都市街下奇譚

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六十八夜目『友達の友達6』

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これは、私の特別な友人から聞いた話なんですけどね、そうマスターの久保田はグラスを磨きながら口を開く。芳しい珈琲と紅茶の香りのする店内には客足は奇妙なほど途絶えている。白磁のポットが見守る中で、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



ここには私の友人が入院している。
私の友人は大きな怪我をして、寝たきりで今では会話をする事もできない。自分で呼吸できず寝返りもできない身体で、友達が頭の中で何を考えているか私には想像もできないことだ。天井を眺めているのかどうかも分からないが、もし眺めているのだとしたら何を考えているのだろう。
身動きもできず、食べることも飲むことも話すこともできないで、ただ天井の一点を見つめて過ごしている。その頭が何を考えているのか、少しだけ興味はあるような気がするのだ。面会に行くと毎回毎回傍にいる母親が声高に私に話しかけ、今日は顔色がいいとか少し目が動いた気がするとか話し続ける。そう言われても実のところ、私にはその変化はあまりハッキリしない。見ていても時々しか見ない私には、母親ほどの変化は見られないのかと思う。

キラキラ射し込む光の中で身動ぎもしない友人の傍に座り、その顔を眺める。ここに来ても全く反応のないその顔を眺めて、母親の話を何となく耳にしながら機械が動く音を聞いている。規則的な機械が送り込む空気の音と、機械的に膨らむ胸郭。動かすことのない手足は次第に筋肉の萎縮で、普通の人間の形ではなくなっていくのだ。不思議なもので使わない筋肉というものは、延びきってしまうものと縮んでいくものとがあるんだと言う。しかも、使わない間接が固まるなんて、意味がわからない。ところが友人の体には、それが目に見えて分かる変化が起きている。既に手首は内側に丸まり、肘の間接は伸びたまま固まりつつある。逆に足は爪先を伸ばして間接が固まりまるでバレエでもするような足に変形していく。膝も肘も首すら曲がらなくなってきていて、丸太のようになって横たわる。日々リハビリを続けていても、怪我の後遺症らしく筋肉の緊張が取れないのだという。既にリハビリの担当の白衣の男は元のようなしなやかな間接の動きは取り戻せないし、歩くことも座ることも出来ないだろうと呟く。せめて車イスにでも座れたら、一緒に庭を眺めに行くことくらいできるのに。そう思いながら言葉もなく、友人の姿を眺め続けているのだ。

「あなたが来てくれると反応があるような気がするのよ。」

友人の母親はそう言うと、必要なのか分からない友人の眼鏡を拭って再びかけてやる。そうか、私には必要なのかは分からないが元々目が悪いのなら、かけてないともし見えていても何も見えないかと心の中で納得した。母親はそうしながらベットの上の自分の子供を眺めて、僅かに目頭を拭うと私の持ってきた花を生けてくるわねと病室から姿を消す。

「……ねぇ?きこえてる?」

二人きりになった病室で、私は立ち上がると耳元でそっと囁いてみる。頭はハッキリしているのだろうか?それともとっくに頭の中も死んでいるのだろうか?それを確かめるにはどんな方法があるのだろう。快感とか不快感とか、痛みとか苦しいとか、楽しいとか嬉しいとか。どんな風に感じているのか、それとも全く感じないのか。どうしたらそれを他人の私が感じとることができるだろうか。私は注意深く友人の顔を眺めながら、考えてみる。

「ねぇ、きこえてる?」

もう一度声をかけた瞬間、不意にその変化に気がついた。勿論顔でもなければ身体でもないけど、友人の体にとりつけられた心電図の波形が僅かに変化したのだ。普段は六十程度の等間隔の心臓の波形が、一瞬七十から八十に駆け上がる。そうして、暫くするとその事を忘れたように友人の心臓の音は、緩やかに下がって再び六十を刻み始めた。

聞こえてるんだ!

