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23.風呂とパンツ
しおりを挟むこの国の気候はおおよそ二十度前後に基本は安定しており乾燥気味だ。一年を通し気温の変動が激しく多湿な日本とは異なり過ごしやすい日が多い。
俺が普段纏っている祭服はほとんど露出がないが、程よく生地が薄くこの国の気候に適していた。
それもあり騎士や神官たちは数日に一度風呂に入る程度で、毎日湯に浸かる習慣は無かった。
ただし神子の扱いはここでも異なっていた。当然悪い方向にである。
儀式は体を清めた状態で行うべきだと毎日沐浴をさせられていたのだ。これは当然温かいお湯ではなく水で行っていた。
禊の時間はいつも日の高いタイミングで行なっていた点が唯一の救いではあったが、流石に温かいお湯に浸かって身体を癒したい。
コーニーリアスがいない今、その願望は叶えられる。
「すぐに着替えを取ってくるから少し待っててくれ」
ヴィクターを廊下に待たせ自室に入る。着替えと言ってもクローゼットには数着の祭服が掛かっているだけだが。しかし今、重要なことはそこではない。
クローゼットの下段の引き出しに指を掛け手前に引けば目的のものはすぐに見つかった。
小さく折り畳まれたそれを手に取り広げれば、ずいぶん懐かしく感じるパンツが姿を現した。元の世界では当たり前のように毎日身に付けていた、ありふれた黒色のボクサーパンツだ。
俺がこの世界に来た日、履いていたものはコーニーリアスに捨てられた。
まったく同じ物とはいかないが、それでもデザインはよく似ている。騎士は下着も配給されるのだが、以前ヴィクターが誤ったサイズを渡された為未使用だった物を譲ってもらったのだ。
パンツを履く事に対し喜びを感じる日が来るとは思わなかった。
俺は変えの祭服とタオル、そしてパンツを一纏めにし腕に抱えると、ヴィクターの待っている廊下へ向かった。
「待たせてすまない」
「いいえ。さぁ、参りましょう」
「ああ」
ヴィクターの声に喜色が滲んでいるのは勘違いではないだろう。
禊から上がり冷えた身体を拭いてくれたのは他でもないヴィクターだった。最初は自分で拭けると伝えたが、寒さで悴み動きを鈍くした様子を見兼ね早い段階でタオルを奪われた。
その度に無力を謝られた。ヴィクターは何も悪くないと言うのに。
だからこそコーニーリアスの件が片付いたら一番に風呂に入ろうと話していた。
今こうして風呂に入れることが一層嬉しく感じられる。
「せっかくだしヴィクターも入るだろ?」
「えっ、・・・ええ」
この世界に神子用の風呂場はない。
その為今回はヴィクターが普段入っている騎士用の共用風呂を借りることにした。騎士が入る時間は決められている為、誰も使っていない時間に合わせ借りれば良い。
この世界に来て初めての風呂だ。
ヴィクターは使い慣れているだろうし、水回りの操作などは一緒に入った方が分かりやすいだろう。それゆえの提案だったが、反応があまり良くない。
「あ、そうか。すまない、ヴィクターも着替えが必要だよな。鎧の着脱は大変だろうし」
「・・・そう、ですね」
「今日は一人で入るよ。後で操作方法を教えてほしい」
「それは勿論です」
それにヴィクターの立場は守護騎士だ。鎧はともかく、武器となる剣などは側から離さないだろう。一緒に入ったところで、真面目なヴィクターのことだ。全裸のまま風呂場に立って控えていそうな気がする。
そう考えるとヴィクターの返答は返って良かったのだろう。
そこまで考え至らなかったのは、それだけ久々の風呂に対し自分が浮かれているということだ。
騎士用の風呂場は俺の暮らす建物の一階に位置する。風呂場までの道のりは短いとは言え、普段一階は殆ど通らない分新鮮なものだった。
「おお、思ったより狭いんだな。騎士の人数を考えるともっと広いかと思ってた」
「そうでしょうか。神子様のおられた世界にも風呂はあったのですよね、これより広いとなるととても一般家庭のそれとは思えません」
「あ、いや、家にある風呂はもっと狭かったよ。お金を払えば誰でも入れる大衆浴場というものがあって、比べたのはそれと」
「誰でも・・・ですか。見知らぬ他人と風呂に入るのです?」
