都市街下奇譚

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九十六夜目『やじるし』

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これは、私の特別な友人から聞いた話なんですけどね、そうマスターの久保田はグラスを磨きながら口を開く。芳しい珈琲と紅茶の香りのする店内には客足は奇妙なほど途絶えている。白磁のポットが見守る中で、その言葉を耳にしたのは自分ただ一人だった。



※※※



私の名前は笹井紅留美。珍しい名前だけれど、これは本名で歴とした両親からつけられた名前だ。仕事は今は自営業で、夫が社長で社員は後二人。管理者として日々仕事に勤める私は社員からも信頼されているし、率先して自分が手本になるべく仕事に勤しんでいる。

「紅留美さん、ちゃんと休みには休んだほうがいいよ?」
「いいの、自分よりみんなを優先して休ませたいから。」
「でも、休みの時はちゃんと…………。」
「いいの、それより皆が優先して休んで。」

そう率先して休みの日を潰して勤務に出て社員を優先で休ませてあげているし、夫は家では家事のひとつもしないけれどそこも私が必死にこなしているのはいうまでもない。そんな日々忙しい私に異変が起きたのはつい最近の事だ。元々私は霊感が強くて時々霊が見える人間だったのだけど、

矢印が見える。

と言ったら意味が分からないかもしれない。でも、霊ではなく本当に空中に『矢印』が、見えるようになってしまったのだ。いや、本当は前から見えていたのかもしれないけれど、それに気がついたのが最近なのかも。兎も角、私の視界に『矢印』が現れるようになって、私はこの『矢印』がなんなのか考え続けているのだった。

この『矢印』というものは、幽霊と同じで誰にも見えていない。

しかも『矢印』は人だけではなく場所や何もない空間を指していたりしていて、私は首を捻りながらその矢印がなんの意味なのかを考え込む。何しろ人についているモノはそのまま人についていくから分からないでもないのだけれど、何もない空間を指し示している『矢印』の意味がまるで理解できない。幽霊が見えるのなら、それなりに対処すればいいけれど、『矢印』では私には気にはなるけれど何も障害にはならないのだ。

あの何もないところを何で『矢印』は示してるのかなぁ…………

私は日々一人で頑張っているのに、どうして幽霊が見えたり、こんな意味の分からない『矢印』が見えたりするのだろうか。幽霊に関したって見えると告げても周囲は見えないと言うし、ソコだと示しても誰も眉を潜めるばかり。

「ほら!あそこに立ってるの!ほんと嫌だ、何で見えるのかなぁ!」

そう言うと社員達は見えないことに困惑しながら、見えるって大変ねと心配そうにいうのだ。一生懸命働いて必死になっているのに、幽霊も見えて、その上『矢印』も見えるし。しかも幽霊が見えるこの能力は子供にまで遺伝して、我が子は敏感に察知して私以上に霊が見えるのだ。

「怖がって、泣いたりしてさぁ。昨日だってね?…………洗濯物の合間から眼が見えたとかって……。」

社員達はその言葉に大変ねぇと心配そうに口々に言うけれど、結局は見えない人にはこの苦労は分かりはしない。何しろ彼女らは普通で幽霊が見える苦悩なんて分かる筈もないのだから。

「困るのよー、怖いって煩くって、見に行っても何時もその時にはいないしー。」

我が子ながら察知の能力が鋭すぎて、私以上に色々なモノを見ているような息子なのだけれど、それでも私のような『矢印』は見えていない。

「やだなぁ、見えちゃうの。」

でもできることなら対処しなれた幽霊が見える方がずっといい。人の頭の上で空中に浮かんだ『矢印』が動いて行くのを眺めながら、意味が分からないと呟く。大体にして何で『矢印』なの?しかも何で至るところにあるわけ?なんのためにソコを指してるわけ?そんなことを考えていたら、ある時それが何か分かることが起きてしまった。

あれ?この矢印ってもしかして…………

ここに何かあるよと言う印。勿論人にくっついているものは直ぐには確かめられないのだけれど、ある時空中に浮かんでいるものが随分地面の傍を指していたから覗き込んでみたのだ。そうしたらその『矢印』の示す先に、まぁせこいかもしれないけど500円玉が落ちていたのが見えたわけ。しかも同じ様に地面に近い場所にあった『矢印』の先に、次に見つけたのは男物の財布。その次に見つけたのは高級品のハンカチ。まぁピンからキリまであるけれど、何か大事なものを指しているんじゃないかなと思ったわけだ。勿論外れのこともあるし、『矢印』によっては1メートル位宙に浮いてて何処を示したいのか分からないやつもあるし。でも大事なものを示してるのかもと気がついたら私はこれを有効に活用することが出来るようになって、活用している内に人間にくっついている『矢印』も判別が出来るようになってきた。

例えば矢印が頭についている人は、頭に病気があったり病気になりかけていたりする。

やっぱり幽霊が見える能力の発展系がこの『矢印』で、私だからこそ使いこなせている能力なんだって気がついた。兎も角何か重要なモノとか大事なものを知らせる『矢印』なのだから、活用しない理由がないと思うでしょ?それにそうなってくると当然私を頼りにしてくる人間は増えてきて

「ねぇ、紅留美さん、休む時は休まないと……オーバーワークだよ?」

人が折角皆のことを考えて身を粉にしているのに、ソコを理解しないでそんなことを言わないで。大丈夫だと言っても社員の一人が繰り返す言葉に私は少し苛立つけれど、彼女には『矢印』だって見えないし適切な判断も出来ないのだ。

「大丈夫、何かあったら頼むから。」

私が賑やかにそう言うのを、彼女は何故か溜め息混じりに眺めている。その様子に正直何も知らないくせにと思うけれど、同時に私を頼らないと全てが仕事にならないのも事実だから仕方がない。