私はそれに歓喜して微笑んだ。母親は気が付いていないことで、私だけが気がつけた小さな変化をやっと見つけたのだ。
私はそれから何度か同じことを試してみたが、やはり耳元で囁きかけると友人の心拍はバクバクと上がってくれる。心電図の波形だけじゃなく胸に触れて確かめたが、確かに声をかけると早くなるのだ。ちゃんと聞こえているよと、友人が心臓で答えてくれているんだと私は嬉しかった。
そんな緩やかな交流を繰り返す最中、友人の体の状態が急に悪化したのだ。日々友人の体は、普通の人間とは駆け離れていく。間接は固まり奇妙な体勢で寝たきりのまま、ジリジリと時間をかけて全身が弱り衰えているからだ。実は心臓も筋肉だから、他の筋肉と変わらないのだというのは始めて知った。他の筋肉と変わらず、心臓の筋肉も弱って衰えてしまえば動かなくなって固くなるのだ。
私があんなに話しかけると答えてくれた心臓が、次第に早くなったり遅くなったりを繰り返しているのが心電図の人工的な線で分かる。

「いつもありがとうね、この子も喜んでいるわ。」

友人の母親はそう言うとまた目元を押さえながら、花を生けに病室から出ていく。どうやら主治医からもうそろそろ危ないとでも言われているのかもしれないと、私はその姿を見送り考える。友人は病棟の看護師達には、植物状態だとずっと言われているし一見すると確かにそうとしか思えない。何しろ反応すると言い張っているのは母親一人だし、心拍の変化は私が声をかけた時だけなのだから。

「ねぇ、きこえてる?誰だか分かる?」

母親のいなくなった病室で耳元でそう囁き駆けてみると、弱まった筈の心臓が駆け足を始めるのが分かる。今まではそんなに長く話しかけることはしなかったけれど、ソロソロ危ないかもしれないなら試したいことは試しておかないとならない。私はユックリ立ち上がると、耳元ではなく顔の真上に乗り出した。ただのガラス玉のようにも見える瞳の奥に、多分この友人の残った意識があるんじゃないかと私は思うのだ。グッと瞳の奥を覗き込むようにして、私は友人の瞳に映る自分の顔を見つめる。

「……分かってるよね?誰だか。」

そっと低い声で囁くと友人の目の奥に、微かな置き火のような光がゆれたような気がした。真っ直ぐに顔を動かすことも出来ない状態で、私の顔を見つめて友人は母親の言うように確かに反応したのだ。ジリジリとその瞳の奥の光が震えて表面に浮かび上がってくるのを、私は歓喜しながら覗きこんでいる。滲んで浮かび上がる友人の意識の置き火は、微かな理解を示したように私には見えた。
見た目が変わったから気がつかなかったのかもしれないが、ここまで近くに寄ってやれば流石に見えるのかもしれない。私はその変化に歓喜の笑顔を浮かべてみせる。心拍が異常を知らせる警報音を高らかに鳴らしているのを耳にしながら、ニイと口の端を引き上げて笑いかけた私を友人の瞳が逃れることも出来ずに見つめていた。

「おぼえてんだろ?誰だか……。」

低く笑う声に友人の瞳の中の光が、脆い氷砂糖のように砕けて飛び散るのが見える。そうして、友人の瞳はただのガラス玉に変わり果てて、けたたましい警報音に戸惑うふりをした私の前に看護師が駆けつけて私を病室から押し出した。友人の母親もオロオロしながら、私にごめんなさいねと誤り電話をかけに走っていく。その喧騒を暫く眺めて、私はユックリとその場を離れることにする。
誰に引き留められることもなく病院から足を踏み出すと、私はクックッと肩を震わせてやがて声をあげて笑いだした。

おかしいよな。

誰も何も気がつかない。友達の見舞いに来たと言う『私』に、看護師は疑問すら抱かずに病室まで案内してくれたのだ。女性にしては長身だろうと、声が掠れていようと、案外誰も気にもしていない。人間なんてものは見た目で左右されるもので、誰も自分がどんな者なのか見もしていないのだ。そう思うと看護師達も母親も酷くおかしかったが、一番可笑しかったのはあの寝たきりの植物人間の友人だった。

