都市街下奇譚

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七十三夜目『雑音3』

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これは、私の特別な友人から聞いた話なんですけどね、そうマスターの久保田はグラスを磨きながら口を開く。芳しい珈琲と紅茶の香りのする店内には客足は奇妙なほど途絶えている。白磁のポットが見守る中で、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



夜になると音が聞こえる。それに気かついたのが何時の事なのか、本当のところハッキリしない。いつの間にか聞いていて、いつの間にか存在していたのに、随分たって気がついたと言う感じなのだ。そんなわけで気がついた時には、その音はとっくに存在していた。
暗がりの中ベットに横になっていると、何処からか聞こえる音。それの原因を探してみようにも、体を起こすと聞こえないし、電気をつければなお聞こえない。結局電気をけしてベットに横にならないと聞こえないとしか分からないのだ。それをどんな音と説明したらいいのかも、上手く言えないのは、何て言ったらいいのか、一番近いのはノイズって言う感じなのだ。

ノイズ、そう雑音って言う感じ

気にしないと聞こえないけど、気になると延々と聞こえてしまう。しかも、何て言っているのか何の曲なのかは、今一ハッキリしない。でも、確かに聞こえている、そんな感じなのだ。

寝れば聞こえるなら、下の階じゃないかって?

残念だけど家はアパートの一階でこれ以上の下の階はないし、住居の壁を伝う他の家の音ではない。言いきれるのは何でかって?このアパートには不名誉な噂があって住人が居着かないからだ。何しろ今の住人は二人だけ。ついでに言えば二階に住む男の方は暫く前に家で女に襲われたとかいって、金切り声で叫びつづけたものだから大家と警察がおっかなびっくり確認しに行った。そうしたら、自分の部屋で椅子にくくりつけられドブに落ちたみたいになって叫んでいたらしい。ドブは女の作った飯だと言ったらしいけど、どんな女でもドブを料理では作り出さないと思う。そんな話はさておき、その男はここ暫く姿が見えない。アパートを出たわけじゃなさそうだが、暫く出歩く姿を見ていないのだ。なのでこのアパートには一人しかいないわけで、住居の壁伝いの音はあり得ない。

それなら、通りの車の音?

よく考えて来るけれど、このアパートの周囲は片面は竹林でしかも残りは古い宅地と空き地なのだ。道路側は一面だけでしかも家とは反対側の角。しかも、自家用車一台やっとの細い路地で、トラックの走るような道路までは数分かかる。しかも、竹林の傍だからか鉄塔もないし、電波塔の類いもないのだ。ボロいアパートだから竹林の風の音だろうって?このアパート、実はボロいわりには防音・防犯だけはしっかりしているんた。どの窓も二重サッシで、強化ガラスだから窓を閉めてしまうと窓からの音も聞こえない。何せ表の階段を上がる音もきこえないくらいなのだ。と言うわけで外からの音ではないと、判断するしかない。それでも、ヤッパリ横になると音がするのだ。

だから、次にするとしたらこれしかない。

音の出所が分からないから、音自体が何なのかを聞くことに集中する事にした。じっと黙って暗闇で横になり、聞こえている音に耳を澄まして息を殺す。それが声なのか違うものなのかから、まずは判別することにしたわけだ。

中々、これが難しい。

何せ最初に言った通りノイズのようなものなのだ。遠いんだか近いんだかも分からないし、単調に繰り返しているのか長文で話しているのかも分からない。それになんとかピントを合わせようって言うんだから、中々に難しかった。
だいぶかかってそれが、やっと言葉だと判断できて初めて、これは何かを繰り返しているんだと理解できた。

『………に……れ、……れ』

何処からか分からないが、その声は繰り返して何かに命令しているように聞こえる。しかも音が一部だけでもハッキリすると、僅かにだが方向性も感じられるような気がする。ベットの上に横になると自分の頭は部屋の壁際にあるのだが、そこからだとその音は反対から聞こえているような気がするのだ。つまりは部屋の真ん中の下から聞こえている気がする。なので、試しにベットでなく、床に横になって暫く待ってみることにしてみた。数日は何にも聞こえないが、ふと寝ている最中耳に声が聞こえた気がして目が覚めたのだ。

『……なれ』

そう確かに聞こえた気がした。目を覚ましてから耳を済ませたが、それ以降は何も聞き取れない。それでも、声は誰かに何かになれと命令しているのだと自分は確信していた。それにしても誰かに真夜中に何かになれと繰り返すって言うのはなんなんだろうか。今のところ男なのか女なのかすらハッキリしないが、どちらだとしても誰かにこんな命令を繰り返すって言うことは異様だと思う。大体にして命令を単調に繰り返すってところが、既に呪詛めいていて気持ちが悪い。

なれ。なんとかになれ。

何になれと繰り返しているのだろうと考えると、どうしてもマイナスイメージの言葉が頭に浮かぶ。例えば、そう『不幸』になれとか、『病気』になれとか。少なくとも『幸せ』になーれ的なイメージでないのは確かだ。真夜中に呪詛となると、どうしても丑の刻詣りめいてくるけど、もしこれがそうなら呪詛の満願を叶えるには自分の耳は邪魔なのではないだろうか。これがもし本当に丑の刻詣りなら、自分が聞いている時点で呪詛は効力を失うし、しかも術者に跳ね返る失敗まで加算だ。相手に伝わらなければいいんじゃないかって?いやいや、丑の刻詣りってやつ見られたら失敗。丑の刻参りを他人に見られると、参っていた人物に呪いが跳ね返って来ると言われ、目撃者も殺してしまわないとならないと伝えらている。もし、これが聞かれたらどうなのかは知らないんだけども、同じような原理なら偶々聞こえたのも駄目じゃないだろうか。

