都市街下奇譚

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四十三夜目『誤解』

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久保田はグラスを磨く手を止めずに、話の続きを続ける。それは奇妙な美しい姿形をした人物と、宵闇の中で遭遇した男の話だ。雨降りの情景が鮮やかに脳裏に浮かび上がり、それは湿った雨の匂いを纏っているように感じる。



※※※



友人の死から僅か一週間もしない内に、新たな情報がまるで忘れさせないとでも言いたげに伝わってくる。妻がいながら別な女とラブホテルで死んだ友人は、ただ情婦に閨で殺害されただけでは罰が足りないと神様は考えでもしたらしい。
友人の死は行きずりの美人でもなければ、浮気相手の嫉妬でもないと言う。伝え聞いた内容は、偶然の巡り合わせがもたらした最悪の事態だった。と言うのも、友人は女に殺されたのではなかったというのだ。どうやら友人は近郊で起こっているらしい連続殺人の被害者の一人なのだと、友人が警察から聞いたのだと言う。
その同級生は駅の反対側でワインバーを経営していて、同級生の伝で飲み会を店ですることは何度もあった。その店に先日私服の警察官が聞き込みに来て、この男が来ていないか、来たのは何時かと聞いた。しかも死んだ友人と一緒にその男が訪れた事があるかと問われた同級生は、どういう意味なのかと食い下がった。捜査に支障のない部分で話したのだろうが、情報を総合すればその男が連続殺人鬼で友人を殺した犯人として探されていると言うことだ。それで、その男の立ち回りそうな飲食店に聞き込みをしていたということなのらしい。その同級生の経営するワインバーには確かにその男が来たことがあって、同級生もその男の事をみたことがある。相手は自分達より一回りも年下の若い男で、優男という表現が一番分かりやすいと同級生は言った。

『不動産の三浦って知ってるだろ?駅前の。』
「ああ、あの三浦不動産だろ?」

自分の返答に相手は話を続ける。駅前の三浦不動産は近郊に多くの不動産物件を持っていて、ここら周辺では知らない人間はいない大手の不動産だ。店舗も取り扱っているから、同級生も恐らく今の店を出す時には取引をしていたのだろう。勿論自分の暮らしているマンションだって、三浦不動産が受託されていて手続きに訪れた事がある。大手らしく整えられたオフィスに観葉植物が記憶の中で蘇るのを感じながら、同級生の言葉に耳を傾けた。

『どうやら探してるの、三浦の息子らしいんだよな。』

同級生の言葉にへぇと思わず呟く。三浦不動産の御曹司と言われても関わりもないし顔も知らないから、そんな人間に対する反応なんて正直こんなものだ。しかし、御曹司ともあろう人間が、見知らぬ一回りも離れた男をラブホテルに連れ込んで殺す理由なんて想像もつかない。権力の持ち方を間違えた金持ちのボンボンを想像したが、だからと言って遺体を損壊するのだろうか。それとも何らかの事情で死んだ友人の遺体の処理に困って、やむを得ずラブホテルに持ち込み損壊したのだとすれば理解できなくもない。ラブホテルでは人の目もあるから発見も早いし、損壊のための道具がないと言う大きな二つの問題を無視すればも言うことだが。

『それもよ?女みたいに男と寝た後に殺してるらしい。』
「はぁ?」

最初の仮定をあっという間に覆されてしまった。そんな馬鹿なと言いたいのだが、その友人も聞き付けた時は何処か半信半疑な風が拭えない様子だったらしい。何しろ妻も子供もいる友人は、直前の同窓会で女との下ネタを悠然と同級生に披露した男なのだ。それが何故男とラブホテルで一夜を過ごして、遺体に変わるのか理解のしようがない。

『でもよ、あの写真見たら女と間違ってもおかしくないんだ。あいつ夜に見たとして女と間違えたのかもな。』

それでも、男の体は男なのだ。闇の中でも男についているものは変わらないし体つきだって男な筈で、知っていてラブホテルに入ったとしか思えない。どうしても考えと現実の齟齬が消えずに、自分は不快感が拭えないでいる。そんなことを考えながら窓の外を見ると、肌寒い夜気の中に糸のような雨がシトシトと降り続いていた。



