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6.優しさをくれたから
しおりを挟む時計の秒針が二時ちょうどを指した次の瞬間、何の前振りも無く三つの杯の中身が全て空になった。
予想していなかった現象に思わずはっと息を呑む。
コーニーリアスの言っていた事は本当だった。塩の一粒、酒の一雫さえ杯に残されていない。当然、俺の吐き出した精液も同じ。
儀式は成功したのだろう。
安堵にどっと疲労が込み上げる。しかしいつまでもヴィクターの腕に体重を掛けていられない。余韻で力の入らない足に鞭を打ち立ち上がる。
ヴィクターも同じようにその場を立ち上がると、俺の乱れた祭服を元通りに整えた。
濡れた口元を袖で拭い後ろへ向き直ると、俺は頭二つ分上にあるヴィクターの顔を見上げる。
「神子様、」
「ヴィクター、ありがとう」
俺の言葉にヴィクターが息を止める。
僅かに揺れる彼の目に気付かないまま俺は言葉を重ねた。
「おかげで儀式が成功させられた。ヴィクターのおかげだ。きっとこれで奇跡を起こせる。・・・人の命が助けられる」
「神子様、俺は・・・」
ヴィクターの口が迷うように僅かに開閉される。しかし何かを堪えるように唇をきゅっと引き絞るとその先の言葉が発せられる事はなかった。
「勿体ないお言葉です。神子様の騎士として務めを果たせた事、誇りに思います」
そう言って再び穏やかな微笑みを携えるのだった。
ヴィクターは俺から距離を取ると、外していた鎧を手に取り身に纏い始める。兜を最後に被れば初めて出会った時と同じ、素肌を一切出さない銀鎧の騎士の姿へ戻った。
表情の伺えないその姿に一抹の寂しさを覚えるが、そんなわがままも言っていられない。
ただでさえヴィクターの善意につけ込み儀式を手伝わせた負い目もある。
それにもう一つ、やる事が残っている。
扉へ向かう俺の後ろをついてくるヴィクターとの距離に、僅かに胸がちくりと痛んだ事に気付かないふりをして。
「神子様!一体あなたは何を考えているのですか!」
扉を開けると勢いよくコーニーリアスに詰め寄られた。本当は掴みかかりたいのだろう。しかし俺が神子である事、そして彼が神殿長の立場であると言う事がコーニーリアスにそれをさせなかった。背後でヴィクターが扉を閉める音を聞きながら、俺はコーニーリアスに向き合う。
「儀式は無事に終わった」
その言葉にコーニーリアスの目が開かれた。結果は期待していなかったのだろう。
反応で分かる。
俺はコーニーリアスと目を合わせると、僅かに目を細める。そっと唇を舐め湿らせると、内心の緊張を表に出さないよう注意を払いながら口を開いた。
「治療している、罪人に会わせろ」
ーーーお前の望む奇跡とやらを起こしてやる。
建物の外に出ると、夜も深い時間と言う事もあり辺りはシンと静まり返っていた。
コーニーリアスの後ろをついて行きながら、俺は内心心臓が壊れそうだった。啖呵を切った手前、今更奇跡が起きませんでしたなんて事は許されない。俺の手に人一人の命が委ねられているんだ。
ヴィクターはともかく、コーニーリアスが先程から無言な事もこの重苦しい空気に拍車を掛けている。
治療院までの距離はそう遠くない。気まずい空気に耐える時間はそう長くは無かった。今朝と変わらないこじんまりとした建物の扉を開けば、寝ぼけ眼の医者が奥の部屋から姿を現した。
「いったいこんな時間に何の様です、神殿長殿。それからそっちの鎧のデカイのはヴィクターか、・・・って、神子様?」
医者は俺の姿を目に留めると、ぎょっと大きく目を見開いた。眠気など一瞬で吹き飛んだと言う様子だ。
「非常識な時間での訪問、申し訳ありません」
「い、いや、散らかった場所ですが、あ、お茶でも飲まれますか」
「いえ。実は今朝運ばれた患者の元へ伺いたいのですが可能でしょうか」
