都市街下奇譚

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四十二夜目『遭遇』

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これは、友人から聞いた話なんですがね、そうマスターの久保田は、グラスを磨きながら何気ない気配で口を開く。紅茶の匂いが漂う店内に客足は奇妙なほど一時途絶えて、その言葉を耳にしたのはカウンターに座る自分ただ一人だった。



※※※



ある雨降り後の宵闇の最中の出来事だった。
帰途を急ぐ自分の足取りがふと止まる。視線の先には半分乾き始めた道を塞いでいるわけではないが、人影が一つあって何故か足の動きを止めさせた。薄暗がりの中に一人で立ち尽くしている、しなやかな柳のように細い姿。立ち止まり背後から見つめる自分の視線に気がついたのか、相手は音もなくこちらを振り返る。何処か浮き世離れしたあどけない微笑みをうっすら強いて、自分を見上げた視線。短く切り揃えられた綺麗な黒髪を揺らし、余り化粧っ気のない透き通る陶器のような滑らかで白い肌。自分と目が合ったから微笑みかけてきたのか、元々自分を待って微笑みかけたのかは判断が難しい。それでも今は確かに自分の事を見つめて、更に柔らかく甘く微笑みが深まる。
微笑みが余りにも親密そうな気配で相手の顔に浮かぶものだから、こちらの方が逆に戸惑いを感じてしまう。知り合いならこんな戸惑いも無いだろうが、正直なところ相手の顔を見たことがない。こんなに美人なら一度出会ったら忘れる筈もないだろうから、相手は本当に初めて出会ったのだ。これ程の美人だから知り合いになるのには、大概の者なら躊躇う筈がない。それとも美人過ぎると緊張し敬遠する可能性はなくもないが、親密そうに微笑みかけられるとしたらその可能性は大分低くなりそうだ。ただ、ここはもう一本向こうの通りとは違って人通りが少ない。こんな人気のない場所で無防備に立っているのには、些か奇妙さが際立ちつきまとう。まるで相手が人気のない場所を選んで佇んでいたと言ってもおかしくない場所なのだ。街の人混みははるか遠く、宵闇に喧騒の気配すらない公園の表側でわなく裏側に当たる通りの植え込みの傍。街灯からも影になり誰もが避けてとおる様な薄暗がりに、そっと咲いた花のように立ち尽くす姿。微笑みは少しだけ蠱惑的に生まれ変わり自分を誘うように自分を見つめている。しかし、自分が思わしい反応を見せなかったためか、相手は唐突にフイと黒髪を翻して歩み去った。試しに声をかけてみるべきだったのかもしれないが、自分が戸惑う間に一言も発することもなく姿を消してしまう。それを自分は何だか損をしたような気分になりながら、再び雨の匂いがまだ煙るように漂う道を歩き出す。
それは暫く前の事なのだが、自分がこれを思い出したのは同窓会の喧騒の中だった。同窓会の最中に自分と生活圏の同じ友人が、似たような偶然をまんまとものにした話を酒の肴に始めたからだ。

「この間さあ、雨降り後にすげえ美人と目があったらさ、俺に向かって笑いかけて来てさあ。」

そんな言葉で友人が意味深な声で語り始めた。
雨降り後と美人と聞いてあの美人を思い出したのは、そのせいだったのかもしれない。もしかしたら自分と出会った後に友人が、あの美人と出会った可能性がある。生活圏が同じということは同じ頃合いで、あの道周辺を通る可能性があるからだ。勿論他の雨の日に全く別な美人と巡り遭う可能性もあるのだが、何故か自分の頭の中にはあの日の美人が蠱惑的な笑みを浮かべて佇んでいた。
友人は酷く優越感に満ちた顔で帰り道で出会った美人の話を、自分や同窓生に向けて始めている。
友人の話す美人はどうやら金色に近い髪の毛だったらしく、自分が頭の中に思い浮かべている人物は全くの別人だった。それでもヤッパリ自分の頭の中で浮かび上がったのは暗がりに佇む白い肌の蠱惑的な微笑みだ。あの綺麗な顔に躊躇わず話しかけていたら、もしかしたら自分も上手いことやれたかもしれない。そんな考えが友人の言葉の影で、頭の中を何度も掠めるのだ。

