アケミツヨウの幸福な生涯【本編完結】

リラックス@ピロー

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27.放せない、逃がさない

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ーーー言った。

努めて冷静を装い口にした言葉は、言葉の平坦とは裏腹に内心穏やかではない。
どきどきと心臓が口から出そうな程に緊張していた。
ヴィクターの表情が鎧に覆われていて伺えない所為で殊更空気が硬質に感じる。

「そ、れは・・・神子様、どこからの情報で」

ヴィクターの声は絞り出したかのように乾いていた。無意識なのだろう、最近は当たり前に呼ばれていた名前も"神子"へと戻っている。
俺は膝の上に置いた拳をぎゅっと握り覚悟を決める。

「その日になってみないと分からないけど、祭りの日・・・年に一度元の世界とこの世界への道が泉で繋がるんじゃないかって」
「泉が、元の世界へ繋がる・・・」
「本当にただの仮説なんだ。でも医者に聞いた話とか、コーニーリアスの様子とか考えてみるとその可能性は無くはないんじゃないかって。そう思い至った時、ヴィクターへ最初に言わないとって思った」

普段より饒舌な自覚はあった。言葉に窮するヴィクターの代わりとでも言うかのように、重い空気を払拭するようにぺらぺらと口が勝手に回る。

「・・・帰るのですか」

核心を突く言葉にぴたりと口を閉じる。

風呂場でこの仮説に行き着いてから何度も自問した。元の世界に帰りたい。この世界に残りたい。家族や友人に会いたい。ヴィクターと離れたくない。理由も無く与えられた力を行使し神子として尊ばれるよりも、苦労と努力を積み重ねた日本での生活の方が重い。

だからこそその問いに対し嘘を吐いてはいけない。覚悟を決め、渇いた唇を開く。

「・・・帰るよ」

そう言った瞬間、ヴィクターの腕に抱き締められていた。加減を忘れているのか、強く抱き締められた身体に鈍く痛みが走る。

「ッ、ヴィクター?」
「・・・帰らないでください」
「!」

懇願するような声音にギシリと動きを止める。タイミングを逃した手は中途半端に宙へ浮かせたまま、唯一自由が残された視線だけをヴィクターの方へ向ける。銀色の兜が視界の端に映るだけで、彼が今どんな表情をしているのかは伺えない。
兜の下に覆われた表情を見たいと望んだ時は何度もあった。けれどこれまでのどんな時より、この瞬間が一番その表情を目に映したい。

正直、ヴィクターは俺が帰りたいと言えば止めないと思っていた。俺の事を好きだと口にしながら、同時に答えを求められなかったから。
ヴィクターの"好き"は、両思いになりたいとか、デートしたりキスをしたり、そう言った欲望の外にある好意だと思っていた。俺の意思を尊重しているようでその実、きっとあっさり手を離せてしまうようなものだと。

だから今こうして彼の腕の中で懇願されている事実に、内心ひどく驚いていた。

「俺は愚かな人間だ。あなたにこうして切り出されるまで、俺の前からあなたが消えるなんて考えもしなかった」

感じるはずのない体温を鎧越しに感じる。
ドクドクと脈打つ心音がどちらのものなのか既に分からなくなっていた。
強く抱き締められヴィクターに求められた瞬間から、脳は既に思考を緩めていた。生々しい呼吸が耳をくすぐり、じわじわと悪寒にも似た何かが背骨を侵食する。
両手は無意識にヴィクターの背に回していた。カツリと爪と鎧がぶつかり小さく音を立てる。

「あなたがこの世界に残る理由が俺であれば良いと、傲慢にもそう乞い願わずにはいられないのです」

媚薬を煽り無理やり儀式を終えた日、医者の前で帰りたいと泣いて願った気持ちは嘘じゃない。
初めてこの世界で食事を口にした時の拒否感を忘れない。吐き気を堪え、まるで深い谷底へ飛び降りるような覚悟でスプーンを握った。
それでもこのひと月、ただ苦しいばかりではなかった。