「患者・・・あ、ああ!左様でしたか・・・明日の朝までは保つと思いますし、何もこのような時間に態々足を運んで頂かなくても良かったんですよ」
医者の言葉は遠回しにこんな時間に訪問した事へ苦言を呈しているのだろう。非常識極まりない時間なのだから無理も無い。
「彼は俺の所為で怪我を負ったようなものですから」
「はあ、そうですか。罪人なら奥の部屋で寝かせています。こちらへどうぞ」
案内されるまま奥へ続く扉を潜る。室内は予想より広かった。医者が一番手前の白いカーテンを開くと、そこにはうつ伏せで寝かされている男の姿があった。
上半身は包帯が巻かれており所々血が滲んでいる。男の顔色は土色で、今にも事切れそうだった。痛々しいその姿に僅かに顔を歪める。
荒事に慣れているであろうヴィクターはともかく、コーニーリアスはこの惨状を見て平気なのだろうか。ちらりと視線を向ければ、本人は至って無反応だった。
一歩足を進め男との距離を詰めると、消毒液の匂いがツンと香った。
この男を救いたい。
そう思うと、ふわりと優しい風が吹いたような気がした。外へ通じる扉は閉められている。室内は無風の筈だ。
特別な信託を受けたわけでも、目に見えた変化があった訳でも無い。それでも俺の望みに対し、この世界の闇の神とやらが返事をしたのだと確信した。ここに来るまでに昂っていた心臓は嘘のように静まっており、心は不思議と凪いでいる。
じわりと熱を持つ両手で、力無くベッドの上に伸ばされている男の手を優しく包む。
目を閉じて強く奇跡を願う。
次の瞬間、柔らかな光が辺りを包み込んだ。目蓋を閉じていても伝わってくるあたたかな光だ。俺はそっと目を開き男の方へ視線を向けると、包帯に滲んでいた血がきれいに消え去っていた。
「なんてこった・・・」
医者の呟きが背後から聞こえてくる。
光は徐々に収束すると、最後はすぅっと手元で消えた。シンと室内は静まり返っている。
「神子の奇跡だ」
「・・・包帯を、外していただけますか」
どこか恍惚とした響きを孕む医者の呟きを遮り俺は確認を取る。本当に傷が治っているのか包帯越しでは分からない。
医者は棚から医療用のはさみを取り出すと徐に男に巻かれた包帯を切った。
露わになった皮膚には傷一つ残っていない。
ーーー成功した。
緊張から解放され思わずその場で膝をつく。いきなり地面へ座り込んだ俺の行動に辺りからぎょっとした空気が伝わってくるが、今はそれを気にする余裕もない。
「・・・良かった」
助けられた。儀式は成功し、神子の奇跡も問題なく起こせた。はあぁっと大きくため息を吐けば、この世界に来てようやくきちんと呼吸が出来た様に感じる。
「・・・コーニーリアス」
「はい、神子様」
「お前の望み通りなんだろう」
へたりと座り込んだままコーニーリアスを見上げる。僅かに逆光になる所為でその表情は見え難かったが、その口元に笑みが浮かんでいる事は分かった。
どこまでも老獪なこの男の掌の上なのだろうと思うとどこか釈然としない思いもあるが、次に襲ってきた疲労感からすぐに思考が拡散する。ぐらりと視界が揺れ態勢を保っていられない。
まずい、これは意識が落ちる。
そう思うより先に視界はブラックアウトした。
ーーーチュン、チュン。
「この世界の鳥も鳴くのか・・・」
目が覚めた第一声はそれだった。
相変わらず狭い窓からは日差しが差し込んでいる。朝日の様な柔らかな白みを帯びた光では無い。真昼間の強い日差しだ。恐らくあれからぶっ通しで眠りこけていたのだろう。
奇跡を起こして疲れたと言うより、緊張の糸が切れた所為で気絶したと言う方が近い気がする。
あれから部屋へ連れ戻してくれたのはヴィクターだろうか。相変わらず廊下に控えているのか、室内に人の姿は無い。
むくりと上体を起こせばベッドからギシ、とスプリングの音が鳴った。
