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第二部
第四幕 護法院奥の院
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ほんの二日もあけずに院を訪れた朱雀と玄武の姿に、部屋の隅に腰を据えた智美は眼鏡越しの目を細めた。モニターの前の彼の定位置には再び礼慈が、穏やかに言葉もなく座っている。
何かが起きたのは目の前の二人の顔からも一目瞭然。だが、こちらの管理下の人間がなにかしでかしたのではない風でもある。
「香坂、以前話した女の話を覚えているか?」
玄武の低い声音に、智美は目を細めた。どうやら今日の来訪はこちらの雲英の事ではなく、その得体の知れない嗅ぎ回る女の事のようだ。
智美の方でも方々調べているが、竜胆貴理子は本当に得体が知れない。戸籍自体が確認できない所をみると偽名の可能性があると思ったのに、遡るとその名前で法廷にいることもある。竜胆貴理子の足取りがはっきりするのは、約十年と少し前。それ以前の情報は、何をどうしても分からないのだ。まるで何もない場所に唐突に姿をみせたように、彼女は姿を表した。造船会社のプログラマーとして突然姿をみせた彼女は、派遣社員として中途採用されたとあるがその際に必要な見分証明を明らかにすることが出来ない。しかも、法廷に立った時も竜胆貴理子と名乗っているが、それが通用した理由さえも今は判明しないのだ。年も生まれも、家族構成も、今何処に住んでいるのかすらも分からない。そこまで来るとこちらの事を知っていて、闇に身を潜めているのではないかとすら懸念してしまう。
「調べ続けているけど、暗礁に乗り上げててね。」
その言葉に玄武は困惑と同時に緊張した顔をする。その顔に眉を潜めた智美に向かって、玄武は酷く言いづらそうな風に口を開いた。それは夜の風の温度を一瞬下げるかのような硬い声音となって響く。
「……白虎が言うには…その女性の身元は五代さんに関係があるかもしれないそうだ。」
玄武の放った言葉に香坂智美が一瞬奇妙な凍りつく様な表情を浮かべたのに朱雀は眉を潜める。
五代……名前は恐らく武。五代武
あの女が混乱してから告げた名前。朱雀には全く聞き覚えのない名前だが、白虎や玄武・そして香坂智美の顔に浮かんだ表情は割り切れないような何かを感じさせる。思わず朱雀は低い声で、隣の玄武に向かって問いかけた。
「…誰だよォ?玄武、その五代って人。」
頭に手を組んだ不思議そうな視線を浮かべた朱雀の姿に、一瞬躊躇いの色を浮かべた長身の青年は微かに苦悩の滲む表情を浮かべ智美をちらりと眺めながら重い口を開く。
「……先代の……朱雀だった人だ、話したろ?」
その示すモノの意味に気がついて驚きながら思わず手をおろした朱雀に、溜息をつきながら玄武は目を伏せた。以前饕餮と遭遇した時、玄武から先代の朱雀の話は聞いていたのを思い出したのだ。そうして玄武は過去の想いを引きずるかのような重い口ぶりで、夜の風に微かにその短い髪を揺らしながら言葉を繋ぎ始めた。
「彼女は知らなかったから、式にいかなかったといったそうだ。」
そして、言葉はさらに重く暗く夜風に滲んでいくかの様な気配がする。
「彼女は二十三年前のホテル火災の生存者が、自分の弟だと言ってる。」
過去二十三年も前に起きた残酷な事故。
かの人物は、姉の結婚式のために両家の一族全てが宿泊していたホテルの火災で全てを失った。そしてその人々以外にも多くの死傷者がいたその大規模な火災の中で、奇跡とも思われた唯一全くの無傷での生還を果たした青年。その青年が泊っていた階が最も被害のひどい階であったにも関わらずだ。
「白虎は嘘はついていなかったと思うと言っている。」