「突然微笑みかけてきた美人が、物陰に俺の事を引き込んでさ、突然屈みこんでさ、咥えてきたんだよ。」

下ネタの作り話かと他の友人に突っ込まれているが、その男は本当のことだと言い張り続けた。淫らな一夜の夢物語のような話を、事細かに鮮明な描写で語り続ける。
物陰に隠れて声もなく密やかに続けられる淫らな光景。
作り話と馬鹿にしていた者達も何時しか引き込まれて、生唾を飲みながら頭を付き合わせる。世にも奇妙な美人が突然現れて対価もなく一頻り快楽を貪るなんて、漫画の中くらいでしか体験できるわけのない夢物語だ。暗がりに響く卑猥な水音と快楽の呻き、何時しか感極まって吐き出す精の芯の溶けていくような快美感。艶やかに唇を赤く染めて、女が妖艶に微笑みながら熟練の動きで誘う。
でも、やがてその友人の作り話と、同窓生は茶化す方に力がはいりはじめた。何しろ自宅までの帰り道の数分の出来事にしては出来すぎで、酒の肴にしては安直すぎると同窓生達が声をたてて笑う。それでも友人は出会いは本当のことだと全く譲る気配もなく語り続け、友人達は影に羨望を含んだ顔で皆が嘘だと言う。自分も最初は信じるつもりなど無いが、暗がりで自分が見かけた綺麗な佇まいを思い出すと強ち嘘と言い切れない気もする。最後に向けられた蠱惑的な笑みの先に、淫靡な快楽が待ち構えていたとしてもあの視線なら納得できた。自分が出会ったのは別人だとしても、その先が快楽の結末なら自分も声をかけてみればよかったと考える。
そんな考えのせいか友人の話を誰もが作り話と笑ったが、自分だけは何となくあの姿が結びつけながら話を受け入れたのだ。
友人は話を終えた後に自分にだけ、こっそりと少しだけ話を持ったのだと打ち明けた。何処か一部彼の願望で脚色したのは事実だが、起きたことは本当なのだと囁く。それは何処かと聞いたが、美人って言えば何とかって言う外国女優だよなと呟く。その名前が聞き取れない内に、彼はまた声を潜めた。実はまた会う約束をしているのだと囁いた。一度の行きずりのことなら兎も角、二度目となると意図的な行為を目論んでいるのは顔を見れば丸分かりだ。相手の得体が知れないのは心配だと言いたげな自分の表情に、彼は大丈夫だ上手くやるからと暗く低く笑う。



※※※



その友人の唐突な死が告げられたのは、それからほんの数日後の出来事だった。呼び出された形になった同窓生には彼の死の状況はどうだったのかについて詳しくは語られない。ただどうも自宅ではない場所で死んだようだと、葬儀場に先に来ていた同窓生が囁く。通夜の弔問客に棺の蓋は一度として開かれることがないのに、先日同窓会で顔を会わせたばかりの友人達は外の喫煙所で揃って声を潜めた。

「ラブホテルでみつかったらしいぞ、あいつ。」

同窓生達が眉を潜め棺の傍に正座したままの、窶れた顔の女を伺う。その背後には座布団を重ねた布団の上に、まだ幼い赤ん坊が寝かされているのが見えた。そうなのだ、あの友人は妻もいたし産まれたばかりの子供もいる。それなのに、妻ではない誰かとラブホテルに入っていて、憐れなことにそこで死んだのだ。只でさえ若くしての急死なのにその状況を聞くと、棺の横ですっかり窶れ果てた妻の姿に思わず胸が痛む。

「腹上死かよ?」

想像しやすい情景が頭に浮かぶ。
綺麗な女にのし掛かり鼻息も荒く興奮しきった男が、快楽に興奮し勢いよく流れる血流で全身の何処かの血管が突然破けて意識を失う。女の腹の上で白目を向いて、泡を吹き卒倒する同級生の姿は、下ネタを同窓会で自慢気に話した男の最後としては想像に難しくない最後。だが、自分だけでなく同窓生の中にもその話と現状に、齟齬を生じているのに気がついた者もいた。

