アケミツヨウの幸福な生涯【本編完結】

リラックス@ピロー

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1.アケミツヨウの不運な一日

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その日は散々な一日だっだ。

いつも乗っている時間の電車はただでさえ混んでいるのに、遅延が原因でさらに乗客が多くひどい混みようだった。おまけに外は雨。濡れた傘が服に染み込み、電車を降りる頃には服がベタベタに濡れていた。会社前の横断歩道で信号が青に変わるのを待っていると、目の前に大型トラックが走り思い切り泥水をかけられた。

手持ちのタオルでなんとか服に掛かった泥と水気を拭いやっとの思いで出社し席に座ると、もの凄い剣幕の上司から怒声を向けられた。
なんでも先程お客様から電話があり、請求書の不備が見つかったという。
具体的には、一連の仕事で弊社がミスを起こした為請求金額を値引きする筈だったのだが、受け取った請求書は値引きがされていなかったと言うものだった。
その請求書を発行したのは後輩で担当営業は他にいる。加えて一連のミスと俺は無関係なのだが、少しでも問題が起ころうものなら、この上司は何かにつけて俺に文句を付けたがる。結局この日の午前中は、数年前の既に解決している小さな問題まで掘り返した上司の長い説教で終わった。
因みに昼休みの半分まで侵食した説教を止めたのは、請求書を発行したであろう後輩だった。外へ昼食を取りに行った上司の後ろ姿を眺めながら、後輩は「パワハラですよね~」と朗らかに笑ってそう言った。

それに渇いた笑いで返事をし、貴重な昼休憩が削られた事にため息を溢す。
鞄の底でつぶれたコンビニのサンドイッチを取り出しながら、俺はスリープモードになったパソコンへ向かい直した。

ようやく自分の仕事に取り掛かれると思った矢先、役員の気分で会議日程が前倒しになり資料を急いで作るはめになったり、社員が壊した社用スマホの交換手配をしたり、いきなり倉庫の整理を命じられたり、不測の事態が重なり自分の仕事を終える頃には、既に時計の針は10時を回っていた。

同じフロアの他部署の人間はちらほら残っているが、俺の部署は上司も後輩も殆どが定時退社だ。電気代削減のために薄暗くなった室内を暗澹とした気持ちで見回し、俺は殆ど中身の残っているペットボトルを鞄に入れ、パソコンをシャットダウンする。ありふれた黒い鞄には、ペットボトルを買った際ついて来たオマケのキーホルダーがついている。光を蓄えて暗闇で光る素材だ。

ふと今日は殆どトイレに行っていない事に気付いた俺は、タイムカードを切る前に用を済ませる事にした。

トイレの電気をつけ中に入る。
夜遅い時間の所為で、いつもの見慣れたトイレもひどく不気味な印象を受ける。ジジっと音を立て光を灯した蛍光灯は、半分が切れている為室内は薄暗い。
俺は入り口に一番近い便器の前に立つと、ベルトを緩めスラックスのチャックを徐に下げる。

ーーーピチョン。

不意に一番奥の扉から、水の跳ねる音が響いた。

「え?」

背筋にぞくりと悪寒が走り、音の方へ振り返る。全ての扉は閉まっている。先程聞こえた水音意外は何の変哲もないいつものトイレだ。いや、違う。誰もいないのなら、何故トイレの扉が"全て閉じている"のか。本当に誰も入っていないのなら鍵は空いていて、扉も開いているはずだ。

その事に気付いた瞬間、俺は鞄を抱きしめ出入口の扉へ駆け出した。
開かない。
鍵なんてかからない筈の扉は、どれだけドアノブを捻ろうと開こうとしなかった。

「くそっ、な、なんで・・・っ!」

ーーーギィ。

半狂乱になりながらドアノブをガチャガチャと捻っている中、その音はやけに大きく響いた。

「は、っはぁ、っ」

扉に背を向け恐る恐る後ろを振り返る。先程水音が聞こえてきた一番奥の扉がひとりでに開いていた。ギィギィ、と不規則に扉が揺れ不気味な音を立てる。

「あ、あぁ」

ピチャリ。再び水音が聞こえたかと思うと、次の瞬間扉の奥からものすごい勢いで大量の水が流れ出す。

「うぁあああ!!」

部屋を充す濁流に飲み込まれた俺は、水の勢いで背後の扉に頭を強か打ち付ける。

ーーーこれって下水なんじゃ。

頭を打ち付けた衝撃で薄れる意識の中、俺は思考の端でそう考えた。









「げほっ!」

次に目を覚ました時、俺はびしょ濡れの状態で怪しい宗教団体に囲まれていた。黒、黒、黒。壁も床も一面黒色で、男たちが身にまとうローブも黒。鼻まで隠れるローブをすっぽり被った男たちは、声で性別が判るが年齢までは判断できない。