自分の先代のたどった現実と偶然なのか符合する自分の過去に驚きながら、玄武を見上げた朱雀の表情が微かに強張る。それを真横から微かに感じながらも玄武は、一先ず視線の先を智美に向けたままだ。
「一先ず、僕ができる範囲で彼の家系についてもう一度調べて見る。だけど五代武の姉は年が離れていて、確か十歳年上だ……。」
「確かに俺も見たが、どう見ても俺等と歳は変わりない様な気がした。白虎もそこが引っかかってた。」
本当に竜胆が姉であるとすれば、結婚式の新婦であった五代の姉・朱子(あかね)は当時二十八歳だった。しかし、五代武自身姉がもう一人いるような話は知らないし、武の姉であれば現在は四十一歳以上にはなっていないと辻褄が合わない。
「幾らなんでも五十近い人間には見えない。」
玄武の言葉に、朱雀もマジマジと見た女性の事を思い浮かべる。取り澄ましているなら兎も角、混乱してからの彼女はより若く、それこそ三十代前後にしか見えなかった。話を聞いていると自分と同じように炎の中で朱雀になった五代と言う人の、姉だとするにはどう考えても若すぎるということらしい。
「なぁ、その五代って人、その…幾つだったんだ?」
「亡くなった時は三十六歳だな……生きていたら今四十一歳になる。」
その言葉に思わず朱雀が言葉を失う。二十三年前に十八歳でゲートキーパーになって、亡くなったのは三十六歳。つまり、十八年間もゲートキーパーをしている。自分の先代…そう聞くと何故かジワリと不安が心に沸き上がる気がした。
「なぁ、あの時…突然似てるって言い出したんだ……俺似てるのか?」
その言葉に一瞬智美と玄武が、朱雀の顔を見つめ黙りこむ。五代武と現在の朱雀である槙山忠志。その二人は血縁でもないし、全く顔立ちは似てるとは言えない。それなのに時にハッとする程似て見えるのは、人柄が似ているせいかもしれない。五代武もややきつい目元をした青年だったが、笑うと人懐っこく実は子供好きな青年だったのだ。
「……僕は雰囲気が似てるとは思ってた。時々彼が帰ってきたのかと驚くくらいに。」
「……最初は全く似てるとは思わなかった。………最近似てきたように感じる事がある……。」
二人の言葉に朱雀は目を丸くする。そんなに雰囲気が似てると思っているのなら、あの女が混乱するのも当然なのだろうか。だが、あの時あの女が口にした言葉が、酷く引っ掛かっていた。
「なぁ、あの女、似てるっても言ったんだけど、まだ見つけてない、会ったことがない筈とかなんとか言ったんだ。」
なのに似てると口にしたのは何故だろう。それを追及しようとした途端、あの女の体内から妖気を孕んだ声が響いたのだ。あれは確かに妖気だったか、あの女自身もその声に驚いていた。その後、一瞬で泥沼に沈むように闇の中に、彼女は姿を消し残されたのは朱雀と白虎だけ。
「体内から……声……。」
「まだ見つけてない?会ったことがない?」
朱雀から聞く現状での噛み合わない内容に、智美と玄武も眉を潜める。妖気を放ったという点では、少なくとも人外の干渉だけは否定できなくなった。だが、当の本人も気がつかずに、人外の妖気に侵食されている可能性も拭えない。
「……一先ず、身元に関してはもう一度調べ直してみる。」
顔を付き合わせていても埒が明かないと、智美は薄暗がりの中で溜め息をつきながら呟く。そうして、再びモニターの前に杖を音もさせずにつきながら、定位置に戻っていくのを見送る。
※※※
月明かりの下を陰影に身を霞ませて駆ける二人は、意図も容易くあり得ない距離を跳躍して家屋のはるか頭上を渡る。並んで宙を駆けながら横の何時もとは違う表情に、玄武は先程の強張った彼の表情を思い浮かべ理由に思い当たった。軽々とマンションの屋上に飛び乗り、一瞬で緋色の異装を解き普段の黒一色に見える姿に戻った槙山忠志に土志田悌順は躊躇いがちに問いかける。
