電話して!」

いやいやいや、だからあなたの事が思い出せない自分に、誰かを教える為にあいつを思い出してもらわないと駄目で、しかもその為に使いたいスマホがなくて、そのスマホに電話してって言われても。電話番号なんて覚えている筈、ないね、うん、聞いたこちらが間違いだった。相手は慌ててスマホを探しに道を戻っていったが、その背中を見送っていて気がついた。

あんたの名前を教えたら、直ぐ分かったんじゃないの?

知り合いなら電話番号も登録してあったかもしれない。そう教えようとしたが、既に彼の姿形もないのだ。



※※※



ほんの一瞬目を離しただけなのに、もう見えなかったんです。

自分の言葉に久保田はおやおやと目を丸くした。随分と慌てて戻って行ったんですねと口を開く久保田に、自分も呆れたようにそうなんですよねと呟く。結局その人物の名前も素性も分からないままなのだ。つまりはあれが何だったのかも、集まりが何を指しているのかも分からない。
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