都市街下奇譚

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九十四夜目『空き』

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これは、私の特別な友人から聞いた話なんですけどね、そうマスターの久保田は穏やかな口調でグラスを磨きながら口を開く。常に客で溢れていることの多い店なのに、芳しい珈琲と紅茶の香りのする今の店内には客足は奇妙なほど途絶えていて。白磁のポットが見守る中で、その言葉を耳にしたのはやはり自分ただ一人だった。



※※※



車を運転していると一人きりなものだから、つい色々なことを考え込んでしまう。勿論運転に集中しないとならないのは分かっているけれど、凄く気になっているものがあるのだ。それはとある空き地なのだけれど、時折通りかかって視界にはいる度に気になってしかたがない。そこは住宅地の中ではなくて、少しだけ宅地から離れてはいる場所。でも完全に宅地から離れすぎている訳ではないし、ある意味ではまだ幾つか住宅は点在していて、何故そこが空き地のままなのか少し疑問に感じてしまう立地なのだ。日当たりも良く住宅地にするにも平らで、周囲が水辺だというわけでもない。夏には青々とした雑草が生えてしまうような広い空き地なのだ。しかも通りに面していて直ぐ横には車の行き来する通りに面していて、何故こんなに広い敷地を放置してあるのだろうかと思う。

まぁ、道路に面しているからってなぁ…………

都会の家なら二軒か三軒は建てられそうな広さの土地だけれど、少し都会から離れたこの土地なら庭の広い家が大きく1軒というのもありだろう。そうは言っても道路に面していて、車さえ持っていれば便も悪くない。それでもそこは何時まで経っても空き地のまま放置されていて、こうして横を通る度に気になってしまうのだ。

土地を持っている人間が建てる気がないとか、売る気がないとか?

それでも雑草が生い茂る前に草刈りもしている様子だから、持ち主は何らかの管理としては活動しているようなのは分かる。分かるけれどポコッとここだけが空地なのが不思議でしょうがなくて、しかも何でかこんなにも気にかかるのだ。普段は完全に忘れているのに、この道を偶々通る度に何でだろうと気になるし、何時までもここは空き地のまま。誰かに管理されているのは見て分かるけれど、人がここにいるのを見たこともない。しかも道の真横にあるものだから、どうしても目につくのだ。
そんな数年を過ごしていて、その時がやってきた。

「家を建てる。」

そう父親が宣言して土地を探し始めたのだ。というのも元々会社員で借家暮らしだった父親が大分年を重ねて、老後に向けて終の住みかを手にしようと決めたのだという。まぁ行く行くは子供の自分のものになる家だし、殆んどの予算は父親持ちなのだから文句を言う必要もない。だけど土地探しという言葉を聞いて思い浮かんだのは、あの何時までもポッカリと空き地のままのあの土地だった。

「………………あのさ?」

あの土地が空き地なのは兎も角、売りに出されているかどうかも分からない。それなのに、何故かあそこの空き地新家は建てられないのだろうかなんて、唐突にこんなことを口にしてしまった理由は自分でも良く分からない。それでも自分の話を聞いて父親は首を傾げながら地図を調べ、そんなに良い土地ならば試しに見に行こうと言って出ていってしまったのだった。
それが数週間前の話し。
父親はそのまま行方不明になって、音信不通。
母親は心配して警察に届けを出しだけれど、父親が何処に向かって行方不明になったのかを知っているのは自分だけで母親は父親の行き先を詳しくは知らなかったのだ。自分も少し事情があって実家を離れていた最中だったこともあって、父親の捜索は難航していて警察も父親の足取りは全くつかめないでいるのを知ったのは父親の行方不明から一週間後の事だった。

…………ここに来た筈…………。

夜の帳が落ちてから件の空き地に向かったのは、父親の失踪を聞いてその足でここまで来たからだ。それに昼間は目の前の道路は交通量が多くて、路肩に車を停めるのも難しいのを知っているからでもある。車から降りて眺める目の前には噎せかえるような青い草の香りが満ちていて、雨も降っていないのにそこからはジワリと湿度を肌に感じた。

…………草はそれほど高くはないけれど、この奥の方で倒れていたら見えないかもしれない。

道路の端から眺める視界には暗い中に緑の膝上程の絨毯が広がっているように見えるが、風一つなく葉擦れの音すらない。何故かこの闇の中に草原を眺めているだけなのに、今は何故か別世界を眺めているような気分になるのは父親が行方不明になっているからだろうか。もしかして、この空き地が何かしたとでも思っているのだろうかと自分自身に向かって問いかけてみるが、それに答えが出るわけでもない。何よりもこの空き地に足を踏み入れることも出来ずに立ち尽くしている自分に、これは一体何なのだろうと思ってしまう。

