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35.時計の針が重なるとき
しおりを挟むふ、と皮膚の上を滑る布の感触で目を覚ます。重力に抗い目蓋を薄ら開くと、俺の身体をヴィクターが清めてくれていた。仰向けの状態で、今は脹脛の辺りを拭かれている。
傍には水が張られた桶があり、ちゃぷ、と小さく音を立て布が浸される。
既に全身を拭き終えたのか、身体はさらりとして清潔だった。何も身に纏っていないことに気付き、今更ながらじわじわと羞恥心が込み上げる。
ヴィクターは既にラフな部屋着に着替えているようで、自分ばかり肌が剥き出しな現状が尚更恥ずかしい。
「・・・ヴィクター」
「起こしてしまいましたか」
「ごめん、俺、ヴィクターを放って寝てた?」
「寝た、と言うかあの後すぐ気絶されましたね。初めてなのに無理をさせてしまいました」
"初めて"という言葉の生々しさに思わず口を閉じる。受け身は確かに初めてだと言えるが、その割に随分ヴィクターの前で乱れてしまったように思う。
本当に初めてかと疑われても良いくらいの乱れようだが、ヴィクターは俺が"そう"だと確信しているようだった。
怒涛の勢いで思い出される最中の振る舞いに、羞恥心から頭を掻きむしりたくなる。けれどいつまでも裸でいるのは決まり悪く、力の入らない身体をもぞもぞと起こし床に落ちた服に手を伸ばす。
綺麗に仕立てられたシャツもジャケットも全てに皺がつき見るも無惨な有様だった。
それに皺だけでなく乾いた体液のようなものも付着している。明日の朝に手洗いしようと内心決意し、胸元に付けてあるブローチを取り外す。
明日の祭りの為にと仕立ててくれた商人たちの顔が脳裏を過り無性に申し訳ない気持ちに襲われる。綺麗に仕立てて数時間後にこの有様だ。
「この世界ってアイロンあるのかな・・・」
「アイロンですか?」
「ええと、これくらいのサイズで熱と重みで服の皺を伸ばす機械だよ」
「ああ、名前は違いましたが似たような物がありますよ」
「明日また貸してほしい」
「そのくらい俺がやりますよ」
「・・・いや、やっぱり自分でやるよ」
祭りに参加する予定は無くても、皺だらけのまま放置はしたくない。明確な値段は分からないけど、恐らく元の世界で着ていたスーツなら三着は揃えられそうな気がする。
「そう言えば身体拭いてくれてありがとう」
「いえ、当然のことですから・・・あの、その」
「ん?」
立ち上がったヴィクターは桶を机の上に移動させそのままクローゼットを開けると、ハンガーに掛けられた祭服を一つ手に取る。
その後ろ姿を眺めながら、不自然に切られた言葉の続きを待った。もにょもにょと口篭る様子がらしくなく、やたら歯切れが悪い。
何か言葉にし難い事があるのだろうか。
そこまで考え、はっと思い至る。
よく考えると、俺ばかり気持ちよくなってヴィクターは一回しか達していない。
もしかして物足りなかったんじゃないだろうか。流石にこれからもう一回戦を挑む体力は残されていない。けれど口や手でするくらいなら、なんとか頑張れる気がする。
このタイミングで言い淀むことなんてそれくらいしか思いつかなかった。
「他人のものを舐めたことは無いけどヴィクターのならいける」
思わず口をついて出た発言に、ヴィクターの後ろ姿が固まる。
言葉の意味を噛み砕くように吟味してから、のろりと動きを再開したヴィクターは着替えを片手にベッドへ戻ってきた。どことなく目が座っている。
「・・・誤解です。俺は十分満足しましたので今日はもう無理をさせるつもりはありません」
「あ、勘違いだったか」
「ええ、でもぜひ次の機会にお願いします」
社交辞令とも取れる言葉に、これはむしろ舐められたくなかったのでは無いかという考えが浮かぶ。けれどそう思ったことを鋭く察したのか、ヴィクターは俺の肩を押さえると、ぐっと向き合わせた。
「ぜひ、次の、機会に、お願いします」
圧が強い。
その必死の形相に先程の言葉が社交辞令では無いと十分伝わった。こくこくと何度も頷けば納得したのかようやく肩が解放される。
ベッドの上に落ちた祭服を拾い直し差し出すと、ヴィクターは己の振る舞いを恥じるようにはにかんだ。その顔が可愛くて思わず胸がぎゅんと締め付けられる。
「お見苦しい所を見せてしまいました」
「いや、その・・・次は頑張るよ」
「その気持ちだけで嬉しいです。けれど無理をさせたいわけでは無いので・・・俺の手で乱れるあなたを見ることが俺は何より快い」
ぶわ、と顔に熱が集まる。
可愛いという感想を抱いた矢先に投げられた爆弾は急所にクリティカルヒットした。