「忠志。」
形は違えど朱雀の力が与えられた時、槙山忠志は生家も家族も炎で一度に失った。彼からはその事に関して絶対に口にしようとはしなかったから、仲間である彼らもあえて聞こうとはしない。そうしなくとも槙山家の放火事件は大々的に報道され、追い回された彼の憔悴した顔は何度か報道の画面に流されていたのだ。十人焼死・一人行方不明、何らかの爆発で家の外に放り出された彼だけがほぼ無傷で生き残ったと。
「ん?」
頭上の彼は闇の中に浮かぶ、鈍くまだ紅玉の光りを残す瞳をこちらに向ける。
「……大丈夫か?」
「あ?俺は何ともねェよ?それを聞くなら、あいつだろ?」
普段と変わりない様に聞こえる能天気にすら聞こえるその声音の影に潜む彼の本心を見透かしながらも玄武は、あえてそれ以上は口にせず「そうだな」とだけ答えて微かに微笑む。
ある意味で自分達四人は同じような傷を抱えている。
その一角を突けば、同じように他の者にも同じ痛みが降りかかる、そう人外も知っているのかもしれない。ふとそんな思いが玄武の心を、夜の冷たい風のように過ぎる。歩き出そうとした忠志の背中に視線を向けた悌順の瞳が、僅かに細められたかと思うと低く響く声が背中に問いかけた。
「いつからだ?忠志」
紅玉の光をまだ弱く瞳から放つ忠志は、伺うように自分を眺めている姿に視線を返し思わず首を傾げる。住みかにしているマンションの上で語り合う事てはないが、五代に雰囲気がにていると認めた時から気にはなっていた。
「何が?」
実際に目の前の青年は問いかけられた問いの意味に気がついていないことは明白で、それが意味するものに考えがあるかのような様子を見せる。
「何だよ?」
「お前、前より能力が強まってるのに気がついてないだろ。」
静かに言い切られて忠志は、一瞬キョトンとした表情でその声の主を見やる。やっぱりなと言うように目の前の悌順は目を細めたかと思うと、不意にしなやかで敏捷な動きで体を翻した。その動きと連動するように素早く手が襟元を掴み、クンッと忠志の体が前に引かれる。ハッとしたようにその動きをハッキリと目で追った忠志の手が、瞬時に悌順の腕を払いのけた。次の瞬間悌順の襟元を掴んでいた手が袖を掴み、視界に入らない足元が容易く掬われる気配を感じる。そう思った瞬間に自分の手が、無意識の動作で彼の腕を絡めるように掴み、足元を払う彼の足に対抗するように足が動く。
「ほらな。前だったらかわせなかっただろう?」
ギチリと腕を固定し足に足を当てるようにして動きを遮られた悌順の静かな声音に、忠志は自分でも目を丸くする。悌順が実際は全く本気で打ちかかった訳でない事は、触れた場所からはっきりと感じられた。しかし、それでも柔道を完璧に身につけた彼の動きに、その点では疎い自分が目で追うだけでなく体が反応すらしたのに自分自身で驚きながら忠志は目を見張る。
思わず押さえた手を離すと微かに忠志の腕に火気の産む熱気を感じたのか、少し顔をしかめて悌順は苦笑を浮かべた。合気道を習う気ではいたが、実際には未だ何も始めたわけではない。
「…どういうことだ?俺、まだ何もしてないぜ?」
「仮説ではあるけどな、麒麟……炎駒のせいもあるかもな。」
「炎駒の?」
月光が雲から覗くその場所で、その言葉に忠志は目を細めた。同じように目を細めながら悌順は、あの時みた不思議な姿をした影の存在を思い浮かべる。
形は鹿に似て大きく、顔は龍に似て牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角を持ち背毛は五色に彩られ波打ちように揺らめいたその存在の姿。その中でも、彼が一際鮮明に覚えているのは緋色のきらめきを強く生んだ鱗の姿だった。そしてあの場に溢れんばかりに満ちた火気の渦の中で、微かではあったがその存在は土気と共に微かに火気をも併せ持っていたかのような気が今はするのだ。そしてそれ以上に数日前に再び現れた炎駒。その時にほぼ同時に目の前にいる青年に起きた異変を、彼も耳にした。
