都市街下奇譚

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八十夜目『裏側』

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これは、私の特別な友人から聞いた話なんですけどね、そうマスターの久保田はグラスを磨きながら口を開く。芳しい珈琲と紅茶の香りのする店内には客足は奇妙なほど途絶えている。白磁のポットが見守る中で、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



世の中には裏側ってものが結構あって、そんなのには全く触れないで生活できる人間とドップリ浸かってないと生きていけない人間がいる。どっちがどうって訳ではなくて、そんなことは実は当たり前ってことなんだ。兎も角そんな自分は後者の方で裏側にドップリ浸かって生きている人間。それに関して卑下することもないし、それがおかしいとも思えない。ただ単にそういう人間なんだと納得するだけ、それだけの話だ。
人は大概全てを視界に入れていても、その一部しか理解はしていない。目ではちゃんと見ているのに脳が変換して理解するのは、その中のごく一部なのだと知っているだろうか?だから、自分はそれをうまく利用して暮らしている。そんなつまらない話はここまでにしようか、自分のことを延々と説明したって何も面白くはない。
この街は一見するとどこにでもある都市部の片隅にある街なのに、何処かがおかしい。長くここで暮らしてきたがこの街がおかしいと気がついたのは、ここ数年のことだ。普通に暮らしていれば何も気がつかないが、何か一つに気がつくと次々奇妙な出来事に飲み込まれる。普通に暮らしていた筈なのに気がついたらスッカリこっち側にいることだって……また、違う話をしてしまった。どうも今日は話にとりとめがないみたいだ……。

切っ掛けは一人の男だ。
見た目はいたって普通、どこにでもいそうな平凡な一重瞼の男で、自分には何でも出来ると奇妙な自信を持った男だった。自信といったのは実際には自信があるだけで、その男が何かしたのを見たわけでもないから。
奇妙だろ?とんでもなく自信家なのに、実際には何もして見せたことがないんだ。

俺は近郊で学力優秀で有名な高校にトップクラスで入学して……

それはここ周辺のことではないから、ここいらの進学校で有名な都立の話ではないという。何処?と聞いても某学生クイズでよく聞くような有名高校なら兎も角、産まれてからこのかた自分は聞いた事がない名前なんだ。それ何処?なんて相手に聴いても答えは同じ、地方のちょっと頭のいい学校程度なんだろうと思うけど、それが自慢だからまあ聞き流しておく。でもこの男と知り合ってから、ジワジワと自分の人生が変化し始めたのは事実なんだ。

これ興味ないか?

そういって持ちかけられる様々なこと。勿論本当に興味があることもあったが、全く興味がないことだって多い。パソコンの話は半分くらいしか興味がなかったのは、スマホでパソコンができることは殆ど可能だからだ。そんなの当然だろ?スマホがあれば殆ど事足りるのに、ワザワザ持ち歩けないパソコンで何をするわけ?って思わないか?ノートパソコンなら兎も角って思ったけど、今じゃタブレットだってあるんだしさ。おかしいのはそいつは、パソコンに詳しいふりをして話すのに、パソコンに本当は何も精通してないんだ。Excelも分からないWordしかできないなんて信じられるか?それもPowerPointも無理。じゃ何が出来るんだって思うだろ?そいつが出来るのはネットだけ、しかも、パソコンの仕組みなんて何一つ分からない。まあそれを指摘すると面倒だからしないけどさ

これ興味ないか?

またそれも半分くらいしか自分には興味がない。自分は別に悲劇のヒーローやヒロインが好きな訳じゃないから、世の中の流行りの英雄症候群的な漫画には何も興味がないんだ。確かに流行りにのって見るくらいはするけど、それを自分に投影するのは全く興味がない。だけどそいつは何でか流行りの漫画を勧めてくる上に、勧める漫画の内容をちゃんと理解していない。英雄症候群みたいな漫画は大概主人公の成長の物語だけど、そいつは主人公が自分に似ているといいたいらしいだけなんだ。しかも成長の姿が似ているという訳じゃない、その特殊な能力とか何かが自分に相応しいと言いたいだけ。こんなわけの分からない男と付き合い続ける理由?なんだろうな……最初はバイト先の話が興味があったからかな。大学生のバイトと言えば、塾の講師とか家庭教師はよくある話だろ?そいつは塾の講師としてバイトをしていて、偶々フットサルチームに誘われていて……ちょっとそんなのに興味があったってだけだ。そんなわけで気がついたら、向こうが話しかけてくるようになったんだ。

これ興味ないか?

そういってあいつが自分に教えたのが、今にして思えば大きな発端だった。あいつは自分に何かを種を植え付けるために、あんな風に近寄っていたんじゃないかと今では思う。本当にあいつは酷い男だった。
誰かを傷つけても、自分のためなら周囲が犠牲になるのが当然だと考えているんだ。それは年を追う毎に酷くなって、やがて妻になった女とか両親とか弟夫婦とかが、全て呆れ果てて逃げたくらい。それでもそいつが口にしたのは悪いのは逃げ出した奴等で、自分のような優秀で素晴らしい人間を支える気にならないなんて狂っているの一点張りだった。
おかしな話だろ?
その頃にはそいつはスッカリ中年で、ただの不快なろくでなしのごくつぶしだったのに、未だに英雄気取りなんだ。四十も過ぎて現実を見ることのできない中年なんて醜いだけで、なんの役にもたたない存在。それなのにそれでも自分はこいつと付き合いがあったのは、自分は自覚のあるろくでなしだっただけ。引きこもり暗い部屋でこいつの話を聞く聞き手なだけなんだ。

腹が立つんだ、聞いてくれよ!

