都市街下奇譚

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四十夜目『部屋』

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これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。客足は奇妙なほど途絶えて、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



僕は外に出る事が出来ない。
最近になって、僕はやっとその事に気がつくことができた。どうしてかは分からないし、どうにかすること出来ない。僕に分かっているのは、ここから出られないという事実だけだ。少しだけど頭の霧が晴れて、僕が僕であるという認識が出来るようになって来る。でも、これがいいことなのか、悪いことなのかは僕には少しも分からない。

ある時僕は気がついた。
時々僕に注射をすることがある。注射をされると眠くなって僕は寝てしまう。そうして眠らされている間に、僕はこの部屋から出されることがあるみたいだ。体から嗅いだことのない匂いがするし、部屋のシーツがキレイになっている。部屋のゴミ箱も綺麗になっている。誰も僕には話しかけないし時には体を弄くられたりもするのは、僕が実験の動物なのだからだと思う。何故僕がそんなことが分かるのかは、僕自身にもよく分からないのだけれど。
僕はただ、外に出る事が出来ない、それだけだ。
何時からそうなのか、もう覚えていないけれど、いつの間にか外に出る事が出来ないんだ。部屋には高いところに窓があるけど、外の景色を眺めることは出来ない。座って僕が空を見上げることは出来る。けど、外にどんな景色が広がっているのか眺めることは出来ない。もしかしたら、綺麗な景色が広がっているかもしれないけど、反対に何にもないかもしれないのが正直なところ怖いんだ。もし、見てガッカリしたら僕は何を楽しみにしたらいいか分からなくなるだろうから、僕は綺麗な場所が広がっている事を想像している。

この部屋には生活するための物は一揃えキチンとあった。
食べ物もキチンと定期的に与えられる。味も一定でそんなにおかしなものは出てこない。食べ終わったものは出てきたところにキチンと返す。そうしないとルールが崩れて次の食事が出てこなくなるかもしれないから、食器は所定の位置に置いてキチンと返すことがポイントだ。何時か間違って食器を返し忘れたら、その時は知らない人間がドヤドヤ沸いてきて押さえつけられたことがある。僕が忘れたのはわざとではなかったけど、とても怖かったから二度としないように気を付けている。ルールさえ守っていれば、ここは温度も快適で何の苦痛もない部屋。
勿論、窓もあって空も見える。
時には夜の空を眺めて、月を探すことだって出来た。星は空が狭いのかあまりハッキリとは見えないけど、一等星や二等星位なら何とか見える。星座や方位って言う概念が何処から来たのか知らないけど、僕のなかにはそういう知識が少しあるみたいでボンヤリ眺めているとあれは何座だと浮かぶこともあった。
そんなことを考え過ごしながら、生活していく分にはここは申し分のない環境なのだ。何もないし穏やかだし、静かだし。時には誰かが顔を覗かせて、僕の様子を伺う事があるけど何かされるわけではない。僕を伺いながら、最近大人しいとか何か話しているのが分かる。それに秘密だけど時折夜中に僕が星を眺めていると、僕と遊んでくれる人もいるんだ。

以前は僕には友達がいた。その友達は僕と同じで口が聞けない女の子だったけれど、僕が夜中の友達と遊んでいる内に彼女はどこかに消えてしまったのだ。凄く仲の良い大事な友達で、何処に行ってしまったのか。正直なところ部屋の外に行ってしまったんだと分かっているんだ。ここは狭いし何もないから、飽きてしまったんだと思う。僕は彼女を探すためにはここをでなきゃいけないと分かっているんだけど、まだ彼女を探すための旅に出るほどの勇気がない。
何しろ部屋の外は僕にとっては、完全な異世界なんだ。僕はこの部屋の中の事しか知らないから、扉を出たら何があるのか想像もつかない。でも、彼女を探すためには、何時かここをでないとならないんだ。そうでないと、僕は友達を亡くしたままここで生きていかないとならない。

この扉の外には人がいるのかな、それともだーれもいなくて僕と彼女だけなのかな。

そんな筈はないのに僕はそんなことを考える。食事を作ってくれる人と体を洗ってくれる人、部屋を掃除してくれる人、そんな人が多分いる筈なんだ。あのルールを破った時に沢山出てきた人だっている筈なんだけど、あれからずっと殆ど人に会わないでいるから段々とあの沢山の人自体が夢だったような気がし始めている。それとも全部人間じゃなくてロボットがしているかもれない。そしたら、僕一人と時々夜に来る友達と彼女しかいない世界の可能性だってある。大体にして何故僕はここに住んでるのか、僕は何でここにこもっているんだろうか。

一体どれくらいの間、僕はここにすんでいるんだろう。僕は自分の事すら覚えていないのは何故なんだろう。

部屋の片隅の鏡を真正面から見つめ、自分の顔を覗きこむ。僕は自分の名前も知らないし、ここに現れる人は誰も僕の名前を口にしない。僕しかいないからなのか、僕には名前がないのかも覚えていないのだ。問いかけて聞ければいいけど、僕は言葉を発することもできないから何も聞けない。