それにしても、誰に向かって言ってるのか。

もしかして姿を見ない二階の男は、もしかして部屋に籠っているのだろうか?それなら、この声はあいつの家から微かに聞こえている可能性がある。下からだとずっと思い込んでいたが、それこそ建物の壁を伝わって聞こえているなら可能性としては一番高い。しかし、何になれと言っているんだろう、もしかしてその襲いに来た女が忍び込んでいるのだろうか。

『……なれ、………になれ、………になれ、………になれ。』

単調に繰り返している呪詛の言葉をボンヤリと聞きながら、この呪詛を聞いている自分にも効果があったらどうしようなんて考えてしまう。男なのか女なのか分からないと思っていたが、脳裏に浮かぶのはどうしても女。しかも、なんでかあとの男を襲いに来たなら若いはずなのに、その声からは老女が浮かぶ。年老いて草臥れ果てたシワだらけの、暗い顔をした老女。大家の賑やかな笑顔を浮かべる老女ではなく、髪の毛を振り乱した老女だ。そんなことを考えながら自分は、ウトウトと眠りにつく。
やがて、ふと気がついた。
丑の刻詣りと同じなら、上がっていく時の姿なら見つけられるんじゃないだろうか。そう思って自分は毎夜息を殺して階段が見えるよう台所の小窓を開けて、階段を上がる人間が来るのを待ち構えてみることにした。暫くこれを続けて遂にその姿を見たのは、数日目の事だ。本当に微かな軽い足音がして、俯いた白髪を結いもしない女が肩を落として階段を上がっていく。耳を澄ますと、階段を一段一段と踏む軽く微かな音が酷くユックリ聞こえる。きっと音をたてないようにそっと歩いているのだと思うが、通路を進んだその足音は何故かドアノブに鍵を差し込んでユックリと回した。
てっきりドアの前で呪詛を呟くと思っていたのに、老女は扉を開けて中に入っていったのだ。それを聞いた瞬間、恐ろしいことに気がついて窓を閉めると、自分の部屋にドアガードをかけて奥に駆け出す。

鍵を持ってる!!

そうなのだ、あの呪詛を呟く者は、少なくともこのアパートの一部屋の合鍵を持っている。つまり、それはあの老女は、もしかすると自分のこの部屋の鍵も持っているかもしれないのだ。



※※※



朝日の中、ジャクジャクとアパートの敷地内を歩く足音が響いていた。黙々と敷地内の枯れ葉を掃き集める大家の伊東ふき子は、二階のドアを開いて階段の軋みを伴って降りてきたスタイルのいい女性を見上げる。身長は竜胆の方が二十センチも高いが、体重はきっと伊東の方が三十キロは多い。

「あら、日曜なのに早いのね、竜胆さん。」
「伊東さん、おはようございます。伊東さんこそ朝からご苦労さまです。」

折り目正しく挨拶しながら頭を下げる竜胆貴理子は、仕事のためにこのアパートを三ヶ月で契約した女性だが、問題も起こさず礼儀もわきまえていてよい借り主だった。本当なら延長してほしいところだが、雑誌の記者で定住出来ないのだという。

「あの騒ぎの彼はどうしてるんです?」
「さあねぇ…ここのところこもってるみたいだけどねぇ。」

もう一人の借り主が騒動を起こしたのはちょっと前で、誰かに襲われたと訴えたがそれも納得の姿で発見されたのだ。お陰で借り主がいつかないアパートは更に足が遠退き、もう彼女とその男しか住んでいない。今度の契約更新はしないでアパート経営は辞めて、更地にして売れば隣の空き地も使って大きなマンションか駐車場にでもなるかもしれないと思う。竹林の土地を少し整備すれば大きな道路に繋がる道路だって作れるだろうし、そうすればここら辺の住民も少しは増えるかもしれない。

だから、できればあの男にも早めに出ていってもらわないと。

竜胆は実は明日にはアパートを退去する。その挨拶に昨日高級な菓子折りを持参して頂いたばかり、こんな借り主ばかりならアパート経営もいいのだが、大概はもう一人の矢根尾俊一のような人間ばかりだ。

「それじゃ…。」
「いってらっしゃい、竜胆さん。気を付けてね。」

伊東は賑やかに微笑みながら声をかけて竜胆を見送ってから、溜め息混じりに二階を見上げる。たった二人が二階の二部屋にすんでいるだけで、後の十部屋が空室なんて。昔は空き待ちだったこともあるくらいなのに……、一階で死人が出てからなのよねえと溜め息をつく。階段の見える一階の部屋は、それからずっと空き室のまま。自殺ではなく病死なのだが、瑕疵物件にしてから一度も人が入らない。見学に来ても勝手に窓が空いただの、しまっただのと、人が逃げてしまうのだ。だから、ここいらがもう諦め時だと思う。

だから、早くあの男も出ていってほしい。

伊東は早朝の光の中微笑みながら、契約更新が不能になって駄目になればいいと心の底から願っていた。



※※※



……ああ!不能になれ、駄目になれって!

思わず声をあげた自分に、珍しく久保田が驚いた様子だった。以前耳にしたものが違う意味で理解できたが、そうなってくると逆に不快感が増したのに気がついた。大家の老女は男の部屋に忍び込んで、出ていかせるために呪詛を唱えるのか?それはさておくとして、今の一階の住人は?そう問いかけると気を取り直したように久保田は賑やかに笑って、さあどうでしょうと話を濁した。それにしたって幾つか疑問は残る。廃業のために退去をもうし出せばいいだけなのではと思うが、住居侵入する理由があるだろうか?しかも体重の軽い若い女性でも軋む階段を、それより太めの大家が音もたてずに昇れるものだろうか。
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