何もないただの空き地だ…………。

そう繰り返しているのに足はピクリとも動かない。それに何故かここに父親の失踪と行方不明の原因が、あると信じて疑わない自分がいるのだ。

父が倒れているかもしれない………………

そう頭の中で呟いて、そっと道路の端から足を踏み出す。ザグリと思ったよりもデコボコとした足の裏に響く土の感触。それを暗がりで試すようにしながら歩き出していく。



※※※



「最近……特に酷くなって…………。」

そう青ざめた顔で老女は呟く。彼女がその訴えをしてきて既に1週間、征服姿の警察官と地域の民政委員という男は戸惑いに満ちた顔を浮かべる。
その老女は彼女の夫と暮らしていたらしい。
どちらも高齢であったが夫の方はまだ自分の事は全て自分で行えて、車も運転できる状態だと言われていた。だが妻の方は所謂認知症が進行していて、車の運転はもう止めている。それでも日常の生活はなんとか行えるから、買い物には老女が出歩いていたようでもある。夫の方は時折車がなくなる事はあるけれど、近所の人間は親しくなくて誰も会ったことがない。
その妻が夫が消えてしまったと警察に訴えた訳だが、今まで関わりのなかった民生委員の方は介護疲れとかで夫が失踪したのではと考えている様子でもある。

「子供が…………誘ったんです…………空き地に…………。」

そう繰り返す老女なのだけれど、その空き地が何処の事なのか、そもそも本当の事なのかも分からない。それに大体にしてその子供が誰の事なのかも老女にはハッキリと答えることが出来ないでいるし、夫が行方不明になった日時も実はハッキリしていない。
何しろ老女は近隣の住民の目にはいっていたが、夫の方は目につかない。しかもこの老女には、子供の気配もなくヒッソリと暮らしていた。それなのに家を建てようと夫が土地を探しに出ていったなんて話しは、正直言うと本当とは思えない。しかも調べれば調べるほど、彼女が誰かと暮らしていた形跡が見つからない。

「夫は…………少し…………認知が始まっていて…………。」

どれが真実なのかは分からないが、現実として彼女は一人残され居るという夫は消えたまま。でも車で出ていった筈の夫の車は車庫に残っているし、荷物は何も消えてもいないのだ。

「これは…………もしかして…………。」

民生委員が言いたいのは彼女はずっと独り暮らしではないかということだろう。それにもし介護疲れの失踪だとしたら、夫は別な意味で終の住みかに旅だったのではないかということなのだろうか。少なくともそういう意味では彼女を道連れにしなかったのを良しとするべきか、しないべきなのかはわからない。
それでもこの状態では彼女は一人では暮らせないのだから、この家ではもう暮らせないのだ。やむを得なく施設に向かうことになった彼女は、振り返り躊躇い勝ちに家の中を眺める。

「あの子が…………。」

微かなその言葉に誰一人として反応はしなかったが、老女の視線の先にはリビングのテーブルに置かれた三つの湯呑みと1枚だけの座布団が残されていた。



※※※



草地の中は探しようにも草の露のせいか妙にぬかるんでいて、ともすれば足が縺れてしまう。ここ迄していて警察に先に連絡すれば良かったのかと今更のように思ってしまうが、足を踏みいれてしまってからでは遅い。それに歩き出してどれくらい経つか分からないが、こんな土地を一人で探すなんて馬鹿げているし、大体にしてここにいるなんて何故確信したのかも分からない。

いい加減、帰って…………父親の…………

そう思って振り返った瞬間、奇妙なことに気がついた。靄なのだろうか、道路に置いた筈の車が見えないのだ。それどころか直ぐ側に見える筈の住宅も全く見えないし、グルリと見渡したせいでどちらから歩いてきたのかすら分からなくなってしまっていた。

ええ?!

何もない筈のただの空き地。そこにただ足を踏みいれただけの筈なのに、自分の来た道どころか帰り道まで失ってしまったのだ。これは一体どう言うことなのだ?まるで自分の居場所すら奪い取られたように、呆然と辺りを見渡して闇雲に歩き出す。何しろここは空き地で幾ら広いとは言え、数分で端に辿り着ける筈の広さなのに。咄嗟にスマホを取り出そうとするが、手元を探ってもスマホの存在が見つからない。

そして、自分は戸惑いながらウロウロと再び歩き出す。



※※※



それは結局どれが真実なんですかね?夫は失踪したんですか?子供はいたんですか?

そう問いかけると久保田はどうでしょうねと微笑むばかりだ。認知症を患った老女の妄想の話なのだとするのが一番簡単ではあるけれど、そうなると空き地の話しは何なのだろう。空き地に誘われた人物は誰で、誰の父親がそこに向かったのだろう?そんなことを考えてしまうと話しは堂々巡りしてしまう。それともその土地に入った瞬間に何か起こるのだろうかなんて、世にも辻褄の合わない答えが浮かび上がってしまう。

…………空き地になる理由があるんですかね…………。

思わずそう呟く自分に久保田は意味ありげに微笑んだのだった。
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