本当に時々ガラス越しに見に来る人がいる。このガラス越しに来る人自体本物の人なのかどうなのか、実はよく分からないんだけどここで眺めていく人は確かにいるのだ。その中の一人の人が僕の事を何時も悲しげに眺めている。何故そんな目で眺めるのか、僕の事を知っているからそんな目で眺めるのかは分からない。僕はずっとガラスだと思っているけど、凄く厚いガラスだと思ってるだけで別なものなのかもしれない。何故なら相手の動く音なんて何も聞こえないからだ。そんな風に一つずつ考えていくと、ドンドンこの部屋がおかしな場所なんだってことが分かる。おかしな場所だけと僕にとっては、安全で過ごしやすい場所だってことだけは確かだ。扉も窓も開かない、電気も時間で自動でつけられて、誰も人の入ってこない部屋。



※※※



真っ暗な闇の中で何故か扉の鍵が開く音がして、今まで開いたことのない扉が微かな音をたてて開いた。最近来ていない夜の友達が久々に遊びに来たのかと思ったのに、扉が数センチ開いただけで誰も入ってくる気配がない。僕は恐る恐る扉に近寄ると、そっと扉に手をかけた。
顔を出すと部屋の中よりもずっと無機質で何もない廊下が続いている。明かりもない廊下の先は薄暗くて、何も動く気配がない。
僕の知らない世界。
僕にはそこが本当に異世界にしか見えなくて、僕は途方に暮れてしまう。見慣れない置物、見慣れない生物、見慣れない空間。そして窓の外は、全て異世界のものにしかみえない。

これは本当の世界なんだろうか。

そっと廊下に出て見るが全く人のいる気配はないし、僕が出るのを止める気配もない。足音を立てないよう慎重に廊下に出ると壁に触れながら、先を進んでいく。何処まで行っても人の気配がなく、咎められることもない不思議さに僕は戸惑う。

いったい、僕はどうなってしまったんだろう…

誰かに助けてほしいけど、いつまで待っても僕を助けてくれる人は現れない。何処に行ったら人がいるのかも分からないし、何処に何があるのかも分からない。戸惑いながら歩き続ける僕は諦めるしかないんだろうかと考える。何もない場所をウロウロと歩き回っているだけで、元の部屋に戻った方がいいのかもしれない。

ここから、僕は一生出られないんだろうか…。

僕は冷たい窓に触りながら、見知らぬ異世界の外を見る。暫く考えている内に、窓には簡単な鍵しかかかっていないのに気がついた。カチリと簡単な軽い音を立てて開く鍵を開けて、窓をそっと開くと湿った土の臭いが流れ込んで来る。窓は二階だけど、直ぐ傍に大きな木の梢があった。手を伸ばせばそれに手が届きそうで、それを伝い降りれば下に降りれそうだ。僕は慎重に梢を探り窓から外に出る。以前いた友達が何処にいるかは分からないけど、外に出られるのだから探しに行くことも出来るかもしれない。僕は大きな夜空を見上げて自由になったことに気が付く。自由になったけどここから何処に向かえばいいのか分からない。僕は新しい世界をソロソロと歩き始めていた。



※※※



鍵が開けられもぬけの殻の室内が見つかったのは、朝日が指してからのことだった。何故鍵が開いたかは謎で、夜勤者もその日に限って室内を一応確認したが物陰にいるのだろうとキチンと見なかったのだと言う。しかも、普段なら確認するのに、その日に限って鍵の確認を怠り、開いた扉に気がつかずにいた。監視カメラもついているのに、何故か出入口を通った気配もない。暫く後に明け方窓が空いていて、それを閉めたという人間が出てきた。信じがたいが窓の鍵を開けて、窓から木の枝を伝って下に降りたらしい。幼稚園の子供程度の知能しかない筈たが、予想以上の活動力を発揮していた。どうにかして探さないとならないが、施設の不祥事の発覚に動きは鈍い。警察に通報する迄に、何処まで逃げられるか予想も出来ないのだ。



※※※



僕が何者なのか分からない不快感に自分は気がついた。人間なのかと思って聞いていたが、主観では僕と告げているが人間とは限らない。下手すればネズミでも犬でも可能だ。ただし人間が数人係で押さえ込むような動物だと、ネズミでは小さすぎるかもしれない。そんなことを考えると夜行性の大型な動物を想像して、少し不安になる。夜の闇の中を自由に逃げ回る者を探すのは、中々骨がおれそうだし気がつかずに傍を歩いていてもおかしくない。

それにしても、そういう話は誰が教えてくれるんです?

久保田に問いかけると、彼は賑やかに微笑みながら企業秘密ですと告げる。そういうのは企業秘密ではないんじゃと苦笑いした自分の背後で突然物音がして、思わず自分は背後の物陰を見つめていた。
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