※※※



そんな話を散々聞いていたのに、やはり心の何処かでは全ては殺された友人の作り話で全てが冗談なのではと考える部分があったらしい。何故ならその後雨降りの道すがら、自分は再びあの柳のように細くしなやかな美人を見つけたのだ。微かな違和感を感じながらも、目の前の相手は雨に濡れそぼり行くところもないのかボンヤリと足元を見下ろしたまま。ずぶ濡れの体は雨を避けるつもりもないのか、いつまでも雨の中に晒されている。まるで捨てられた子猫のような有り様のその頭に、自分は思わず傘をさしかけた。雨の滴を髪から滴らせながら、今自分の存在に気がついたように視線が上がり不思議そうに自分を見上げている。

「か、風邪ひきますよ?」

我ながら情けない話しかけ方だった。それでも、その言葉に初めて自分がずぶ濡れだったことに気がついたみたいに、相手は目を微かに見開いて自分に焦点を結んだ。間近に見れば線の細い日本人形を思わせる繊細な顔立ちで、睫毛の長い童女のような澄んだ黒目勝ちの瞳。睫毛の上に雨の滴が乗っているのが見えて、相手の瞬きでそれが涙のように溢れ落ちる。無言のまま自分を見上げている視線に、そっとハンカチを差し出すと相手は改めて驚いたように自分の差し出したものを見おろした。躊躇いがちにあげられた濡れた指は、自分より一回りも細くて華奢な正に白魚のような指だった。濡れた頬を拭うハンカチを眺めながら相手を見下ろしていると、微かに掠れた声が礼を呟きながらハンカチをどうしたものかと見下ろしている。こんな時なんと声をかけるのが正しいのか、その顔を見下ろしている自分を相手は上目遣いに見上げた。

「着替えとか…。」

そう言葉を口にしてから、やっと最初の違和感がなんなのか気がつく。目の前の相手は確かに柳のようにしなやかで日本人形のような整った顔をしているが、何も荷物を持っていない。日本人と言うやつは大概は何か荷物を持つものらしく、バックやら何やらが少なくともあるものだ。最近は財布しか持たない者も居るようだが、それも休日のことで仕事場に行くなら鞄は必須だろう。しかも、目の前の相手は傘どころか正に身一つという感じなのだ。そんな相手に着替えどころの話ではないのに、自分の口をついた言葉に相手が少し微笑んだのが見えた。柔らかな微笑みに思わず見とれると、相手は見られているのに気がついて少し恥ずかしそうに頬を染め俯く。

「……もし、迷惑じゃなかったら着替え貸しましょうか?あと、傘も。」

ずぶ濡れだしと言い訳のように付け足すと、相手は驚いたように目を見開いて暫く自分の顔を見つめた。見知らぬ人間から突然雨に濡れているから着替えを貸しましょうかと言われるのに慣れている人間なんていない。分かってはいるが、何だかそう言いたくなってしまった。そして、相手の反応から最初に出逢った時の蠱惑的な笑顔と感じたのは、あの時刻の見せたまやかしなのだろうと感じる。どう見ても目の前の相手が友人とラブホテルに入り、しかも化け物のような所業を行った相手とは思えない。目の前の相手は確かに目を見張るほど美しいが、何処か儚げでここではない人気のない土地から出てきたばかりのように心細げなのだ。
結局家まで連れてきて風呂までかして服を貸した上に、一晩泊めることになったのはやむを得ない。そう自分に言い分けをしてパジャマがわりのスウェットを脱衣所にだして置きながら声をかける。
最初の印象と違って人懐っこい訳ではなく、引っ込み思案な様子で相手はオズオズと緊張した面持ちでリビングに姿を見せた。簡単に作った夕食を振る舞うと最初は恥ずかしそうに遠慮していたが、やがて美味しそうに食べ始めたのを眺めていると思っていたより幼いのかもしれないと感じる。