「それって…麒麟は二つの気を持ってるってことか?」
「いや、まだ分からない事だ。ただ、お前の変化は彼とお前が引き起こしたかもしれないな。」
ふとその言葉に考え込むような忠志の姿に、悌順は訝しげにその表情を見つめる。現実としてまだ言うべきではなかったかとふと思いをめぐらせた瞬間、目の前の青年はふっと悌順を見上げ何時ものように暢気で愛嬌のある笑顔を投げた。
「それって俺が一番役に立たないままじゃ、格好がつかないって事かな?ヤス。」
その言葉に一瞬呆れたような表情を浮かべはしたものの、その内側にある他の意図を汲んだように悌順は微かな苦笑を浮かべる。ふと彼はそれ以上言葉を繋がないままにその頭をぽんと無造作に撫でたかと思うと、屋上を突っ切るように歩き始めた。歩き出した悌順の背中を眺めながら、忠志は硬質の髪の揺れる頭に手をやりながら歩き出す。
もっと強い守る為の力を欲しいなんて…贅沢じゃねェよな。
自分のせいで誰かを傷つけるくらいならと、忠志は夜空を振り仰ぐ。誰かを助けられる人間になると看護師になった、彼の双子の妹の姿が不意に脳裏に過る。
俺だって守りたいんだ。
その言葉を聴いているかのように薄絹をまとうかのような月は青白く、その姿を無言のまま照らす。大きく伸びをして固まる様なせ背筋を伸ばしながら歩く悌順に、つられたかのように首を鳴らす忠志が月光に瞳を光らせながら目を細める。
「なあ、ヤス。一個聞いてもいーか?」
不意にかけられた声に悌順は歩みを止めて、肩越しの視線を返した。他の三人が元々幼なじみであり、幼い頃からお互いを知っていたのと違って、忠志だけは能力が目覚めてからここに集まる様になったし彼自身だけの世界をまだ持ってもいる。それを羨ましいとすら思う事すらあるのだが、彼自身がそれをどう感じているかは口にした事がないのだ。
「朱雀は……皆同じようにして生まれんのかな?」
「忠志……。」
それは彼自身の揺らぎを感じさせる言葉だった。四神のそれぞれの根本である居場所を揺るがそうと人外が企んでいたとしたら、あまりにも成功に向かっているとしか言いようのない。
「……朱雀だった奴は皆……炎の中にいたのかな?」
「俺が知っているのは……五代さんから聞いた話だけだ。」
「知っている範囲でいいよ、ヤス。俺だけじゃねえんだな?」
だが見つめ返した忠志の瞳は、声の揺らぎとは違って酷く真っ直ぐに落ち着いているかのように見えた。その視線の落ち着きに戸惑いを感じながら、悌順は彼がもう一人の朱雀だった人が少しだけ教えてくれた彼の知りうることだけを話す。彼よりは信哉の方がもっと様々な事を知っているという事も付加しながら全てを語る。暫し無言のままそれを聞いていたきつい眼元を見下ろしながら悌順は、その青年の反応を危惧している自分に気がつく。ある意味では自分も話ながら揺らいでいる事を感じ、彼はその戸惑いを包み隠す様に目を細めた。だが、青年は不意にいつもの愛嬌のある笑みを再び口元に敷いて、彼を見つめ返す。
「そっか、なんかスッキリしてなかったけど、それなら理解できた。」
「忠志。」
「………俺は…同じ思いをした人間が他にもいるってのは、すごく嫌だけどさァ、ヤス。」
彼は無造作に硬質の金色に見える髪をかきまわしながら微かに目を伏せながら言葉を繋ぐ。そうして一度潜めたと思っていた声を普通に戻してハッキリとした声音を放つ。
「先を見るしかできないからさ、俺には。昔は変えようがないし、俺が変えれるのは先だけだ。」
