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39.紙と数字とティーカップ
しおりを挟むこの世界に来て今日が一番時間の流れが早く感じた。羅列された数字の合計をひたすら出し矛盾がないか、もし計算が合わないのであればどこから間違っているのか。差額が一致するまで原因を調べ続ける。
計算して、調べて、仕分けて、また計算して。何枚もの紙を捌き分類ごとにまとめる。
そうして繰り返しているうちに、日はとっぷりと暮れ、瞬きの瞬間にも感じるほどのスピードで再び朝日が昇っていた。
そして痛感する。この山の様に積まれた書類がほんの一晩で捌き切れるわけがないと。
パソコンもエクセルもワードも無い世界だと理解していても、電卓すらない世界で現代人が無双できるわけもなく。
山のように積まれた書類は、高さを減らしてはいても全て綺麗に無くなるなんて事は起きないと。
数字ばかりを追っていた所為で疲労と乾燥から目が霞んだ。硝子さえ嵌め込まれていない窓から差し込む日差しが目に痛かった。
思わずはぁ、と溜息を吐くと目の前のローテーブルにコト、と湯気の立つカップが置かれた。
「え、」
「きのうからまともに水も飲んで無いだろ。一旦休憩だ」
ごきごきと肩を鳴らしながら勢いをつけてソファに腰掛けると、ウォルターは手に持ったカップを傾ける。
背もたれに体重をかけた所為で、ぎし、とソファが不穏な音を立てた。
急に隣へ座られた所為で近付いた距離に思わず警戒心が頭をもたげる。
けれど喉は渇きを訴えており、用意された飲み物は正直ありがたかった。
机の上に広げた書類を無視し、その上に置かれたカップを手に取る。底に付着した水滴が、丸く書類に跡を残した。
ふわりと紅茶に似た香りが鼻をくすぐる。
「・・・あ、りがとうございます」
お礼を言い少量口にする。だいぶ薄味だがよくある紅茶と同じ味だ。甘味も渋みもなく、返ってその薄さが優しいと感じる。
胃の腑に落ちる暖かさにほぅっと緊張がほぐれる。首を僅かに傾ければ、同じ姿勢をとっていた所為で固まった筋肉と骨がごきりと小さ口悲鳴を上げた。
「蛮族街で通ってるが、この街は他にちゃんと名前があるんだ」
ソファに背をもたれさせ目を閉じたウォルターは静かに話し始めた。
蛮族街と呼ばれるこの街は、初めは今のようないかにもスラム然とした様相では無かった。
けれど王が代わり、政治が代わり、時代を経るごとに貧富の差はより顕著なものへと変わっていった。
その街の領主により領民へ求める税額は異なり、一定金額を王へ納めれば、領民から集めた分との差額が領主の懐へ入る。
そしてその集めた税をどう使うか、それを決めることもまた仕事のうちだ。
重税に喘ぐ領民に対し、ただひたすら善良だったかつての領主は集める税をとにかく削減した。
暮らしが楽になった領民たちは最初のうち、それは大層喜んだ。けれどそれを他領の人間は羨み反発した。
他領を治める領主からは反感を買い、まず物流がうまく機能しなくなった。
領主は家財を投げ打ってやりくりをしていたが、そのうちそれも立ち行かなくなった。
また、税が安いという理由だけであらゆる人間が街に入り込んだ。街は徐々に治安が悪くなり、インフラを整備するだけの金も底をついた。
けれど下げた税を今更上げるわけにもいかない。
そうして緩やかに機能不全を起こしたこの街は、やがて周囲から蛮族街と呼ばれ蔑まれる場所へと変貌した。
「この書類は王都へ提出しないといけないものなんだ」
「え、きちんとした街みたいな事をしないといけないんですか」
「腐っても街は街だからな。完全放置してくれれば返って楽なんだが、そう都合良くはいかないな」
それならこんな状態になる前に、日頃から整理しておくべきなのでは。
ふと当たり前の疑問が湧き上がる。
その考えが透けていたのだろう。
ウォルターは空になったカップをやや乱暴に机へ置くと、昆虫を観察するような目でじいっとこちらを見つめた。
「なんです?」
「人手不足なんだよ」
「ひとで・・・ぶそく」
この世界に来て、そんな単語を耳にする機会があるとは思わなかった。
いかつい傷跡を残す顔が悲痛げに歪められる。社員が毎月のように退職していき、求人をかけているのに応募が殆どない事を嘆く人事部の人間のような表情だった。