この世界の記憶にはいつだってヴィクターの存在がある。

帰ると決めたはずなのに、ヴィクターに引き止められる、ただそれだけの事で覚悟が揺らいだ。

「ヴィクター、顔が・・・顔が見たい」
「・・・今、俺はとても見せられるような顔をしていない自覚があります」

困らせているのだろう。僅かに拘束が緩み二人の間に距離ができる。この場から離れてしまうのではないかという不安に駆られ思わず首元へ縋り付く。勢い余った所為で、予想より勢いを付け鎧へ額をぶつけた。ゴンッと固いものにぶつかる無様な音が響いた。

「ちょ、神子様!怪我をされたのでは!?」
「軽く触れただけで怪我なんてしない」

嘘だ。正直ぶつけた額はじんじんと痺れていた。けれど引き止めるため縋り付いたら勢い余って鎧にぶつかったなんて、あまりにも馬鹿な行動すぎて認めたくない事実だった。
さらに額が赤くなっていようものならその愚かさは一層増すだろう。そんな姿は見せられない。俺は首へ縋った腕に尚更力を込める。

「分かりました、顔を見せるので神子様も腕を離してください」

ぽんぽんと軽い調子で背中を軽かれ、さらには幼子を説得するような言葉をかけられ羞恥心が増した。けれど自分の行動を省みると大差は無いのだと気付き、仕方なく腕の力を抜いてそっとヴィクターから距離を取る。
ヴィクターは腰掛けたベッドの上で姿勢を正すと徐に兜を外した。
男性に整った男らしい顔立ちが、へにょりと仕方無さそうに崩れる。

「ほら、額が少し赤くなってる」

伸ばされた指先が優しく額をなぞる。
くすぐったい触れ方に無意識に小さく肩が揺れる。自分のその反応が気恥ずかしく、ヴィクターの膝へ視線を下げる。壊れやすい宝物に接するかのような触れ方だった。
ヴィクターは額に触れていた手をずらしそっと両手で俺の顔を挟むとくっと優しく上へ向ける。決して強い力ではない。けれど俺の動きを制限する行動は彼にしては珍しく思わず目線を上へ戻す。

「俺の顔を見て」
「ッ!」
「見たかったのでしょう?・・・これがあなたに帰らないでほしいと縋る愚かな男の顔です」

かあっと全身の血が沸騰したかのような錯覚に襲われる。呼吸の間隔が狭まりドクドクと血が巡り顔へ熱が集まる。無意識に頭を後ろに下げれば頬を挟む手は容易く外れた。座ったままずりずりとベッドの端まで移動するが、膝を立て距離を詰めるヴィクターによりすぐに壁際へと追い詰められた。

「あ、っ」
「逃げないでください」

これまで俺と接していたヴィクターの態度と全然違う。あくまで紳士的で騎士としての領分を侵さないよう振舞っていた彼と同一人物なのかと問いたくなるような変貌ぶりだ。
いや、紳士的なのは表面上変わらない。けれど俺が元の世界に帰ると告げた瞬間から、何かが吹っ切れたかのように距離の詰め方に容赦がない。

壁際へ逃げたのは自分自身だが、必死の思いで開いた距離をヴィクターは容赦なく詰め逃げ場を封じた。

「この鎧が無ければ、あなたの手を取り胸に当てていた。そうすれば俺の心臓がどれだけ脈打ち余裕を失っているか容易く伝えることができるのに」

ギシリと二人分の重みに耐えかねたベッドが悲鳴をあげる。じっと静かに、けれど多分に熱を孕んだその目が視線を逸らし逃げる事を許さない。


こんなヴィクターの姿は知らない。


いつだって俺の意見を尊重し守ろうとしていた。絶対的な味方として信頼していたし、ヴィクターもそれを理解してくれていた。今だってその思いは変わらない。
ヴィクターから逃げたいと望むなんて初めての感情だった。この瞬間与えられているのは、真綿で首を絞められているかのような優しい甘さだ。

「ッ、」
「俺から逃げないでください」

回転を止めた脳の所為で指先一本でさえ動かし方が分からなくなる。
逃げなければという思考が反射的に頭の片隅を掠めるが、眼前に迫るヴィクターの顔を避ける判断力さえ今の自分には残されていなかった。
互いのまつげが触れ合う程の至近距離に思わず目蓋を閉じる。