「…………机の書類まとめておいたし、入力してなかった記録はしておいたし、用紙はファイルに綴じてあるから。後…………」

彼女はそう淡々と表情もなく告げると、私が忙しくて手が回らなかった仕事をやっておいたと話す。当然だよね、私の方が日々忙しくて書類仕事は回らないでいる。時間に余裕がある彼女が手伝ったっていいくらいだろう。それに彼女は私に休めと言うのをやめたようだけれど、もう少し配慮してもいいんじゃないかと思うのだ。私は皆よりずっと頑張って働いているのだから。そう思っていたら彼女は、気がついたら私の机の上に貯まった書類を知らぬ間に片付けるようになっていた。

まぁ、それくらいしてもバチは当たらないよね。

勝手に机を片付けられても、大事なものの位置は『矢印』があるから特に問題にならない。それに貯まっていた書類仕事が減ったのは何よりだし、そう言いながら私が笑うと彼女は静かな声でそうだねと言う。

「あぁ、そういえば昨日さ?休みなのに霊感があるのならって頼まれてさ?」

そう、昨日折角の休みだったのに、知人を経由して両手が痺れて動かないと言う人を見てあげてほしいなんて言われたのだ。会ってみたら確かに両手が痺れて動かせない様子の人なんだけど、その人には『矢印』画からだについていない。つまりその痺れの原因は当人の身体じゃないってことで、辺りを見渡してたら『矢印』は相手の持ち物を指していた。だから、私はこういう時のセオリー通り話をしていたんだけれど、話している内に、まぁ色々問題がある家みたいで…………

「なんか家に放置してる…………」
「そういうの、あんまり言わない方がいいんじゃない?悪いもの呼ぶよ?」

サラリと彼女が話題を断ち切ったのだ。折角こっちが話題提供してやっているのにと思ったけれど、結局その相手には実は話している内に知ったのだけど、実家で放置していた土地があって。ソコに何か問題を起こしそうなモノがありそうだったんだけど、私はこんな風に仕事が忙しいし見えていても徐霊出来たりは無理だから一緒にその土地に行くのは断った。一緒に来て欲しかったみたいだけど相談にのってあげたくらいで何でもしてあげられる訳じゃないし、それに言わなかったけどその人…………

「話してる内に…………出てきたんだよねぇ…………。身体に。」

私が言った言葉に彼女が溜め息をついたのは分かったけれど、相談相手に出てきたのは幽霊ではなくて大量の『矢印』だった。突然目の前に沢山の『矢印』が出現してきて、相手の顔を覆うくらいで。それが何となく気持ち悪くなってしまったのだ。目の前では電話応対をしている社員の姿があって、そう言えば私のスマホ何処に置いたっけ?と何気無く辺りを眺める。

「あれ?スマホ…………。」

朝は持っていたけれど、バックにもないしLINEを確認しておきたいだけだけど、ないと思うと気になって探してしまう。おかしいなぁ、持ってきたのは記憶にあるのに。何処かに紛れ込んでる?

「ごめん、私のスマホならしてくれない?」

その言葉にえ?と言う顔で社員二人が私のことを見つめて、今電話応対中だからなんていう。別に自分のスマホでワンコールするくらい簡単なことなのにと思わず内心では不貞腐れながら、私は自分の机の上の電話に手を伸ばす。ところが何度かコールしても持ってきた筈のスマホは、着信どころかバイブの感覚も事務所内にないのだ。

「やだ……何で?」

もう一度コールすると何故か誰かが受話した気配がして、電話口が沈黙するのに気がつく。持ってきたと思ったのが勘違いで何処かに置き忘れてたのかもしれないと、慌ててもしもしと声を放つけれど電話口は沈黙したまま。

やだ…………ロックしてないから、変な人に拾われた?!

何故か電話口は音もなく沈黙したままで、聞こえてますかと問いかけても返答がない。その時何故か私が視線を上げると、目の前の社員の一人が私のことを凝視しているのに気がついてしまった。彼女は普段から余り自分のことを話さない質で、でも几帳面で少し神経質。物事をキチンとこなしてくれるし、1度教えると大概のことは記憶してこなしてくれる。書類仕事も管理者の私の変わりに日程スケジュールを組んだり、机の上に貯まった記録物を言わなくとも片付けもしてくれていた。でも、彼女がそういう性質の人だと仕事上は分かっているけれど、彼女が今私を見ている視線はそれとはまるで違う。

まるで見たくないものが見えているみたいな………………

そんな視線で私のことをじっと見据えていて一言も発しない、それなのに声には発しない彼女の唇が何かを発したのが見えてしまった。それが何か判別する前に私の目には今まで見たこともない巨大な『矢印』が浮かび上がっていて、それが何を示しているのか考えるまでもない。その『矢印』は私の………………



※※※



何を指していたんですか?

恐る恐る聞いてみたのたが、久保田はにこやかに微笑みながらさぁ?と答えるばかり。どうやら『矢印』な何を示していたのかに関しては、久保田にこの話を教えた人物は説明しなかったらしい。でも『矢印』が何か大事なものを示しているのだとしたら、それは自分のいったい何を指すのだろう。

矢印………………ですか…………

余り確かに見ないと言おうとして、ふと店内の化粧室を指し示すプレートの『矢印』があるのに気かついてしまう。そんなことを考えたら街の中には案外『矢印』が多数存在しているのに気がついてしまっていた。駐車場、店舗案内、ドライブスルー、駅の構内なんか矢印だらけと言えなくもない。

そこら中にあるものの意味が変わったら、怖いでしょうね。

久保田が穏やかな声でそんなことを言うのに、自分の視線は『矢印』から離すことが出来ないでいるのだった。




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