都市街下奇譚

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六十九夜目『おいてくる2』

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これは俺の知ってる話なんですがね、そうマスターの久保田の横に出てきた鈴徳良二が自分に向けて口を開く。たまに暇になるとフラリと厨房から顔を出す彼は、東北出身の海外の調理師コンクールに入賞したこともある男だ。久保田は横でグラスを磨きながら、客足は奇妙なほど途絶えてその言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



森元和輝は自分の不運を呪った。
ちょっと買い物がてらドライブでもしようと、夜に車に乗ろうとしたら夜露で足元が滑り転倒したのが発端だ。機械式の駐車場は薄暗く人気もなく、独り暮らしで頭を打って気を失った和輝が発見されるまで暫く時間がかかった。しかも、救急車で運ばれた和輝は、冷えた夜風のせいで肺炎になっていて高熱に浮かされる羽目になったのだ。気がついた時には既に治療のために一週間。どうも熱が下がりにくくて更に検査を始めた辺りで今度は硬膜外血腫ができていて、手術をすることになってしまった。全身麻酔で手術を受けて、目が覚めたら既に一週間以上だ。大体にしてその硬膜外血腫ができた原因も、いつの事なのかハッキリしない。転倒して打ったから出来たのかと思っていたら、そんな簡単に出来るものではなかったらしい。どちらかと言えば、足を滑らせたと思ったのが実は痺れを起こしたのではないかと言われてしまったくらいだ。つまり、硬膜外血腫の方が先?ということらしい。

ちょうど大事なプロジェクトのチーフになったばかりだったのに。

上司の石守がプロジェクトは気にするな、早く直して戻ってこいと言うが、プロジェクトが待ってくれる筈がないから誰かが自分のする筈だった事をしているに違いない。折角あの奇妙な役目をこなして受け取ったチャンスだったのに。

「調子はどうなんだ?」

見舞いに来た友人の佐倉史明に問いかけられたが、実際には調子ははかばかしくない。頭は問題ないが、少し手足に痺れがある気がするのだ。豆腐みたいに圧迫された脳が一時的に腫れているとか、小難しい事を言われたが余り理解できなかった。

「まだ、かかりそうだよ、何とかしたいんだけど。」
「そうなんだ……でも、無理して後遺症が残っても困るんだし。治療に専念しろよ。」

友人の優しい言葉に涙が出そうになる。自分のプロジェクトは佐倉が変わりにチーフになって、問題なく進んでいるらしいから佐倉には感謝するしかない。少なくとも今の自分に出来るのは早く体を直すことなのだと思う。
廊下を気をつけて歩きながら、看護師にも気をつけてあるいてくださいねと声をかけられる。自分で考えている以上に傍目には歩行の様子も不安定らしく、時には車椅子を持ってきましょうかなんて言われてしまう位なのだ。体力もかなり落ちたし、動きも悪いなんて、まるで突然年でもとったみたいな気がする。

「片倉さん、また歩き回ってるの?」
「え?」
「あ、あら、ごめんなさい、後ろ姿が似てて。」

声をかけた看護師が慌てて、自分の顔を見て謝罪する。病院の中で同じようにリハビリに歩いている患者は多いから、見間違えたのだと自分もいえいえと絵顔で返す。だけどそれが回数を重ねてしまうと、次第に奇妙に感じ始めた。他の誰でもない片倉という人物にだけ、和輝は間違われるのだ。

片倉……聞き覚えがあるなぁ…

どこで聞いたんだっけと考えながら歩き出す。そして暫くしないうちにまた、背後から片倉さんと声をかけられるのだ。それにしても片倉という人物は随分歩き回っているようで、どこに行っても同じように声がかけられている。同じ病棟にいるのかも分からないが、売店に行ってもリハビリ室に行っても、廊下を歩いていてもということは出会わないが同じ療養環境の範囲なのだろう。

「ねぇ、四倉さん。」

気さくに話しかけられる看護師の一人・四倉梨央が夜勤の検温をしている最中に、和輝は何気なく問いかける。

「俺ってそんなに片倉って人に似てる?」
「片倉って片倉さん?そうねぇ、後ろ姿っていうか、歩き方が似てるのかしらね。背格好は似てないんだけどね。」

脈をとりながら歩き方ってことは同じ病気?と問いかける和輝に、四倉は曖昧に微笑む。案外看護師としての四倉は口が硬く、曖昧に微笑んだということは守秘義務を行使しているということのようだ。

「あんまり気にしないで。病衣や白衣って案外誰か分かんなくなるのよ。」

そんなもんかなと言うと彼女は穏やかに微笑んで、次の患者に話しかけている。確かに病衣ってのは男も女も同じものを着ていて、見分けるのは顔と体格って感じだ。遠目に歩き方がにていて、見間違うのかもしれないのは理解できる。でも、一度も出会わないのは何でだろうか。あんなに声をかけられるってことは片倉って人も歩き回っているのではないんだろうか。



※※※



歩き疲れてベンチに腰掛け休憩した自分の隣に、同じ病衣姿の中年の男性が腰かけたのはそれから暫くの事だった。品の良さそうな彼は君も入院ですかと気さくに話しかけてくる。

「リハビリですか?若いから骨折?」
「あ、いえ、硬膜外血腫で。」
「そうか、それは大変でしたね?幾つですか?」
「あ、今年三十になります。」
「お若いのに、事故ですか?大変でしたね。」

穏やかそうに声をかけてくるその男性は、見た限り怪我という感じではない。でも、病衣ということは内科的な疾患かもしれないから、こちらからオタクは?とは聞きにくい。何せ聞いて癌なんです何て言われでもしたら、こっちも話しにくい。そんなわけで呑気に世間話をしていたら、男性は君くらいの恋人がいたんですと呟いた。過去形の口ぶりは少し追求しにくい話題だ。