「ただの腹上死なら棺の蓋、開けても平気じゃないか?」

その通りだ。心筋梗塞や脳卒中とか言うものなら、棺の蓋を開けない理由にはならない筈だ。

「絶頂で死んだから、顔がだらしないんじゃないか?」
「終わった後の風呂にでも沈んでたんじゃないか?」

聞こえないように誰かが次々と囁く。確かに妻ではない女とラブホテルで事に及んで死んだのでは、見つかった場所から言っても死因として考えられるのは分かる。しかし、それでは棺の蓋を開かない理由にはならない。絶頂で死んだら顔がだらしない等と言うことが本当に有りうるかも分からないし、外傷がないなら葬儀屋がそこは少しは整えることくらい可能だろう。大体にして自分の祖母がそうだったから自分は知っているが、風呂で死んだからといって容貌が変わることはない。確かに入浴中に死んで、死後風呂に長く沈んでいると確かに体が温まって腐敗が早まる。しかし、それは独居老人やタイミング悪く発見されない場合のことなのだ。湯に浸かって温め続けられた肌は赤く鬱血してはいる可能性はあるが、人相が変わるほどふやけて膨らむほどの変化はないだろう。
それにラブホテルで発見と言うことは、相手が存在している。尚且つラブホテルと言うことは相手が逃げたとしても、時間が来ても出てこなければホテルの従業員が確認するだろう。つまりは、友人は風呂にいたとしても、日を跨いで何日も放置されたわけではない。風呂に沈んだとしても長くても数時間だ。だとすれば発見後検死や司法解剖などが終わった後に、ドライアイス漬けに友人はされている。
遺体を引き渡される時、棺の中は人の目に堪えられる状態には整えられた筈だ。それでも棺の蓋を開けないのは、家族がそれを強く希望しているのか、遺体が人には見せられない状態にあるという事だ。
ところが同級生の情報通が仕入れてきた話は、それぞれの予想のはるか斜め上を行くものだった。

「ラブホテルに一緒に入った相手の女に殺されたんだと。」

一瞬頭の中にあの薄暗がりに佇む美人の姿が浮かび上がり、その顔が蠱惑的な笑みを浮かべる。別人の可能性もあるのだが、友人は行きずりの美女ともう一度会う約束をしていると友人は話していた。友人は一部を脚色したと話したが、それは髪の色ではなかろうか。だとしたらラブホテルの相手と、自分が見たことのある美人は同一人物だろうか。思わず生活圏が同じ友人があの美人と腕を組みながら、暗闇にラブホテルの入り口を潜る姿を想像する。
それにしても殺されたとして人に見せられない程の損壊とはどんなものなのだろう。男の人体を損壊するとは随分粗っぽい行動だが、それをするエネルギーを生むだけ相手に恨まれたのだとも言う。そう考えるとまた自分の中には齟齬が生じてしまった。あの時の話のようなほんの行きずりの女が、そのエネルギーを持つ相手とは思えない。

「親戚がこっそりと、手足をもがれて腹から臓物引きずり出されたとか言ってた。だから、棺を開けれねぇらしいぞ。」

唖然として同窓生揃って棺を見つめる。ラブホテルの設備でそれをするのは殆ど不可能だ。大体にして手足をもぐなんて女が出来る所業なのだろうかと、それぞれが唖然とした顔で考えているのが分かった。勿論自分の頭の中のあのしなやかな柳のような姿が、そんな所業がこなせるとは思えない。大体にしてあの美人と友人の話した美人が同一人物かどうかすら分からないのだ。通夜の薄ら寒い灯りを更に物悲しくシトシトと雨が降り始めたのを、誰ともなく無言で棺の前の妻の姿を眺める。どちらにせよ友人は殺され棺は閉ざされたまま、窶れ果てた妻と物心つく前の子供だけが残されたのは変わらない。
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