「ようこそお越しくださいました!!」
「我らが神子様!!」
「はあっ、げほっ、ぐ、」

肺に入った水を咳き込み吐き出す。
この苦しさと、水が鼻に入った所為で感じる痛みが今この状況を現実だと無理やり理解させてくる。高熱の日に見る悪夢でもあるまいに。

「っげほ、神子、って」
「そうです!あなたはこの国に繁栄をもたらす為に異世界より召喚された、高貴な神子様であらせられます。その艶やかな黒髪と黒目こそが神子の証!」

怪しすぎる。
俺が神子ってどう見ても邪教だろ。なんでローブが黒なんだよ。それに歓迎するより先に、むせてる俺を心配するとかあっても良いんじゃないのか。

黒く固いタイルに横たわっていた身体を起こしながら、俺は一番立場が上だと予想した男と向かい合う。
さっきから中心となって話しているのはこの男だから、恐らくこいつはこの集団の中で偉い立場の人間なんだろう。
向かい合って気付いたのは、ローブから見える男の指は皺が多く、声も相まって恐らく中々の老齢だろうと言う事。猫背気味の背は年齢の為か。ただ俺と比べると全体的に体格は良い。

男はここが異世界だと言っていた。

とてもじゃないが現実味がない。それならトイレを故障させ、俺が意識を失っている間に拉致したと考える方が妥当だ。ただそれだと分からないのは、こいつらの目的だ。
俺を攫って何のメリットがある?
こう言ってはなんだが、俺は普通の会社員だ。テレビのどっきりを掛けられるような芸能人でもないし、SNSを発信するインフルエンサーでも無い。
あと考えられるのは、こいつらが一般人を巻き込む迷惑系動画配信者で、今は撮影の最中と言う事か。
ぱっと見カメラやスマホを撮影している者はいないようだが。

「神子だかなんだか知らないけど、家に帰してくれないか。今なら警察にも黙ってるから」

そう、目的は不明だがこれは立派な誘拐で、まごう事なき犯罪だ。
口ではこう言ってはいるが、解放された後は当然警察に相談するつもりだ。妙な集団に拉致されたと言って警察が間に受けてくれるかどうかは置いておく。

「それは神子様の頼みであっても不可能です」
「え、」

くだらない愉快犯なら、直ぐに解放されると思っていた。

「いや、だから警察には言わないし、もう俺の反応だって十分撮影できただろ?これ以上は冗談じゃ済まないって言うか」
「ケイサツ?サツエイ?が何か存じませんが、我々は冗談など申してはおりません」

男の声は真剣そのものだった。
ぞくりと俺の背に悪寒が走る。目深に被ったローブの奥から覗く男の目は、少しもこちらを揶揄う感情が乗っていない。だからこそ男の態度は、俺に恐怖を抱かせた。

「あ、の」
「いかがされましたか?」
「・・・トイレ、行きたいんですけど」
「・・・おい、お前。神子様を案内してさしあげろ」

正直尿意なんて飛んでいっていたが、とにかくこの集団から距離を取りたかった。トイレなら個室だし、少なくとも時間が稼げる。この散らかった思考を何とかまとめて落ち着けるはずだ。

それに難なくトイレと言う単語が通じた事で、やはり異世界の説は薄くなった。俺は男たちにバレないようほっと一人息を吐いた。

「こちらです」

そう言って通された場所は、何もない広い部屋だった。俺が目を覚ました先程の場所とは異なり、今度は一面が白い作りの部屋だった。

「え、と。トイレに案内してくれるのでは」
「こちらが神子様の手水場です。中央にある瓶へ用を足してください」
「はあ!?」

ひくり、と頬が引きつる。

無理無理無理!
何を言ってるんだこの男は。確かに部屋の中央にはぽつんと花瓶サイズの白い瓶が違和感バリバリの状態で置いてあるが、それに用を足せだと。流石に笑って済まされる事ではない。