狙ってやっているならまだ分かるが、これを素でやっているのだから末恐ろしい。熱を持ったまま下がらない頬を手の甲で押さえる。全身が熱を持った所為で、頬を抑えたところでは体温は下がらなかった。
「それで本当は何を言いたかったんだ?」
「・・・あの、明日の朝」
「うん」
「よろしければ、共に風呂へ入りませんか」
「え?」
「実を言うと、ヨウ様と同じ風呂に入ったという過去の人間に嫉妬していました」
「そうだったのか?勿論いいよ、一緒に入ろう」
その提案に思わず拍子抜けする。
あまりに真剣な表情で、余程のことを言われるのかと随分身構えた。
それが蓋を開けてみれば一緒に風呂に入りたいだなんて、あまりにも可愛いお願いだった。
大衆浴場にハマっていた時期があったと話した時の事を言っているのだろう。確かにあの時、物言いたげではあったがそんな風に考えていたのか。
安堵の息をこっそり吐くと、先程渡された祭服に袖を通しながら提案に頷く。
けれど俺の反応に対し、ヴィクターは何やら困ったように微笑んだ。
「・・・随分軽い調子で受け入れてくださるのですね」
「え?」
「あなたの身体に興奮する男の言葉ですよ」
「・・・っ!?」
ギシ、と二人分の重みにスプリングが悲鳴を上げる。明確に室内の空気が変えられた。
顔も知らない赤の他人に嫉妬したのだと口にする姿は拗ねた響きも相待って可愛いと感じていた。
けれどそんな可愛げが嘘のようにがらりと雰囲気を変えたヴィクターが、遠慮なく距離を詰めてくる。
口がぶつかりそうになるほどの近距離にだんだん鼓動が速くなる。
互いの唇が重なりそうになり強く目を閉じた瞬間、場違いな電子音が響いた。
初めて耳にする種類の音に警戒を深めたヴィクターはベッドの脇に置いてあった剣を手に立ち上がると、音の出所を探ろうとした。
けれど俺はその正体が何を示すのか、見るまでもなく知っていた。
この世界に来るまで何度も耳にしたその音はーーースマートフォンの着信音だ。
どうして。
この世界にきてひと月は経っている。充電なんてとっくに無くなっているはずだ。
それに泉から引き上げてからスマートフォンの電源が入ったことなんて一度もなかった。
水に濡れた所為だろう。電波も無いこの世界で無用の長物と成り果てたそれを、俺はこの部屋の机の引き出しに仕舞い込んだ。
ちらりと視線を卓上の時計に向ける。二つの針が重なった状態で一番上を指していた。日付がまさしくこの瞬間変わったのだ。あまりにも出来すぎたタイミングで、これまで動かなかったスマートフォンの音が鳴った。
それの意味するところ、つまり俺の仮説は正しかった。祭りの日に、元の世界とこの世界が繋がるのではないかという仮説が。
「ヴィクター、大丈夫だ。俺の私物の音だよ」
「これがですか?一体何の・・・」
片手に握っていたブローチを祭服のポケットにしまい、重だるい身体を叱咤してベッドから立ち上がる。
机に近付き引き出しを開けば、そこには予想通り画面の明るさを取り戻したスマートフォンが鎮座していた。
顔認証でロックを解除すれば、まず目に止まったのは着信の数だ。アプリを開くと、一番上の履歴に家族の名前が表示される。
家族だけでなく他にも会社の同僚や友人から安否を尋ねる留守電やチャットが残されていた。
今どこにいるのか。
どうして返事をしないのか。
何か事件に巻き込まれたんじゃ無いか。
帰ってこい。
ーーー生きてるのか。
身を案じる言葉にぐっと涙が込み上げ、懐かしい気持ちでいっぱいになる。
涙を袖で拭い履歴を確認すると、一番古いものは俺がこの世界にきた翌朝、会社用のグループチャットで欠勤を確認する内容のものだった。
逆に一番最新の時間は、そこから日付がひと月経過した深夜十二時。先程の着信音がまさしくこれだろう。
それを踏まえると時間経過はこの世界と元の世界はそう変わらないのかもしれない。
「一ヶ月無断欠勤かあ、会社、戻れるかな」
「・・・ヨウ様」
スマートフォンを持つ手を、節くれだった片手に掴まれる。画面に向けていた視線を上げると、ヴィクターは優しい顔でこちらを見下ろしていた。
「戻りましょう、あなたの世界に。俺もお供します」
「・・・うん」
こくりと頷く。
神子としての立場を整える為、力を貸してくれた人たちの顔が頭に浮かぶ。目をぐっと閉じ、再び目蓋を開くのと同時に思考を振り払う。
「一緒に帰ろう」
ヴィクターの目を見つめ手を握り返す。
けれどそんな空気を壊すように、不意に外側から激しく扉が叩かれた。
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