「可愛いいい子だったんですよ、年は離れてましたけどね。」
「そうなんですか。」

この話題どうにか切り替えるか、この場を立ち去るかしたいが男の方は話をやめる気がない様子だ。しまった、話し相手を探し歩いているタイプの、暇な入院患者だったのか。

「私の言うことはなんでも聞くように躾たんですよ。」
「え?」
「そういう風にね、躾たんです。」

思わぬ言葉に和輝は興味をそそられてしまった。自分より二十以上は上に見える中年男性が、自分と同じ年代の恋人を躾る。入院して禁欲的に過ごしているものだから、その言葉に淫靡なものを感じてしまうのは仕方がない。

「躾って、どうするんですか?」
「専門のね、人間にやって貰うんです。これを喜ぶ体に、これをすすんでするように、そんな風に注文してね。」

思わずその言葉にゴクリと喉をならした和輝に、男性は変わらず賑やかに微笑むと話を続ける。

「処女でしたからね、ユックリ時間をかけて玩具で広げて何でも感じる体にしたんです。玩具を咥えて仕事中に下着も着けないで歩かせたりね。」
「そんなこと可能なんですか?」
「自分の会社の社員ですからね、簡単ですよ。」

一瞬作り話かとも思ったが男性のしっかりした口ぶりには迷いがなく、嘘にしては直に見たものを話しているように見えた。男はどこかウットリするような視線で、思い出すように口を開く。

「初めてを奪ってやった時は最高でした。会社のデスクで服を裂かれて、初めての男の逸物を受け止めて泣きながら果てる姿は淫靡でね。」

え?と思わず聞き返してしまう。すると男は病院の長閑な庭園の陽射しの中で、丁寧にその時の淫靡な情景を語って聞かせてきた。調教師から調教が終わったと連絡をうけ翌朝一番に自分の部屋に呼びつけて、朝からスーツを引き裂き裸にしながら欲望の塊を捩じ込んでタップリ犯したのだという。泣きながら嫌がっていたのに、一時間も捏ね回してやったら泣きながら喜び出したと話す。男はやがて他の男にも恋人を回させて楽しんだのだと話す。

「いい子でね、私の仕事のために体を差し出すんですよ。まあ、自分も十分楽しんでいたんでしょうけどね。」

そんなアダルトビデオ紛いの事が現実にあり得るのだろうか、それでも淡々と平然と話す男の話に和輝は興奮しながら引き込まれていた。

「今その人はどうしてるんですか?」

何気なくそれを聞いた瞬間、目の前の男が豹変したのに和輝は目を丸くして凍りつく。



※※※



気がついたらベットの上でガッチリと器具に固定されていた。瞬きをすることは出来るが、体の感覚がない上に言葉をだすこともできない。喉には何か管のようなものが繋がれていて、視界に両親の姿が見える。

なんて不運な子

母親が泣きかながら、そう父親に向かって縋りつくのが見える。回復は難しいとかなんとか言う医師の声に、母親が泣き崩れるのが分かった。何が起きたのか全く分からないが、豹変した中年男に飛び掛かられ頭がコンクリートに叩きつけられたのを感じる。男は叫びながら何度も何度も和輝の頭を掴みコンクリートに、打ち下ろしていた。

右京は俺の女なんだ!何処にやった!!

その女が右京と言うのは分かったが、男が逆上した理由は分からない。遥か遠くで誰かが倒れている自分を見つけて悲鳴を上げるのが分かる。その頃には、とっくにあの中年男は何処かに消えてしまって、和輝だけがそこに残されていて

「片倉さん、ここは片倉さんの病室じゃないのよ。」

看護師の声に視線を向けると、場違いに朗らかな顔をした病衣の男が病室の入り口で看護師に引き留められていた。両親はそれどころではなくその男を振り向きもしないけど、和輝は出来ることなら大声で叫びたい。

そいつが犯人なんだ!俺を殴ったやつがそいつだ!

朗らかな顔をした病衣の中年男は、大人しく看護師に連れられ廊下に連れ出されていく。混乱し泣き崩れる母とそれを抱き止める父に、どれだけ目で訴えても気がついてはくれない。
少しずつでも回復してくれないと、あの男が何度も何度もやって来て自分のことを見下ろすのが恐ろしい。あの男は何を考えてこの部屋に来るのか、和輝には分からないが。目を覚まして目の前に自分を覗きこむ顔を見たときはひきつけでも起こしたように体が痙攣してしまった。

どうにかしないと。

そう思っても次第に老いていくような体では、なにもすることができない。しかも、ある時気がついてしまったのだ、部屋のクローゼットの中に紙袋がある。自分がタクシーの後部座席に置いて来たはずのあの紙袋が、忘れられたもののように置かれているのに何処かに置いてくることも頼むこともできない。何度か佐倉も来てくれたが、クローゼットを見るように訴えることもできない。あの紙袋のせいなのか、あの中年男のせいなのか、次第に頭の中が真綿に変わっていくような気すらする。



※※※



老いてくる?ですか。

そうかもしれませんねと鈴徳が笑う。置いてきた筈の物が戻ってきて、中年の老いた男に襲われて老いていく。それにしても片倉という男の激昂の意図も分からないが、不運なことこの上ない。

不運ですかね?

鈴徳がそう言うのに、自分は首を傾げる。不運だと思って聞いていたけれど、鈴徳はそれに疑問のようだ。違うんですか?と問いかけると、鈴徳は朗らかな笑顔でこういいますよねという。

人を呪わば穴二つ。

え?と自分は以前聞いた話を思い浮かべ、考え込む。そう言えば前の話で競合していた会社が片倉とかって…そう思い出した途端、何故か後味が悪い気分に襲われていた。
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