そう言いながら彼は目の前の悌順を真っ直ぐに見た。言葉の指すものに心を射抜かれた様にいつも暢気に能天気に見えるかの様な青年の持つ本当の炎の様に熱を生む強さを垣間見たかのような気がして悌順は、眩しそうに月明かりを浴びるその姿を目を細めながら眺めた。
そうか……こんな考え方も似てたのか……
何かが起きたのは目の前の二人の顔からも一目瞭然。だが、こちらの管理下の人間がなにかしでかしたのではない風でもある。
「香坂、以前話した女の話を覚えているか?」
玄武の低い声音に、智美は目を細めた。どうやら今日の来訪はこちらの雲英の事ではなく、その得体の知れない嗅ぎ回る女の事のようだ。
智美の方でも方々調べているが、竜胆貴理子は本当に得体が知れない。戸籍自体が確認できない所をみると偽名の可能性があると思ったのに、遡るとその名前で法廷にいることもある。竜胆貴理子の足取りがはっきりするのは、約十年と少し前。それ以前の情報は、何をどうしても分からないのだ。まるで何もない場所に唐突に姿をみせたように、彼女は姿を表した。造船会社のプログラマーとして突然姿をみせた彼女は、派遣社員として中途採用されたとあるがその際に必要な見分証明を明らかにすることが出来ない。しかも、法廷に立った時も竜胆貴理子と名乗っているが、それが通用した理由さえも今は判明しないのだ。年も生まれも、家族構成も、今何処に住んでいるのかすらも分からない。そこまで来るとこちらの事を知っていて、闇に身を潜めているのではないかとすら懸念してしまう。
「調べ続けているけど、暗礁に乗り上げててね。」
その言葉に玄武は困惑と同時に緊張した顔をする。その顔に眉を潜めた智美に向かって、玄武は酷く言いづらそうな風に口を開いた。それは夜の風の温度を一瞬下げるかのような硬い声音となって響く。
「……白虎が言うには…その女性の身元は五代さんに関係があるかもしれないそうだ。」
玄武の放った言葉に香坂智美が一瞬奇妙な凍りつく様な表情を浮かべたのに朱雀は眉を潜める。
五代……名前は恐らく武。五代武
あの女が混乱してから告げた名前。朱雀には全く聞き覚えのない名前だが、白虎や玄武・そして香坂智美の顔に浮かんだ表情は割り切れないような何かを感じさせる。思わず朱雀は低い声で、隣の玄武に向かって問いかけた。
「…誰だよォ?玄武、その五代って人。」
頭に手を組んだ不思議そうな視線を浮かべた朱雀の姿に、一瞬躊躇いの色を浮かべた長身の青年は微かに苦悩の滲む表情を浮かべ智美をちらりと眺めながら重い口を開く。
「……先代の……朱雀だった人だ、話したろ?」
その示すモノの意味に気がついて驚きながら思わず手をおろした朱雀に、溜息をつきながら玄武は目を伏せた。以前饕餮と遭遇した時、玄武から先代の朱雀の話は聞いていたのを思い出したのだ。そうして玄武は過去の想いを引きずるかのような重い口ぶりで、夜の風に微かにその短い髪を揺らしながら言葉を繋ぎ始めた。
「彼女は知らなかったから、式にいかなかったといったそうだ。」
そして、言葉はさらに重く暗く夜風に滲んでいくかの様な気配がする。
「彼女は二十三年前のホテル火災の生存者が、自分の弟だと言ってる。」
過去二十三年も前に起きた残酷な事故。
かの人物は、姉の結婚式のために両家の一族全てが宿泊していたホテルの火災で全てを失った。そしてその人々以外にも多くの死傷者がいたその大規模な火災の中で、奇跡とも思われた唯一全くの無傷での生還を果たした青年。その青年が泊っていた階が最も被害のひどい階であったにも関わらずだ。
「白虎は嘘はついていなかったと思うと言っている。」
自分の先代のたどった現実と偶然なのか符合する自分の過去に驚きながら、玄武を見上げた朱雀の表情が微かに強張る。それを真横から微かに感じながらも玄武は、一先ず視線の先を智美に向けたままだ。