意外にも風呂場の様子はどこか昔ながらの銭湯を想像させる装いをしていた。大手のスーパー銭湯などと比べると小ぢんまりとした印象を受けるが、それでも清潔に管理されている。
適当に空いている棚に着替えを置きながら会話を続けていると、不意にぴたりとヴィクターが動きを止めた。
「そうだよ。この世界には無いのか?大衆浴場」
「ええ、そうですね、因みにヨウ様も利用されていたのですか?」
「社会人になってからはあまり行かなくなったけど、学生の時はたまに行ってたかな。一時期謎に自分の中で流行ってた時期があったっけ」
「・・・そうなんですね」
何やら深刻な声のトーンに、思わずヴィクターの方へ振り向く。
普通に何気ない会話をしていたと思うのだが。そんなにシリアスな様子を醸し出される要素は無かったはずだ。
「ヴィクター、本当にどうした?」
「いえ、ヨウ様。今後も風呂へ入られる際は必ず俺に声を掛けてくださいね・・・」
「ああ、勿論」
何せ今は騎士用の風呂場を借りている状態だ。勝手に俺の判断で入るわけにも行かない。
自由に利用できれば当然嬉しいがそこまで求めるつもりはない。少なくとも今はまだ。
やや項垂れた様子のヴィクターに首を傾げながらも、今はとにかく風呂へ入りたい気持ちが勝った。祭服に手を掛け脱ぎ捨てれば、その下には何も身に付けていない。
持ってきていたタオルを腰に巻きつければ、風呂に挑む準備は完璧だ。
「じゃあヴィクター、操作方法を教えてくれるか」
「・・・分かりました」
内心浮かれながら浴室へ続く扉を開く。
風呂場は脱衣所に見合った大きさをしていた。表面が滑らかに削られた石造りの地面は、今は乾いているが水に濡れると滑りやすくなりそうだ。
大きめの蛇口が浴槽の端に設置されているのでそこから湯が排出されるんだろう。
「湯の温度は一定で変更はできません。ただ出す量はコックを捻ることで調整できます。ここをこうして・・・」
説明を聞く限り元の世界の風呂をやや不便にしたような作りだ。基本はそう変わらなかった。
蛇口から出てくる湯の勢いは予想より強く、これなら身体を洗っているうちにあっという間に溜まるだろう。全身を洗う為の石鹸をヴィクターから受け取り、適当な椅子と桶を借りる。
「ではヨウ様、俺は扉の外に控えておりますので、何かあればお声掛けください」
「わかった。ありがとう」
ヴィクターは淡々と説明を終えると、さっと扉の外へ出ていった。普段よりどこかそっけない態度に疑問を抱くが、すぐに目の前の風呂へと意識が引き寄せられた。
俺は丁度良い場所に椅子を起き、手にしていた桶で湯を掬うと、ざばりと勢いよく肩にかけた。じわりと広がる温かさにぐっと感情が込み上げる。しかし感動するのはまだ早い。まだ湯に浸かってさえいないのだから。俺は石鹸を泡立て、まず髪から洗い始めた。
全身を洗い終える頃には、少し浅いが浸かれる程度に湯が溜まっていたため蛇口を捻って止める。
目の前には随分と久しく感じる風呂が広がっている。あまりに感慨深く、暫く浴槽の前で仁王立ちしていたがはっと我に帰る。
早く温かい風呂を堪能しなければ。
俺は思い切って肩まで湯に浸かった。
「~~ッ!」
温かなお湯を全身で噛み締める。ぎゅっと目蓋を閉じた後、はぁっと息を吐き身体から力を抜く。冷えていた末端まで血流が行き届きぽかぽかと温まる。
ここ一ヶ月間蓄積していた疲労がじわじわと回復していった。
「あぁ・・・、極楽ぅ」
思わずうっとりとした声が溢れる。
俺は元々風呂好きな方だった。仕事が忙しくてもシャワーで済ませず、湯船には必ず浸かっていた程だ。
こうして今風呂に入り改めて自分が思っていた以上に不満を感じていたのだと実感する。とは言え今後はこうして好きに風呂に入れるようになる。邪魔をするコーニーリアスはいなくなったのだから。
「・・・」
ぱしゃりと無意味に水面を指で弾く。
久々に落ち着ける時間を得て唐突に思い起こされるのは今後の事だ。
コーニーリアスを退き、王族との縁も出来た。ここから先は神子の扱いを全うに変えていくだけだ。風呂から上がったらパンツを履くし、当然トイレは水洗を使う。あと伸びてきた髪も切りたい。神殿の外にも出掛ける。
ーーーけれどその先は?