不意にそういってそいつが激昂して自分に言い出したのは、そいつの元妻がテレビに出たからだ。そいつの元妻は頭のいい人だった、十年くらいはそいつの傍で堪えていたんだけど、やっぱりこんなわけの分からない男だったから逃げ出して正解だった。その彼女が大富豪の嫁になっていて、その遺産を受け継いだかと思うと、それを殆ど寄付したという。そいつは気がついていないが、彼女の寄付した先がDV被害者の支援と母子家庭なんかの支援だったのは彼女が長い間苦しんでいたってことじゃないかと思うんだ。だけどそいつにそれが理解できるわけもない。

あいつの金は俺の金なんだ、俺に全て捧げるべきだろ?!

いや、それは違う。そう思うがそれは口にはしない。それを口にするととてつもなく面倒だから、そうなんだと話を聞くだけしかしないんだ。大体にして逃げられた元妻が再婚して金持ちになったのを、俺の金と認識できる頭が既におかしいことにこいつは気かつかない。若年性の認知症?とも考えたが、マトモな人間が衰えていくのが病気であってこいつの場合は、元々がおかしい。しかもその後街中で偶然再開した元妻に飛びかかったともいう。狂人……その言葉が相応しいのに、自分はなんでこいつと付き合い続けているのだろうとは思っているんだ。         
そうだ、自分がドップリ裏側に浸かってって話をしてたのに、身近な変人の話ばかりしてしまった。自分は殆ど表の世界を直に見ていない。見ていないが物を知らないわけではないのは、最近の世界はそれでも生きていけるからだ。全てのものは大概スマホで注文すれば間違いなく届くし、下手すれば自宅で仕事だって出来る。だから、贅沢をしなきゃ生きていくのには実はそれほど困らないんだ。そんなのは裏側じゃないって?それは勿論わかってるし、そんなことを言いたい訳じゃない。自分は全く外に出ないでも平気でいるという説明をしたかっただけのことだ。

裏側ってのはそう一言では説明ができない。
あんたが普通に生きているのはきっと表側なんだろうけど、自分がいるのは恐らく裏側なんだ。何時かは表側に出ようと思っているが、表に出た時自分が裏から出てきたものだとバレるのは嫌なんだ。だからその為には、実は様々な方法を駆使しないとならない。勿論方法は幾つかあるし、既に他の方法で表で平然と暮らしてる奴等もいる。何しろ裏側の奴等は得てして勤勉なんだ、表で生きていくための術を学ぶのにどいつもこいつも努力を惜しまない。そういう意味では自分は少し怠け者なのだと思うが、何しろ相手があいつだからそうなってしまうのも仕方がない。何しろ単調な同じ話ばかりで、何も学べないことの方が多いんだ。どうせならあいつではなく元妻の方にしておけばよかったと今さらだけど考えもしているが、時既に遅し・光陰矢の如しだ。
裏側ってのは皮一枚のところにあるんだよ、まるで扉一枚隔てているようなもの。でも表と裏が違うように、同じで違う。簡単にひっくり返るし、全くひっくり返らないこともある。そういうのを何て言うのかは知らないが、最近はそういう物語が世間も大好きだろう?でも、実際のところ本当に裏側に行ってチートなんて話はなぁ…………ふふ。
ああ、笑って悪かった。ある意味チートは正しいとは思うが、チートってのは不正行為って意味なんだって分かってるか?インチキで勇者ね、英雄症候群にもほどがあると思うだろ?でも自分としては物理学とか様々なものも学んでおいた方がいいと思うんだ。誰かが消えたところには、空白が存在する……そうは、思わないか?
長かったけど、そろそろ準備が終わろうとしている。
選んだ自分が言うのもなんだが、話し相手としてあいつはとても面倒なやつだったよ。自分の興味のある話は何一つ出てこないし、狂人だとは知らなかったから。しかも運だけはやたらよくてね、何回もすり抜けていくものだから、自分は運命や運勢なんてものに嫌悪すら感じる程だ。

さて裏側に浸かりきった生活と、そろそろおさらばする時期が来ている。生活の仕方は学んだし計画済みだから、少しずつ表の扉を開けていこうじゃないか。



※※※



扉……ですか?

そうですと朗らかに久保田が言い、自分は思わず店の入り口の深碧のドアを何気なく眺めた。静かな店内には今は客がいないが、ここでいくつこんな話を聞いているだろうか。扉ともう一度頭のなかで繰り返すが、もし想像しているような出来事が起こるとしたら、話の中の扉とは何処に開くのだろうか。話し相手の身近な場所か?それとも何時か鈴徳に聞いてことのある夢の中か?どちらにしても開いて向こう側から何が出てくるのか考えると少し不快感はある。まるですり変わろうとしているみたいに聞こえるが、実際のところはどうなんだろう。もし、今自分がいる方が裏側だったら?そんなことも考えてしまう。

……裏側って表現が……嫌なんですかね?

そう呟くと久保田はなるほどと笑いながらポットを磨き始めていた。
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