「一先ず、僕ができる範囲で彼の家系についてもう一度調べて見る。だけど五代武の姉は年が離れていて、確か十歳年上だ……。」
「確かに俺も見たが、どう見ても俺等と歳は変わりない様な気がした。白虎もそこが引っかかってた。」
本当に竜胆が姉であるとすれば、結婚式の新婦であった五代の姉・朱子(あかね)は当時二十八歳だった。しかし、五代武自身姉がもう一人いるような話は知らないし、武の姉であれば現在は四十一歳以上にはなっていないと辻褄が合わない。
「幾らなんでも五十近い人間には見えない。」
玄武の言葉に、朱雀もマジマジと見た女性の事を思い浮かべる。取り澄ましているなら兎も角、混乱してからの彼女はより若く、それこそ三十代前後にしか見えなかった。話を聞いていると自分と同じように炎の中で朱雀になった五代と言う人の、姉だとするにはどう考えても若すぎるということらしい。
「なぁ、その五代って人、その…幾つだったんだ?」
「亡くなった時は三十六歳だな……生きていたら今四十一歳になる。」
その言葉に思わず朱雀が言葉を失う。二十三年前に十八歳でゲートキーパーになって、亡くなったのは三十六歳。つまり、十八年間もゲートキーパーをしている。自分の先代…そう聞くと何故かジワリと不安が心に沸き上がる気がした。
「なぁ、あの時…突然似てるって言い出したんだ……俺似てるのか?」
その言葉に一瞬智美と玄武が、朱雀の顔を見つめ黙りこむ。五代武と現在の朱雀である槙山忠志。その二人は血縁でもないし、全く顔立ちは似てるとは言えない。それなのに時にハッとする程似て見えるのは、人柄が似ているせいかもしれない。五代武もややきつい目元をした青年だったが、笑うと人懐っこく実は子供好きな青年だったのだ。
「……僕は雰囲気が似てるとは思ってた。時々彼が帰ってきたのかと驚くくらいに。」
「……最初は全く似てるとは思わなかった。………最近似てきたように感じる事がある……。」
二人の言葉に朱雀は目を丸くする。そんなに雰囲気が似てると思っているのなら、あの女が混乱するのも当然なのだろうか。だが、あの時あの女が口にした言葉が、酷く引っ掛かっていた。
「なぁ、あの女、似てるっても言ったんだけど、まだ見つけてない、会ったことがない筈とかなんとか言ったんだ。」
なのに似てると口にしたのは何故だろう。それを追及しようとした途端、あの女の体内から妖気を孕んだ声が響いたのだ。あれは確かに妖気だったか、あの女自身もその声に驚いていた。その後、一瞬で泥沼に沈むように闇の中に、彼女は姿を消し残されたのは朱雀と白虎だけ。
「体内から……声……。」
「まだ見つけてない?会ったことがない?」
朱雀から聞く現状での噛み合わない内容に、智美と玄武も眉を潜める。妖気を放ったという点では、少なくとも人外の干渉だけは否定できなくなった。だが、当の本人も気がつかずに、人外の妖気に侵食されている可能性も拭えない。
「……一先ず、身元に関してはもう一度調べ直してみる。」
顔を付き合わせていても埒が明かないと、智美は薄暗がりの中で溜め息をつきながら呟く。そうして、再びモニターの前に杖を音もさせずにつきながら、定位置に戻っていくのを見送る。
※※※
月明かりの下を陰影に身を霞ませて駆ける二人は、意図も容易くあり得ない距離を跳躍して家屋のはるか頭上を渡る。並んで宙を駆けながら横の何時もとは違う表情に、玄武は先程の強張った彼の表情を思い浮かべ理由に思い当たった。軽々とマンションの屋上に飛び乗り、一瞬で緋色の異装を解き普段の黒一色に見える姿に戻った槙山忠志に土志田悌順は躊躇いがちに問いかける。
「忠志。」