ヴィクターを除き、正直俺はこの世界にそこまで思い入れがない。当然だ。何故なら神殿と言う狭い範囲で決められた仕事だけをこなしていたからだ。
元の世界で積み重ねてきた二十数年の歳月と、この世界で過ごしたひと月の重みの差は計りに掛けるまでもなく明白だ。
ヴィクターが好きだ。けれどこの先、仮に元の世界へ戻れる機会が与えられたら俺はきっとそちらを選ぶだろう。少なくとも今の状態ではまだ。
「仮にも何も、その手段なんて全く分からないんだけど・・・」
神子が元の世界に戻ったと言う噂を、オグバーン公爵は眉唾だと言った。
やはり召喚の間に消えたと言う医者の言葉以上に、核心に迫るような話は無いのだろうか。
神子の意思で帰れるのなら、他の神子だって元の世界に帰ったはずだ。日記にもさんざんな内容でこの世界の事を書かれていた。
「・・・日記」
ふと思い至る。
他の神子と消えた先々代の神子の違い。神子が姿を消したのは、年に一度の祭りの日だ。日記にも確か祭りの事が書いてあった。自由の無い日々の中で年に一度の祭りだけが唯一の娯楽だと。
頭の中で組み立てられた仮説に、のぼせたわけでも無いのにどっと汗が滲む。
少しでも神子の自我を制御したい神殿長が、祭りを楽しむ事を許容するだろうか。だけどその裏に別の目的があったとしたら。
もし俺がこの世界に来た時通った泉が、年に一度だけ元の世界に戻る道となるなら。そしてその日、召喚の間に神子を近付けない為に祭りに参加させたのだとしたら。
全て辻褄が合うと感じるのは、俺に都合が良いからか。
「ヨウ様、随分長く浸かっておいでですが、のぼせておられませんか?」
「ッ、大丈夫!もう上がる」
扉越しにヴィクターから声が掛けられはっと思考を戻す。そこまで長湯をしていた自覚は無いが、ヴィクターをいつまでも待たせているのは申し訳ない。それに久しぶりに湯船に浸かったお陰で十分身体は温まった。
考えてもこの仮説をすぐ確かめる事は出来ないのだから、今は頭を切り替える事にする。
縁に畳んでおいたタオルを手に取り風呂から上がり、ペタペタと音を立てながら脱衣所へ通じる扉へ向かった。
真面目なヴィクターが扉に背をもたれさせているとは思わないが、念の為一声掛けてから扉を手前に開ける。
しかしそれと同時に、ヴィクター越しに廊下へ通じる脱衣所の扉が開かれる音が聞こえた。
「ヨ、・・・ッ神子様、申し訳ありません」
「えっ?」
ヴィクターらしくない焦った様子の声と共に、唐突に固い銀の鎧に身体が包まれた。
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