一回りくらい下なのか、もっと下か。

そんなことを思いながらその美人の体の線の細さを眺めて、自分の勘違いに気がつく。美人と言う表現は兎も角、自分は女の子だと考えていた。だが、蛍光灯の明かりの下で見てみれば、骨の太さや体つきは一目瞭然だ。幾ら色白で美人でも性別を勘違いしていたことに愕然としながら、頭の中で灯りの下では茶色に見える髪を見下ろす。

美人だが、茶色に近い黒髪。

一部だけ脚色したと話した友人の顔が頭を掠め、同時に同級生の言葉が蘇るのを聞く。あの話では相手は女ではなく男だと言った。

夜だったら女と見間違うかもしれない、優男。

その言葉が目の前の綺麗な顔をした青年と重なる。しかし、そんな凶行を行いそうな気配のない大人しく食事をしている姿に、自分の感覚と情報が齟齬を訴えた。どう見ても只の家出の高校生か大学生、それがいいところをついていそうで次第に混乱する。その顔が気になったのか、彼は戸惑いを浮かべて自分を見上げた。

「あの、すみません。」

弱い声に我にかえって自分は、気にしないで食事をしていいと促す。何が何だかわからない状況ではあるが、こんな気弱そうな青年を雨の中に追い出せる筈もなかった。自分の中で腹積もりがついたところに、例のワインバー経営の同級生から夜遅いと言うのに直接の電話がかかってきたのはそんな時だ。

『おい、あいつを殺した犯人、捕まったらしい。』

その言葉は青天の霹靂だが、自分の感覚が間違っていないのとの証明でもあった。目の前の青年は友人の死とは何の関連もない、ただの顔の綺麗な家出人なのだ。連れ込んだからと言って腹を裂かれる訳でもなければ、手足をもぐ訳でもない。詳しくは明後日会って話そうとなった自分は、安心して青年を一晩泊めて朝御飯までふるまって早く家に帰るんだよと説得までした。青年は自分の言葉に躊躇うように微笑んで、大人しく話を聞いて頷く。

「いいかい、早く謝って家に帰るんだよ。」

その言葉に彼は大人しく頭を下げて、そうですねとだけ囁いた。随分素直な様子に安堵しながら自分は彼を送り出すと、彼は深々と頭を下げる。

「ありがとうございました。助かりました。」


※※※



部屋を訪れた同級生が告げた殺人鬼の招待に、唖然として言葉を失った自分の顔に相手も同感だと呟く。世の中には、どれくらい羊の皮を被った狼がいると言うのだろうか。そんなことはする気配もない人間が、案外影でそれをしていると言うのの典型のような犯人だった。そう、友人を殺したのは、あの憔悴しきった妻だった。連続殺人鬼なんて何一つ関係なかったのだ。
棺の蓋を開かなかったのは、遺体の損壊だけが理由ではなかったのだろう。勿論損壊も理由ではあったが、損壊した人間は相手の顔も見たくなかったのかもしれない。それとも、顔を見たら本当の事を話してしまいそうだったのだろうかとも考える。子供が産まれても夫の浮気性は治らなかった。妻が知らないと思って何人もの女と遊んでいたらしい友人。だけど、残念だが、誰かが見ていて妻に情報を与えていたのだろう。そして思い余って、やはり人を殺して遺体を損壊するには、それなりの情念が必要らしい。唖然とした自分に同級生が飲もうとワインを取り出し、酒のつまみにサラミとチーズを取り出す。包丁を取りに行った同級生が包丁がないと引き出しを探る声を聞きながら、自分はボンヤリと友人の事を思い浮かべる。

浮気性が治らないのは悪い面だったが、友達としては悪戯グセがあるが愛嬌のある良い奴だった。

妻が何故ラブホテルで惨殺したかは不明だと言う。ふと、もしかしたらあの同窓会の話で友人が脚色したというのは『知らない女』の部分なのではないだろうかとも考える。

もしかして妻とラブホテル?妻だと知っていて誘った?

考えればどうとでも話は組み上げられるのだ。それが何処まで真実に迫れているのかは、今では答えを得る術がない。何しろ友人は死んで灰になってしまったし、犯人は自分達にそれを告げる気はないだろう。何事も既に過ぎ去ってしまった話なのだから。
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