その次の瞬間には、唇に柔らかなものが重なっていた。その感触の正体が何かなんてこの期に及んで言うわけもなく。無意味に頭を下げようとするが、最初から背中を壁に付けている以上既に退路は絶たれていた。

「・・・ッ」

ヴィクターとの口付けは再度唇が離されるまでひどく長い時間がかけられた。実際にはほんの数分だったのだろうが、体感では数十分にも感じた。
無意識に呼吸を止めていた所為で、どくどくと心臓が早鐘を打つ。酸素不足だけが理由ではないがひどく顔が熱かった。
舌同士を激しく絡めたり、互いの粘膜を味わうような激しいものでは決して無い。例えるなら繊細な砂糖菓子を丁寧に味わう、そんなような口付けだった。
けれど唇同士が軽く触れ合うだけの優しい口付けでありながら、ほんの僅かの余裕も残されてはいなかった。

伸ばされた親指がふに、と下唇に触れる。ここに触れていたのだと意識させるかのような動作に、羞恥心が煽られぎゅっと目を閉じる。
瞼の奥の暗闇の中、再びヴィクターの体温が近付くのを感じ身体に力が入る。

けれどほんの僅かの距離を空け、その隙間が埋められる事はなかった。

「・・・?」

そろりと伺うように閉じていた目を薄く開ける。距離が近すぎる所為で、返ってヴィクターの顔がぼやけて見える。ただそんな中でも目の前に映る淡い色彩の瞳が美しいと思った。
僅かの隙間を伴った唇はそのまま重ねられる事なく再び距離を取る。
その拍子にギシリとベッドが悲鳴を鳴らし、ようやく詰めていた息を吐き出した。身体に込められていた力も抜けた事で自分が随分と力んでいたのだと自覚する。

「ーーーヨウ様、次は受け入れてもらえらると嬉しいです」

解放されたのだと油断した矢先そんな言葉が投げられ、油を失った歯車のようにギシッと身体を軋ませる。
ベッドへ向けていた視線をそっと上へ移動させると、そこには穏やかな表情でこちらを見つめるヴィクターの姿があった。


ーーー次。


これで終わりではないのか。
多分、いや確実に。突然のヴィクターの猛攻に押されている俺を慮って手を引いてくれたのだろう。何せ軽いキスを一度しただけだ。そのつもりになればこれ以上の事をヴィクターなら簡単に行使できた筈なのだから。

「・・・っ」

触れたことのない柔らかな口内の感触を想像し、すぐに自分の愚かさを後悔する。けれど素直すぎる己の顔は、既に先程と同じくらい熱を持っている。
叩く勢いで両手で顔を覆いヴィクターの目から隠す。
そんな俺の態度にヴィクターは気を悪くするでもなく、ふっと小さく笑みを溢すと今度こそベッドの下へ降り距離を取った。

「扉の前で待機していますので、何かご用があれば声をかけてください」

ヴィクターはそう言うと床に落ちていた兜を手に取った。切り替えが早いのか、さっと兜を頭へ被せると扉を開き廊下へ出る。

一人残された室内はしん、と静まり返っている。

顔を覆っていた手をのろのろと下ろし室内に誰もいない事を確認すると、ベッドの上で勢いよく転がる。

「何あれ!?ヴィクターってあんな風になるのか!?」

そして勢いが良すぎたのか、ベッドの端で回転を止められずそのまま床へ落ちる。幸い柔らかなラグが敷かれているお陰で痛みはそこまで無かったが、勢いのせいで強か胸を打ちつけた。衝撃に肺から空気が抜け、小さく咳き込む。けれどそのお陰で頭は冷静を取り戻した。床に伏せたままぎゅっと拳を握る。



ーーーあなたがこの世界に残る理由が俺であれば良いと、傲慢にもそう乞い願わずにはいられないのです



ヴィクターの表情が脳裏に焼き付いて離れない。
しつこいまでに熱を持ち始めた顔を床に擦り付けて戒める。
どうすれば良いのだろう。いっそ元の世界にヴィクターを連れて行ければ良いのにと、荒唐無稽な思考が頭を過ぎる。

神子という立場に縛り付けられ、この世界にきて初めて儀式の存在そのものを忘れた。
時計の針が午前二時を指す中、俺は床に寝転んだまま緩やかに眠りへと落ちて行った。
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