「いいか、ここが蛮族街って呼ばれる街だってことを忘れるなよ。そもそも計算できる人間が少ない」
「・・・なるほど」
「それから、この街で計算が出来るやつはだいたい金に汚く強欲だ。金勘定を任せた人間の半数は金を奪って逃げた」
「・・・な、なるほど」
「とっ捕まえて落とし前はつけさせたが、信用できる人間がとにかく少ない」
思わず無言になる。
体験に基づく発言は重みがあった。
最初は軽くて手の早いろくでなしの印象だったのに、この共にした数時間でウォルターへの見方は変えられた。
それでも初手で襲われた時点でろくでなしという点には違いないのだが。
「お前、金を任せるのに向いてる人間がどんな相手か分かるか」
「え?」
「適当に言ってみろ」
「・・・善悪の区別がつく、善良な人間、とか?」
ウォルターの片目が僅かに細められる。ニヒルな笑みを浮かべる口元は変わらず、その反応からあまりこの男の納得のいく返答では無かったのだと伝わってきた。
僅かに沈黙が走る。
俺は無言のままちらりと視線でこの男の望む答えを促した。
ウォルターは徐に手を伸ばすと、俺の手元のカップをさりげなく奪った。
無意識に奪われたカップの先を目で追う。
「金が無い苦しみを知らない人間だ」
ひた、と視線が交わる。俺の模範解答と比べると随分棘のある答えだっだ。
「食いもんに困った事がない。着る服に困った事がない。安穏と過ごせる家がある。そういう人間だよ。金が無くて困った事がないから、リスクを犯してまで態々奪おうと思わない」
そうしたある種の"想像力の無さ"こそが、"金を任せるのに向いてる人間"だとウォルターは嗜虐的な笑みを浮かべた。
「まさしく神子みたいな人間だ」
褒められている、わけでは無いと思う。
皮肉に満ちた響きだった。けれど指摘されて否定することは難しかった。
平和な日本に生まれ、両親はどちらも健在で学校に通う金も出してもらった。社会人になってからは、自分の年代としては人並みに稼いでいたと思う。
一人暮らしを始めてからは中々思い通りに貯まらない残高に頭を悩ませてはいたが、それでも飢えからは程遠い生活をしていた。
「数字を本当にただの数字と割り切って処理できる人間は、この街じゃ貴重だ。それに加えて神子は計算も早くミスがないな」
ウォルターが机の上に散らばった書類を無造作にかき集める。視線が左から右へ、上から下へ忙しなく動いた。内容を確認しているのだろう。
適当にペラペラと髪をめくった後満足げに目を細めると、再度こちらへ顔を向けニヤリと笑んだ。
「暫くはここに身柄をおいても良い。とりあえず仮で俺の補佐になれ」
「・・・っ!本当ですか」
「まずは手始めに王都に提出する書類を期日までにまとめる。とにかく馬車馬のように働いてもらうぞ」
「・・・期日っていつですか」
「五日後」
その言葉にひく、と頬が小さく麻痺した。
思わず僅かだけ量を減らした執務机の上の山を見やる。この量の書類をたった二人で処理する?
それも期日が五日ときた。仮に俺がこの街に来なければ、この男は一人で全てを捌くつもりだったのだろうか。
ウォルターは向けられた胡乱な目に、鷹揚に頷いた。
「毎年余裕で間に合わなくて王都から派遣された役人にせっつかれてたな。あいつら金持ちばっかだからよ、こんな汚い場所に一秒でも居たくねぇとかほざきやがる」
その言葉にぴき、と身体を固まらせる。
どこから俺の居場所に足がつくかも分からない。まして王都から来る人間との接触はできる限り控えたい。
可能性は低いかもしれない。
けれももしコーニーリアスが神子の奇跡を与える相手に選んだ貴族がこの街に来たら。
俺が神子だと一発でばれる。
会わなければ良い話だが、それでも何かの拍子に見えるようなことがあれば。リスクをあげ出すとキリがなかった。
俺は机の上に転がっていたペンをぎゅうと握り直すと、期日までに書類を終わらせると改めて覚悟を決めた。
「それから神子の騎士だけど、このまま会わせて良いか悩んでる」
「えっ、会えるのなら会いたいです。どうしても駄目ですか」
「神子のことが余程大事なのか、暴れて話もつけられなくてよ。あまりにも手に負えないんで鎮静剤打って今は檻に入ってもらってんだよな」
ウォルターは痒くもない頭を態とらしくボリボリ掻くと、へらりと軽い調子でそう言った。
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