形は違えど朱雀の力が与えられた時、槙山忠志は生家も家族も炎で一度に失った。彼からはその事に関して絶対に口にしようとはしなかったから、仲間である彼らもあえて聞こうとはしない。そうしなくとも槙山家の放火事件は大々的に報道され、追い回された彼の憔悴した顔は何度か報道の画面に流されていたのだ。十人焼死・一人行方不明、何らかの爆発で家の外に放り出された彼だけがほぼ無傷で生き残ったと。
「ん?」
頭上の彼は闇の中に浮かぶ、鈍くまだ紅玉の光りを残す瞳をこちらに向ける。
「……大丈夫か?」
「あ?俺は何ともねェよ?それを聞くなら、あいつだろ?」
普段と変わりない様に聞こえる能天気にすら聞こえるその声音の影に潜む彼の本心を見透かしながらも玄武は、あえてそれ以上は口にせず「そうだな」とだけ答えて微かに微笑む。
ある意味で自分達四人は同じような傷を抱えている。
その一角を突けば、同じように他の者にも同じ痛みが降りかかる、そう人外も知っているのかもしれない。ふとそんな思いが玄武の心を、夜の冷たい風のように過ぎる。歩き出そうとした忠志の背中に視線を向けた悌順の瞳が、僅かに細められたかと思うと低く響く声が背中に問いかけた。
「いつからだ?忠志」
紅玉の光をまだ弱く瞳から放つ忠志は、伺うように自分を眺めている姿に視線を返し思わず首を傾げる。住みかにしているマンションの上で語り合う事てはないが、五代に雰囲気がにていると認めた時から気にはなっていた。
「何が?」
実際に目の前の青年は問いかけられた問いの意味に気がついていないことは明白で、それが意味するものに考えがあるかのような様子を見せる。
「何だよ?」
「お前、前より能力が強まってるのに気がついてないだろ。」
静かに言い切られて忠志は、一瞬キョトンとした表情でその声の主を見やる。やっぱりなと言うように目の前の悌順は目を細めたかと思うと、不意にしなやかで敏捷な動きで体を翻した。その動きと連動するように素早く手が襟元を掴み、クンッと忠志の体が前に引かれる。ハッとしたようにその動きをハッキリと目で追った忠志の手が、瞬時に悌順の腕を払いのけた。次の瞬間悌順の襟元を掴んでいた手が袖を掴み、視界に入らない足元が容易く掬われる気配を感じる。そう思った瞬間に自分の手が、無意識の動作で彼の腕を絡めるように掴み、足元を払う彼の足に対抗するように足が動く。
「ほらな。前だったらかわせなかっただろう?」
ギチリと腕を固定し足に足を当てるようにして動きを遮られた悌順の静かな声音に、忠志は自分でも目を丸くする。悌順が実際は全く本気で打ちかかった訳でない事は、触れた場所からはっきりと感じられた。しかし、それでも柔道を完璧に身につけた彼の動きに、その点では疎い自分が目で追うだけでなく体が反応すらしたのに自分自身で驚きながら忠志は目を見張る。
思わず押さえた手を離すと微かに忠志の腕に火気の産む熱気を感じたのか、少し顔をしかめて悌順は苦笑を浮かべた。合気道を習う気ではいたが、実際には未だ何も始めたわけではない。
「…どういうことだ?俺、まだ何もしてないぜ?」
「仮説ではあるけどな、麒麟……炎駒のせいもあるかもな。」
「炎駒の?」
月光が雲から覗くその場所で、その言葉に忠志は目を細めた。同じように目を細めながら悌順は、あの時みた不思議な姿をした影の存在を思い浮かべる。
形は鹿に似て大きく、顔は龍に似て牛の尾と馬の蹄をもち、雄は頭に角を持ち背毛は五色に彩られ波打ちように揺らめいたその存在の姿。その中でも、彼が一際鮮明に覚えているのは緋色のきらめきを強く生んだ鱗の姿だった。そしてあの場に溢れんばかりに満ちた火気の渦の中で、微かではあったがその存在は土気と共に微かに火気をも併せ持っていたかのような気が今はするのだ。そしてそれ以上に数日前に再び現れた炎駒。その時にほぼ同時に目の前にいる青年に起きた異変を、彼も耳にした。
「それって…麒麟は二つの気を持ってるってことか?」