「いい加減にしろよ。異世界だの神子だの訳の分からない事を言って人を攫った所まではまだ許せるが、いや、やっぱり許せないが?これがトイレだと言い張るのは流石にアウトだろ!」

もう我慢ならない。
俺は扉の前に立つ男を全力で押し退けると、歩いてきた廊下と反対側へ勢い良く走り出す。背後から神子様と叫ばれたが知るものか。俺の名前はミコサマなんてものじゃない。

落ち着いてから色々考えをまとめる?
そんな時間はない。とにかくここから逃げ出す。
それが今俺がするべき事の全てだ。

「はっ、くそ、無駄に広いなっ」

濡れた服が纏わりついて足がもつれそうだ。ただでさえ社会人になって走る機会なんて、電車に乗り遅れそうな時くらいなんだ。運動不足の現代人を舐めるなよ。

「っ、階段!」

廊下を走り続けると、ようやく下へ続く階段が見つかった。

「神子様!」
「ーーーえ、」

階段を降りようとした時、背中をどん、と押された。その拍子に足を踏み外した俺は勢い良く身体が宙へ投げ出される。
落ちながら後ろを振り返れば、俺を追いかけてきたらしい黒いローブの男の姿があった。恐らく俺を捕まえようとしたが、誤って腕がぶつかったのだろう。フードの奥の表情は、驚きと焦燥に満ちていた。


「ーーーっ!!」

襲いくる衝撃に備え、ぐっと目を瞑る。
しかしいつまで経ってもその痛みは訪れなかった。

「は、あ?」

ぎゅっと瞑っていた目を恐る恐る開くと、目の前には硬い銀の鎧があった。そっと上を見上げると、フルプレートの兜に覆われた頭部が、こちらをじっと見つめていた。全身銀の鎧に包まれた騎士のような格好の人物に、俺は横抱きにされていた。

「た、助けてくれたのか。ありがとう」

鎧の人物は俺をそっと地面に下ろすと、無言のままコクリと肯首した。

「神子様!」
「うわっ」

息を切らして階段から降りてくるローブの男に、後ろからガシリと肩を掴まれる。

「まさか逃げ出すおつもりでは無いですよね。神子様とあろう者が」
「ひえ、」
「この国を繁栄させる責務を放棄し、逃げ出すおつもりか。この神殿以外に行く場所も帰る場所も無いと言うのに?」

怖!
この人、役に入りすぎでは!?
あまりの剣幕に、俺は後ろの鎧へとしがみつく。

「ちょ、あ、あの。俺を助けたついでにもう少し助けてくれませんか!このローブの人ちょっとおかしくて、瓶に用を足せとか言ってくるんですよ!」

先程から無言だが、鎧の人の方がローブの男よりは話が通じそうだ。俺は硬い鎧の胸板にしがみつき、肩を掴んで引き剥がそうとしてくる男へ必死に抗う。こんな全身鎧日常で纏う人がまともだとはまともだとは思えないが、邪教集団よりはマシなはずだ。
そんな俺の思いを汲み取ってか、肩を掴む男の手を引き剥がしてくれる。

「・・・何のつもりだ」
「神子様が嫌がっておられる」

喋った。

「自分の立場を弁えろよ、ヴィクター。召喚の間へ入る事さえ叶わないお前のような立場の男が、俺の邪魔をする事はおろか軽々しく神子様へ触れて良いと思っているのか」
「・・・」

ローブの男にそう言われると、ヴィクターと呼ばれた鎧の男はそっと俺から距離をとった。
いや、そこは諦めないでほしかった。

「瓶での排泄を嫌がっておららる。共同トイレへ案内して差し上げるべきだ」
「お前ごときが私に指図するつもりか」
「・・・神子様はこの世界へ来臨されたばかりで戸惑っておられる。最初のうちは出来る限り希望を叶えるべきだと思うが」

苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、ローブの男は俺の肩を掴み直し、こちらへ、と呟いた。



そうして案内されたのは、見慣れた個室の水洗トイレだった。

「いや普通のトイレあるのかよ!」

やっぱりここが異世界とか嘘だろう。
外に控えているローブの男を、俺は扉越しに睨み付けた。
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