身に付けている服は相変わらず真っ黒な祭服だが昨日着ていたものと僅かにデザインが異なっている。身体のベタつきや不快感もない為、もしかしたら眠っている間にヴィクターが拭いてくれたのかもしれない。
「・・・」
壊れ物でも扱うかの様な優しい手を思い出す。無骨な印象のわりに動きは繊細であたたかかった。昨日は指先の動き一つにさえ神経を巡らせ慎重に触れていたのが伝わってきた。
そんな手が他人に触れさせた事の無い場所へ伸ばされーーー、
昨夜の事をそこまで思い出した所で自分の顔を殴る。いったい何を思い出しているのか。
今更だが大変な事をさせてしまった。自責の念とかつて無い恥ずかしさにかあっと顔へ熱が集まる。
手段を選んでいられなかったとは言え断れない立場の人間にとんでもない事を願ってしまった。
「これってセクハラになるんじゃ・・・」
はっと気付いた瞬間、頭からざっと血の気が失せる。セクハラ。セクシャルハラスメント。元の世界なら大問題だ。いや、この世界でも問題大有りだろう。
勿論昨夜だって軽い気持ちで頼んだわけじゃ無い。非日常の状況で人の命が掛かっていたし、とにかく切迫詰まっていた。
それに「心まで守るのが守護騎士の務め」って言ってくれたんだからそこまで思い詰める必要も無いのでは。いやでもあの状況で断れるわけが無い。
「だめだ、とにかくまずはヴィクターに謝ろう」
ぐるぐると一人考えていてもしょうがない。
俺は気持ちを切り替えるとベッドから降り扉へ向かった。少し、いや大分勇気がいるが、とにかく昨日の事はヴィクターと話し合うべきだろう。
そう覚悟を決め扉を開けたにも関わらず、そこにヴィクターの姿は無かった。
「え?」
「神子様、お目覚めですか」
さらにそこに立っていたのは黒い鎧の騎士だった。俺がチェンジと言って変えてもらった騎士かどうかは分からないが、銀の鎧で無い以上ヴィクターじゃない事は確かだ。それに声も体格も違う。
「え、誰、ですか?」
ヴィクターは?
思わずこぼれた名前に、騎士のまとう空気が固くなる。表情は見えなくともその変化はすぐに分かった。
唐突に思い出したのは、意識を失う前に見たコーニーリアスの笑み。何も違和感を覚える必要はないはずだ。あの男の思い通りに俺が奇跡を起こした。それに対し納得したからこそあの表情だったのだろう。
それなのに何故か先程から胸騒ぎが止まらなかった。
「ヴィクターの事はお気になさらず。そもそも神子様の騎士となるには相応しくない男でしたから」
「相応わしくない、って」
「奴の鎧の色は見たでしょう。この神殿で銀の鎧を纏う騎士は低い立場の証拠。それに神子様はご存じないでしょうが奴の髪の色は金色ですよ?」
金色。それは知っている。この騎士は知る由もないだろうが昨夜ヴィクターは儀式の時に兜を外していた。金色だから何だと言うのか。
「金色の髪は光の神と同じ色です。この世界では忌むべき存在なんですよ」
ーーーバンッ
「・・・み、神子様?」
無意識のうちに壁を殴っていた。
元の世界にいた頃は暴力なんて無縁だったのに、この世界に来てからやたらと俺の手は痛めつけられている気がする。
じん、と痛みを発する拳を下ろし目の前の騎士へ向き直る。目の前の騎士と比べれば筋肉も殆どない俺なんて吹けば飛ぶ虫の様なもの。怯む必要なんて無いのに、騎士は気圧されているようだった。
元の世界にも差別はあった。
だから金髪が差別の対象だと聞き腑に落ちる部分もあった。納得できるかは別として。
この世界から愛する青年を奪い去った光の神。俺が知らないもっと理解できない事柄なんて山程あるんだろう。
ヴィクターに向けた騎士の言葉は当たり前で、特に深い意味は無かったとしても、それは俺にとっては到底無視出来る言葉じゃ無かった。
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