「いや、まだ分からない事だ。ただ、お前の変化は彼とお前が引き起こしたかもしれないな。」
ふとその言葉に考え込むような忠志の姿に、悌順は訝しげにその表情を見つめる。現実としてまだ言うべきではなかったかとふと思いをめぐらせた瞬間、目の前の青年はふっと悌順を見上げ何時ものように暢気で愛嬌のある笑顔を投げた。
「それって俺が一番役に立たないままじゃ、格好がつかないって事かな?ヤス。」
その言葉に一瞬呆れたような表情を浮かべはしたものの、その内側にある他の意図を汲んだように悌順は微かな苦笑を浮かべる。ふと彼はそれ以上言葉を繋がないままにその頭をぽんと無造作に撫でたかと思うと、屋上を突っ切るように歩き始めた。歩き出した悌順の背中を眺めながら、忠志は硬質の髪の揺れる頭に手をやりながら歩き出す。
もっと強い守る為の力を欲しいなんて…贅沢じゃねェよな。
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俺だって守りたいんだ。
その言葉を聴いているかのように薄絹をまとうかのような月は青白く、その姿を無言のまま照らす。大きく伸びをして固まる様なせ背筋を伸ばしながら歩く悌順に、つられたかのように首を鳴らす忠志が月光に瞳を光らせながら目を細める。
「なあ、ヤス。一個聞いてもいーか?」
不意にかけられた声に悌順は歩みを止めて、肩越しの視線を返した。他の三人が元々幼なじみであり、幼い頃からお互いを知っていたのと違って、忠志だけは能力が目覚めてからここに集まる様になったし彼自身だけの世界をまだ持ってもいる。それを羨ましいとすら思う事すらあるのだが、彼自身がそれをどう感じているかは口にした事がないのだ。
「朱雀は……皆同じようにして生まれんのかな?」
「忠志……。」
それは彼自身の揺らぎを感じさせる言葉だった。四神のそれぞれの根本である居場所を揺るがそうと人外が企んでいたとしたら、あまりにも成功に向かっているとしか言いようのない。
「……朱雀だった奴は皆……炎の中にいたのかな?」
「俺が知っているのは……五代さんから聞いた話だけだ。」
「知っている範囲でいいよ、ヤス。俺だけじゃねえんだな?」
だが見つめ返した忠志の瞳は、声の揺らぎとは違って酷く真っ直ぐに落ち着いているかのように見えた。その視線の落ち着きに戸惑いを感じながら、悌順は彼がもう一人の朱雀だった人が少しだけ教えてくれた彼の知りうることだけを話す。彼よりは信哉の方がもっと様々な事を知っているという事も付加しながら全てを語る。暫し無言のままそれを聞いていたきつい眼元を見下ろしながら悌順は、その青年の反応を危惧している自分に気がつく。ある意味では自分も話ながら揺らいでいる事を感じ、彼はその戸惑いを包み隠す様に目を細めた。だが、青年は不意にいつもの愛嬌のある笑みを再び口元に敷いて、彼を見つめ返す。
「そっか、なんかスッキリしてなかったけど、それなら理解できた。」
「忠志。」
「………俺は…同じ思いをした人間が他にもいるってのは、すごく嫌だけどさァ、ヤス。」
彼は無造作に硬質の金色に見える髪をかきまわしながら微かに目を伏せながら言葉を繋ぐ。そうして一度潜めたと思っていた声を普通に戻してハッキリとした声音を放つ。
「先を見るしかできないからさ、俺には。昔は変えようがないし、俺が変えれるのは先だけだ。」
そう言いながら彼は目の前の悌順を真っ直ぐに見た。言葉の指すものに心を射抜かれた様にいつも暢気に能天気に見えるかの様な青年の持つ本当の炎の様に熱を生む強さを垣間見たかのような気がして悌順は、眩しそうに月明かりを浴びるその姿を目を細めながら眺めた。
そうか……こんな考え方も似てたのか……
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