楽しい友人

あの目に最後に浮かんだ感情に、充分楽しませて貰えて『私』は満足出来た。だいぶ暇潰しにはなったからまた次の楽しみを見つけながら探し物をしないと、そう笑いながら『私』はユックリ病院を振り返る。

おかしな場所。たった服一枚変えただけで、誰も自分があの中にいたことすら気がつかない。

病院とは奇妙な場所だと思う。白衣や病衣を着ただけで、人は全くの別人になるのたから。



※※※



それは霧雨の降る冷たい日だった。
佐伯秀晴は通夜も葬儀も全てシトシトと冷たい雨の中でひっそりと行われ、昔からの友人達がポツリポツリと姿を見せ弔問に訪れていく。母親はその中で何度も丁寧に頭を下げながら、彼女が姿を現したら形見分けをしよう・礼を言おうと心で誓いながら過ごしていた。
ここ数ヶ月病室に訪れた人間は、自分と彼女しか居ない。
父親ですら全く回復の見込みのない哀れな息子の姿を見るのを拒絶し、親戚も足が遠退いていた。母親はたった一人で哀れな我が子の体が、奇形のように変化していくのを毎日見ていたのだ。
突然看護師に案内されて姿を見せた彼女は、暫く仕事で海外にいて秀晴がこんなことに巻き込まれているとは知りませんでしたと涙を浮かべた。綺麗なおしとやかそうな黒髪の彼女に秀晴とどんな関係だったのと母親が問いかけると、綺麗な顔をした彼女はほんのりと頬をそめて秀晴と交際しようとしてたと話したのだ。
バイト暮らしでやっと定職に就いたばかりの独り暮らしだった息子にそんな彼女がいたなんて話は、母親なのに一度も聞いたことがなかった。

馬鹿な子、あんな綺麗な彼女がいたのに、通り魔みたいな恐ろしい男となんでホテルなんかにはいったのかしら。

彼女が海外にいっていたというから、寂しさでおかしくなって魔が差したのかもしれない。しかも、相手は悪魔のような殺人鬼だというから、上手いこと騙されたのだと母親は思っているのだ。

どちらにしても可哀想な息子は、多臓器不全でこの世を去ったのだ。

あんな酷い姿で意識もあるのだがないのだか分からないまま、何十年も生きるよりはましなのだと夫や親戚は言う。母親としてはそうなのかもしれないと思うのと同時に、それでも生きていてほしいが半々といったところだった。だけど一人きりで、あの姿を見続けるのは辛かったのだ。

長い看病疲れの中で、彼女が来てくれて本当に心が安らいだわ

彼女が花を抱き訪れた後、寝たきりで意識のない息子は熱を出したりすることが続いた。恐らく彼女が来てくれて嬉しくて興奮するんじゃないかと、母親は密かに考えていたりもする。それが心臓の負担になって不整脈を起こしたりする原因になっていたとしても、母親は正直息子は幸せだったのではないかと思うのだ。だから、母親は彼女が弔問に訪れるのを、密かに心待にしているのだった。



※※※



それって……あの。

自分の言葉に久保田は訳知り顔でグラスを磨きながら、人間の表面上の姿は難しいですねと呟く。私みたいに見た目で分かる人間ばかりだといいんですがと微笑む久保田に、一瞬そうだろうかと不安に思う。
それにしても、見ず知らずの人間が現れて疑わない場面というものは、早々ないと思う。だが、こうして成人して一人で過ごす時間が増えれば増えるほど、自分にしか分からない友人も増えているのだ。話のように自分が答えられない状況で、恐ろしい相手が来たら一体自分はどうするんだろうと考え込んでしまう。

友達の友達なんて言われたら信じちゃいますよね…

そう呟いた自分に久保田はそうですねと朗らかに微笑んだ。
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