都市街下奇譚

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十夜目続『忘れないでね』

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「忘れないでね」

たったそれだけの言葉を言うために人の家にまで入り込む女。見覚えもないのに傍に立って人の事を見つめて、同じ事を言い続けるあの女。とんでもなく苛立つのに、どうしていいかがわからない。セックスの最中まで覗かれて、何を考えているのかと俺は濡れた頭を放置して考えた。
あの後萎えた俺に早苗はあの女をどうにかしてくれなきゃ二度とこの部屋ではしないと怒りまくって帰っていった。俺も早苗が怒るのは当然だと思う。それにしても一体何を忘れるなと言うのか必死に考えても、一向に答えが見つからない。
結局早苗とはそのまま、上手くいかなくなって自然消滅してしまった。



※※※



彼女はいつの間にか傍にいる。
雨の中で肩を濡らしながらアパートの入り口に佇んでいた彼女。
忘れた書類を誰とも言わず、そっと届けてくれた彼女。
オレの帰りが遅いとメモを挟んだ弁当をドアのノブにかけていく彼女。
気がつくと彼女はいつもそこにいた。そっと、ずっとただ寄り添うようにオレの直ぐ傍に。



オレは夢から覚めて体を起こすと今の夢が何だったのかと、頭を掻きながら考え込んだ。あんまりにもあの女が四六時中付きまとい過ぎて、おかしな夢を見てしまったらしい。そんな事を考えていたベットの上で溜め息をつくオレは、微かないい匂いに気がついた。何か煮込み料理みたいな匂いが、室内には漂っていてオレは目を丸くする。
最近できた新しい彼女の上原秋奈が、オレが寝ている間にやって来て飯でも作ってくれていたりして。そんな風に考えて、くもり硝子の嵌め込まれた硝子戸に目を凝らしてみる。すると、硝子戸の向こうに確かに人影が立っているのが透けて見えて、オレは思わず目を丸くした。台所に立つ人影は、レンジの辺りで何か動き回っている。

何だよ、秋奈のやつ、可愛いとこあるじゃん。

実際に上原秋奈は、余り家庭的な感じの女じゃない。大体にしてオレの好みは母親みたいな家庭的な女じゃないから、当然のことなのだがこういう彼女のサプライズなら悪くない。料理なんてしたことないと言っていた秋奈が、イソイソと料理をしてる姿を想像してニヤニヤと笑いが浮かぶ。

キッチンでってのも燃えるか?

そんな乙女心を不意にするような思考が過るが、オレは足音をたてないように硝子戸をそっと開ける。いい匂いのするキッチンに立つ女の後ろ姿に、若干の興奮を感じながら歩み寄った時。オレの足は凍りつくように立ち尽くした。

秋奈じゃない。

目の前にいるのは秋奈の後ろ姿じゃない。オレは自分が見ている視界が、ジワジワと怒りに染まっていくのが分かった。そこにいるのはあの一言言っただけで姿を消す、あの得たいの知れない女なのだ。腹立たしさにオレは、無言のまま女に足早に歩みより逃げ出されないよう女の腕をとった。
ギョッとした女の見開かれた目に、自分の顔が映りこんでいるのが分かる。女の腕をしっかりと掴んだままのオレに、女の手が払いのけようと弧を描く。

シュッ

空を切る音がして、オレの頬に焼けるような痛みが走った。女が手にしていた包丁がオレの頬を掠めて、頬が裂けたのだ。痛みが膨れ上がるのに、オレの怒りは頂点に達していた。


※※※


白々とした窓ガラスから射し込む光が生み出した影で、その顔は次第に赤くなって青くなって土気色に変わっていく。彼女はじっとその硝子みたいな瞳で、オレを真っ直ぐに見上げながら一向に視線を外そうとはしない。瞳には小さなオレが二人映りこんで女の事を見据えている。その姿で彼女は絶え絶えの息の下で囁くように、でもはっきりとオレに言う。

「忘れないで」

ここまでしてもまだ女が言うのに、オレは目を細めて何をだよと呟く。そこで初めて女はオレが何を言われていたのか理解していなかったのに気がついたように、口の端を吊り上げた。オレの力の籠められた両の手がきりっと痛んだ。

「忘れ…な…」

囁く声が擦れて切れ切れになっていくのに、まだ女は言い続けようとしている。オレは思わず女を元気づけるかのように、微かに笑みをこぼした。彼女のいないこれから先をふと思う。どんなに変わるのだろうとオレの心が囁いている。

「わ…す…」

彼女の何度も繰り返していた言葉が、次第に暮れ始めた夕闇に霞み始めた室内に滲んで消えていく。オレはただひたすらに忘れないでと繰り返す、光の消えていく彼女の瞳をぼんやりと見下ろしていた。やがて、彼女の命が消えた事が分かると、オレの目に微かな涙が滲み痛む手の感覚に戦いた。

誰かも分からない女。

見下ろしてもその顔はもうピクリとも動かない人形のように、床に転がって天井をじっと見上げている。オレはフラフラと台所からでて、ベッドに腰を下ろして溜め息をついた。その瞬間硝子の扉の向こうに物音が響いて、オレはその場で凍りつく。
硝子戸の向こうで、影が動き上がる。

『わずれ、ないで』

潰された喉がダミ声で呟くのを聞いて、オレはそのまま凍りついた視線でそれを見た。一体オレに何を忘れさせたくないって何時までも言うのだろう。影は折れ曲がったような首を真横に倒したまま、硝子戸の向こうで立ち尽くしている。

『わずれ、ないでね』

不意に玄関のドアが開く音がして、オレは思わず目を一瞬閉じて悲鳴に備えた。

「なあに?何してるの?」

そのまま台所を突っ切って来たはずの秋奈が、オレがベットの上に座って身を固くしているのに不思議そうに声をかける。



※※※



オレは壊れた微笑を満面に貼り付けて、無理やり握り潰した両の手を彼女の首から引き剥がした。その反動でがくりと彼女の首がのけぞり、視線がオレから離れる。もうこうして女を退治するのは何度目なのだろう?忘れないでと、言われたって忘れるはずがない。数えて十回も退治してるんだ。

「大丈夫、もう彼女はいなくなったんだ。」

そう語りかけるオレの言葉は、虚しく女に向かって投げつけられる。何度も繰り返しても、女は現れた。一度なんか必死で土を掘り、三メーターも埋めてやったのにまた戻ってくる。今度は切断して細かくして、バラバラに棄ててみようとオレは考えていた。これでもダメなら影も形もなく燃やすか溶かすしか、思いつく方法がない。
秋奈とはあの後直ぐに上手くいかなくなって、別れることになってしまった。オレがあの女が何時出てくるかとビクビクしているせいだろう。

そういう意味じゃ忘れなくなったよ、お前のこと。

オレは狂った笑顔で女の顔を見下ろした。



※※※



結局女は何者なんですか?

自分の問いかけに久保田は首を傾げるとなんでしょうかね?と逆に問いかけてくる。忘れないでと子供の頃は自分も母親から言われた事がないわけではないが、ここまで来ると確かに意味深で気味が悪い。でも、忘れないで何て、随分とはっきりしない一言のように思える。

可愛い子に言われるならいいでしょうけどね。

自分がそう呟くと同時に、背後で唐突に「忘れないでよ」といった声に自分は思わず振り返った。電話口で誰かと話していたらしい、女子高生が自分の視線に恥ずかしそうに微笑んで頭を下げる。自分は見ず知らずの彼女が、そういいながら追いかけてくると考えて怖くなって頭を勢いよく振っていた。

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